ピジョン「お嬢さん、素敵な御召し物ですね! 私は愛と正義の船乗り、キャプテン・ピジョン」
この小説、「主人公と年の近い異性」の登場人物がとても少ないですよね。
レギュラーでは一個年下のカイヴァーンだけ、だけどカイヴァーンは完全に弟キャラに甘んじていて異性という感じは無く、あとは故郷の連中を除けばお兄さんとおじさんばかり……
王子様に見初められた! と思ったら6歳だったり。
エバンズ艦長の乗艦カークランド号は40門の砲列を揃える準戦列艦であり、偽装フリュート船ではない。偽装フリュート船の方はシルバーベル号という、元はクラッセ王国の商船だった船だそうだ。
この船は最近まで別の海尉艦長がレイヴン海軍の武装連絡船として運用していたが、最近の大量脱走事件に際し主力の戦闘艦が行動不能となる事を避ける為、水夫を根こそぎ取り上げられ、艦長も別の任務に回された。
ところがその空き家となったシルバーベル号をエバンズ艦長が治安活動をすると言って持ち出し、たちまちにコンウェイ周辺の入り江を根城にしている神出鬼没の海賊船を捕らえたのだという。
「僕のドレッドノート号は海峡第二艦隊の旗艦で、ヴィクター提督の乗艦なんだけど……」
コーディ君は得意げに語り続ける。僕のドレッドノート号とは大きく出たわね。純朴そうに見えて、この子もまた船乗りという生き物なのだ。
艦隊にはヴィクター提督の戒厳令が出ていて、水夫達は上陸禁止、各船も提督の許可が無ければ出港禁止となっている。禁止措置は旗艦も例外ではなく、ドレッドノート号の水夫達は予定の上陸休暇を取り上げられ、船上での休暇を余儀なくされている。
プレミスの王国艦隊内で同時多発的に起きた脱走事件ではあったが、ドレッドノート号では脱走者は居ない。カークランド号でも無かったそうだ。
ドレッドノート号の水夫達は上陸中止を不満に思っている。しかし、シルバーベル号に移乗した一部のカークランド号の水夫は、海賊退治の手柄に託けて上陸休暇が許可されたらしい。
私を笑わせようと思ったのか、コーディ君はその話を面白おかしく脚色して話してくれた。私は愛想笑いを浮かべたが、正直、どこを笑えばいいのか良く解らない……休暇を取り上げられた水夫達が、ただただ気の毒だ。
一方でエバンズのように、艦長が提督や侯爵のお気に入りだとそんな事も出来るのか。何だかずるいよね。
しかもその退治した海賊というのは堅気のロブスター漁師なんですよ。まさかエバンズ艦長、自分の水夫に休暇をやる為に海賊退治を捏造したんじゃないでしょうね。
「逮捕された海賊の方はどうなりましたの? 牢屋に入れられましたの?」
「え……? そりゃまあ海賊なんだから、エバンズ艦長が牢屋に連れて行ったんだろうな……確かに、エバンズ艦長は凄いよ。若くして大きな船の艦長になるだけの事はある。だけど僕もきっとエバンズ艦長のようになる、いや、追い越す!」
そしてコーディ君は捕まった海賊の事については何も知らないようである。コンウェイ海賊の事を聞きたいんじゃないのか、というから聞いたのに、そっちの事は何も知らないのかよ……
いや待てよ。エバンズ艦長と同じ艦隊の旗艦勤務の士官候補生が、コンウェイ海賊の船長がどうなったかを知らないというのは重要な情報かもしれない。
多くの場合、士官候補生というのは大変な地獄耳で、船の上で起きた事なら何でも知っているという。そのコーディ君も知らないという事は、アンソニー船長達はエバンズ艦長が掌握してるどちらかの船に、閉じ込められたままなのではないだろうか。
私は情報漏えいの御礼に、コーディ君が聞いて欲しがってそうな事を聞いてあげる。
「ドレッドノート号の水夫は上陸禁止なのでしょう? どうして貴方は降りられたの?」
「それは……コホン。士官と水夫は違うんだ、僕のような候補生は、彼等を士官として導けるよう様々な経験を積まないとならない……まあ実際にはよく水夫から怒られるけどね、坊ちゃんは上司なんだから堂々となさって下さい、って。とにかく、こういう園遊会に出席する事も、海の男の大事な仕事なのさ」
コーディ君ははにかみながらも誇らしげに、そう教えてくれた。
「そう。凄いね士官候補生って。貴方は私とあまり年も変わらないみたいなのに」
私はまるで初めて海軍士官と話した娘のように感心してみせる。コーディ君は私を横目でちらりと見て、ますますすまし顔で向こうを向く……良い気分なんだろうなあ。私もお調子者だから良く解る。
馬鹿正直の狼ちゃんにもこんな頃があったのかな……私は何となく、極北の海で巨大タコや海賊相手に共闘したレイヴン海軍艦長の顔を思い出す。あの男、無事に母港に戻って多大な戦果を報告する事が出来たのだろうか?
