外務高官「今度こそ覚悟を決めてくれたのだろうな? マリー・パスファインダーを賞金手配すると!」
三日前、ブレイビスの司法局、第三会議室にて。
「はい……司法局はこの人物の手配に賞金を懸ける事を決定しました。賞金額は金貨3000枚、手配書は既存の物をスタンプで上書きする形で発行します」
「フン……ようやく重い腰を上げてくれたのか」
「そうは言いますが、こんなの前例がありませんよ、これと言った容疑も無く、ただ海賊の娘だからと言うだけで、こんな高額の賞金手配だなんて……」
「だがそのただの海賊の娘の手配書が、全土で盗難に遭っているのだろう!? この女の持つ反社会勢力は、レイヴンの市井にそれだけ深く浸透しているのだ!」
私は半ば気絶したまま歩いていた。
今夜、私の後ろからついて来る千人を越えるおじさん達は、いつも私の周りに居るような優しいおじさん達ではない。レイヴン海軍兵。海賊といい勝負の、いや多分海賊以上の荒くれ者揃いの、怖いおじさん達である。
そして皆さん多かれ少なかれ怒っている。いきなり怒声を挙げる人も居るし、同調して雄叫びを挙げる人も居る。
そのくらいならまだ我慢すればいいのだが、時々はそれが喧嘩になる。何故そんな事になるのかは解らない。
今私に出来るのは、振り返らずに歩く事だけだ。
振り返らずとは言ったが、私は時々振り返ってしまう。
「マリー・道案内屋と共に!」
「侯爵の命令だ! 彼女を捕まえろ!」
「俺達は、第二海峡艦隊の水夫だ!」
その度に筋骨隆々のおじさん達は、その肉体美らしきものを過剰にアピールしながら気勢を上げる。
怖い。深夜の大湿原を、雑木林さえまばらな牧草地を、血気盛んな荒くれ者が五人一組の横隊を組み、両端の男は松明を掲げ、ずしずしと歩いてついて来る……積み重なるその列、200……この光景は掛け値なしに怖い。
第一、アイビス人である私が、一体何をしているのか? 今は小康状態を保っているけれど基本的にはライバルであるレイヴン海軍の脱走事件を解決して、一体何になるのか?
……
だけど私は、不精ひげについての貴重な話を惜しみなく聞かせてくれた、ヴィクター提督の寂しそうな笑顔と背中が忘れられなかった。あれはうちの父などと違う、責任ある大人の背中だ。
あの人の好い提督を苦しめていたものの正体が見えたと思った途端、私はまた暴走してしまったのだ。
だけどどうするのこんなの。
そもそも、私の考えは本当に正しいんですかね?
プレミス港の大量脱走事件は捏造されたものだった。
街にも郊外にも逃げたと思われる水夫達は見当たらず、追手もたいして差し向けられていない。
侯爵の腰巾着となっていたエバンズ艦長は、水夫の再編成の隙間をついて空き家となった船を操り、アンソニー船長達を拘束した。
そして次期海軍卿とされるスペード侯爵はまるであらかじめ用意していたかのように、代わりの水夫を用意してみせた。
それが何を意味するのか、そんな事は私には解らない。解らないがそれでアンソニー船長が海老や物資を取り上げられて拘束され、バットマー艦長が軍法会議にかけられ、ヴィクター提督が辞表を提出するのは理不尽だ。
多分。私も後ろの男達と同様、怒った顔をしているのだと思う。
◇◇◇
この集団を連れてサンパシオンへ立ち寄る事は避けた。
プレミスはそれなりに遠い。昼間、馬車とジョニー君の案内で数時間掛けて移動した距離だ。
夜中とは言え満月の夜という事もあり、時折向かいから旅人が来る。しかしどう見てもどこかを焼き討ちしようとしているならず者の大群である私達を見て、悲鳴も上げず慌てて逃げて行く。本当に申し訳ありません。
そしてこの退屈な強行軍を、男達は声を合わせ歌う事で耐えている。芸術性、音程、歌詞、どれを取っても最低の歌ばかりだが、そのレパートリーの多さには舌を巻くしかない。
考えてみれば海の上なんてもっとしんどくて退屈なのだ……何日も続く嵐の中、操帆を続ける事だってある。この歌はそんな時の為の物なのだろう。
それでも、出来れば私の前でそういう歌を歌うのは止めていただきたい。
私はそう抗議出来ないまま、さすがに声を合わせて歌う事は出来ないので代わりに旗を振り、プレミスの市街地へ向けて緩やかに下り始めた、放牧地の間を続く道を歩いて行く。
この不気味な千人の軍団に対し、司直も手をこまねくばかりだった訳ではない。
「止まれッ! そこの集団、止まれー!」
正面から、六人の武装衛兵が駆け寄って来る……たちまち、海軍兵の集団の中からも特に体格のいい連中が二十人ばかり上がって来る。
「お、お前達は一体何者だ!?」
「俺達はヴィクター提督麾下、第二海峡艦隊の王国海軍兵士だ。スペード侯爵ことジョージ・ウッドヴィル卿の御命令で指名手配犯の捜索をしている。お前達、フレデリク・ヨアキム・グランクヴィストを見掛けていないか」
私が何か言う前に、水夫達は気の毒な衛兵隊の人達を威圧する。さすがに千人と六人では如何ともしようが無い。
「い、いや……何も見ていない……しかしその……」
「そうか、お勤め御苦労だ。いくぞ皆!」「オー!!」
―― ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……
衛兵さん達が何か言う前に、また下品な大合唱で周囲を威圧しながら、男共は、足音まで揃えて前進を再開する。
男達の歌う歌詞の意味はよく解らないのだが、私は何故か本能的な恥じらいを覚えながら、レイヴン海軍旗を振り回しつつ、彼等を先導して行く。
◇◇◇
―― ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……
やがて満月が照らす海が迫って来る……アイビス側ではクレー海峡、レイヴン側ではローバー海峡と呼ぶバチバチの海だ。今日の所は波風もなく、とても穏やかなようだが。
そしてプレミスの町の手前の集落に差し掛かった時である。
「おう、お嬢ちゃん、これは……」
それは松明を持った男達の一人に言われる直前に、私の目にも入って来ていた。
『賞金3,000枚
マリー・パスファインダー
航海者、剣士、銃士』
ひっ……
ひぎゃあああぁあああ!?
昼間ここを通った時には無かった手配書が!? 賞金3000枚ってどういう事!? なんで!? 昨日今日、この町を出て戻って来るまでの間に、私何かした!?
背後の男達が迫る……
「おいおい、金貨1000枚じゃなく3000枚じゃねーか」
「大人しそうな顔して、やるな姉ちゃん……」
賞金無しの手配書に、賞金1000枚と書き込んだのは私である。それは私なりのはったりのつもりだった。しかし現実はそれを越えていた……
―― ベリッ
水夫の一人が、手配書を剥がす。
「それでここからどうするんだ姉さん、このままプレミスに戻っていいのか?」
私は半ば呆けたまま振り返る。男達は、私の賞金額が本当は3000枚だった事に驚きはしたようだが、それによって何か心変わりを起こしたという様子もなく。ただ私を見ていた。
私は首を振り、自分の頬をぺちぺちと叩く。駄目ですよ、少し眠気にやられてたのかも。自分の身の心配をしてる場合じゃないよ、ここからどうするべきか。
私達は夜中に強行軍で来た。敵にはあまり大掛かりな準備をする時間は無かったと思う。とは言え全く準備が出来なかったという事はあるまい……何か、仕掛けて来るだろうか……