アイリ「今晩は皆さま、エールをお注ぎ致しますわ」船乗り共「おっ、お構いなくですハイ、アハハ」
何の障害もなくプレミス港に入港してしまったマリー一行。
周りの様子がおかしい事はいい事なのかどうか……
「やはり集団脱走だそうだ。定員割れした船に新入りを振り分けてたら、その隙に元々居た水夫が脱走したらしい」
不精ひげが案内してくれた宿は波止場から少し離れた町中にある、入り口に門番が居るようなお高めの宿だった。こういう所には水夫狩りも来ないのだと言う。
「それも複数の船で同時多発的に起きたそうだ。そうなると一人や二人の思いつきで起きた事件じゃなく、誰かが手引きしたんだと考えるのも当然だろう。海軍は躍起になって捜査しているはずだ……そして町の男達は、海軍が脱走した水夫の代わりを水夫狩りで補うんじゃないかって警戒してる」
そして私達四人は宿の食堂のテーブル席を囲んでいた。客は我々の他に二組しか居ない。席は他に十組くらいあるのだが。
小一時間で情報を集めて来てくれた不精ひげが、ビールを一口呷る。
「それで、アンソニー船長達の事については?」
「落ち着いて聞いてくれよ?」
私が尋ねると不精ひげは妙な前置きを置く。だけどそこへちょうど宿の給仕が来たので、不精ひげは一旦、口を閉ざす。
「お待たせ致しました。本日の料理、アカザエビのグリルでございます」
給仕は、山盛りの焼き海老が載った大皿をテーブルの中央に置いた。
「コンウェイ産の一級品ですよ……今日は安く手に入りましてね。お熱いうちにどうぞ」
給仕はそう言って立ち去る。アイリさんが眉を引きつらせる。
「ちょっと……この海老」
「アカザエビはプレミスの魚市場に持ち込まれていた。一方ロブスターは三日四日は生きたまま運べるから、ブレイビス行きの貨物船に乗せられたそうだ」
「売り主は誰だったの……?」
「……海軍だ。海賊から取り上げた債権として、競売に掛けたのだと」
私はテーブルに肘をつき、顔を掌に埋める。やはりアンソニー船長の獲物はお上に取り上げられ、買い叩かれてしまったのか。
「じゃあきっと今夜はプレミスのあちこちの食卓に、アンソニー船長の海老が載ってるんでしょうね……」
アイリさんは海老を一つ持ち上げて呟く。ディアマンテの宮殿で出て来たような、立派な大海老である。
「あの、船長……美味しくいただいていいんだよな?」
カイヴァーンは忠犬のように私の許可を待っている。私は掌に顔を埋めたまま、無言で頷く。
いや、アンソニーさんは海賊だから……自分でそう言ってたから……海軍に捕まって金目の物を没収されても文句は言えない、そうは思うんだけど……
私の苦悩を他所に、三人はそれぞれ海老に手を伸ばす。私も一尾手にとって、殻を剥いて、食す……塩だけのシンプルな味付けで、美味いかどうかで言えば美味いけど、ディアマンテでエステルと並んで食べたスパイシーな海老と比べると味気ない……贅沢な言い草だけど、素直にそう思ってしまう。
「明日、普通に司直を訪ねてみますかね。コンウェイの船乗りを代表して、アンソニーさんの逮捕の理由を聞いて、必要ならきちんと抗議しましょう」
「そうね。だけどその役目、私に任せて貰えないかしら? 私は白金魔法商会でも役人と遣り合った事があるし、レイヴン語も船長よりは出来るわ。不精ひげも結局、その覆面を取る気は無いんでしょう?」
まあ、私やカイヴァーンのような子供が抗議しても鼻であしらわれるだろうし、ここはアイリさんに前に出て貰うのがいいだろう。
◇◇◇
私達四人は宿に泊まる事になった。港にはフォルコン号があるのだが、なるべく出入りの回数を減らし、船が目立つ事を避けたい。
宿の玄関や食堂は建物の二階にあった。
不精ひげとカイヴァーンは一階の大部屋に泊まる。今日は我々を含め三組しか客が無いが、他の組の客も全員大部屋に泊まるらしい。不精ひげは情報収集の続きだと言って、カイヴァーンと一緒に大部屋に降りて行った。
一方、私とアイリは船長などが使う個室を借りさせて貰っていた。三階にある少し贅沢な部屋である。
