アレク「船長達、上手くやってるかな」ウラド「今回はアイリ達も一緒だ、大丈夫だろう」
マリーがアンソニー船長だと思って罰金を払って引き取った相手は、水車のついたおかしな船で襲って来て勝手に自滅した海賊、ロブ船長でした。どうしてこんな事に……?
自分の迂闊さに動揺するマリー。
私はアイリさんに抱えられ、司法局の建物から引き摺り出された。
「気持ちは解るけど、一旦引き下がって考え直すしか無いわ」
私が支払ってしまった罰金はどんな事情があっても返還されない。そしてロブは五年の懲役を逃れ自由の身になった。私は建物の外で這いつくばり、怒りに震えていた。誰に怒りを向けているのか? 自分自身である。
浅薄な。何と浅薄な……この世にこれ以上無駄な金の遣い方があるのか?
油断していた。つい先日、トライダーの前で大笑いした直後に大きなしっぺ返しを食らったばかりだというのに。油断していた……
「いやあー、シャバの空気は美味いなあ! 何しろ五年は出られないと思ってたんだ、まさか三日で出られるとはなあ!」
「あまり大声で騒がないでくれ、周りの視線が痛いから」
「そうか? 皆あんたの覆面が珍しくて見てるんじゃないのか?」
そして茶色いぼさぼさのかつらを被り分厚い眼鏡を掛けた大柄な肥満した男は、当たり前のように私達について来ているらしい。不精ひげが抗議しても騒ぐのをやめない。アイリも言う。
「何でついて来るのよ」
「何でって、俺ぁあんた達の船長に罰金を払って貰ったんだぞ、身柄を買われたようなもんじゃないか。それに、プレミスから歩いて帰るのはしんどいから。ああそうだ、ちゃんとした自己紹介がまだだったな、俺はアーノルド・アンソニー、だけど仲間内じゃみんな機械音痴のロブって呼ぶんだ、お前らもそう呼んでいいぞ、ガハハハ」
「アーノルド……アンソニー……」
私はそう呟き、よろめきながら立ち上がって振り返る。
「留置所には本当に貴方の他にアンソニーは居なかったの? ていうか貴方はコンウェイのアンソニーを知りませんか!?」
息を吹き返した私とロブに、皆の視線が集まる。
「アンソニーって名前は珍しくないからなあ。でもコンウェイ海賊のアンソニー船長って言ったら、俺の他にはアンソニー・アランデルかな……だけどあいつならだいぶ前に海賊から足を洗ってロブスター漁師になったぞ」
「眉間に大きな刀傷のある!?」
「そうそう。そいつ。あいつ、何かやったの? 留置所には居なかったけど」
私は一縷の望みを託し、ロブ船長に真っ直ぐに向き直る。
「大量の海老とロブスターを漁獲して、大きな町で売る為に東を目指してただけですよ、そこを海軍の偽装商船に停船させられて、甥と一緒に海賊として逮捕されたって言うんですよ!」
ロブ船長は腕組みをして、分厚い眼鏡の向こうで眉間に皺を寄せる。
「アランデルの眉間の向う傷はコルジア海軍の海兵隊と斬り合った時につけられたやつで、逃げずに戦った勇士の証だよ。それにあいつ、甥のハリーには海賊はさせない、初めて船に乗った時から堅気の仕事しかさせてないって言ってたぞ」
私は必死で記憶を探る。コンウェイで確かに聞いた、アンソニー船長を逮捕した海軍艦長の名前、確か……えーと……確か……
「なーにをやっとるかァァア!!」
次の瞬間。通りの向こうから大きな声がした。それはレイヴン語で、正確には何と言っているのか解らなかったが。
「げっ……バットマーの野郎だ!」
ロブ船長も先程までのアイビス語ではなく、レイヴン語で短く叫ぶ。果たして。警棒を振り回し、慌てて逃げ散る通行人の間をまっすぐこちらに向かって来る大柄で筋肉質な男は、先日、このロブ船長の水車コグ船とフォルコン号が戦っている所に現れた海軍の艇長、バットマーではないか。いや……彼が乗っているのはどう見てもボートだったが、自分では海尉艦長だと言ってたっけ。
私は勿論戦慄していた。ぎゃああああ! ついに追手が来た!?
