バットマー「あの小娘、どこかで見たような気もするのだが……」
本当はマリーの訴えをしっかりと聞き留めていたバットマー。
実は愚直な人だったみたいです。
大拠点であるプレミスの海軍基地は広く、煉瓦塀は200mほど続き、それが途切れると少々の雑木林があり……その先は開けた浜になっていた。漁船がいくらか陸揚げされていて、朝の漁から帰った漁師達が手入れをしている。
大股で歩くバットマーを追い掛ける為、私は小走りでここまでやって来た。貴族マリーはあまり走ってはいけないような気がするのだが。
そのバットマーは波打ち際まで海に歩み寄ると、浜辺にどっかりと腰を下ろす。
「情けないッ……何という無力感……これが今のレイヴン海軍、これが私の限界だと言うのか……」
肩を怒らせ、頭を垂れ、背中を震わせ、男泣きするバットマー。
うわあ面倒くせえ。私はそう思わずにはいられない。
海軍に限らず、軍人というのはいつも強気でいないといけないらしい。少なくとも味方の市民の前では、揺るがない自信を持っているように見せないといけないといけない。そうでないと市民は安心出来ないし、協力も出来ない。
ヴィタリスの私の家の隣は衛兵さん達の屯所で、分隊長のオドランさんは時々朝礼でそんな演説をしていた。
「あの。知ってる事を教えてくれませんか」
ともかく、この人に関わるのはかなり面倒臭そうな気もするのだが……私は覚悟を決めて、アイビス語でそう言ってみた。
「うわぁあ!? なななっ、なっ、何だ貴様ァ!? 何故ついて来た!?」
バットマーは座ったまま30cmも跳ね上がって驚いた。この人の驚き方が大袈裟なのは天然なのだろうか。
「居るなら居ると言えッ! まさか私の愚痴など聞かなかっただろうな!?」
「何で居ないと思うんですか、さっきのあの状況で! それで。貴方は本当は何を知ってるんですか」
バットマーは暫くは憤怒の形相を浮かべていたが。やがて怒り肩をがっくりと落とし、憔悴した顔でボソボソと語り出す。
「……王国艦隊の船が一昨日、プレミス近海で一隻の海賊船を拿捕したというのは聞いていた」
王国艦隊は国家間紛争や海上封鎖など国の重要任務を行うもので、地域の小航路の治安維持などは普通は地元の警備艦隊の仕事だ。レイヴン海軍にはそういう区分があるらしい。
「だがその指揮官は船長と幹部を逮捕し積荷を没収しただけで、船と水夫は解放したという……私は少々おかしな話だと思った」
バットマーはその部分は詳しく話さなかったが、私にも想像は出来た。
プレミスの王国海軍は集団脱走事件で水夫が足りず困っている。普通、逮捕した海賊船の水夫などは海軍の補充要員に持って来いらしいのだが、何故それを解放したのか。そこは確かにおかしい。
「逮捕されたのがアランデルだという話は、今さっきお前から聞かされるまで知らなかった……私も本当は、あの男が逮捕されるのはおかしいと思った」
「すみません……私があんな聞き方をしたせいで」
バットマーは市民達の前で不当逮捕を認める訳にはいかなかったのだ。しかも本当に不当逮捕なのかどうかも全く解らないのに。
「気を遣ってくれるな。お前達コンウェイの船乗りが憤るのは当然だ」
「……それで、結局アンソニーさんはどこへ連れて行かれたんでしょう? 司法局にも来ていませんでした」
「先程の海兵が言っていたな。ここに来ても無駄だと。奴は多分、アランデルは海軍ヤードには居ないと教えてくれたのだ。ではどこに居るのか……そもそも、アランデルを逮捕したのはどの船なのか……」
私はそこでようやく思い出す。
「あっ。アンソニーさんの水夫達は、偽装フリュート船に捕まえられたって言ってました! 確か艦長の名前はエバンズ」
「なっ! なァァにィィい!?」
ぎゃぎゃっ!? 座ったままボソボソ話していたバットマーがいきなり立ち上がりこっちを向いた!
