猫「御免蒙る。拙者一介の猫にて候」
娘には娘の、父には父の思いがある。どこにでもあるような、家族の風景ですねぇ……
プレミス編もそろそろ終わりのようです。
お金だってもう少したくさん渡せば良かったなあ。
パスファインダーさん村で道案内屋を頼む時、私が出したんじゃ恰好悪いからと思って、父に少しまとまったお金を渡した。だけどあんなの帰りの馬車代を払ったらすぐ無くなってしまうだろう。
私は朝起きてもそんな事を考えながら、真面目の商会長服に着替えていた。
そうだ、鏡を見ないと……ああ。やっぱり少し瞼が腫れているような。一晩中目が覚めては泣き、また眠るを繰り返した私の顔は、手配書にあるようなパッチリとした目をしていなかった。
……
あの手配書の私は真面目の商会長服を着ていた。あの似顔絵を描いたのは、商会長服の私を見た誰かなのか? 一体誰が……私があの服を使ったのは定期航路を敷いたヤシュムとロングストーンの他には、パルキアとかサフィーラとかグラストとか……駄目だ、意外とあちこちで着てて、絞り込めない。
とにかく、私がまた父に出会ったという事は、皆の前では口に出せないのだ。
今は、しっかりしなきゃ。
「労働者の皆さん! おはようございます!」
私は二回りくらい空元気を回して艦長室を出る。
「うぃーす」
真っ先に挨拶を返してくれたのは、まるで元からこの船の乗組員だったような顔をして甲板で乾パンを貪り食っているロブ船長だった。
「あれ? かつらはどうしたんですか?」
「ああ、船の上では被らないんだわ、前に見た時もそうだったろ?」
「違うよ。アイリさんに燃やされたんだ」
そこへ腕組みをして呆れ顔のカイヴァーンがやって来る。ど……どういう事?
「姉ちゃんらしいっていや姉ちゃんらしいけど、アイリさんカンカンだったぞ。もう謝ったの姉ちゃん?」
「いやちょっと待って、かつらが燃やされたってどういう事」
「いいんだいいんだ、すげえなあの姉さん本当に魔法使いじゃないか、本物の魔法なんて初めて見た! あの姉さんがサッと指を振った瞬間、俺のかつらが燃え上がって」
ヒエッ……!? いやちょっと待って、私アイリのそんな魔法見た事無いんですけど!?
「だ、だけどどうしてそんな」
「姉ちゃんがアイリさんから逃げる時に使った煙幕は自分が作った物だって、ロブ船長が自慢したからじゃないかな……他にも色々あるけど」
そこへ。眉間に皺を寄せたアイリが下から上がって来る。
「その男が、いちいち私の神経を逆撫でするからよ……!」
私は真顔のアイリと笑顔のロブを見比べる。
「だけどそんな、かつらなんていい値段がするんじゃないんですか、燃やしたら可哀想ですよ!」
「いやいや、お前が払ってくれた罰金に比べたら、どーって事無ぇ! ガハハ」
……
ロブ船長、海賊業を営んでいた悪い人ではあるんだけど、結構いい所もあるし、はっきり言って今回の事ではすごく助けになってくれた。明るく大らかな性格も嫌いにはなれないし、アレクには悪いけど、何ならもう暫くフォルコン号に乗ってくれててもいいような。
「ああそうだ、ちゃんと話さなきゃな。マリー船長はコンウェイにアンソニー船長達の事を報告しに行くんだろ? 途中まで乗せてってくれよ、ストームブリンガー号が出て来た入り江あっただろ、あそこに俺らの集落があるから」
「ええ、それはいいですけど……これからどうするんですか?」
「こう見えても、俺には40人の子分が居るんだ……だけどマリー船長に負けてバットマーに捕まって、多くが海軍に取られちまった。副船長のペンドンまで……俺はあいつらが帰って来る時の為に、ストームブリンガー号を修理しないといけねえ」
そうなんだ……残念。いい人材だと思ったのに。
「船長、こんなに早く起きて大丈夫かね? 何ならわしらが船を出すから、もう少し寝ていたらどうじゃ、昨夜はだいぶ遅く帰ったと聞くぞ」
そこにロイ爺とウラドと、引き気味のアレクもやって来る。
「私は大丈夫ですよ。さあ、夜明け前にやっちゃいましょう、レイヴン海軍の気が変わる前に……!」
抜錨と言おうとして、私は口籠る。不精ひげが居ないのだ。
何故? 寝坊でもしてるの? それとも……船を降りてしまったの?
