メイナード「や、奴はパンツ一丁で飛び込みました!!」当時の水夫「ヒエッ、入り江はサメだらけですぜ!」当時の艦長「最後までイカレてやがる……」
昔は覇気と才能に溢れた男だったという不精ひげ。今でも才能の片鱗は見えるんだけど、覇気とやらは明らかにどこかに行ってしまったらしい。
私は異国の海軍提督との間で成立しそうな話題として、藁にもすがる思いでジャック・リグレーの名を持ち出した。それが何とか会話を始める手掛かりにならないかと思ったのだ。
しかしヴィクター提督はリグレーを知っているどころか、かつての直属の上司であり、リグレーを引き立てた恩人でもあった。
人の縁という物の、何と恐ろしい事か。一匹のロブスターから始まった話が不精ひげニックこと、ジャック・リグレーの過去へと繋がってしまった。
「昔の話をしていたら、私の気持ちも落ち着いて来たようだ。リグレーに助けられた気分だな……いつまでも塞ぎ込んでなど居られぬ。長話に付き合ってくれてありがとうお嬢さん。私は仕事に戻るとするよ」
そして今、この貴重な話を惜しみなく聞かせてくれた提督を欺き、アンソニー船長の情報を探り出そうとする事など、私には出来なかった。私は何も出来ないまま、ただ去り行く提督の背中を見送った。
「海賊オッカムだぞ! その船をよこせ!」
「海賊はもう味方じゃないんだぞ! 大人しくしろ!」
「そうだそうだ、海軍が正しいんだ」
子供達が舟遊びに興じる池の畔で、私は立木の幹に突っ伏して泣いていた。顔に当てたハンカチは既に涙と涎と鼻水でぐっちゃぐちゃだ。
「美しいお嬢さん? 何を泣かれているのですか? まさか礼儀を知らぬ若い男にでも泣かされたのですか? 貴女のような可憐な人に涙は似合いません、どうか一時、私に貴女の御時間をいただけませんか!」
そんな事をしていたら、極めて面倒そうな人が声を掛けて来た……これがアイリの言う、動くガイコツより怖い生き物か。
「あの……どうかお構いなく……」
私はそう言って、一瞬その場を足早に離れようとしたが……待て。この声。振り返った私の前に居たのは、アイリの言う動くガイコツより怖い生き物だった。
「いや本当に、何で泣いてるんだ、誰かに意地悪でもされたのか? 言ってみなさい、父さんそいつのポケットにこっそり馬の糞でも詰め込んでやるから」
「とてもかっこ悪いからやめてお父さん……若い女の人に声を掛けるのは上手く行かなかったの?」
父は難しい顔をして腕組みをしていたが、私にそう言われると俄かに焦り出す。
「ち、違うって、父さん仕事で人を探していて、それで色んな人に聞いて回らないといけなかったから」
「お父さん、さっきはヒーローとして人に会わなきゃならないって言ってたよね……それがいつ仕事で人探しに変わったの?」
「言葉のアヤだから! ヒーローは父さんの仕事だし、探すと会うは一緒の意味だから!」
私は溜息をつく。本当は父にも聞きたいのだが……父はジャック・リグレーを知っていたのか、彼は何故リトルマリー号の水夫ニックになったのか……だけど私は今さっき後悔したばかりなのだ。考え無しに何でも大人に聞くものではない。
これからどうしよう。コーエン君の所へ戻ってみるか? それともエバンズ艦長に直接当たってみようか?
