アイリ「絶賛売り出し中の期待の超新星、パスファインダー商会のマリー証券よ、絶対儲かるんだから! そこのお兄さん、買わないと後悔するわよ!」
元の時間で一人称に戻ります。マリーがコンウェイに着いたのは1月3日、そして前々話で日付が変わって今は1月4日です。
40年前は海軍の重要拠点、30年前はレイヴン海賊の華やかな(?)社交場、その後は次第に寂れ、今では錆びついた古い滑車が軋む煤けた町コンウェイで、物語は続きます。
臆病な私は手配書に怯え、フォルコン号の艦長室に籠って書き物をしていた。これは私が生まれてから今までして来た中で最も胡散臭い仕事だった。
ウインダム産の新しい比較的安価な紙に、ジェンツィアーナ産のペン先とディアマンテ産のインクで数字と文言を書き込んで行く。
『マリー証券 パスファインダー商会発行、コンウェイ事業組合公認。コンウェイの町の事業者、周辺の鉱山、在郷の海運会社の健全な発展と繁栄の為の出資金。一口金貨10枚。この証券は本年12月28日以降コンウェイ事業組合が最低金貨12枚で買い取る事を約束する。発行人マリー・パスファインダー』
もし自分の父親や祖母がこんな物に金を出そうとしていたら、私は泣いて引き留めたかもしれない。色々滅茶苦茶だよなあ……そう思いながらも、私は先程からずっと同じ文面の証書を書き続けている。
一時間前。私は外に出られない自分に代わり、コンウェイの住民の皆さんへこの怪しい金融商品を売り込む事を、アレクに依頼したのだが。
「マリーちゃん、こういう仕事なら私に任せなさい、白金魔法商会でも似たような事さんざんやったから! さあ行くわよ太っちょ!」
それまでに書き上がっていたマリー証券を引っ掴んで、アイリさんは意気揚揚と出掛けて行った。アレクも慌てて追い掛けて行ったので、そんなにひどい無茶はしていないとは思いたい。
とにかくこの紙切れが一枚金貨10枚でたくさん売れて、コンウェイ事業組合に金が集まれば、私は積荷の工具や資材を組合に引き渡す事が出来る。組合はまだ金の無い事業主達に後払いの約束で商品を引き渡す。事業主達が無事事業に成功すれば売上金が組合に集まり、出資者達に還元される。
紙切れの名前をマリー証券にしたのは私のせめてもの良心である。最悪の場合はうちで引き取る覚悟という事だ。今は極光鱒の儲けがあるからこんな事言ってられるけど、商人としては駄目だよなあ、こういうの。
正午過ぎ。船尾に大きな旗を立て、あの壊れそうな海賊船、いや漁船が港に戻って来た。
「大漁だァァア! 大漁だぞこんチクショー!」
彼等は一月の極寒の海から仕掛け壺や網、素潜りなどを駆使して、大量の海老を漁獲して来た。
「マジかよお前ら! こんな大漁、滅多に無ェぞ!」
「ガハハハ、俺らが本気を出しゃあこんなもんよ!」
他の船乗り達もわらわらと波止場に集まって来る。漁船はフォルコン号のすぐ隣に係留した。その甲板は大量の活け海老を入れたトロ箱で一杯だ。
いや……ちょっと待て。あの船、行く時はボロボロの滑車を軋ませながら行ってたのに。今、トロ箱の荷下ろしに使ってるクレーンは全く軋まない……甲板の索も網も嫌に新しくないか?
「そのへんのテークルとか魚網とか、うちの売り物じゃん! 私まだ代金受け取ってませんよ!」
フォルコン号に積んでいた商品は昨日から倉庫に降ろしてたけど、何で勝手に持ち出してるんだよ……昨日の綿密な商談は何だったのか……
「ハッハッハ、どうせ俺達が買うんだからいいだろ、なっ、ほら、一番デカいロブスター食わせてやるから」
「どうせそいつの代金も取るんでしょ!」
「そりゃあ俺達も商売だし。ハッハッハ、大丈夫、お友達価格でいいから」
昼前に一度戻って来たアレクによれば、工具や資材、生地など、商品の多くは既に海賊共を始め、鉱山経営者や縫製工場などに引き渡されてしまったという。
確かに私、この商品は意地でもこの町で売るみたいな事を言いましたよ。だけど私、商品を渡すのは証券が売れて十分な代金が集まってからとも言ったんですよ?
