コーディ「天使だ」
お父さんとやって来てしまった、プレミスの上流階級の園遊会。
まあ……マリーは以前ディアマンテで宮廷舞踏会に参加し、女王陛下や王子様とも会食しているのですけど。
「今の国王陛下は正義の志篤き方ですし、我々王国海軍は海賊と手を組んだりはしません。無法者には必ず審判を下します」
エバンズ艦長が自信に満ちた声でそう言い切ると、娘さん達は黄色い声を上げる……娘さんと言っても私より五歳くらいは年上のお姉様達だ。軍服をきりりと着こなした優男は、その自信溢れる態度も相まって、大変評判が宜しいらしい。
私は腕を組んで思案する。このまま正面から切り込んでアンソニー船長の事を聞いてみるか? 駄目だ。私は司法局の前でそれをバットマー艦長相手にやってしまい、大変後悔する事になった。
それに、騒ぎを起こしたら父の足を引っ張る事になってしまう……今の私はバード商会のピジョン船長の娘マーガレットなのだ。
では私もエバンズ艦長のファンのふりをしてみるか?
しかし、私は海軍ヤードの門前で思い切り艦長の前に飛び出している。艦長は殆ど私の事を見ていないように見えたが、万一顔を覚えられていたら厄介事になる。堂々と顔を合わせるのは最後の手段にしたい。
私が今一番知りたいのは、結局アンソニーさん達は何処に居るのかという事だ。このままでは解放を訴える事も出来ない。
ロブによれば司法局の拘置所には居なかった。バットマー艦長は海軍ヤードにも居ないのだろうと言う。ではどこに。まだ偽装フリュート船の中か? その可能性は高いのではないか? それはエバンズ艦長なら知っているだろう。
垣根とにらめっこしていた私は、すぐ近くに誰かが立っている事に気がつかなかった。
「ねえ、君は一人!?」
「ひ゜ゃっ!?」
突然弾んだ声で話し掛けられた私は、思わず奇声を上げてしまった。
エバンズ艦長達のグループが静まる……まさか盗み聞きに気づかれたか!?
「……ですが、海賊はとても凶暴で恐ろしいと聞きますわ」
「……それでも、誰かがやらなくてはならない事なのです」
良かった。艦長達は会話を再開したようだ。
しかし……今や私の目の前には私と同じくらいの年の、ちょっとサイズの合ってない軍服を着た、黒髪を短く刈り込んだ男の子が立っている。この服はソーンダイク号やグレイウルフ号でも見たな……多分、レイヴン海軍の士官候補生だ。
私は出来れば、引き続きエバンズ艦長の会話に聞き耳を立てたかったのだが。
「僕はコーディ。ドレッドノート号勤務の士官候補生だよ」
「マ……マーガレットと申します」
何故だろう。偽名を名乗る事にさっきより罪悪感を感じる。この子は明らかに今回の目的と関係無いからだろうか。
「こんな所で何してるの? 向こうにお茶とお菓子のテーブルがあるけれど、もう行った?」
パッと笑顔を輝かせるコーディ君……私はこのくらいの歳の男の子の知り合いと言えば故郷のサロモン達しか居らず、彼等は私にこんな笑顔を向けたりしない。
「いえ……お腹は空いてません……大丈夫」
「本当? 庭園の花で作ったハーブティもあったし、焼き砂糖がたっぷりかかったビスキュイもあるよ、見たらきっと気が変わるかも」
身長は私とあまり変わらないな……ヴィタリスでは一つ年下のエミールとニコラも私より背が高い……いやそんな事はどうでもいい、こういう子ってどう扱えばいいのか全然解らない。
エバンズ艦長は今まさに海賊退治の話をしている。相変わらずレイヴン語は良く解らないのだが、海賊だの、制裁だのという単語は耳に飛び込んで来る。私は正直、そっちに意識を集中したいのに。
「向こうの話が気になるの? ちぇっ。まあかっこいいからな、あの人」
案の定、無視されたと感じているのか、コーディ君の表情が曇り出す。
「あの、ごめんなさい」私は心中、溜息をつく。「私、長くレアルに留学してた、レイヴン語、早口だと聞き取れない」
そんな事を言われたら、気を悪くするだろうなと思いきや。
「やっぱり! 君はとても都会的な雰囲気だから、プレミスに住んでる訳じゃないんだろうなと思ったよ! 賑やかなんだろうレアルは、それからたくさんの花が咲いていて、いつも天気が良くて、街中に音楽が溢れてるって!」
