プリチャード「何の騒ぎだこれは! 私は何が起きても驚かないが一応言ってみろ!」
エバンズとの対決。
一体、エバンズは何故今回の事件を引き起こしたのか。
―― ヒュッ……ガシャン!
ヒッ!? 何か飛んで来た! ああっ、オイルランプが、私の足元近くに落ちて、壊れて……油が燃え広がる……
「会うのは初めてだったか。随分御節介な奴だな、貴様は」
闇の中から、必死に冷静さを装う若い男の声がする。
壊れたランプの灯りは私の周りを照らし、私の姿を闇の中に浮かび上げた。しかしこの明かりでは最下層甲板全体を見渡す事は出来ない。
「貴方に会うのは三度目よ。私、そんなに印象が薄かったかしら」
「近づくな! 銃を捨てろ。さもなくば貴様の友人は死ぬ」
「私はそこに居る人達が安全になればそれでいいの。貴方はスペード卿と一緒に立ち去ればいいじゃない」
「何でも知っているつもりか、愚か者め! 貴様のような奴はきっと長生きしない、だが貴様が銃を捨てないなら、この男は今死ぬ事になる!」
「解ったわよ、私は誰も撃つつもりは無いわ! ほら!」
―― カチャ……ガシャン
私は撃鉄を戻した短銃を、解りやすいように5m程先の床に投げてやる。
「他に要求は? 私の要求はそこに居る人達を無事に引き渡して貰う事だけよ」
しかし……エバンズと思われる声の主の返事はそこで途切れる……
「貴方の部下達はまだ甲板に居るわ。彼等と一緒にカークランド号に戻ればいいじゃない、アンソニー船長達を置いて」
「クク……ク……」
甲高いような、くぐもったような笑い声が私の台詞を遮る。これもエバンズの声だろうか? 何だか今までと調子が違う。
「はは、はは、あはは……だから言っているんだ、貴様のような奴は長生きしないとな! バットマーを寄越したのも貴様なんだろう!? 私は終わりだ……だが一人では終わらん……私を追い詰めた貴様とハリーは殺す!」
ハリー? アンソニー船長の甥で、一緒に捕まったと思われる人だ……
私はランプの残骸の近くに立ったまま、目をぎりぎりまで細め、耳を澄ませていた。恐怖で心が押し潰されそうだが、何故か今は、自分が一人ではないような気がしていた。
船酔い知らずの魔法に助けられた耳が、潮騒の音にも風の音にも遮られず、忍び足で近づくエバンズの立てる微かな音を捉える。
暗闇の中に、エバンズの姿が浮かび上がった……ような気がした!
私は、ポーチの中に手を入れる。
―― ドォォン!
闇の中で、短銃の銃口から吹き出す炎が、私に向かって差し出された死神の手のように見えた……! エバンズが、私に向けて発砲したのだ……
ポーチから取り出した小瓶が、私の手を離れ滑り落ちる……
―― パリン……バチバチバチバチッ!!
火薬が反応する音と共に、最下層甲板にある全ての物が、真っ白に染め上げられる……!
「ぬおおっ!? おのれ小賢しいッ……!」
私は煤を塗った硝子眼鏡を掛けていた。小瓶の燃焼時間は僅か二秒、私は素早く状況を確認する、落ちている短銃、目を覆い狼狽するエバンズ、その向こうに倒れてる縛られた男、床に転がる血塗れの男……! その、血塗れの男が……!
「銃は二丁だ小娘!」
叫んだ! バットマーの声で! あの人まさか一人で潜入してたの!?
「おのれ死に損ないめ! くそ、ハリーはどこだ返事をしろ!」
「逃げろハリー!」
私は硝子眼鏡を捨てる、辺りはほぼ暗闇に戻ってしまった、後は先程一瞬見た光景の記憶と男達の声だけが頼りだ!
エバンズはまだ銃を持っていてハリーを探している……その時。
「も、もうやめろよ、エル……」
弱弱しい声が微かに聞こえた……今のはハリーが!?
「喋るな!」
「はは、ははは、そこかハリー、私と一緒に地獄へ行こう、はは、ははは」
バットマーの声とエバンズの声……私は銃を拾い上げる、エバンズ達はまだ10m先に居る、梁や柱は方々に出ていて全力では走れない、急いで、間に合って!
「や、やめろエル」
次の瞬間……!
―― ドォン!
エバンズが持っていたもう一丁の銃が……火を吹いた!
その火ははっきりと、三人の男達の姿を照らし出していた。
壁際に座り込んだ、手を後ろに縛られた男。
その男に向かって銃を向け、引き金を引いたエバンズ、打ち金から飛び散る火花と、銃口から吹き出す炎。そして……蓑虫のようにロープとぼろ切れでぐるぐる巻きにされた姿で、二人の間に跳躍したバットマー……!
エバンズまであと3m。私はその距離を詰めきり、エバンズの肩に手を掛けた……
「な……」
エバンズがこちらを振り向いたかどうかは解らない。とにかく私はエバンズの頭に銃身を叩きつけながら、引き金を引いた。
―― ドン!
