フレデリク「ああ! あの時の用心棒の一人かこいつ、ははは、人の縁というのは馬鹿にしたもんじゃないな」マリー「ちょっと黙ってろバカヤロウ」
大湿原の中で、松明を持った大集団に追われていた男……この男はオロフ。第二作「マリー・パスファインダー船長の七変化」で初登場、その時はランベロウ側の商人に雇われたモブ用心棒でした。
今回は三人称で御願い致します。
ストーク人傭兵のオロフは疲労と空腹と恐怖ですっかり消耗し、憔悴しきっていた。
ウインダムに行きたいと思ったのは、クラッセ王国が他国の手配人に寛大である事と、その町には世界中の娯楽を集めた歓楽街がある事からだった。ストーク人ホステスばかりを集めた店もある。長く内海を放浪していた彼は、たまには故郷の色白の女と仲良くしたいと考えたのである。
しかし旅を急ぐあまり、プレミスまでしか行かない船に慌てて乗ってしまったのが、男の運の尽きだった。
一ヶ月前、乗り換えの為に降りたプレミスの港の宿屋の前で、彼は自分の顔の似顔絵とオロフという本名が書かれた手配書に出くわした。
どういう訳か自分は、ハマームでレイヴン人達が企んでいた何かの陰謀を打ち砕いた、フレデリク・ヨアキム・グランクヴィストという男の正体だと思われているらしい。
何故そんな事になったのか?
それから今まで……オロフはレイヴン人達に追いかけられ続けていた。
レイヴン人には叫喚追跡という習慣がある。これは犯罪者を見掛けた市民には大声を上げる義務があるというものだ。その声を聞いた者も、やはり声を上げて追跡に加わる。そして最終的には、大勢の市民が犯罪者を指差しながら大声を上げて追い掛け回すという図式が完成する。
オロフは何度か港から船で海への脱出を試みて来たが、その度に市民に発見され叫喚追跡を受けて逃げ回って来た。やがて追跡は郊外にも及び、手配書の回っていない村々でも追い掛けられる始末となる。
そして追い込まれるようにやって来た大湿原でオロフは、どうにか打ち捨てられた小屋を見つけ、手作りの罠でネズミやイタチを捕まえて、寒さと飢えを凌いでいたのだが……たったそれだけの安寧も、数日前に打ち破られてしまった。
「違う……違う、俺はフレデリクじゃない……」
男はそのまま、どっかりと岩の窪みに座り込んでしまった。
ナイフを持った男の手がだらりと垂れ下がったのを見て、マリーも短銃を降ろす。そしてジョニーはマリーの短銃に手を伸ばす。
「女がそんな物持つな! こっちに渡せ!」
「これは私の銃」
オロフは顔を上げ、短銃を持った少女をぼんやりと見つめる。涙が滲んでよく解らないが……やはり、あの顔は似ている。あの日ハマームで一瞬見たフレデリク・ヨアキム・グランクヴィストによく似ている。
一瞬しか見ていないフレデリクの顔を、オロフは何故覚えていたのか。それはオロフがさんざんフレデリクの噂話で日銭を稼いで来たからだ。
途中で耳にしたセレンギル船長の話をレパートリーに加え、酒場で、船上で……色々な所でフレデリクの噂話をしては、酒食やチップを受け取った。
フレデリクの噂話はいい金になった。しまいにはストークの海軍提督が、ほんの一ヶ月の船上勤務と引き換えに、金貨60枚の大金をくれた。
真夏にたった一度見ただけのフレデリクの顔を何度も何度も思い出しては語る事で、彼はいい思いをして来たのだ。ここ、プレミスに来るまでは。
「じゃあどうして、貴方はフレデリク・ヨアキム・グランクヴィストだと思われてるの? 貴方は夏のハマームに居たわよね?」
少女は短銃を取り上げようとする少年を押し退けながら、ストーク語でそう言った。
オロフの両眼から涙が溢れる……母国の言葉、ストーク語を聞くのも久し振りだった。別れ際にロヴネル提督と話した時以来だ。
しかも、この人物はプレミスに居る他の全ての人間と違い、自分を本物のフレデリクだとは思っていないのだ。
それもそのはず。この少女こそが、女装したフレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト本人なのだから。そうに違いない。
憔悴し弱りきったオロフは、そう確信したというより、どうかそうであってくれという願いを込めて、少女の顔を見返した。
「そ、そうだ……俺はフレデリクじゃない、だって本物のフレデリクはあんたなんだろう? 助けてくれ、御願いだ……お前が助けてくれないなら、俺はもうこのナイフで自分の喉を掻き切るしかない……!」
「まっ、待ちなさい……落ち着いて……そのナイフを離して」
少女にそう言われたオロフは、たちまち持っていたナイフを少年の足元に投げ出し、跪く。
「俺はストーク人傭兵のオロフ、ハマームに居た、あんたが俺に馬上から、その銃を向けて来た事も覚えてる、いや待ってくれ、俺はあんたの敵じゃない、ファンなんだ、あんたはストーク人のヒーローだろう? 俺は知ってるんだ、あんたが襲って来た海賊を返り討ちにしてその船を乗っ取り航海していた事も、サイクロプス号の大海賊ファウストを一騎打ちで下した事も」
オロフが涙で声を詰まらせながらそう言うと、少女は何故か慌てて辺りを見回す。少年はストーク語が解らないらしく、ただ眉間を顰め、腕組みをしている……オロフは構わず続ける。
「あんたが子分にしたファウストを連れて、高慢ちきのランベロウの野郎をとっ捕まえてマフムード国王に売り渡した事も! ランベロウの野郎、ファルク王子とその嫁さんと子供を殺そうとしてたんだってな、あんたすげえよ、本物のヒーローだ、信じてくれ、俺はあんたのファンなんだ」
「待って。その話やめて、ていうか貴方なんでそんな事まで知ってるの……」
「そ、そうだ! ロヴネル提督は知ってるよな? 提督になって一年でペール海から海賊を一掃した男、あいつも俺達の母国のヒーローだ、そうだろ? 方々の港であんたの英雄譚を広めていた俺は、ある時提督の目に留まった、俺は提督の依頼で海軍の船に一ヶ月だけ乗った、あんたと提督を会わせる為に、そしてロングストーンで、あんた初めてロヴネル提督に会ったんだろ!? あの時提督は、あんたに会えたのは俺のおかげだと言っていた! 信じてくれ、俺はロヴネル提督の友人なんだ!」
「わ、解ったから、ちょっと静かに、ていうかその話をもうやめて」
「頼む、助けてくれぇ……何で女装してるのか知らねえけど、あんたが本物のフレデリク・ヨアキム・グランクヴィストなんだろ? 御願いだ、そうだと言ってくれ……助けてくれよォ……寒くて腹ペコで夜も眠れねえし、追っ手は日に日に増えて行く……あんたが助けてくれないなら、俺はもうここで死ぬ……!」