「あ、あの……ロイ爺、不精ひげは?」
「む? あの男、30分前に起こした時は起きると言っていたのに、二度寝しておるのか。仕方のない奴め、ちょっと行って叩き起こして来るわい」
「ああ待って! いいから。後で私が言うから」
良かった。不精ひげは船室に居るのか。
「じゃあロブ船長に御願いします、船賃代わりに錨を上げて貰えますか」
「ハッハー! アイアイ船長!」
ロブはドスドスと甲板を駆けて行く。
「ウラドは舵を御願い! 半帆でゆっくりと行きましょう、ロイ爺が操帆を指揮して! アイリさんは檣楼に、ぶち君は艦首を見張って!」
私はさらに皆に指示を飛ばす。アレクとカイヴァーンはロイ爺について行き、船酔い知らずの服を着たアイリは駆け上がるようにマストに登る……少し離れた所で人間どもを遠巻きに見ていたぶち君は、その場でごろんと横になってしまったが。
「ばぁぁつ、びょぉおー!」
私は甲高く気の抜けた声でそう叫ぶ。
◇◇◇
フォルコン号はプレミス港の河口と外湾を分ける狭窄部に近づいて行く。あの両岸の突端に砲台のある場所だ……レイヴン海軍は見て見ぬふりをしてくれている筈なのだが、意識せずにはいられない。
私は甲板で軽い朝食を済ませた後、マストの近くで少し身を屈めていた。隠れたい訳ではないのだが、私があまり堂々と指揮を執ってみせるのも彼等の迷惑になる気がしたからだ。
「境界線を越えたわよ!」
檣楼からアイリが叫ぶ。レイヴン海軍は、撃っては来なかった。
だけどその向こうの、プレミス外湾には海峡第二艦隊の主力艦やフリゲート艦、コルベットやカッターがウヨウヨ居る。
ごめんなすって。ごめんなすって。ちょっと通しておくんなさい。
フォルコン号はゆっくりと、彼等の間を通り抜けて行く。
―― ファー……
どこかの船から管楽器のような音が聞こえる。時報かしら。まさか作戦開始の合図じゃないですよね。
―― ファー……
他の船からも……時報だよね? 朝の当直の水夫達を起こす為の。
ああ、きっとそうだ。何故ならその音に反応して、まだマスクをつけたままのニックが船員室から飛び出して来たから。
「ひえっ、何で誰も起こしてくれないんだ!」
たちまち。私の頭の中に、ヴィクター提督の言葉が蘇る。
海軍艦長ジャック・リグレーと、私が船長になってからの半年間。
その間には、父とニックの15年間があったのだろう。
父の仲間になる前のニックは、今とは少し違う人間だったのだと思う。仲間思いで辛抱強いのは今も変わりないが、昔は覇気があり厳格だったとか。
傷ついたニックと能天気な父、それがどんな出会いであったのか今の私には解らない。だけど父とニックがここまで歩いて来た道は、決して平坦ではなかったのではないだろうか。
そうした事を考えた上で。ニックの過去を知った私はどうするべきか。これまでの無礼な態度を詫び、昔は海軍艦長だった大先輩として敬うべきか。
「不精ひげ! 今何時だと思ってるのよ!」
私は不精ひげに指まで突き付けてそう叫んでいた。
「違うんだ船長、俺は船長が戻って来ない事を心配して、深夜0時くらいまで見張りをしていてだな」
「アンタ酒くせーよ! どうせロブ船長とでも酒飲んでバカ話ぶってたんでしょうが、いっぺんマスク取って顔洗って来いッ! 今日は配給のエール無しッ!」
かつてのレイヴンのヒーローは海軍を去り、一介の水夫として生きる道を選んだ。
父との15年を経て、ヒーローは厳格で覇気のある男である事を辞め、そこそこの仕事をしてその日その日を楽しく過ごす男へと生まれ変わったのだ。
それを私が身勝手な思い込みや御節介で踏みにじる事は無いだろう。ニックが望んでジャック・リグレーに戻りたがっているのならともかく。
そうでないのなら、この無礼な小娘にとって、彼は不精ひげでいいのだ。
「ええっ、そんな……」
「いいから行きなさい! ほら!」
私は両手で後ろから不精ひげの肩を押すように掴む。
大きな背中だなあ。ちょうど、うちの父と同じくらいの大きさだな。
ヴィタリスに居た頃、私は祖母にせがまれてよくその肩を揉んだ。祖母はいつもそれをとても有難がってくれた。
だから私は大人は肩を揉まれるのが嬉しいのだと思い、父が帰って来ると肩を揉んでやったのだが、その度に父は笑いながら逃げた。くすぐったいからやめてくれと。
「船長……? ぐは、ひゃはは、やめてくれ、くすぐったいから!」
「何でよ! 起きれないぐらい疲れてるなら揉んであげるわよ、その代わりキビキビ働きなさいよ!」
不精ひげが逃げようともがき、私が追い掛けようとした、次の瞬間。
―― ダン、ダン、ダンダダダン、ダン、ダン、ダンダダダダン!