いや、私にはその前にやらなくてはいけない事がある。このポットとカップとトレイを元の場所に返そう。
私はトレイを手に先程の屋敷の裏庭に戻っていた。私の姿を見て、屋敷の綺麗なお仕着せを着た女給さんが飛んで来る。
「まあお客様すみません、どこにでも置いていただければ私共が片付けますのよ」
そんな事を言われても、私にはこんな立派な白磁のティーセットを池の畔に放り出しておく事など出来ない……やっぱりレイヴンは豊かなんだろうな。
裏庭にはまだ先程の青年士官が居て、上司の居ぬ間のお茶の時間を楽しんでいる……提督はこちらに戻ったのではなかったのか。コーエン君が居ませんね? それはまあいいか……いや、コーエン君が居ないと話し掛け辛いな。だけど他に情報を聞けそうな相手が居ないし……
私はそう思いつつ、恐らくメイナードという名前の青年士官にそっと近づいて行く……するとふと、向こうもティーカップを手にクッキーをかじりながら、こちらを見た。
「あなたは……いや……お前は……!」
ああ、海尉が食べているのはチョコレートつきクッキーですよ、私も食べたかったのに提督に取られてしまったのだ、今度こそ食べなきゃ。
メイナードは完全にこちらを向き、テーブルにカップを置き大股にこちらに歩み寄って来る。あっ。これ、チョコレートクッキーどころじゃないやつでは?
私は何気ない風を装いつつ向きを変え、別の方向へと歩き出す。ほら、何かの勘違いかもしれないじゃない?
「待つんだ、そこの……」
しかし海尉の声は完全に私を追い掛けて来るし、それはだんだん近づいて来る……私は足早に歩き出す、裏庭から庭園へと、どど、どうするのこれ? 私今お姫マリーだよ、足元が良くないしそんなに速く走れないのでは? いや、私マリキータ島では普通にこれで激走してたな。
「ま、待てッ! そこの……男!」
えええっ!? 私また男だと思われてる!? 嘘でしょ今なんてお姫マリーなのにどうして! いや、それはさすがに違うか。海尉は私じゃなく、まだ私の後ろからついて来ていたお父さんを見つけて追い掛けて来たのね。
辺りには園遊会の客がたくさん居るが、何せエイボン伯爵のお庭は広い、自然の風景のように整えられた庭園の中、お客さん達はポツリポツリと散らばって寛いでいらっしゃる。
「そこの男待て、私は確かにお前を見たぞ!」
「マリー、まずい、ちょっと、また今度」
「いいからその感じでついて来なさい」
私は小声で呼び掛けて来た父に小声で返し、後ろを振り返りつつ、怯えた乙女のような仕草で庭園を駆け抜ける。他の客達は気づいていないか、ごく遠巻きに見ているだけだ……庭の一角の東屋の側で、雉か何かの肉を炙りながらビールをガンガン飲んで笑っている連中も。
私は今から自分がしようとしている事に、酷い自己嫌悪を覚えていた。仕方が無い。これも父の為である。
「ああっ、騎士さま! 皆さまは騎士さまですのね!?」
「おお、これは可愛らしいお嬢さん、どうしました」
私は酔っ払った四人の騎士共の元に辿り着いた。
「私きっとあの海軍士官に何か粗相を、とてもお怒りの御様子ですの」
「何ですと、こんな園遊会の席で大人げない」
「ハッハ! どうせ貴女にフラれて逆恨みでもしたのでしょう!」
赤ら顔の騎士達はまず笑い、続いて怒り、その顔を走って来る海尉の方に向ける。
「違う! その女の子じゃない、待て!」
海尉は足を止めて弁明しようとするが、騎士達はたちまち海尉に向かい殺到する。
「違うんだ、そっちの男だ、私はお前をタルカシュコーンで見たぞ! 貴様なぜこんな所に居」「ぬおりゃああああ!!」
ああ……騎士達はメイナード海尉に殺到し、彼を組み伏せてしまったらしい……こんな事はしたくなかった。父の為とは言え、胸が痛い……私は本当に、真面目に働く者が馬鹿を見るというのが嫌なのだ。
「ハハッ、マリーお前本当に頼もしくなったなあ!」
「黙って走りなさい、お父さん……」
私達は林の中を潜り抜け、招待客の居ない所へ出る。
「だけどお父さん、これじゃもう園遊会なんて言ってられないんじゃないの」
「大丈夫、父さん探してた人には会えなかったけど、どこに行けば会えるのかはもう聞いて来た。まあ、それで後はマリーと園遊会を楽しもうと思っていたら、この様なんだけど……父さんそろそろ行かないと。マリーはどうする? プレミスまで送ろうか?」




