かつては敵だった魔道士噂話「この私が貴様らに力を貸してやる。共に歩き出そうではないか」勇者噂話「ありがとう、かつては敵だった魔道士噂話!」
ゲスピノッサがいつどこでマリー・パスファインダーという名前を知ったのかははっきりしません。
最初はマリキータ島のアジトで。伝説の大海賊トゥーヴァーと骸骨戦士を乗せた船が海底から浮かび上がって来るという、有り得ない襲撃を受け敗北したゲスピノッサは、南大陸西部に張り巡らせていた闇の勢力を丸ごと失いました。護送先のダルフィーンの鳥篭のような檻の中で、ゲスピノッサは初めて天秤の船を見ました。
二度目は乗っ取った囚人輸送船でサフィーラ周辺を目指していた時。あと少しというタイミングで前から現れた天秤の船が、囚人輸送船が乗っ取られている事を見破り、攻撃して来ました。天秤の船の武器が豆大砲一つに見えたのも束の間、魔女の銃弾はメンマストのトプスルをヤードごと撃ち落してしまい(※偶然です)、失敗を悟ったゲスピノッサは泰西洋に飛び込み、単身逃げ出しました。
三度目は下っ端海賊からやり直そうとした矢先のスヴァーヌ北部……またしても現れた天秤の船に恐慌をきたしたゲスピノッサは自暴自棄で周囲に危険を訴えました。見た目よりは賢かった海賊達はゲスピノッサの訴えを聞き入れ、彼等の海賊船は遁走。
そして背後では実際に海賊の大艦隊が天秤の船に蹴散らされ、ゲスピノッサのマリー恐怖症は彼を親分と慕う子分の海賊達の間にも広く伝染しておりました。
ドン引きで私を見ていたコンウェイの元海賊の皆さんが、そろり、そろりと近づいて来る。
「嬢ちゃん、いや姐さん、あんた一体、何者なんだ……」
「知りません、知りませんよ本当に何も! 急に用事でも出来たんじゃないですか!?」
◇◇◇
三隻の海賊船はすぐに出港して行った。
びっくりしたなあ。またあの奴隷商人に遭遇するとは……何で急に帰ったのかは解らないけど、私は命拾いをした格好である。
怖いなあ。ゲスピノッサって、やっぱり私の事恨んでるんだろうなあ。今日はカイヴァーンが一緒だったから良かったけど、一人の時に出会ったら泣き出してしまいそうだ。
そして私達は。
「マリー船長万歳!!」
「あんたこそ、真の海賊だ!」
「マリー船長の栄光に乾杯!」「マリー船長の勝利に乾杯!!」
そのまま、交易所で開かれた大宴会に巻き込まれていた。
そもそも、ゲスピノッサ一味はコンウェイの船乗り達を仲間に入れようと、ここで大宴会を打つ用意をしていたのだ。くすぶっている船乗り達に酒食を奢り、勢いで仲間に引き入れようと。
だけど彼等は何故かその計画を中断して立ち去り、酒と御馳走だけが残った。
そして周りには、ゲスピノッサの話を聞く為に集まっていた船主達や船乗り達が居る。
「コンウェイの船乗りは不滅だ!」「俺達は海の勇士だ!!」
そこへ私がもたらしたアンソニーさん解放の情報も加わって。
「ヌーズアーンスル! ワロスワロスアーン!、ロー、タマーキン! タマーキン! デッスハルルヤン!!」
交易所はゲスピノッサが居た時より酷い事になっていた。男共が満杯の盃を振り回すから店中が酒浸し、私にも服と言わず頭と言わず酒が降りかかるし、もう何が何だかわからない。
「マリー船長は海軍も手玉に取るぞ!」
「ざまあ見ろ見たかプリチャードの野郎!」
「これがコンウェイ海賊の底力だ、ざまぁ見やがれ!」
私は納得の行かない気持ちを抱えて酒場の隅の席に座っていた。酒を飲んだ大人の愚かさをよく知っているカイヴァーンは、付き合い程度にワインを一舐めした後はずっと私の横に居てくれている。不精ひげとアイリはすっかり相手チームの人間となってしまい役に立たない。
宴会は日が落ちても続けられた。
