ホーク「オラこんな村いやだ、オラ船乗りになって、世界中の姉ちゃんと仲良くなるだ!」村の衆「あーあ、行っちまった」
マリーの世界は異世界なんですけど、資料室の地図の通り現実世界をモチーフにしております。マリーが今居るのは現実ならイギリスのプリマス付近の郊外です。
現実世界ではここの北東にダートムーアという土地があります。ご興味のある方はダートムーアで画像検索してみて下さい。ちょっと変わった景色に出会える場所のようです。
レイヴン海軍の関係者から直接話を聞く事はだいぶ難しくなってしまった。まあ、カークランド号とシルバーベル号という名前が聞けただけでも良かったと思う。アンソニーさん達はそのどちらかに囚われているのだろうか。
私達は行きとは別の貸し馬車に揺られていた。周りはとてものどかな田園地帯だ。プレミスは都会のように見えたけど、少し町を離れたらこんなものか。
「スーッと船を追い越して行ったかと思ったら輪を描いて戻って来て、わざわざ戻って来てだよ? 私の肩の上に! プリッて!」
「あっはっは、いや偶然だろ偶然」
「わざとだよ絶対わざと! 私が鰯あげなかったから!」
「いや来るけど、あいつら人間に餌をねだりに来るけど! だけどなマリー。父さんは、父さんはな……カモメに餌を貰った事がある!」
「ある訳ないでしょうそんなの! それこそ偶然だよ偶然、くわえてた小魚を落としたとかそんな、あははは」
父と話をしていると心が開ける……不精ひげのあんな話を聞いたばかりなのに酷い奴だが、これはこれで私の性分なので仕方が無い。
ずっと下らない話をしている父娘を乗せ、馬車は草原の続くレイヴンの田舎道を北東へ進む。
……
「お父さん。宿の給仕さんが話してた事を覚えてる? プレミスで水夫の集団脱走があったって」
「ん? ああ、そんな事言ってたな、あいつ」
「お父さんはその事について、何か知らない?」
「いや、父さんプレミスには西から陸路で来たんだ、港で起きた事は知らなかったな」
鈍臭い私の頭に、何かが引っ掛かる。
スペード侯爵は水夫の脱走事件の話の中で、400とか900とかいう数字を出していた。それは多分人数の事だと思うんだけど……それだけ大勢の男達が、一体どこへ逃げたのだろう。
人間、逃げて生き延びる為には計画が必要なのだ。走って逃げ続けるだけではいつか力が尽きる。時間が経てば腹が減るし、夜が来れば眠くなる。
逃げた後の生活の事だって考えなくてはならない。むしろ「逃げる」ってそこからが本番だよね。逃げてどうするのか、それは逃げる前に決めておくべきである。私は若輩者だが土下座と逃亡には一家言持っているのだ。
水夫はどこへ逃げたのか? 海へ逃げるのは難しいだろう。ここはプレミス、そんな大勢の水夫が海軍の目につかずに逃亡するのは不可能だ。
「お父さんはプレミスに来る途中、脱走した水夫の集団を見なかった?」
「うん? いやあ……こんな季節だからなあ、水夫どころか、ほとんど人とすれ違わなかったよ」
脱走した水夫が数十人、数百人、まとまって行動していたら目立つだろう。この辺りには身を隠すのに向いた森林も少ない。何か引っかかるんだけど……
「どうしたの? 何か悩み事があるなら、父さんに話してみなさい」
「まあ……別にいいや、私が考えなきゃいけないのは、今のお父さんの事だから」
父は私をプレミスに送ろうかと言ったが、私は父の目的地に先に行くよう馭者に頼んだ。送ろうも何も父は馬車を借りられる程の金を持っていないので、この馬車を雇ったのは私である。
「ああ、あの、マリーが居てくれて父さん本当に助かったよ」
「何がピジョン船長だよ……アンタやっぱりレイヴンではお尋ね者じゃん」
私もアンソニー船長達の事は勿論気になるし、なるべく早く解放してあげたいとは思っている。だけどマリー・パスファインダーはフォルコン・パスファインダーの娘なのだ。
◇◇◇
馬車はやがてサンパシオンという村に辿り着く。時刻は午後二時くらいか。小さな村だけど教会だけは立派ね……何だかヴィタリスに似ているな。
「ここが目的地なの? お父さん」
「いや、ここからもう少し先なんだ……マリー、ここまで送ってくれて有難う。この先は馬車では行けない場所なんだ、父さんは歩いて行くから、お前はプレミスに帰るといい」
