アレク「な……何か街の方で騒ぎが起きてるけど……」ロイ「考え過ぎじゃ太っちょ、何でもマリーの仕業な訳はなかろう」
レイヴン海軍兵のおじさん達を引き連れ、大湿原からプレミス港へと向かう道案内屋のマリー。
手配書がアップデートされましたね? 金貨3,000枚ですって……どういう事?
コロコロ変わってすみません、ここも三人称で御願い致します。
静まり返った深夜のプレミス。
大量脱走事件以来、夜間は戒厳令が敷かれたように静かになっている街を、一人の少女に先導された、一隊の男達が行く。
「ヌズ、アーンスル、ワ・ロスワ・ロースアン、ロー! タマキン! タマキン! デクス、ハルルヤーン!」
レイヴン王国が成立するより昔、古代民族の言語で作られたという歌を、男達は歌う。それは子供達の為に命を賭けた戦いに出掛ける戦士を称える歌だという。
そこへ。
―― ドドッ! ドドッ! ドドドッ……!
夜の闇に溶け込むような、黒染めの鎧に身を包んだ騎兵の一隊が殺到する。彼等はスペード侯爵ことジョージ・ウッドヴィル卿の私設騎兵隊だった。
大湿原に居た従士達からの連絡を受け、どうにか準備出来たのは30騎、数は少ないがいずれも戦慣れした手練れの騎兵である。
「きゃっ……貴方達は何ですか? 私達は、自分の船に戻ろうとする水夫です」
突然現れた騎兵の一団に、水夫達はたじろぐ。彼等を先導していた少女だけが、そう言って、気丈に騎兵達と水夫達の間に立ち塞がる。
騎兵の隊長格の男が、兜の面頬を上げる。彼は大湿原から必死で走り抜いて火急の知らせをもたらした従士から、赤いドレスの少女は危険だと知らされていたのだが……彼はその事をすぐには思い出せなかった。
「おどきなさい、お嬢さん。我々は後ろの男達に用がある。国王陛下の信任を受け軍艦を任されながら逃亡した、不逞の兵士共に」
騎士隊長は水夫達の数を20と見積もる。従士は千人などと言っていたが……少女に誑かされ、侯爵の命令を無視して逃亡する兵士の数など、こんなものだろう。
「待ってくれ! 俺達は騙されていたんだ、偽の命令で艦隊から連れ出されて、偽のフレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト捜索に駆り出されていた! 逃亡なんてとんでもない、俺達はスペード侯爵の命令に従っていただけだ!」
水夫の一人がそう叫ぶと、騎士隊長は目を瞑る。彼自身、おかしいと思う事が無くもない。しかし……彼の中でスペード卿の命令は絶対だった。
「言い訳は無用……貴様達の造反により母国はどれだけの不利益を被ったか……大陸の敵共から領土を守る筈の艦隊が何日も行動不能に陥ったのだ、その責任は……小さくない!」
騎士隊長はそう言って剣を抜き、水夫達目掛け突進しようとした。しかし。
―― パリン
「ぬおっ!?」「何だ!?」
瓶のような物が割れる音と共に。中に入っていた何かが激しく燃焼し、水夫達と騎兵達が出くわした小広場に、光が満ちる。
「あち、あち、げほげほ、ロブのうそつき! 危険は無いって言ったのに!」
少女が悲鳴を上げながら走り回るが、目が眩んだ騎兵達にはその姿は見えなかった。激しく燃焼する何かは飛び散り、すぐに消え、後には煙が残る。
「くっ……何だ今のは!」
「ぬうっ、馬を抑えろッ!」
騎兵達がどうにか驚いて暴れる馬達を抑え、混乱から立ち直ると。小広場には少女だけが残っている……水夫達は、元来た道の方へ逃げて行く。
少女はアイビス語で叫ぶ。
「どうしてあの人達の邪魔をするの? あの人達は元の艦隊に戻ろうとしてるだけじゃない……アンタ達のご主人様に、騙されたって解ったからね!!」
「貴様、アイビスのスパイか! おのれ、小娘と思って情けを掛けたものを……」
少女は振り返り、水夫達を追って走り出す。
「ついでに水夫も始末する気!? そうなんでしょう!」