ロイ爺とアレクとウラドも結局酔っ払い共に呼び出され、途中からこの宴に加わっていた。
私の前のテーブルには、まるで供え物のように牛肉のステーキや果物、高価な熟成ワインなどが並べられていたが、私はこの雰囲気だけでお腹いっぱいだった。
「しょうがねえなあ、大人は」
上半身裸になって腹に顔を描いて踊りだした男達を見て、カイヴァーンが目を細めて呟く。
そこへ。
「あの……夜分恐れ入ります……」
今は船酔い知らずを着てないのに、私の耳は何故かその、か細い声を聞きつけた。この大宴会場に、私でもアイリでもない女性の客が来たのだ。
私は席から立ち上がり、やはり上半身裸でゴリラの真似をした踊りをして周りの海賊共から笑いを取っている覆面男に駆け寄る。
「エイヴォリー艦長が来てるわよ」
「えっ……ええっ!?」
酔っ払って絶好調で踊る不精ひげは私にそう囁かれると、フナムシのように這ってテーブルの下に隠れる。その一方で。
「あ……あああ!? 海軍の姉ちゃんが今度は何しに来たんだちくしょう!」
「ここはてめぇみたいな女の来る所じゃねえ! とっとと失せろ!」
最近の水夫狩りの事もあり、腹も立っていたのだろう、酔っ払ったコンウェイの水夫や船長達は、エイヴォリーさんにそう凄む……たちまち涙目で後ずさりするエイヴォリーさん……!
「待って! やめて! 皆さんは紳士でしょう、駄目ですよ女の人にそんな!」
「す、すまねえ、いや、申し訳ありませんマリー親分!」
私が急いで入り口に駆け寄ると、水夫達はすぐに狼藉を止めてくれた。
「あ、あの……ごめんなさい、今、私達は宴会の途中だったから……」
私がそう言うと。エイヴォリー艦長を後ろから押し退けながら一人の男が現れる……この人どこかで見たな……あっ、最初にここに来た時に入り口の外に放り出されて転がっていた酔っ払いだ。
「おお、おお、やってるな、俺も混ぜてくれよぉー」
「ヒックス、お前水夫狩りに遭ってプレミスへ連れて行かれたんじゃないのか」
「それがな! どえらい船長が1100人も水夫を狩り集めて来たんで、水夫が余っちまったんだと! それで俺みたいな、無理やり連れて来られた奴は元の場所に返される事になったのさ! ワハハハ」
ええぇ……そんな……じゃあエイヴォリー艦長の苦労はどうなるんだよ……しかも水夫を返す任務までエイヴォリーさんにやらせるとか、酷過ぎない? 世にも珍しい美人海軍艦長なのに、レイヴン海軍、何でそんな雑な扱いをするの……
「ヒックスさんのおっしゃる通りです……先日こちらで徴兵させていただいた王国海軍兵士につきましては、志願して来られた方以外は除隊扱いとさせていただく事になりました……申し訳ありません」
深々と頭を下げるエイヴォリーさんの前を、思いがけず早期帰還出来た水夫達が通り過ぎてこちらにやって来る。
「それでこれは何の騒ぎだ? えらい賑やかじゃねえか!」
「祝いだよ祝い、マリー船長が海軍を怒鳴りつけてアンソニーを解放したのと、鼻息一つでゲスピノッサを追い払ったのの祝いの宴だ!」
酷い誇張もあったものだが酔っ払い共には聞く耳のあるはずも無い。エイヴォリーさんに連れ戻して貰った水夫達も我が事のように喜ぶふりをして、交易所の酒にありつく。
エイヴォリーさんは肩を落として去って行く……
アイリさんは向こうで鼻の下を伸ばした男達に囲まれてお姫様気分で酒を注ぎまくっている。
私はまだ近くに居てくれるカイヴァーンと、壁際で少し距離を置いて宴会に参加しているウラドに声を掛ける。
「アイリさんや皆を御願い、私ちょっとエイヴォリーさんにちゃんと挨拶して来るから」
酷い熱気の交易所から飛び出すと、外の空気は大変心地よく澄んでいた……酒の臭いのしない風が吹き、満月の明かりが波止場を照らしている。
「エイヴォリー艦長!」
