マリー「釣りがしたいから道具出しといて」不精ひげ「アイ、キャプテン」マリー「もういいや片付けといて」不精ひげ「アイキャプテン」
ラーク(ヒバリ)、アルバトロス(アホウドリ)、オーストリッチ(ダチョウ)、ピジョン(ハト)……
フォルコン(ハヤブサ)父さんが使う名前は鳥由来の物が多いみたいです。
また鳥の名前の船長が出て来たら、親父かな? と疑ってみるのも面白いかもしれません(白目)。
狼狽する覆面男に、エイヴォリー艦長は慌ただしく駆け寄る。
「そうでしょう!? その覆面はどうなされたのですか!? もしかして顔に御怪我でも!?」
私は、前回父と出会った時に何故いろんな話が出来なかったのかを考えていた。あの時はそう……乗っていた幽霊船が沈没して死に掛けて、助かったけど無人の砂漠地帯に置き去りにされて結局死んだと思った所に突如現れた父に驚いて、その直後に10年前父とアイリの間に起きた事を白状されて……
その間に、エイヴォリー艦長は我を忘れた夢見る乙女のように、涙声で、猛然と不精ひげに詰め寄っていた。
「い、いやお嬢さん、何の事かさっぱり」
「間違いないわ、その声はジャック様よ、本当にお会い出来るなんて!」
あの後はどうしたんだっけ? 幽霊船に乗って奴隷商人を退治しに行って、フォルコン号が追いついて来て……つまるところ、思い出話などする雰囲気ではなかったんだな。
さて、エイヴォリー艦長は祈るような仕草で手を組み合わせたまま、壁に追い詰められて動けなくなった不精ひげに、大きな胸が触れそうな程迫っていたが。
「ごめんなさい、嫌だわ私、もうあの頃みたいに若くないのに。困りますわよね、こんな中年女に詰め寄られても」
「そういう意味じゃないッ! そうじゃなくて!」
艦長は半歩後ずさりし、少し斜めを向いて俯く。
横目でちらりと見たら、父もテーブルと椅子の足の影から目を丸くしてその光景を見ている。
「俺は……ロングストーン商船の水夫で、名前は不精ひげ……」
「チューダーさんが集めて下さった志願兵。本当はジャック様が集めて下さったのでしょう!?」
「そんな事、俺みたいな人間に出来る訳が、違う、とにかく人違いだよ」
私は肘で父の脇腹を軽く突く。
「お父さん、あの二人何の話をしてるの? 私レイヴン語よくわかんない」
「う、うん……父さんレイヴン語は解るけど、何の話だかよくわかんない」
それにしても、「ジャック様」を見つけたエイヴォリーさん、まるで別人ですよ。不精ひげが言っていたのはこういう事かしら。声は高く仕草も何かと弾んでいて、年上の人なんだけどとても可愛らしい。
「皆さん覆面の勇士の呼び掛けに応えたとおっしゃってましたわ、私ではとてもあれだけの志願者を集められませんでした、私、不思議に思っていたんです、どうしてチューダーさんはあれだけの志願者を集められたのかと、だけど覆面姿の貴方を見て全て納得が行きましたわ! ジャック様なら」
まただんだん不精ひげに近づいて行くエイヴォリーさん……しかし。
「本当にごめん。俺はただのしょぼくれた水夫だ、君が言うような人物じゃない。この覆面ならロングストーンで流行ってて、現地のお土産物屋でも売ってるやつだから、誰が被っててもおかしくないよ」
不精ひげはそう言って、今度はエイヴォリーさんに追い詰められる前に食堂の中央へと逃れた。
エイヴォリーさんが逃げた不精ひげの方を向く。それで私達からも、彼女の表情が見えるようになった。彼女はまだ、口元に笑みを浮かべていたが……その頬に……一粒の小さな涙が伝う……
「ごめんなさい……私、貴方にそんな悲しい嘘をつかせるつもりは無かったの……ジャック様は! ただのしょぼくれた水夫なんかじゃありません! 私の事は嫌いでもいいんです、だけど……」
ブライズ・エイヴォリー艦長……いや。ブライズさんは、少女のように、両掌に顔を埋め、嗚咽する。
「ジャック様の事を……そんなふうに言わないで……!」
ブライズさんは顔を上げた。少し怒っている、そういう表情で。それから、食堂の中央へ逃げた不精ひげの方へ大股で歩いて行って……不精ひげが少し避けると、そのままその横を通り過ぎて……宿の入り口の扉の方へ行って……扉を開けて。既に真っ暗になっているプレミスの市街へと、出て行った。
ここはプレミス。レイヴン王国の重要な海軍拠点である。
こんな場所で私と父が再会してしまったというのは大変な奇跡なのではないかと思うのだが。私も父も、その事に驚いている場合ではなくなってしまっていた。
「一体何が起きたの? お父さん」
「良く解らないけど……ニックがあのボインちゃんを振っちゃった、のかな……」
「ボインちゃん?」
「ああ、古式ゆかしい貴族の間で使われる、胸囲が大き目の美人を現す隠喩だよ。下々の者達の間では通じないから気をつけて」
「何を言ってるのかよく解らないよ、お父さん」
私達親子が小声でくだらない話をしている間、不精ひげは溜息をつき肩を落とし、呆然とその場に佇んでいたが。
「あの……カンテラ、お持ちしました」
そこに厨房の出入り口から、出るに出られなくなっていたと思われる給仕が現れて、点灯した風防付きの蝋燭を不精ひげに渡す。
「ああ……ありがとう」
不精ひげはそれを受け取り、何事も無かったかのように階段下の扉の方へ戻り、外に出て行く。
まあ、厠に行きたくて二階に上がって来ていたのは解るんだけど。だけど冷たくない? ブライズさんぼろ泣きしてましたけど? 普通追い掛けない?
