不精ひげ「ほんと、嫌な汗が出た……勘弁してくれよ船長、俺はこう見えても気が小さいんだぞ」
また大見得を切ってしまったマリー。
お姫マリーの服の時は特に無茶をするような。海軍艦に喧嘩を売ってウラドを取り返したり、わざと海賊を誘い出して返り討ちにしたり、幽霊船にそのまま乗って奴隷商人を捜しに行ったり……
「俺達はまあ、海賊だな」
ぎゃぎゃぎゃ!?
「レイヴンは痩せた国土にいくつもの民族が相乗りして暮らす貧しい国だ。内紛も絶えないしちょっと天気が悪いとすぐ飢饉が起きる。おまけに大陸の連中からはいつだって仲間外れだ。そんなレイヴンが昔、コルジアを怒らせちまった」
「コルジアは新世界からも中太洋からも唸る程の金を集めて来る世界最強の国だ、海軍の規模もまるで違う、こっちは竜骨に使える立派な木もあらかた切っちまって、奴等みたいにデカいガレオン船をバンバン造ったり出来ねえってのに」
私達アイビス人から見たレイヴンは、世界最強の海洋王国である。それこそ新世界からもたらされる富と先進的な工業力で、大いに繁栄しているものだと思っていた。
「コルジアの軍艦はでかいし、大砲を山ほど積んでいて……まともに戦っても勝ち目は無ェ。それで当時の女王陛下が思いついたのが海賊戦法よ」
「女王陛下はこの土地に援助してくれた。俺達の爺さんや親父の代には、たくさんの私掠許可証が交付されてなあ」
私と不精ひげは地元の人相の悪いおじさん達に招かれ、テーブルを囲んでいた。林檎果汁で割ったビールは私のような者でも飲み易くて助かる。
「この辺りはレイヴンでも特に貧しい地域の一つだが、船乗りだけは多かったからな。入り組んだ海岸線の中にある砂浜一つ一つに、おらが村の海賊が旗を揚げた……海賊稼業は実に華やかだった!」
「そう! うちの爺さんもそりゃあ女にモテた、俺が五つの時だった、当時爺さんは六十近かったが、新世界からのコルジアの銀塊輸送船を掘り当ててよ、両脇にすっげえ胸のでかい若い女を抱えてゲラゲラ笑いながら浜に帰って来たよ。俺もよ、大きくなったら爺さんみたいなかっこいい海賊になるんだって誓ったねェ」
ええと……要するに悪党が大笑いしていた時代があったと……
「俺達の仕事はおっかねえ軍艦からは逃げて、敵国の輸送船や商船を襲ってその富を敵から取り上げる事だった」
「だけどな、いよいよコルジア海軍とサシで決着付けようって場には、俺達も義勇軍として参加したんだぜ。それまでとは違う戦いだ。大砲や兵士をたくさん積んだ軍艦に、真っ先に突っ込んで行く! もう三十年くらい前の話だ」
私と話してるおじさん達は若くても四十前後で、六十を過ぎてるような人も居る。
「まあ、俺達の奮戦もあり、コルジアとの戦争は引き分けに終わった。ところが次はクラッセよ、一緒にコルジアと戦った仲の奴も多かったが、仕事となれば話は別だ、お互いの商船を襲う海賊同志の戦いさ……コルジアの輸送船を襲っていた頃に比べれば地味な仕事だったが、その頃にはまだ、俺達はレイヴンから必要とされているという誇りもあったな」
「風向きが変わったのは、今の国王になってからだ……」
現在のレイヴン国王は海賊嫌いで、それまでに発行された私掠許可証の期限更新を拒み、とくに質の悪い連中からは即座に取り上げた。
正規海軍との協力関係も解消された。往時には堂々と使用出来たプレミス港のドックも利用出来なくなり、中古の軍艦や大砲の払い下げも無くなった。
「さっきも言ったがこの辺りはレイヴンでも特に貧しい地域でな。土地が痩せてて牧草くらいしか育たねえ。大きな町からは遠いし……お前らアイビス人とも仲が悪いままだ、まあ、仲良くなったってこっちはろくに特産品も無えんだが」
勇ましい見掛けとは裏腹に、ここの海賊は何だか辛気臭い人達だった。失礼なのは解っているけど、それでこんな所に集まって酒ばかり飲んでいてもね……
いや、彼等も出来る事はやっているのだ。廃材を利用して何とか古い船を直し、時にはブレミスへ行って下請けの仕事をせびる。
航路を外れた商船が居れば捕まえてみかじめ料をせびったり、積荷の一部を要求してみたりもする。
まあ海賊稼業なんてどう考えても褒められた物じゃないけど、彼等はかつては母国の為、今は家族や仲間の為、体を張って頑張っているのだ。