騎兵達は内心動揺する……それは確かにあまり気の進まない仕事だったのである。しかし侯爵の安全と出世の為の思えば、やるしかない。
「水夫共は勿論、あの女も逃がすな……確実に討ち取れ!」
騎兵達は少女と水夫達を追い、馬を進める。
「もたもたするな! 分散されると厄介だぞ!」
そこへ。慎重に進もうとする隊長格の騎兵の脇を、別の騎兵が追い越して行く。それは隊長の地位を狙う野心家の男で、彼に賛同する8騎あまりもそれに従ってついて行く。
「待て! 油断するな」
隊長がそう呼び掛けた、その瞬間。
「うおおおおおおお!」「ひょおおおお」「くらええええ!!」
無警戒に深入りし過ぎた騎兵達に、街路の左右からレイヴン海軍兵達が波のように押し寄せ、空からも降り注ぐ。何百という水夫が一斉に僅か30騎の騎兵に掴みかかったのだ。
「な、何なんだ貴様らぁっ!」「やめろ、離せぇぇ!」
馬も驚いて暴れようとするが、武装した重い主を乗せ身動きが取れぬままに轡を取られてしまう。
そして騎兵達は一太刀浴びせる間も無いまま、大勢の男達に組み着かれて馬上から引きずり降ろされ、佩刀や兜を奪われ、地面に引き倒される。
「やめろッ! やめろ無礼者ォォ!」
「無礼はどっちだこの野郎! 人をバカにしやがって!」
怒り心頭の水夫達は騎兵の隊長格の男のズボンまで脱がそうとする。その姿を見た先程の少女は慌てて抗議し、止めに入る。
「そういうのは止めて下さい! やり過ぎですよ!」
「さっきのこいつの言い草を聞いたか! こいつ、嬢ちゃんも俺達も殺して口を塞ごうとしてたんだぞ! やいこの野郎、出来るもんならやってみやがれ、俺達の仲間は千人を超えるぞ!」
周りでも他の騎兵達が、ブーツを脱がされたり空き樽に逆さに詰め込まれたり防火用水の桶に投げ込まれたり、狼藉の限りを尽くされている。
「何せ、やるじゃねえかお嬢さん! 俺達をここまで使いこなして見せるとはな」
別の水夫が、少女に向かい親指を立てて見せる。それを見た周辺の水夫達も騒ぐ。
「怪我人は居ないな? 鮮やかなもんじゃねーか」
「これでスペードの野郎の手の内がはっきりしたな! あんたは正しかった!」
「道案内屋万歳!」
「マリー船長! あんた女の子だけど男の中の男だ! ハッハー!」
「タマーキン! タマーキン! デッス、ハルルヤーン!」
少女、マリーは男達がまた歌い出すと、赤面して耳を塞ぐ。その歌の一節はアイビス語だと何か別の意味に聞こえるのだ。
「あの、とにかくこの人達はもういいので。最初の目的に戻りましょう」
マリーはそう、水夫達に呼び掛ける。
馬達は放たれどこかへ逃げ去っていた。騎兵達は武装解除され、ひとまとめにされてむっつりと地べたに座り込んでいる。
「だけどよ姉さん、スペードの野郎がやった事がはっきりした今、本当にそれだけでいいのかよ、何とかあの野郎に煮え湯を飲ませてやる事は出来ねえのか? 俺達はあいつのせいで、裏切り者にされる所だったんだ」
筋骨隆々の熟練の水夫の一人がそう尋ねる。その男は左目に眼帯をしていて、右手の指が二本短くなっていた。左目は20年前コルジアとの海戦の最中に砲撃で吹き飛んだ木片の為に失い、右手の指は10年前クラッセ海賊との接舷戦での刀傷の為に失ったという。
マリーは溜息をつき、答える。
「勝ち過ぎを望んではいけないわ、今一番大事なのは、貴方達王国海軍兵士とその艦長や士官達、そして提督に元の仕事と名誉を取り戻して貰う事だから……もう一度言うけど。本当にこれを機会に船乗りをやめたい人は居ないの?」
「おいおい、今降りたら給料を貰えねーよ」
「だけど今なら堂々と海軍を辞めて陸で暮らす事も出来るわよ? 本当に貴方達、全員海軍の水夫に戻るのでいいのね?」
マリーは水夫達の事を思ってそう言ったのだが。戻って来たのは男達の不敵な笑みだけだった。
「もういいって。さあ、次はどうするんだ? 道案内屋!」