結局、不精ひげも船乗り男だという事か……まあ相手のブライズさんも船乗りなんだけど。お嬢さん。船乗り男にだけは惚れちゃいけないよ。
不精ひげが厠に去ったので、私達親子はようやくテーブルの下から這い出す。給仕さんは少し驚いていたが、どう解釈したのか苦笑いをして肩をすくめ、厨房に戻って行った。
「この街は荒れくれ者も多いし、夜中にあんな美人が泣きながら歩いてたら誰かに絡まれるに違いない。父さん、彼女が安全に帰れるよう見送って来るよ」
父は肩をすぼめて溜息をつくと、そう言って苦笑いをする。
「そうだね……」
私が頷くと、父はすぐに踵を返し、宿の入り口の扉へと早歩きで去って行く。
―― パタン。
私は自分のティーセットのある席に戻って腰掛け、腕組みをして思案する。
女性の身でありながら艦長になったエイヴォリーさんは、人一倍の努力を重ねた一角の軍人なのではないだろうか。そのエイヴォリーさんを夢見る乙女のようにしてしまうジャック・リグレーなる人物、一体何者なのか。
だけどそんな事、本当に知りたくないんだよなあ。私がそれを知ったら、あの男は不精ひげからジャック・リグレーに戻ってしまい、フォルコン号を去ってしまう……そんな気がしてならないのだ。
そんなのは嫌だ。不精ひげにはこれからも、フォルコン号のちょっと怠け者で要領が良くて、私のような小娘の我侭も黙って聞いてくれる、心優しい水夫で居て欲しい。
やっぱり私、レイヴンになんて来るんじゃなかったのではないか? ましてやプレミスに来るなど頭おかしくない? 私、レイヴンでは海賊の娘なんですよ?
頭おかしいと言えば父もそうだ。知りたくもない理由でレイヴン海軍に追われていた父が何故レイヴンの、しかもこんな海軍だらけの港に居るのか。
まあ……レイヴン海軍は一年前から海賊フォルコンを既に死亡した者として扱っていて、父はこの港ではピジョン船長の名で知られているようなので、実は私よりよっぽど大丈夫なのかもしれないけど。
……
◇◇◇
「貴女のような美しい人に涙は似合わない。私は愛と平和の使者、キャプテン・ピジョンと申します。お嬢さん。どうか一時、貴女と御一緒する栄誉を」
宿を飛び出した私は通りを全力疾走し迷いなくコーナーを回り、標的を見つけ、全速力を保ったまま突撃する。
「ばーかーたーれー!!」
「賜れませウゴッ!?」
90度の横捻りを加えながら跳躍した私の両足裏は、父の背中の真ん中にヒットし、それなりの大男であるバカタレを道の脇へと弾き飛ばした。私も石畳の上に墜落したが、回転の力を利用して衝撃を吸収する。
「な……何なの、一体……」
たった今ナンパして来た中年男が蹴り飛ばされて石畳を転げ回るのを見て、エイヴォリー艦長は目を白黒させ、口元を両手で抑えたまま固まっていた。
「怪しい者ではありません! もう夜も遅い、これ以上不審者に声を掛けられる前に早く帰りなさいお嬢さん!」
私は艦長に背中を向けたまま、フレデリク声で叫ぶ。
「あ、あの、でも……」
「いいから早く! 早く行って!」
私が続けて叫ぶと、艦長はどうにか小走りで走り去ってくれた。私はまだ背中を押さえ半笑いでのたうち回っている父に歩み寄る。
「ハハハ……本当に大きくなったなマリー、打点の高い見事なドロップキックだ……一体どうやって身に着けたんだ、ハハ、ハハ」
「アンタの見よう見真似だよ! いたたた……船酔い知らず無しでやると痛い……そうじゃなくて! 何やってんのよ見境なしかアンタは!」