「海賊ロブ! お前なんで外に出てるんだぁぁア!? お前は懲役が決まってたんじゃないのかァ!」
細長い髭を生やした四角い顔のバットマー艦長は私の横を素通りし、そう言ってロブ船長の両肩に掴み掛かる。
「お前衛兵でもないのに何で町で警棒振り回してんだよ、ガハハハ」
「海軍の用事で来たついでだ! どうやって留置所から出たこの野郎、大人しく檻に戻らんかぁぁあ!」
「ところがどっこい、あの居心地のいい檻には戻れねェんだなあ俺は、なんたってこの、マーガレット船長が罰金を払って、俺を自由にしてくれたからな!」
それを聞くなりバットマー艦長は。
「な、な、な、な、なんだとぉぉお!?」
ふざけているのかというくらいに大袈裟に驚き、三歩も後ずさって背中から通りすがりの若い兄ちゃんにぶつかり、一度振り向いて謝って、またこっちを見た。
「こんな男の為に罰金を払っただと!? しかもお前らよく見たら、この男の船に襲われてた商船の乗組員ではないか! 何でお前らがこいつの為に罰金を」
「バットマー艦長!!」
バットマーはとても声の大きい男だった。だけど私はその台詞を聞くのがとても嫌だったので、より大きな声で叫んで途中で遮っていた。もう誰も私に何故ロブの身代金を払ったのか聞かないで欲しい。涙が出るから。
「そんな事はどうでもいいんです!! それよりアンタですかアンソニー・アランデル船長を不当逮捕したのは!?」
私はその大柄な男に食って掛かっていた。アイリも不精ひげも私を止めようとしていたが、一足遅かったようである。
バットマー艦長は激怒する……かと思いきや、途端に困惑と焦りの表情を浮かべ尻込みする。
「まま、待て、何だそれは、私は知らんぞそんな事」
「コンウェイの網元のアンソニー・アランデル船長は、海老とロブスターを満載した船を東に向かわせてたんですよ、大きな町で売る為に、コンウェイの港を盛り上げる為に、なのにアンタ方海軍が言い掛かりをつけて、コルジアとの大戦の英雄である彼と、一度も海賊などしていない甥のハリーを連れ去ったんですよ、彼等が、苦労して、漁獲した、海老とロブスターを! 取り上げた上で!」
先程から私達はさんざん大声を出している。最初は幸運にも懲役を逃れたロブの下品な笑い声。次が駆け寄って来たバットマーの罵声、その次がアイビス人小娘の猿芝居である。もう周辺を歩いていた人々のほとんどが、足を留めてこちらを見ていた。
私がついさっき出て来た司法局の市民窓口の入り口も開いている……中に居た市民や、私に対応した役人まで、入り口や窓から顔を出してこちらを見ている。
「レイヴン海軍は一体誰の味方なんだッ! あんた達に加勢してコルジアと戦った男を、今は堅気になって仲間や家族を食わせようとしていた男を、何の正義があって連れて行った!?」
無茶苦茶である。今の私は極めて機嫌が悪いだけの迷惑な人間なんだと思う。
この人は海軍を代表する立場の人間ではないし、アンソニーさんの逮捕に関わっているのかどうかも解らない。個人的には初耳レベルで知らなかったんじゃないかとも思う。何となくだが。
私は背の低い痩せた小娘だ。一方バットマーの身長は190cmくらいはある。ロブのような体重は無いが、筋肉質で頑強そうだ。
だけどバットマーはたった一人だ。部下の一人も連れていない。一方私には不精ひげにカイヴァーンにアイリが居て、ロブだって私の味方のような顔をして立っている。
そして、私の心無い台詞は、最近の海軍の様子には少し不満があったらしい、市民の皆さんの義侠心を無駄に刺激してしまった。
「どうなんだよ、海軍」
先程バットマー艦長にぶつかられて、少し機嫌を損ねていた若者が真っ先に言った。それに続いて。
「ただの漁師を海賊扱いで逮捕したって?」
「しかもそいつ、元はコルジアと戦う仲間だったんだろ」
