ジェラルド「あの、マクベスさん、また絵を描いて来たんだけど、買っちゃあ貰えないか」マクベス「もう勘弁して下さい艦長さん……」
度々視点が変わって申し訳ありません。ここで同じ頃、同じ大都会ブレイビスのどこかで起きていた、三人称の小さな物語を挟ませて下さい。
いわゆる伏線というやつです、はい。
「行って来るよ、エイミー」
「行ってらっしゃい、ジョフリーおじさん」
朝早くから仕事に出掛けて行く伯父のジョフリーを見送ると、エイミーは妹のデイジーを起こしにかかる。
「起きてオートミールを食べて、デイジー。おじさんはもう出かけたわよ」
「……えーっ。今日は行ってきますを言うつもりだったのに」
「行ってらっしゃい、でしょう」
寝ぼけ眼のデイジーにどうにかオートミールを食べさせると、エイミーは自分の身支度を済ませてから、妹の身支度を手伝う。
「急がないと遅れるから、ゆっくり支度をするのよ」
「お姉ちゃんも、ゆっくりよ」
伯父の口癖となっている諺を復唱しつつ、姉妹は支度を済ませ、手に手に小さな桶を持ち外に出る。出掛ける前に家の甕に新しい水を汲んでおかなくてはならない。
外は10m先も見えない、酷い霧だった。
「デイジー、桶にそんなに水を入れたら持てないわ、貴女は少しでいいのよ」
「私だってこのくらい、持てるもん」
姉妹は井戸と家の間を何度か往復して、甕に水を溜める。
そこへ。エイミーと同じ年の、色白で赤ら顔をした年の割に大柄な少年が通りかかる。
「やーい水汲みかエイミー、傷病軍人の家は大変だな。うちでは女給がやるから楽ちんなんだぞ」
「何よデニス。早く教室に行けばいいじゃない」
「お前こそ早く行った方がいいんじゃないのかー? お前まだ引き算が終わらなくて、掛け算習ってないんだろ」
ブレイビスは子供の教育も盛んで、読み書きや計算を教える私学舎も方々にある。伯父のジョフリーは姉妹が将来給料の良い仕事に就けるよう、苦労して二人をそんな私学舎の一つに通わせていた。
「行こう、デイジー」
「待てよエイミー、なあ、16から7を引いたらいくつだっけ?」
「あっちへ行ってよ……」
追い掛けてからかって来るデニスに苛立ったエイミーが、振り向いて少年を追い払おうとしたその時。エイミーとデニス、そしてデイジー。三人は同時に、その橋の袂の掲示板に目を留めた。
『賞金3,000枚。マリー・パスファインダー。航海者、剣士、銃士』
他の犯罪者と並べられた、その一枚の真新しい手配書。その手配書には他の手配書よりずっと鮮明で大きな人相書きが描かれていた。
「凄い。本物だ」
デニスが呟く。
マリー・パスファインダーの手配書はブレイビスの闇市場で人気商品の一つとなっていた。まず元の絵を描いた画家が凄腕らしい。それを版画にした職人も達人だ。サイズの大きさも相まって、単なる少女画としても十分な価値がある。
その上これはレイヴン司法局が発行した正式な手配書なのだ。この少女は手配されている。その事実が、レイヴンの裕福な紳士達の妄想を掻き立てるという。
そしてこの手配書は初版から三種類あった。闇市場では三部作が揃った状態の良い物には金貨20枚の値がつくという。
そうした事は決して誰でも知っている訳ではない。しかしデニス少年の父は裕福な画商で、デニスは出入りの故買人などがそんな話をしているのをたまたま耳にしていた。
「この手配書、よく盗まれるんだって。高く買い取って貰えるから」
デニスはただ、自分の知ってる事をそう述べた。
しかしそれを聞いたエイミーの心臓は密かに高鳴っていた。
自分の家には、他の家よりお金が無いのだと思う。それは自分と妹が働きもせず、ジョフリー伯父さんに頼りきりでいるからだ。
伯父さんは時々夜中に唸っている。昔戦争で受けた古傷が痛んで、眠れない事があるらしい。そしてとても疲れているのに、毎日早起きして仕事に行く。
エイミーは伯父さんが好きなので、伯父さんにももっと楽をして欲しいのに。自分と妹は伯父さんに困難を掛けてばかりだ。
だけどそういう困難が降りかかるのは全て、金が無いせいである。
エイミーは絵画のような手配書を見上げる。エイミーにはそもそも手配書というのが何なのか良く解らなかった。
人相書きに描かれているのはエイミーから見れば年上に見える少女だった。きりりとした瞳で少し高い所を見上げている……その瞳は何を見ているのだろう。そしてこの人は何をしている人なのか。
根拠など何も無いが、エイミーは、この人は人を幸せにする為に戦う英雄なのではないかと思った。
そう考えた途端、エイミーの心に暖かな灯がともる。いけない。自分は今、この立派な手配書を盗んで売ればお金が貰えるかもしれないと考えてしまった。
盗みは悪い事だ。そんな事をして得たお金を渡されても、ジョフリーおじさんは絶対に喜ばない。天国のお父さんとお母さんだって悲しむに違いない。
「行きましょ、デイジー、急がないと本当に遅れるわ」
エイミーは妹に声を掛け、桶を持って家へと戻る。
「待って、お姉ちゃん」
「フン、教室に遅れるなよな、エイミー!」
デイジーは姉の後を追い、デニスは捨て台詞を残して私学舎へと向かう。