見えない罪悪感の矢が私の胸にグサグサ刺さる。コーディ君のレイヴン語は断片的にしか解らないが、どうも本当は私などが行った事あるはずも無い、アイビスの王都の様子を称賛しているらしい。
「ねえ、何かレアルの話を聞かせてよ」
「あ、あの、ちょっと待って」
私はもうアイビス語で話す。
「ちょっと、エバンズ艦長がしている話を、私に聞かせて? 静かにして?」
私は「静かにして」だけをレイヴン語で言って、もうその士官候補生には背を向けてエバンズ艦長の自慢話に神経を集中する。
「……あの脚本は喜劇としてはもう一つでしたね。彼が巨匠である事は間違いありませんが、だからと言って全ての作品が優れているとは限らない」
「……まあ、艦長はブレイビスの最新の演劇にも精通してらっしゃるのね」
やっぱりレイヴン語はよく解らん……海賊の話をしてるんだとは思うんだけど、巨人とか何の関係があるのか。
「……やっぱり、君もエバンズ艦長のファンか」
私はコーディ君の方に振り向く。彼は今、アイビス語でそれを言ったのだ。アイビス語出来るの!? じゃあエバンズ艦長が何を言ってるのか、アイビス語に訳す事も出来るのでは? どう頼んだらやってくれるかは別として。
「ファンって訳じゃないけど、海賊退治をしたって聞いたから、どんな話なのかなって思って。だって海賊って……その、レアルには居ないし……昔は女王様の配下で立派な騎士だったのでしょう? 例えば、コンウェイの海賊とか」
「えっ……ああ……はは……あははは!」
「な……何で笑うのよ」
「あは、ごめん、もうちょっとこっちに来て、垣根の向こうに聞こえるから」
私が言われた通り近づくと、コーディ君は声を落として言う。
「海賊が騎士だなんて、大人の前で言ったら笑われて怒られるぞ、特にあっちで酔っ払ってる騎士共に聞かれたら大変だ、きっと一緒にするなってカンカンだよ。僕も伝習所の座学で習ったんだけど……確かに三十年くらい前、大変な手柄を立て、女王に愛され、海賊から貴族になった英雄が居た。だけどその人は本当に特別だよ、大変な英雄だったから。今はそんな時代じゃない。現代の海賊は食い詰めた暴力的な船乗りで、ただただ危険で単純な奴等さ、海賊がかっこいいのは、絵本の中だけの話だよ」
私は密かに苛立つ。コーディ君の言ってる事は正しいし何ら文句は無い。
しかし今、庭園の片隅でどう見ても若い女の人を口説いているように見えるピジョン船長は海賊でもあるけれど、単身奴隷商人に挑み勝利した英雄でもある。
巨額の賞金を掛けられ追われている大海賊、ファウスト・フラビオ・イノセンツィは私を二度助けてくれた。ハマームに戦禍をもたらそうとしていた悪を捕らえ、フルベンゲンを他の海賊の大軍団の略奪から守ってくれた。彼の著書は今や私の航海術の礎となりつつある。
私の可愛い弟カイヴァーンは海賊団の跡取りだったが、それをどうにか堅気の船乗りにしようと奮闘していた。今では最高に心強い私の味方だ。
私は今すぐこの場でエバンズ艦長から情報を得る事を諦める。まあ、後で機会もあるかもしれませんよ。とにかく、この子に張りつかれていては何も出来ない。
「コーディ海尉。貴方のレイヴン王国海軍に対する働きはきっととても立派な物なのだわ、エイボン伯爵の園遊会にも招待していただけるくらいなのだから。どうかこれからも海峡の平和を守って下さいませ。ごきげんようさよなら」
私はこういう男の子が嫌いそうな、気取りくさった口調でそう言い切って、やはり過度に儀礼的な御辞儀をする。これだけすればサロモンなら悪態をついてどっかに行くだろう。
「あ……あの、ちょっと待って」
しかしコーディ君はサロモンではなかった。踵を返してつかつかと歩み去る私について来る。
「私に護衛は必要なくてよ! 私なんかよりずっと立派な淑女を探すといいわ」
「待ってくれ、マーガレット!」
そんなに怒ったのか? コーディは足早に立ち去ろうとする私を追い越して、前に立ち塞がる。
「話を聞いて! もしかして君は、エバンズ艦長が一昨日捕まえたっていう、コンウェイ海賊の事を聞きたいんじゃないのか!?」