「貴様何故それを真っ先に言わん! 私はアランデルを逮捕した本人に訴えていたのか!? なんてこった……あいつが……エバンズがやったのか!」
「い……言う機会なんかありませんでしたよ、仕方ないでしょう!」
「あいつはいい家の坊ちゃんだが骨のある奴だったんだ、聞いていただろう!?」
「知らないよ! 私レイヴン語苦手だしあいつは嫌な奴にしか見えなかったよ!」
憤怒に顔を赤く染め、バットマーはこちらに詰め寄って来るかと思われたが……急にまた憔悴したような顔をして肩を落とし、向こうを向いてしまう。
「バットマー艦長。エバンズがアンソニーさんを逮捕した理由に心当たりがあるんですか? アンソニーさんがどこへ連れて行かれたかも」
バットマーは再び振り返る。
「そんな事を聞いてどうする」
「気にしないで下さい。後は私がやります」
「馬鹿にするな! 私だってレイヴン海軍艦長の端くれだ、名前も知らん小娘に頼る程落ちぶれてはいない!」
「私、前に名乗ったよね……?」
「忘れた! ともかく余計な手出しはするな! これはレイヴン海軍の問題だ!」
まあ、そう来るだろうなとは思ったよ……仕方ない。エバンズ艦長の方を探しに行ってみようか。アンソニーさんの行方はあの男が知っているに違いない。
私は適当な礼を言って、その場を離れようとする。
「待て……エバンズの家はこの町にあって親父は貴族、奴自身はプレミス艦隊のヴィクター提督だけでなく、次の海軍卿と言われているスペード侯爵のお気に入り、出世を約束された男だ。お前達のアランデルを助けたい気持ちは解るが……出来れば大人しくしていて欲しい」
私は立ち止まる。ああ……そういう話なんですか……だけどそれじゃ余計に、バットマーは何も出来ないんじゃ? 或いはそういう大きな力が背後に居ると解っていて、一人で何とかしようとするんだろうか。どうも、後者のような気がする。
それを踏まえた上で、この面倒臭いおじさんに私は何と答えるべきか……全然解んない。助けてフレデリク。
「ありがとう。それなら無理はしない事にするよ。貴方もどうか気をつけて」
直前にフレデリクの事を思い出したせいで、私はうっかりフレデリク声でそう答えてしまった。少しだけ振り向いてみると、案の定バットマー艦長は狐につままれたような顔をしている。
恥ずかしいので、私はそのまま背を向けて立ち去った。
◇◇◇
私は一人で歩いて波止場に戻って来た。
フォルコン号は何事もなく沖合いの錨地に停泊している。桟橋にはフォルコン号の小さい方のボートが係留されている。
私はヒョイと、いや、よろよろとボートに乗り、オールを取る。
プレミスはただの軍港ではなく、それなりの商業港でもあるように見えるのだが、波止場はいやに閑散としている。
港湾内もそうだ。商船の数は変に少ないし行き来するボートも少ない。
だから私のようなヘタクソが一人でボートを漕いでいると目立つ。この事が司直の目を引いたりしないといいのだが。
「おお船長、一人で御帰りかね……?」
「ああいえ、ちょっと私だけお使いに戻ったんです、またすぐ行きますよ」
舷門で迎えてくれたロイ爺に、私は道中の屋台で買った海老の串焼きの包みを渡す。たちまちアレクも臭いを嗅ぎつけて飛び出して来る。
「いい臭いだ、焼きたて?」
「一人二本ですよ、ウラドにもちゃんとあげてよね」
私はそう言って艦長室に入る。司法局への訴えは済んでしまったので、貴族マリーで居る必要はもう無いだろう。既に船酔いも始まってるし、先々の事を考えると船酔い知らずを着ておきたい……ここはお姫マリーにするか。
着替えを終えた私は艦長室を出て、下層甲板へ向かう。
会食室に行くと、海老を食べ終えて本を読んでいたウラドが顔を上げる。
「ああ船長。御馳走様でした」
「ごめんねウラド、不自由を掛けて。だけどプレミスのレイヴン海軍は集団脱走で水夫不足になってるんだって……なるべく甲板には出ない方がいいわ」
「うむ……しかし、不精ひげやカイヴァーンは大丈夫だろうか」
「今の所大丈夫よ……だけど早く戻らなきゃ。ウラド、私のマスケット銃を出して来てくれない?」
私はなるべく、昨日焼いたクッキーの残りを出して来てくれない? くらいの軽い感じでそう切り出した。
しかしウラドは俯き、冷や汗をかく。
「それは、その……簡単には承服しかねる、いや駄目だ、ここはレイヴンでも非常に重要な軍港、治安も良く警備も厳重な場所だ……」
「あ……あの、私が要るんじゃなく、不精ひげ、不精ひげがね、何かに使うから持って来てくれって言って」
ウラドは私の顔を見る。多分私の顔にはウソとはっきり書いてあるのだと思う。
「申し訳ないが……マスケット銃を出す訳には行かない……」
私は顔を背けたウラドの肩を掴む。
「別に喧嘩をしに行く訳じゃないんですよ、ただ、そうなった時の用心に必要なだけで」
「だけどマスケット銃は用心ではないので……あれは純粋に戦闘用、プレミスであんな物を持って歩いていたら、船長と言えどすぐに逮捕されるだろう……」
「だって短銃は巨大ダコとの戦いで壊れちゃったんですよ。アイリは代わりを作ってくれないし仕方ないじゃん」
その瞬間のウラドの表情の変化を、私は見逃さなかった。
「それともあるの? あの短銃の代わりが」
「いや、無い……」
「そもそもあれはどうしたんだっけ? 焼きついて壊れたから、どこかで鋳潰してって……ウラドに預けたよね?」
「そ、それは……」
今度はウラドの顔に書いてあった。あります、と。
「あの短銃。出してくれる? 壊れていても構いません、出しなさい。出せないならマスケット銃を出してよね、船長命令だよ!?」