「昨日、市場でずいぶん海老が売られてたわねえ? まさか。コンウェイの漁師から巻き上げたやつを横流ししてたんじゃないだろうね?」
続々と、市民の皆さんが声を上げ始める……
きっと皆不満が溜まっていたのだ。脱走事件のせいで商売は滞り、頻発する水夫狩りを恐れておちおち外も歩けない。ここ、司法局の周りはまずまず人が居るが、港の方には臨時休業を余儀なくされている商店などもあった。
「何とか言えよ、海軍!」
「脱走事件はあんた達の責任でしょう!? 市民に迷惑掛けるんじゃないわよ!」
「不当逮捕じゃねえのか! 海老の売り上げは誰の懐に入ったんだー?」
「待って!!」
私は市民からの十字砲火を浴びるバットマー艦長の前に飛び出していた。だけどどうしよう、私やっぱりレイヴン語は出来ないよ、皆さんが何を言ってるのかもよく解らない……
でもバットマーはただの小さなボートの艦長で、アンソニー船長の事情も知らないし、海軍を代表して責められるような立場の人ではない。
それなのに。腹立ち紛れに暴言を吐いた私のせいで。バットマーさんは大変な窮地に陥ってしまった。
「ごめんなさい! バットマー氏は小さなボートの船長、彼は知らない! 彼は何も悪くない、彼を攻撃しないで下さい、私が悪かった!」
私は市民達とバットマーさんの間に飛び込み、知ってる限りのレイヴン語の語彙を尽くして人々に呼び掛ける。
次の瞬間。
「見損なうなぁぁああ小娘がぁああ!!」
私はその大音声の持ち主に背後から襟首を掴まれ、ぶん投げられていた。私が飛んで行った先にはロブの巨大な腹があり、ダメージは少なかったが。
バットマーが、そうしたのだ。
「私は海軍士官であり一兵卒ではなぁァい!! 言いたい事があれば何でも言いやがれ! アンソニー、アンソニー何だ、アランデル船長はレイヴン王国の法と正義の元、その守護者たる海軍が逮捕した!! 昔の英雄だろうが漁師を名乗ってようが、法と正義が呼べば海軍は万難を排してそれを実行する!! 何故逮捕したかだと!? 正式な逮捕命令が出ていたからだこの野郎!!」
凄まじい大音声で、バットマーは叫ぶ。その音量は先程までの比ではない。
「海老を横流ししたかだと!? ふざけんな海軍は絶対にそんな事はしなァい!! 海賊行為は人類全体の敵である! レイヴン王国は国際社会と協調し海賊被害にあった人々に国籍を問わず援助する基金に参加ァしている! 海賊から没収した財産は正しい法律の元競売に掛けられて、被害者補償に充てられるのだァあ!!」
私達も市民も、その凄まじい大音声に威圧され、耳を押さえ、のた打ち回る。
「誰が何と言おうと!! 我々はレイヴン王国とそこで暮らす全ての良民の味方であぁァる!! お前達は! 安心し、信頼して! 市民としての義務を果たし! 海軍に海の安全を委ね、協力していればいいのだぁァア!!」
バットマーは直立不動で胸を張り、首だけを左右に巡らせながら、そう叫んだ。
「か……勝手な事ばかり言いやがって!」
「何が任せろだよ、反乱が起きてるんだろ!」
「反乱ではなァァい! 若干の脱走者が出ただけだ!」
「信用出来るかよそんなの!」「ぎゃぎゃっ!?」
私は殺到する市民に押し退けられ、突き飛ばされた。
「もう無理よ、マ……マーガレット、行きましょう」
アイリさんが、道端に転がった私を助け起こしてくれた。
「待って下さいアイリさん、この混乱は私のせいで」
「貴女は言うべき事を言っただけでしょ、あの男こそ大概じゃない、民衆を刺激して……とにかくここを立ち去りましょう、早く」
アイリさんに手を引かれて行く途中で、私は一度振り返った。
「海軍の権威は絶対であァァる!! お前達は! ただ信じて任せればいい!」
迫る民衆に詰られながら、バットマーはそう繰り返していた。