父はそう言ってそそくさと馬車を降りる……全く。これだからあんな、私の事ばかり書いてる航海日誌なんかウソだと言うんだよ。
「まーたサラッと消えるんだ。お父さん私の事なんか少しも心配してないんでしょ、本当は」
私は普通の娘のように、少し拗ねてみせる。
馬車を降りた父はパッと振り返り、また馬車に飛び乗って来た。
「そんな事は無い! 解った、父さん仕事はやめにする、馭者君! やっぱりこのままプレミスに向かってくれ!」
「やめて! 冗談だから! いいから仕事に行ってお父さん!」
「仕事は終わった! 父さんはマリーと一緒に家に帰る!」
「ごめんなさい、解ったから、私も降りるから」
私が馬車から降りると、父は馭者にレイヴン語で何か言ってから、再び馬車を降りた。
「まあ……こんな機会は一度きりかもしれないし、実際マリーにも少し見て貰うのもいいかもしれないな。だけどねマリー、この先は道が悪いんだ、馬車は通れない。お前はどんな園遊会に出しても恥ずかしくない淑女の格好をしているけど」
私は父がそう言っている前で、お姫マリーの外側に縫い付けてあったオーバースカートをベリベリと剥がす。
「ちょっとマリー! お行儀悪いよ!」
「いいでしょこんなのハリボテなんだから。これで道が悪くても平気だよ」
馬車はここで待っていてくれるらしい。まあ、待機料金は私が払うのだが。
プレミスがどんどん遠くなる。アイリさん怒ってるかなあ……怒ってるよな。
村の中央の四つ辻には小さな酒場のような建物がある。こういう所もヴィタリスに似てるわね……田舎の酒場は大抵閉鎖的なのだ。何だか緊張する。
父は普通にその戸口を潜るなり、レイヴン語で中に声を掛ける。
「御免よ。道案内屋は居るかい、仕事を頼みたいんだが」
中からは反応は無いが、父は構わず店に入って行く。心細いので私もぴったりとくっついて行く。
店の中はかなり暗い……寒いので板窓を少ししか開けてないのだ。目が慣れるまで、私にはそこに人が居るのかどうかも解らなかった。
「あんた確か、ピジョン船長だったか。久しぶりじゃねえか」
誰かが父の偽名を呼ぶ……店内には数人の男が居るようだったが、何となく、今の一声から彼等の緊張が解けるのが伝わって来る。
「ああ居るよ。何だ、また女の子を荘園へ連れて行くのか」
「いや、これは俺の娘のマーガレットだ、良く見てくれよ、顔も似てるだろ?」
私はおずおずと御辞儀をする。こういう所に来ると解っていたら、もっと地味な服も用意したのだが。案の定、男達は胡散臭そうな目で私を見ている。
「今日は別の用さ、ローズストーンまで頼めるか」
「ジョニー、行ってやれよ、ローズストーンならお前でも行けるだろ」
「あれ? エドウィンは今日は居ないの?」
「あいつは朝からブラックウッドまで案内に行かされたからな、疲れて寝てるよ」
父が別の大人とそんな話をしている間に、店のカウンターに居た、私より一つ二つ上、年も背丈もサロモンくらいの雰囲気のお兄さんが、こちらにやって来る。
「ジョニー・道案内屋だ。エドウィンみたいな年寄りより俺の方が足も速くて目もいいんだからな! 全く、いつまでガキ扱いしてんだよ」
私は父と、ジョニー・パスファインダーさんと共に酒場を出た。
馬車街道はここまで南西のプレミスの方向から延びて来ていて、この四つ辻で折れ曲がり北西方向に続いて行く。
一方、この村から北東方向に続く道は複雑な形の岩と草原が連なる、迷路のような荒れ地へと続いている。
「この先は大湿原と呼ばれる地域でね。危ないから貸し馬車は入ってくれないし、道案内屋が居ないと迷子になるんだ」
父はそう言って私に目配せする。
「この村には、何人の道案内屋さんが居ますか?」
私は拙いレイヴン語で、ジョニーさんにそう聞いてみる。
「道案内屋を名乗る一族は30人くらい居るが、本当に道案内屋をやってるのは俺を含めて10人くらいだ。富と名声を求めて村を出てった奴も居るけど、俺はこの仕事を大事にしてる」
私は昔から、私の家の名前ってアイビス風じゃないよなーとは思っていた。ばあちゃんも自分達はヴィタリスでは新参者だと言っていたし。
ジョニーさんが向こうを向いた瞬間、私を見ていた父が密かにニンマリと笑う。へえ。私の祖先はここにあったのか。