突然。周囲のレイヴン海軍艦から太鼓の音が響き出す……それに引き続き。
―― パーララパパッパ! パーララパパッパ! パーララパパッパパー!
管楽器の音も響き出す。そう言えばグレイウルフ号にもホルンの名人が乗っていたが、レイヴン海軍は軍艦に鼓笛隊を常駐させているというのか。
「押し出せ―!!」
続いて……何!? 一番近くに居た片舷32門の大きな戦列艦が……こちら側の砲門を一斉に開いた!?
私は青ざめて硬直するしかなかった。距離は30m程しかない、これでは絶対に避けられない……
押し出された大砲の砲口は全て大きな木の板で塞がれていて、木の板には一文字ずつ文字が書かれていた。
『水夫狩り 1100人 新記録 マリーパスファインダー』
―― パーン! パパパーン!
整列した海兵隊のマスケット銃が一斉に空を撃つ。
鼓笛隊と管楽隊が勇壮な行進曲を奏でる中、舷側やマストの影に隠れていた海軍士官や水夫達も一斉に顔を出す……
「ありがとよー! 海賊マリー!」
「俺達の誇りを取り戻してくれた!」
「にくいぜ姐さん! あんたこそ世界最悪の大海賊だー!」
不精ひげが細い目を見開いて振り向く。
「いや不精ひげ、あれは違うの」
「俺が……密かに満足していた水夫狩りの人数は30人、船長は1100人……」
「マリー・パスファインダー!!」
ヒッ!? 別の軍艦から私の名を呼ぶ声が、こんな距離でも聞こえるあのデカい声は……バットマー!? 昨日の夜ボロボロの姿で担架で運ばれてった人が、40門くらいの軍艦、恐らくカークランド号の艦尾楼で、整列した海兵隊員の前で敬礼をかましている……レイヴン海軍は即日であの男を王国艦隊の艦長に戻したの!?
「貴様が海賊だとは知らなかったぞー! 今回の事は! 心から礼を言わせてもらう! だが次に海で会った時は、きっと逮捕してやるからな! それまで必ず、無事で居ろよー!!」
何がこっそり出て行けだよ、グラストの連中と一緒じゃないか……真面目そうに見えても、彼等も所詮は船乗りだったのだ。
私は眩暈を覚えて後ずさる……いや……これは船酔いだ。今の私は船酔い知らずを着ていないし寝不足と疲労で体調が悪いのだ。
―― トン!
ひえっ!? 真後ろに何か落ちた……と思ったら、檣楼からアイリが飛び降りて来た!
「マリーちゃん昨夜言った事はやっぱり取り消すわ。私達を振り切ってどこで何をしていたのかちゃんと話しなさい!」
アイリが私の肩を掴んで揺さぶる! あっ……これもう駄目だ、油断した、手遅れみたい。
「マリーちゃん!」
「ヒッ……ウエッ……ぐぇ×ぇ■○△ぇ◎×ぇぇ▼□ぇぇ~」
「きゃあああぁあああ!?」
ごめんなさいアイリさん。本当にごめんなさいアイリさん。だけど私はアイリさんにだけは、ラーク船長の事を話す訳には行かないんです。




