社蓄『そう怒らなくても』社蓄『ケンカしないで下さい』トゥーヴァー「そうだよ実の親父なんだろ」
ピジョン船長はリンデン卿の妹達から大変慕われておりました。
時々現れて冒険の話をしてくれるというその姿は、まるでヴィタリスに帰って来た時のフォルコン船長のようじゃないですか。
マリーがやきもちを焼くのもちょっと解る? 解らない?
私は深く静かにぶち切れる。
父がしようとしている話は、ハバリーナ号とその仲間達の話に違いない……レイヴン語だからはっきりとは解らないけど、多分そうだ。
ざけんな。あれは父と私とカイヴァーンと……名前思い出せないけどあのゴリラさんとその仲間達だけの、大事な思い出だ。
それを私の許しもなくレイヴンの貴族のお嬢様達に話すのか? 私はアイリにだって話してないのに。
「おい、どこ行くんだよお前」
居間を出ようとしている私に、私同様、この場に招待はされたものの居場所が無くて内心困っているジョニー君が声を掛けてくる。
「少し外を散歩して来ますわ。お構いなく」
私はそう言って外に出る。
気の毒なジョニー君は牧羊犬のように渋々ついて来る。
辺りは凄い景色だ。山も森も無い、全周が起伏の多い、ごくなだらかな傾斜を持つ岩と草と潅木の湿原に覆われている。
ここは陸の上だというのに、海の上のように広い……太陽が地平線に沈んで行く……夕焼けの空も、海の上とはまるで違う色に見える……気のせいだろうか。
「もう日が暮れただろ、屋敷に戻れよ……太陽が沈んだら外に出るなって、お前家で言われてねえの」
「家なんか無いよ。私は船乗り。日暮れ後でも、夜明け前でも、網を引くの。船縁に足ぃ掛けて、おとぉこー盛りぃの命を燃やぁしー」
私がそう言って牧柵に足を乗せ網を引く真似をしながらアイビス語で歌い出すと、ジョニー君は慌ててそっぽを向く。
「女がそういう格好すんなよな!」
「あっ……ああ、ごめんなさい」
コンウェイの船乗りの皆さんには大ウケしたのになあ。お姫マリーの服がいけないんだろうか……ん?
私はふと、東の彼方に小さな灯火がついているのを見つける……星じゃないよね? 地上に居るし……ああ……だけどもう見えなくなった。
「……お前、あの人達と知り合いなの?」
ジョニー君は余所見をしたまま私に尋ねる。
「私は初対面。聞いてなかった? 父は……多分友達。私はよく知らない」
私のレイヴン語はとても語彙が少ないので何かぶっきらぼうな言い方になってしまうが、これはもう仕方無い。いいや、言葉は習うより慣れろだ。
「ジョニーは、あの子達の友達なの?」
「あのな、俺の事はジョニーさんと呼べ。いや、パスファインダーさんだ」
「どうして? 私はマーガレットでいい」
「お前、アイビス人みたいに馴れ馴れしいな! ああもう、何でもいいや。俺はローズストーンの牧童達とは顔見知りだけど、屋敷の住人とは話した事もなかった。そもそもリンデン卿は真冬の短い期間しかここに居ないんだ」
私は少しの間腕組みをして思案する。ジョニーはまだ向こうを向いているが、屋敷の中に戻りたい訳ではないらしい。
「ジョニー、東の遠くに灯火が見えるんだけど、あれも牧童?」
「……ああ? 灯火? 何の事を言ってるんだお前」
「あれ! 私の指差す先を見て!」
「かっ、勝手にそんなに近づくな!」
その時ちょうど、見えにくかった灯火が遠くの物陰から現れた……いや、二つ、三つ……次第に暗くなって行く大湿原の中で、見える灯火が増えて行く……
「あれは、なに?」
「……解らない。牧童はこんな時間にあんな所に居ない。兵隊が何かしてるのでなければ、良からぬ事を企む奴かもしれない……あそこは普通の旅人が通る場所じゃないからな。おいお前、屋敷の中に戻れ。俺は偵察に行って来る」