何かの生暖かい飛沫が……私の顔に数滴、降り掛かった。
「道案内屋!」
大湿原からついて来てくれていた水夫達が痺れを切らし、ランプを手に最下層甲板に突入して来る。
「バットマー艦長!」
私は、エバンズが膝から折りたたまれるように最下層甲板の床に崩れ落ちるのを尻目に、先に床に倒れているバットマー艦長の下に駆け寄る! 撃たれたの!? 私が先にエバンズを撃たなかったから!? そんな……
水夫達のランプの明かりで、バットマー艦長の様子が少しずつ解るようになる……酷い、血塗れだ、さんざん暴力を受けたのか、顔はあちこち腫れ上がっていて……
「小娘。俺を起こせ」
「起こせじゃないよ、どこを撃たれたの!? 早く止血を」
「こんなもん撃たれたうちに入らん、いいから起こせ!」
私はバットマーの剣幕に負け、その上体を引き起こす……ああ……左腕の上の方のロープが切れて、間から血が滲んでる……これはしかし、ぐるぐる巻きの丈夫なロープが、鎧となっていくらか体を守ってくれたんだろうか。
「エバンズ! 貴様何だその屁っ放り腰の射撃は! それに短銃は最低3mまで近づいて撃てとあれだけ教えただろう!」
バットマーは……そう、鼻血を流して床に蹲るエバンズを叱責する……
「全く。小娘の方がよっぽど度胸があるではないか……こんな事ではいかん……」
バットマーは苦しげにそれだけ言うと、再び……仰向けに床に倒れ込む……
「ちょっと……バットマーさん? バットマー!! 誰か担架を! 担架を!」
◇◇◇
私の顔に降り掛かっていたのはエバンズの鼻血らしい。私は少々精神的ダメージを受けつつハンカチで顔を拭う。私はエバンズの頭に銃身を叩きつけて引き金を引いたが、銃口は他所に向けていた。
私がポーチに手を入れるのを見てエバンズが慌てて撃った一発目の銃弾は、私にはかすりもしなかった。短銃で狙うには暗く急過ぎで遠過ぎたのだ。まあ、私も運が悪ければ死んでいたとは思う。
照明弾の威力は港で実験済みだったので、私には気持ちの余裕があった。エバンズがきちんと距離を詰めて来たら、照明弾で立て直すつもりだったのだ。
だけど結果から言えばその余裕は間違いだった……私はエバンズの銃は一丁だと思ってたし、何とかして無駄撃ちさせてやれば後は何とかなると思っていた。
バットマー艦長が居なければ、エバンズはハリーを殺していただろう。
そのバットマー艦長はやはり、昨日の夕方、単身この船に密航して来たらしい。そしてこの船にハリーが囚われているのを発見し、脱出させようとしたが失敗、乗組員達に犯罪者として成敗され、ここに転がされていたのだという。
シルバーベル号に監禁されていたのはそのバットマーとハリーだけで、アンソニー船長はカークランド号の方に居るという。こちらはエバンズに言いくるめられ、甥のハリーに掛けられた嫌疑が晴れるまでここに居るようにと、軟禁されているそうだ。
そして、今回の事は何故起きたのか。
「エルは……エルバート・エバンズは友人でした。俺は15歳くらいまでプレミスで育ったんですけど、あいつとは家が近く、他の子供も含めてよく近所でつるんでいました」
エバンズが捕らえたかったのはアンソニーではなく、その甥ハリーだったらしい。
「あいつが14のときかなあ。俺はあいつが屋敷の納屋で女装している所を見ちまったんです……あいつは酷く絶望しました、もう自分は終わりだ、近所を歩けなくなると……だけど俺はそんな事は無いと言ってやりました。別に誰に迷惑を掛けた訳でなし、それに……正直、綺麗だと思ったから……そう言ってやりました」
本当は誰かに見て貰いたいと思っていたエバンズはハリーの前で何度も女装して見せ、ハリーはそれを見て正直な感想を言った。二人の間にはやましい事は何もなかったという。
「その後エルは海軍に入り、俺はおふくろを亡くして伯父貴の世話になる為にコンウェイに行って……エルと連絡を取る事も無かったんスけど」
スペード侯爵の手引きで、若く有望な勅任艦長としてさる伯爵令嬢との婚約が決まりかけていたエバンズは、自分の成功を阻む危険要素の一つとしてハリーをマークしており、その動向をスパイに探らせていたのだ。
果たして。婚約相手の伯爵令嬢と初めて顔を合わせるその園遊会を前にして。ハリーは伯父のアンソニーと共に、祝い事に丁度いいような海老とロブスターを満載した船で、プレミスに向かおうとしているという。
「エルは、マリー船長の事も知ってました。マリー船長がコンウェイに金と物資を持ち込んでくれて、コンウェイの男達に仕事を与えてくれたんですけど……エルにとって、マリー船長は俺をプレミスに向かわせた敵だったみたいです……」
スパイからの急報を聞いたエバンズは焦った。海峡第二艦隊はスペード侯爵の計略による大量脱走事件の最中にあり、彼の指揮艦カークランド号であっても動かせない。
そこでエバンズは計略の煽りを受け空き家となっていたシルバーベル号に目をつけ、スペード侯爵の権限を借りて漕ぎ出し、アンソニー船長達の船を拘束したという訳である。




