天井に張りついて息を潜めるマリー「……」
消火用の斧で粉砕された木箱「」
アイリ「きゃあああああああフレデリクが逃げ出してるじゃない!!」
アレク「マリーが青い船長服とアイマスクを封印していた箱だね……」
カイヴァーン「俺が船長の言葉を真に受けるから……ごめんよみんな……」
ロイ爺「泣くなカイヴァーン、お前のせいではない……最近の船長はますますフォルコンに瓜二つになってきよったのう」
不精ひげ「ブルマリンの事件なんか可愛いもんだったな」
ウラド「あの猫も居ないようだ。また行動を共にしているのだろうか……待て、操舵輪に手紙が結んである、これは船長の筆跡では」
アイリ「何ですって! 読み上げてウラド!」
ウラド「……古い友人に会って来ます。何日か留守にするけど心配しないでね☆。もし一週間経っても戻って来なかったら、フォルコン号をロングストーンに戻してヤシュム航路で商売を続けてて下さい、船長はロイ爺に任せるわ。頑張ってね! (*^○^*) みんなのマリーちゃんより」
好都合な追い風は吹き続け、満月の灯りの下、快速船ヘッジホグ号は夜明けまでに200km近い距離を走破する。
夜直のモリソン海尉は午前直のアンダーソン海尉と交代し士官室に去る。水夫達もシフトに従い、当直の者は非番に、非番の者は半休に、そして半休の者が当直に移動する。
ヘッジホグ号の下層甲板の船牢は以前は船員室の一つだったのだが、ランベロウを輸送する時に扉を鉄格子付きの物に替えられてしまい、そのままになっている。
「あの部屋、まだ使えねえのかな」
「檻の中でも良ければ、使えばいいんじゃね?」
「ぞっとしねえぜ、そんなの……」
今は中に誰も居ない船牢を敢えて覗き込む事もなく、非番開けの水夫達が通り過ぎて行く。
◇◇◇
ヘッジホグ号の最下層は長期航海用の薪水を積む場所になっている。
薪水は勿論日々必要であるし、ここに溜まる水、淦水は時々排出しなくてはならない。
「こっちだ、ポンプくれ」
「薪も一束上げるんだろ」
「その新しいのじゃない、古いのから出すんだ」
「もうちょっとランプを近づけてくれ」
昼でも暗い最下層甲板で、水夫達は天井の小さな格子とランプの明かりを頼りに作業する。
「ん? 今何か、奥の方で」
水夫の一人がふと、奥の棚の方に目をやる。他の水夫も一人、そちらに振り向く……
「アオゥ。アーオ」
しかし、積まれた樽の影から現れたのは、艦長がチャティと名付けた例の密航猫だった。
「なーんだ、お前か」
「こんな所まで見回りをしてたのか? ご苦労なこったなあ。ネズミは居たか?」
「アーォン」
「そうか、居ないか、ハハハ」
水夫達はそれ以上異変について考える事もなく、最下層甲板を後にする。
◇◇◇
エイヴォリー艦長は午前中は艦長室とその周辺に待機しているが、午後には自ら当直として甲板に出る。本来は彼女はそこまでしなくていいはずなのだが、これは女性艦長である彼女の意地のようなものだった。
「ずっと順風でかなり距離を稼いだわね。だけどこの船ならもっと出来るわ、帆の向きを最適化しましょう!」
自分が率先して動索を引く事で水夫達も快くついて来てくれる、そう考えるエイヴォリーは士官候補生時代からこの時間を大切にして来た。水夫達にとって、動索を引くエイヴォリーの姿を愛でるのは、一種の娯楽になっていたのだが。
「ニャアーオゥ。アオアオゥ」
すると水夫達と共に動索を引く艦長の近くに、あの猫がやって来る。そして波除け板の上に飛び乗り、尻尾をピンと立てて、皆を鼓舞するかのように大きな声で鳴く。
「そんな所に立つと危ないわよ、チャティ」
「アーオゥ! オアーオゥ!」
エイヴォリーは心配してそう言うが、チャティは手摺りの上で前脚を上げて立ち上がってみせる。
「おいおい、危ないぞ」
さすがに甲板の他の水夫達も心配して皆でチャティを見る。檣楼員もチャティの方を見下ろす。
しかし前脚を上げたチャティは海に落ちる事をまるで恐れた様子もなく、右へ左へ体を揺らす。