ジョニーは私に背中を向けたままそれだけ言うと、東の方へ足早に歩いて行く。
◇◇◇
大湿原は草原と灌木に覆われた起伏の多い場所で、身を隠す場所も多い一方、ちょっとした岩の上にでも登れば周囲360度を見渡す事が出来る。
「……なっ!? ばかやろう、遊びじゃねえんだぞ! 帰れ! ついて来んな!」
「私も、偵察に行く」
ただ、船酔い知らずのような便利な魔法でズルをしていない人が、効率的に歩き回るのは難しい場所かもしれない。
「待てっ! ああもう、何でそんな恰好でそんな素早いんだお前! 帰れよ!」
「ジョニー少年、静かに」
高さ3mの岩の斜面も、泥の溜まったぬかるみも、お姫マリーの私は平らで固い道の上のように走り回る事が出来るのだ。この地形は完全に私の味方である。
◇◇◇
「ハァ、ハァ……どういう足の速さだよお前……」
「私について来るとは、やるわねジョニー少年」
「そのジョニー少年ってのやめろ!」
「シーッ」
一番近い灯火はもう100m先に居る。私達はその手前の岩陰に隠れていた。
灯火の数はどうも三つや四つではないらしい。ここから先、東の一帯に何十と広がっているらしいのだ。
「ここまで来ておいて何だけど、帰った方が良さそうだ。さすがにこの数は盗賊や密輸人の類いじゃない、軍隊だ。軍隊がこんな所で何をしてるのか知らないけど、用も無いのに軍隊には近づかない方がいい」
ふんふん。多分軍隊だと思うけど密輸人かもしれないから近づいてみようと? 私もレイヴン語に自信がついて来たわね。
「じゃあ私が見て来るからジョニー少年は待ってて」
「待てェエ! 待て! おい!」
私が一番近い灯火の方に向かい、低い岩山を迂回して前進し出した、その直後。
「ヒッ……!」
3mくらいの高さの、草や苔の生えた岩の間を走り、灯火のある方へ近づこうとしていた私の目の前に、突如現れたのは……身長は170cmくらい。濃くも薄くもない髭に金髪の、痩せた大人の男だった。
男は岩に挟まれた窪みで息を潜めていて、突然現れた私の姿を見て驚いている。そして、男の手には抜き身のナイフが握られている。
「下がれッ……!」
ジョニーは慌てて駆け寄って来るが、男がこちらにナイフを向けて来た時には既に、私はスカートの裾を跳ね上げ太股のストラップから取り出した短銃を構えていた。
「おっ……女がそんな所から短銃なんか出すんじゃねえ!」
私の前に飛び出し掛けていたジョニーが顔を赤らめてたじろぐ。ここまで純情だと私の方が悪い事をしているような気分になってしまう。
しかし私にはそんな事を考えている時間は無かった。
「貴方……どこかで見たわ」
私は短銃を構えたままそう言った。
そしてそれは、男の方でも同感だったらしい。
「お、お前……どこかで……」
男はストーク語で、震えながらそう絞り出す。
その瞬間、ようやく私の鈍い頭を動かすリスとウサギが目を覚ました。この男の顔を見たのは最近、だけど見たのは似顔絵、いやそれより前に、私は間違いなくこの男の顔を、似顔絵ではなく本物を見ていた。
ほんの一瞬しか見てない、この男の顔を覚えていた理由。それは私がその時もこの男に銃を向けたからだ。私に銃を向けられた男の表情が、私の心に強く焼き付いていたのだ。
あの時はコウモリになったトリスタンを必死に追い掛けて……だけどトリスタン以外の相手を撃ちたくなかった私は、この男が飛び退くのを待ってから、威嚇のつもりで引き金を引いた。
「あなたは……フレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト……?」
「あんたは……フレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト……!」