あの船の水夫達こそ、たくさんの恩給を手に故郷に帰れたのだと、それが叶わないならせめて、たっぷりの御褒美と上陸休暇が貰えたのだと信じたい。
私が、マストを全て失い船体が水平に戻らない程の損傷を受けながら尚も、フルベンゲンを襲う海賊共の喉首に牙を立てようと、仮設マストに軍旗を掲げ血塗れで立ち上がるグレイウルフ号の姿に想いを馳せていると。
「ね、ねえ、一緒にお茶とお菓子を貰いに行かないか!」
コーディ君は笑顔をさらに紅潮させ、こちらに振り向いた。ああ……私、コーディ君の背中を見ていたと勘違いされてるかも。
彼は私の手を取ろうと、その手を伸ばす……しかし私はトライダーや風紀兵団との思い出もあり、仲間以外の人に手や腕などを掴まれるのが好きではない。
ヒョイと避けた私の腕が、ついさっきまであった場所を、コーディ君の手が通過する。その瞬間に私は周りを素早く見渡していた。エバンズ艦長達も先程の場所から居なくなっているようだ。
「そうね、私も喉が渇きましたわ。行きましょう、コーディ君」
私がそう言ってやると、空振りさせられた自分の手を呆然と見ていた少年は、気を取り直したかのように頷き、ついて来る。私などに構ってくれるコーディ君は悪い奴ではないと思う。ちょっと口が軽いなとは思うけど。
私は広い庭園を周り、屋敷の裏手の方へ向かう。
レイヴン式の庭園は土地の起伏をそのまま生かし、一見すると自然の野山のような、しかし大変良く作り込まれた景観を持つものだ……アイビスやコルジアなどの、綺麗に整地された場所に作られる、通路と花壇で構成された幾何学模様の庭園とは対照的である。
さて。私が庭園を抜け、屋敷の裏庭へと近づいて行くと。
「ま、待って! ちょっと待ってマーガレット!」
ぎゃぎゃっ、勝手に掴まないでよ。私はコーディ君に捕まれた左袖を振り払う。
「ああ、あー、ちょっと、やめにしない? お菓子は後でも食べられるから……」
「何をおっしゃいますの、ここまで来て」
コーディ君が慌てて翻意した理由はすぐ解った。
御屋敷の裏庭にはお茶会の準備が完璧に整えられていて、プレミスの裕福な善男善女が集っているのだが、その中に、明らかにレイヴン海軍の高級将官らしい出で立ちをした小柄な壮年男性と、その部下らしい青年士官が居るのだ。
「こっちはほら、口うるさそうな大人が多いから」
「何をおっしゃっているのか解りませんわ、堂々とされてたら宜しいじゃない、コーディ海尉」
私は再び左腕を取ろうとするコーディ君を振り切り、静々とかつ速やかに、大きな庭園と屋敷裏の小さな庭園を繋ぐ生垣のアーチをくぐる。コーディ君は尚も、私について来たが。
「コーエン候補生! 荷物を預けるのにいつまでかかっていたのだお前は!」
「も……申し訳ありません! 少々道に迷っておりました!」
裏庭に居たレイヴン海軍士官の制服を着たお兄さんがこちらに気づいてそう叫ぶと、気の毒な士官候補生のコーディ・コーエン君は、私を追い越してそのお兄さんの方へ走って行く。
「園遊会に浮かれて女の子にでも声を掛けてたんじゃないだろうな、お前」
「そのような事はありません、先輩!」
彼等のレイヴン語はよく解らないが、何となく私が今コーエン君に話し掛けるのは、彼にとってより気の毒な事になるような気がする……聞きたい事はまだあったのに……仕方ない。私は他人のふりをしたまま、お茶のワゴンの方に向かう。
レイヴン人は大変なお茶好きで、お茶そのものだけではなく、お茶を飲む時間を殊更大切にしているという。概ね品の無いマカーティですら、お茶を飲む時は別人の顔をしてたな。
お茶の葉の香りが良いのは勿論だけど、器も凄いわね、カップもポットも眩しいくらいに白い。そして薄くて軽い、だけど丈夫。一体どうやって作る物なのか。
お茶菓子も豊富にある。焼き菓子は様々な形の物があり、ポリポリいう程堅い物、サクサクとした柔らかい物、ふんわりとしたもっと柔らかい物、チーズやジュレを添えられた物、ドライフルーツや甘い豆を練り込まれた物……そして! チョコレートを掛けられた物が!
きゃああああ御久し振りですわ御元気でしたかチョコレート様、マリーは御会いしとうございました!
「そのくらいで良かろう、メイナード君。このような場所で若者に浮かれるなという方が無理な話だ」
「……閣下がそうおっしゃるなら」
青年士官はまだコーエン君に何か言っていたが、壮年の将官はそう言ってそれを切り上げさせる。
今日は本当に一月にしては暖かい日だ。将官閣下は肩に掛けていた厚手の外套を降ろす……メイナードと呼ばれた青年士官はすぐにそれを手伝い、軽く折りたたんだその外套を、コーエン君に預ける。
今日のコーエン君の本当の仕事は、あの将官について歩き外套などを持つ事か……私は彼の方を見ないであげる事にする。
そこへ。
「ヴィクター提督。お忙しい所お呼び立てして申し訳無い。まあ、司令部で会うよりはこちらの方が、率直な話がしやすいかと思ってね。はは」
中肉中背の、華美ではないが意匠を凝らせた、深い緑色のベルベットのジュストコールを着てらっしゃる、妙に物腰に風格のある若い紳士が……提督と呼ばれた将官の方に近づいて行く。




