衛兵「何の騒ぎだ、これは!」衛兵「火事でもないのに黒煙だと!?」
不精ひげ「駄目だ俺達まで捕まる、逃げるしかない」
カイヴァーン「何だか解んないけど姉ちゃんらしいや」
ロブ「ガハハハ、たいした女の子だな本当に!」
アイリ「アンタには後で聞きたい事がたっぷりあるからね……!」
少し後。私達父娘は二輪馬車の客席に居た。この馬車はスプリング付きではないので父は尻が痛いとこぼしているが、私の船酔い知らずはこんな所でも有効で、全然揺れないし痛くない。
父には古着屋で深緑のジュストコールと黒のキュロットを着せた。私もオーバースカートを見繕ってお姫マリーの上から軽く縫い付けた。こんなので良い所の紳士とその令嬢に見えるかどうか解らないが、恰好はついたと思う。
それから、私の胸元には父がくれた銀の三つ爪に抱かれた黒真珠のネックレスが飾られている。
この黒真珠、冷静に考えれば多分偽物だろう。だから金がなくても質屋に持っていけないのだ。
さて。本来なら今こそ、父と思う存分思い出話が出来るまたとない機会のはずなんだけれど。いざそうなってみると……伝えたかった事も聞きたかった事も、何故だかまるで思い出せない。
「マリーがついて来てくれるとは思わなかったよ。実は今から行く場所は、その方がずっと都合がいいんだ」
「あたしゃアンタがその恰好でどんな女に声を掛けに行くのか、見物したいだけだよ」
この時は、父も私にニーナの事を聞く事も無かった。
「あ、あの女艦長の事ならその、落ち込んでて可哀想だと思ったからだな、」
「それで? 私達何処へ向かってる訳?」
「それは……フッフ、着いてからのお楽しみだ」
◇◇◇
プレミスの町の山の手地区。港を見下ろせる丘の上には、大きな庭のあるお屋敷が点在していた。私がここに来たのは、父が何をしているのかを娘として責任持って見届ける為で、それが済んだらすぐエバンズ艦長の捜索に戻るつもりだった……しかし。
私達が乗った馬車の前を走っていた別の馬車が、一際大きな敷地のある屋敷の門前で止まる……そこから降りて行ったのは、そのエバンズ艦長だったのである。
「レイヴン王国海軍カークランド号艦長、レナード・エバンズ。本日はお招きに預かり大変光栄です」
海軍の正礼服を着こなしたエバンズは出迎えの執事にそう言って、屋敷の庭園の門を通り抜けて行く……私は思わず父に尋ねる。
「お父さん、これ、どういう事……?」
「ん? これはプレミスの貴族や有力者達が集う、新年の園遊会さ。マリーはこういう所に来る経験は全く無いだろう? 大丈夫、お父さんの後ろで黙ってニコニコしていてくれたらいいから」
しかし父はエバンズ艦長に関しては何も知らない様子だった。ここにエバンズ艦長が居る事は、ただの偶然なのか。
謝礼を払い貸し馬車を降りた私達は、屋敷の門に近づいて行く。壮年の執事さんはすまし顔でこちらを見ていた。
「お招きありがとう。私はバード商会の船長ピジョン、これが」
「娘のマーガレットですわ。暖かい日で宜しかったですわね」
父がレイヴン語で話すのを途中で遮り、私は思い切りアイビス語でそう言いながら執事さんに片手を差し延べる。横目で私を見た父は焦りの表情を浮かべるが。
「ええ、本当に。素敵なお嬢様」
執事さんは穏やかな微笑みを浮かべて私の手にそっと触れ、丁寧なアイビス語でそう言って、大きく頷いた。
「あ……ああ、それじゃあ早速」
父はそう言って、門を通ろうとしたが。
「誠に恐れ入りますお客様、当局からの指示もございますので、こちらで招待状の方をいただけないでしょうか」
執事さんは穏やかな笑みを浮かべたまま、父の方へ向き直った。
「しょ、招待状! ああ、招待状ね、えーと、あれはどこだったかな」
父は慌てて服の懐やポケットを探る。私は父に近づいて、自分のポケットから招待状を出して見せる。
「ほらお父様ったら、やはり玄関ホールでお忘れになられましたわ。きっとそうなると思って、私が持っておりましたの」
「えっ……あっ……ああ、そうか! ハハハ、父さんまたうっかりしてたな」
「うふふ」
執事さんは父から招待状を渡されると笑顔で頷き、受け取った招待状を後ろの小さなテーブルにある平たい箱に入れる。
「大変失礼いたしました。どうか園遊会をお楽しみ下さい」
「また後ほど、素敵なおじさま。さあお父様、参りましょう」
私は笑顔の執事さんにもう一度御辞儀すると、父の手を引き、門を通って庭園へと進む。
「あの、マリー……お前どうして招待状を持ってたんだ?」
「へ? お父さんが執事さんの気を引いてる隙にあの箱から一通取ったのよ、そういう意味だったんじゃないの? あと、今は私の事マーガレットって呼んでよね」