「アーオ。アーオ」
「ハハハ、すげえなこの猫、まるで踊ってるみたいだ」
甲板に笑顔が広がる。士官候補生も操舵手もエイヴォリー艦長も、みんなチャティの方を見ていた。
◇◇◇
ヘッジホグ号はさらに順調な航海を続ける。やがて太陽は西の水平線へと近づいて来た。
船の主厨長ウェッジは厨房に居て、交代で助手となる二人の水夫と共に夕食の準備をしていた。
レイヴン海軍の船では普通、艦長や士官には特別な食事が用意される。水夫用と士官用、そして艦長用はそれぞれ別の物が出されるのだ。しかしヘッジホグ号では艦長は水夫と同じ物を食べる。エイヴォリーがそのように指示しているのだ。
そしてウェッジは職務に忠実な男であったが、料理の腕はその忠誠心とは比例していなかった。
「コンウェイで仕入れた鯖を輪切りにして、オーツ麦とくたくた煮る。それが水夫用だ。士官用はパンくずを付けて揚げようか。鯖を出してくれ」
ウェッジがそう言うと、二人の水夫が生の鯖を入れたトロ箱を食料庫から持って来る。真冬の寒さのおかげで、鯖はまだそこまで痛んではいなかった。
そこへ。
「アーオ」
例の猫が現れたかと思うと。トロ箱に飛び乗り、混じっていた小さな鰯を一尾、口にくわえ……そのまま飛び去る……
「ああっ!? こら泥棒猫!」
お魚くわえたドラ猫を追い掛け、ウェッジと二人の助手の水夫は厨房を飛び出して行く。
猫は鰯をくわえたまま船じゅうを縦横に逃げ回った挙句、最後は指令台の前で御縄となったのだが。
「お腹が空いていたんでしょう。それで魚を見たら黙っていられないわよね、猫だもの。御願いウェッジ、その小さな鰯はこの子にあげて」
「艦長が、そうおっしゃるなら……」
そこに居た艦長にそう言われては仕方ない。結局の所、ウェッジと二人の水夫はただ厨房に戻って来た。
すると、残りの鯖が全部三枚におろされている。頭と尾と中骨は勿論、ひれの小骨もきちんと取り除かれている。
「あれ……誰がやったんだ、これは?」
ウェッジ達が厨房を離れていたのは10分程だった。非番か半直の水夫が気を効かせてこの下拵えをしてくれたのだろうか。
「ああいかん、食事の時間が近づいてる、急ごう……ん? 俺はキャベツなんて出してたか?」
別の作業台にはキャベツと紫カブも並んでいる。ウェッジはそれを出した覚えがなかった。主計長が仕入れていたのに、気が向かないから使っていなかった食材である。
「まあいいや、腐る前に入れちまおう、お前らはそれを刻んで鍋に入れてくれ、俺は士官用の揚げ物をやるから」
厨房の網棚の小さな壷には、前々任の主厨長が置いて行ったローリエやオレガノなどのハーブが入っているのだが、ウェッジはその壷を開けた事も無い。
「ウェッジ、何か鍋の中に変な葉っぱが入っちまってるぜ、水を替えるか?」
「ああ? そんな勿体ない事出来るか、そのまま煮ちまえ」
◇◇◇
「カブとキャベツかよ、苦手なんだよなあ……ん、あれ、うめえぞ今日のは」
「骨はどこ行ったこの鯖は、食べやすいな」
「なんかいい匂いがするなァ。空きっ腹に染みわたるぜ……」
この日のヘッジホグ号の夕食は、水夫達から好評を得た。
エイヴォリー艦長もご満悦である。
「今日の夕食は美味しかったわ。腕を上げたのね、ウェッジ」
「え、ええ、恐れ入ります」
◇◇◇
ヘッジホグ号はさらに進む。
アイビスとレイヴンの国土の最も近い地点であるローバー海峡を通過し北東へ、そして北へと針路を変える。ブレイビスに行くには、そこから西へ転針しブレイヴ川を登って行かなくてはならないのだが。
「今度は東風に変わったぞ、どうなってるんだよ」
「いいじゃねえか、早く着けばそれだけ多く休めるぞ」
「いやあ……次の仕事が早く貰えるだけだろ……」
結局ヘッジホグ号はコンウェイからブレイビスまでを二日足らずで走破してしまった。いくら快速船とはいえ、これ程早い航海は誰にも覚えが無かった。