私はエイヴォリーさんを追い掛けながらそう叫ぶ……だけど良く考えたら私はこの人の前では、ロイ船長の下で働く、田舎者の女水夫の真似をしていたんだった。どうしよう。
「はい? あらお嬢さん、先程はありがとう……どこかでお会いしてたかしら?」
「あっ、いえあの、私が一方的に存じ上げているだけなのです、貴女はレイヴンでも珍しい女性の艦長、密かに尊敬申し上げておりました!」
しかし、真面目の商会長服を着ている私は姿勢を正し、そう、流れるように嘘をつく……いや、ただの嘘ではないけれど、私は実際この人を先輩女船長として尊敬している。
「あ、あら……光栄ですわ。貴女も船乗りなの?」
艦長は私をフォルコン号の甲板に居た田舎娘だと思い出せないらしい。良かった。私、存在感の無いぼんやりとした女で良かった。
私が頷くと、艦長はかぶりを振る……
「御免なさい……折角そんな事おっしゃっていただけたのに。私、自分が船乗りになって良かったのかどうか自信が持てないの」
「……艦長」
「ふふ……部下の皆さんの前では絶対こんな事言えないけど。貴女のような船員を目指す若い女の子の前でなら言えるわ。やっぱりこの仕事はね、女には向かないのよ……船乗りというのは、陸に居る男とは全く別の生き物だから。貴女も本当に船乗りになっていいのか、よく考えて。それで本当に幸せになれるのかどうか……よく、考えるのよ……」
エイヴォリーさんは月明かりの下、波止場の一番隅に停泊しているブリッグ艦の方へと歩み去る。
私は。エイヴォリーさんの言葉一つ一つをしっかりと受け止め、よく噛み締め、そして、出来るだけ早く船を降り田舎に戻ろうと、気持ちを新たにする。
さてどうしよう……フォルコン号を空けておいていいのかしら。隣の船の当直が一緒に見てくれるとは言っていたらしいが。あの宴会場に戻るのももう何だか……すっかりお腹も一杯だしなあ。
そんなどっちつかずの気持ちで私は波止場でフラフラしていた。
「いい加減にしろ! 出て行け酔いどれが!」
波止場の周りには、交易所以外にも酒を飲ませる店がある。交易所はどちらかと言うと船を持った旦那衆の溜まり場で、水夫達は周りの小さな店で飲むようなのだが……そんな小さな店の一つの入り口で、諍いが起きている。
「なんだとッ……俺は客だ、客だぞッ……!」
「やかましい、貴様はお断りだ、二度と来るな!」
店主と酔っ払い客が、喧嘩でもしたんだろうか? 周りには他にも数人の男女が居て、叩き出されたらしい男を遠巻きに見ている。
「畜生……畜生畜生畜生め! 世界など滅んでしまえ!!」
穏やかでない事を、その酔っ払いは叫ぶ……
これは関わってはいけないやつだ。私にだってそのくらいの事は解っている。だけど私は、私の足がその男に向かって早足で歩いて行くのを止められなかった。
酔っ払いを見ていた男女は当然こんな酔いどれに興味などあるはずもなく、そそくさとその場を立ち去って行く。
摘まみ出された男は……やはり泥酔しているのだろう、満月の光の届かない暗がりに、そのまま蹲る。
私はその人の事をそこまで知っている訳ではない。満月とはいえ男の顔はそこまではっきりは見えなかった。
だけどこの声は間違いないと思う……声は間違いないが、私が知っているその人は、こんな人では無かったように思う。
私はフレデリクの声で、蹲る男に問い掛ける。
「貴方はハロルド……グレイウルフ号副長のハロルドじゃないのか……?」
「なんだぁ? なんだこの小僧……そのクソッタレの名前を出しやがったなあ!」
男は狂気を含んだどろんとした目で私を見上げる……あちこちで喧嘩でもして来たのか、顔中が打撲や擦り傷だらけだ。
「間違いない、ハロルドだ! こんな所で何をやってるんだ!!」