「は、はあ……マーガレット、お前本当に成長したね……」
屋敷の庭園はなかなか見事なものだった。花壇には真冬のレイヴンで咲かせられる限りの、様々な種類の花が植えられている。
「お父さん、この屋敷は何ていう人の物なの?」
「エイボン伯爵だ、この辺りの実力者の一人だよ……マリー、いやマーガレットのおかげでずいぶん楽に入り込めたな……あの」
父は辺りを見回す。今は私達父娘の周りには他の人は居ない。
「父さんはこのパーティに来るはずの人と会って話をしないといけない。それはヒーローである父さんにとって、とても大事な事なんだ。だけどマリー、お前を巻き込む訳には行かないから……その……そのタイミングが来たら、少しの間、父さんから離れていてくれないか?」
ソヘイラ砂漠で再会したあの日。故郷では死んだと思われていた父は、凶悪で強大な力を持つ奴隷商人、ゲスピノッサを倒す為、あんなにも人里離れた場所でたった一人で戦っていた。私は父を、英雄だと思う。
だから私は父がアイリを有り得ないやり方で捨てたとんでもない腐れ外道だと知っても、憎む事が出来なかった。
父を尊敬する気持ち。何だかんだ言って、それは今も変わらない。
「解った。でも私に出来る事があれば何でも言ってよね」
「ああ、マ……マーガレットがそう言ってくれたら、それだけで百人力だ! だけどマーガレット、父さんが今何をしてるのかは聞かなくてもいいのか?」
「私、お手伝いはしたいけど邪魔はしたくないもん。お父さんを信じてるよ」
「マーガレット……こんな時に泣かせないでくれよ、もう。あの、もう暫くは一緒に居てくれ、こういう場所では一匹狼より娘を連れた父親の方が周りの人から信頼されやすいんだ」
園遊会はまだ始まったばかりという雰囲気だ。
客は貴族ばかりでなく、エバンズ艦長のような軍人も居れば、有力商人と思しき人も居る。
ディアマンテの宮廷舞踏会を思い出すわね。あの時のお城の中庭には裕福な一般市民もたくさん居た。こう言っては失礼だが、華やかさと上品さではあの中庭の方がずっと上だったわね。
地元の騎士共だろうか。ここにはこんな早い時間から焚火の周りでビールをがぶ飲みしてゲラゲラ笑ってる連中も居る。
「初めましてマダム。バード商会のピジョン船長と申します」
「まあ、御噂はかねがね」
父は、顔つなぎをしたい海洋商人という体を装って、色々な人に声を掛けている。声を掛ける相手は主に貴族の御婦人方のようだ。
「娘のマーガレットです。父がお世話になっております」
私は誰とでも堂々とアイビス語で話す。こういう事は言いたくないが、レイヴンとアイビスは国同士は仲が悪いものの、レイヴンの貴族の家の子は結構アイビスの王都、レアルに留学などして、アイビスの進んだ教養を身に着けるのだとか。
「まあ、アイビス語がとても御上手ですのね」
「はい、レアルで学びましたの」
父は誰とでも知り合いのような顔をして次々と挨拶して行く。相手も父を知ってるかのような顔で応じているが、恐らくお互い本当は誰だか解らないのだと思う。
小娘である私がついて回っている事には、実際、父を無害な人間に見せる効果があるように見えた。
裕福な商人ピジョン船長と、娘のマーガレット。それは勿論とんだ大嘘で、私達は海のごろつきなのだけど。父娘だというのは本当である。
だけどよく考えたら、この時間は本当に夢のようだった。礼儀正しい立派な船長である父と、綺麗な服を着せて貰った娘の私、そして小さい頃に夢に見たような素敵な園遊会……これはまるで、私の理想が具現化した世界ではないか。
気が付けば私は父の左腕に組み付いて歩いていた。この美しい欺瞞をもう少しだけ味わっていたい……脳裏には置き去りにしてしまったアイリさんの唖然とした表情が、何度も浮かぶのだが。
「近くの海岸を根城にしていた海賊船を拿捕しました……つい一昨日の事です」
恍惚として我を忘れた愚かな小娘を現実に引き戻したのは、庭園の垣根の向こう側から聞こえて来た、若い男の声だった。
私はそっと父の腕から手を離す。父は私が離れた事に気づかず、そのまま歩いて行き、また別の若い婦人に声を掛けだす……あの男、私が腕にくっついていた事にだって気づいていなかったのでは?
「まあ、恐ろしい……御怪我はございませんでしたの?」
「海賊なんて野蛮ですわ。結局の所、他人の物を奪うのでしょう?」
他人の物を奪うのが海賊なら、アンソニーさんの海老とロブスターを奪った王国海軍が海賊じゃないか。
私は垣根の向こう側をそっと覗く。三人ばかりの着飾った若い娘さん達に囲まれ、すまし顔で答えていたのは、あのエバンズ艦長だった。