大騒ぎをした割に、商談の方はあまり進まなかった。私とフォルコン号が持ち込んだ物は偶然にも、今コンウェイの町で不足している物、欲しい物ばかりだったようだが、この店に屯する物産問屋の旦那方も、手元に余剰資金が無くすぐには購入出来ないと言う。この町にはまとまった金を貸してくれる資産家も居ない。
そして周りの海賊共も、内陸の鉱山の親方達も、問屋が品物を手に入れて新しい資材や工具の値段が下がるのは歓迎だが、今すぐそれを買う金があるかと言われると、やはり無いと。
「何日かここに滞在しちゃ貰えないかお嬢さん、少し時間を貰えれば品物を買いたいやつのリストも出来るし、そいつらに説明して先に代金を貰えれば仕入れ代も集まるから」
私達の方でも彼等がお客を集めやすいよう、見本の展示や提供を手伝う事を約束した。値段の方も相当割り引いて、赤ぎりぎりの所まで下げている。アレクが何て言うかなあ。それこそロングストーンまで持ち込めば、倍の値段で一瞬で売れるだろうに。
「さあ、この地方の名物料理だ」
商談の途中で、この空間で一番温厚そうな店のおじさんが、窯から出したての大きなパイを持って来た。
こんがりと黄金色に焼き上がったその生地から、斜め上に向かって、鰯の頭が何本も生えている。
私は思わず、その鰯の顔を見つめる。大きな口を開け、鰯は虚空を見上げている……ここは酒場の中なので、見上げた先にあるのは天井だけだろう。
そう言えば先日レブナンの港でリトルマリー号のバウスプリットを切り落とされて海に落ちた時、すぐ近くをちょうど鰯の群れが通ったっけ。
海の中に居る時の鰯は美しかった。青と銀色に輝く体を持ち、たくさんの仲間達と共に、すいすい泳いでたなあ。自由に、悠々と……
鰯は陸に上がれば雑魚と呼ばれ人間様にはあまり喜ばれず、猫でさえ満腹の時には跨いで通る可哀想な奴だ。食卓に上げられる事より、まとめて練り潰して畑に埋められる事の方が多い。
そんな鰯がこんな風にパイという晴れの日の料理の主役になるというのは、鰯にとってどんな意味を持つ事なのだろう。
私だったら嫌だな。
いくら主役にしてやると言われてもパイにされるのは嫌だ。練り潰されて畑に埋められる方がいいかと言われても、パイの方がマシだとは言いたくない。猫に跨れてもいいから出来れば青く輝く生きた鰯のままで居たい。
虚空を見上げる鰯。生まれ変わったら宇宙の海を泳ぎたい。彼か彼女は、そう思っているのだろうか……そんな事を考えていたら、じんわりと涙が出た。
不精ひげが慣れた手つきでパイを切り分けだす。小皿に乗せたやつを受け取った海賊の一人がおもむろに、鰯の頭をもいで捨てた。
私はテーブルに肘を突き、右の掌に顔を埋める。
「スターゲイジーパイだ。船長は鰯苦手じゃないよな? 身の骨は取ってあると思うぞ」
不精ひげは構わず、鰯の頭が生えてない部分のパイを切って私にくれた。
◇◇◇
私と不精ひげは取引所を出て、元来た道を戻り出す。入り口にはまだ飲んだくれが横たわっていた。
波止場の様子は勿論先程までと同じように見える。だけど今度はこちらの心持ちが違うせいか、先程までは見えなかった物が見えて来るような気がする。
みんな大なり小なり力を出して、現状を何とかしようとはしている。この街は煤けているのかもしれないが、決して死んでいる訳ではない。
あの廃船の山もただの墓場ではなく、再生を待つ宝の山とも言えるのではないか。或いは戦で破壊され、或いは老いて朽ちた船も、生まれ変わって新たな船となり再び泰西洋の荒波を掻き分け、新天地を目指すのだ。
宇宙の鰯へと生まれ変わる、スターゲイジーパイのように。
「なーに馬鹿な事考えてんのよ、アハハハ」
「な、何だよ突然」
そうして私達がフォルコン号の近くまで歩いて来た時である。
波止場に座り込んで廃材の中から古い釘を選り分けて集めていた痩せたごろつきが、山の方を見るなり怯えた声で叫び出した。
「すっ……すっ……水夫狩りだぁぁぁあああ!!」
次の瞬間から波止場の様子は一変した。ボロ船の周りに屯していたごろつき共が、その辺の古い工具やらがらくたやらを拾い集めながら、波止場を離れ町の方へ走り去って行く。
「水夫狩りだ!」「水夫狩りだぞー!!」
皆、そう声を掛け合いながら……一体どうしたのだろう?
私は取引所の方に振り返る。すると取引所の入り口からも。中に居た人相の悪いおじさん達が大慌てで飛び出して来て、やはり町の方へと蜘蛛の子を散らすように走り去って行く。
「一体何なのこれ?」
私がそう言って振り返ると、隣に居たはずの不精ひげも居なくなっていた。