私とアイリさんは食堂に残ってお茶をいただきながら、しばらくはお互いの小さい頃の話などをしていたが。
「お前んとこの船長、あれはえらい別嬪さんだな! あんな船長と一緒なら船旅もさぞや楽しいだろう、羨ましいぞ! あっはっは!」
下の階から聞こえて来る声が次第に大きくなって、私達の耳にも入るようになってしまった。あれは他所の組の客の声だろう。
アイリさんが、深い溜息をつく。
「何やってんのかしら不精ひげは。どうせ情報収集とか言って、他の客と大酒飲んで宜しくやってるんでしょうけど……ねえ船長、やっぱりカイヴァーンは私達の部屋に引き取った方が良くない? あんな連中と一緒に居るのは良くないわ」
うーん。カイヴァーンは可愛いし、水夫ではあるけど最低の男ではない。むしろとてもよい子だと思う。だからあんな集まりの中には居ない方がいいような気もするけれど……
いやいや。カイヴァーンは決して力の無い子供ではない。ナルゲスの海賊だった時には仲間を更生させようと必死に戦う、一人前の男だったのだ。
「カイヴァーンは大丈夫ですよ、前にもあんな風に騒いでた事があって……」
私は自分でそこまで口に出してしまってから、慌てて次の言葉を引っ込めた。
私が思い出していたのは、奴隷商人ゲスピノッサと戦った後の事である。ゲスピノッサを倒し、捕虜となっていた人々を解放し、ゲスピノッサとその子分共を捕虜にしたあの時。解放された人々は海賊達から奪った物資で宴会を開いた……そこにはカイヴァーンと、私の父、フォルコンが居た。
だけどその話は、アイリには絶対に秘密にしなくてはいけない。
「騒いでたって、いつの話?」
「え、ええ、フルベンゲンですよ、アナニエフ一家を倒した後、大騒ぎになったじゃないですか」
「嘘よォ、あの時はマリーちゃんとカイヴァーンはシーオッタ号からなかなか降りて来なくて、宴会には参加してなかったわ」
私のその場凌ぎの言い訳を、アイリさんが0.3秒で木端微塵にした瞬間。
「え? 船長ってあの別嬪さんじゃないのか?」
「何だァ、俺らぁてっきり、あの背の高い綺麗なお姉さんがお前さんの船長なのかと思ってよォ」
「じゃああの凄い美人は何なんだ? 航海魔術師? なんだそりゃ初耳だ……だけど羨ましいなァ……あんな美人が乗組員かァ……」
また階下から男達の大声が聞こえて来た。彼等はレイヴン語で話しているので何を言ってるのかは私にはサッパリ解らなかったのだが。
「もう……これじゃ落ち着いて話も出来ないわね。いいわ、私が注意して来るから。マリーちゃんはそろそろ部屋に戻って寝なさい、ね?」
ちょうどお茶を飲み終えていたアイリさんは立ち上がり、妙な笑みを浮かべて手を振り、それから宿の給仕に何か言って酒瓶のような物を持って来てもらうと、それを抱えて一階へ降りて行った。
心なしかアイリさんの顔は、にやけそうになるのを何とか我慢していたようにも見えた。
一人食堂に取り残された私は、残りのお茶をゆっくりと頂く。
アンソニー船長は収穫を海軍に取り上げられてしまった。船で使う道具や資材も。酷い話だが、船と船員はコンウェイに返されていた。
そして私の目下の目標はアンソニー船長と、一緒に捕まった数人の仲間を取り戻す事だ。出来ればフォルコン号が売り、まだ代金を貰ってない道具や資材の分の代金か現物も回収したい……いや資材はいいや、人だけでも助けられたら……
私がそんな事を考えていると。宿屋の玄関の、片開きのあまり大きくない扉が開いた。
「よオ。やってるかー? なんだかシケてんな今日は。何かあったのか?」
そこに現れたのは、一人の、中途半端な髭を生やした、身長180cmくらいの、がっちりとした体型の男だった。どこにでも居そうな、水夫らしいズボンと靴を履き、綿の上着を着ている。
宿の給仕はその男を見て、のんきに答えた。
「随分久し振りだな、ピジョン船長」
私は。その男がこちらに気づく前に、テーブルの下に身を伏せていた。