どうするんだ、証券が売れなかったら。
「みんな、それはそれは喜んでいたけど……今回は本当に大丈夫なの? 船長」
アイリの手伝いもしなくてはならなかったアレクは、午後一時にしてヘトヘトという顔をしていた。疲労も心労もありそうね……太っちょがやつれて太っちょでなくなったらちょっと嫌だな。
しかしそこに、波止場の巨大鍋で蒸し焼きにされていた全長80cm超の巨大ロブスターがやって来た。
「うおおお!? 何だこれぇぇ!」
傍らでナイフ片手に待機していたカイヴァーンが叫ぶ。真っ赤っかに蒸し上げられた巨大ロブスターの背中を海賊のおじさんが鉈のような包丁でパカッと割ると、中からぎゅうぎゅうでぷりっぷりの身が弾け飛び、その煮汁が降りかかる。
「あちちっ! 熱いよ!」
「だけどこれはテンションが上がる!」
カイヴァーンも私もアレクもすっかり興奮していた。
ヴィタリスのマリーにとって、海老と言えば体長4cmほどの川海老の事で、泥臭く身はほぼ無く、決して美味い物ではなかった
船長になって、ディアマンテの宮廷舞踏会の前日祭で食べた振る舞いの焼き海老は驚きの美味さだったが、あれでも体長は20cmほどだったか。
しかしこのロブスターはどうだ、体長は3倍近く、体重は30倍くらいだろうか? ヴィタリスとディアマンテでもあれだけの味の差があったのに、この大きさになると一体どれだけ違うのか!?
「焦りなさんなって、今切り分けてやるから」
怖い海賊のおじさんが、今はとても優しいおじさんに見える。おじさんはおもむろに、半分に割ったロブスターの胴体から抉り出した大きな身の塊を……そのままドンと私の木皿に置いた! ただ蒸し焼きにしただけだ! そしてこれが海老の身ですと!? とても一口で食える大きさではない!
私はそれを自分のナイフで切る……あんまり小さくしたら勿体無いけど、あんまり大きいと行儀が悪い……ええい、行儀なんか何だ! 私はぎりぎり一口で行けるくらいの大きさにそれを切る、そして大口を開けて口の中に……モグ……
ぎゃああぁあああ何と言う弾力、なのに容易に噛み切れる食べ易さ、そして一口噛むごとに溢れる、溢れる、溢れる経験した事の無い旨味に満ちた汁! 汁! 汁!!
「うーまーいー!!」
「こんなに大振りなのに全然大味じゃない、ロブスターはこのへんが一番だ!」
滅多に笑わないカイヴァーンも幸せそうに笑いながら大きな切り身を頬張っている。アレクは食べ物では御世辞は言わない、きっとこのロブスターは本当に北大陸で一番美味いのだ。
見た事もない巨大なロブスターではあったが、フォルコン号の食いしん坊トリオは10分で食べ尽くした。さすがに三人とも満足である。
「あー……美味かった……」
「確かに美味しかったけど、一体いくら取られるのかしら」
「それじゃあ、銀貨5枚頂こうか」
眉間に大きな刀傷のある海賊のおじさんはそう言って、凄味のある笑みを浮かべる……確かに昼食の代金としては高めではあるが。
「銀貨5枚? そんなんでいいんですか?」
「お友達価格だぞ、何なら金貨5枚くれたっていいけどな! ハッハッハ……まあ、この大漁はお嬢ちゃんが後払いで資材を売ってくれたおかげだからな!」
私はおじさんの気が変わる前に、ポケットから銀貨を5枚出して渡す。
「それであの海老の山、どこで売るんですか?」
「こんなしみったれた町では一尾も売らねえ事は確かだな、ガハハハ! 本当にお嬢ちゃんは特別なんだぞ」
波止場ではおじさんの改造コグ船から、仲間の海賊、いや漁師達が協力してボートを降ろし、海老やロブスターを種類や等級ごとに分けてトロ箱や樽に詰めなおしている。
近所の暇人共も手を貸していて、和気藹々としたいい雰囲気だ……あの人達にだって御馳走してあげたらいいのに。
「えぇ……町の人だってロブスターは好きなんでしょ、少しくらい売ったって」
おじさんは肩をすくめ、ちょっと影のある笑みを浮かべた。
「町の連中だって、外へ持ってって売れって言うさ……そうして少しでも多く金を貰って来いと。今この町に必要なのは金、とにかく金さ、若者が出て行っちまう前に金を集めて、堅気の仕事を生み出さないといけねェ」
私も何となく肩を落とす。
この港の男達は私の知らない町の現状を知っているし、どうするべきなのかも解っていたのだろう。
昨日の取引所の出来事が思い出される……私のような何も知らない小娘が偉そうに啖呵を切ってしまった事が、今さらながら恥ずかしい。
「おいおい、何でお嬢ちゃんがそんな顔するんだ、まあ待ってろ、俺達が事業組合に借金を全額返済する第一号になってやるからな! ハッハ! こんなに早いとは思ってなかっただろう!」
「アンソニー! 慌てて暗礁にぶつけてロブスターもろとも海水浴なんてザマにならねえようにな!」
「うるせェガストン! てめェの商売の心配をしろ!」
港を出て行く海賊と、野次を飛ばす海賊。
アンソニーというらしい、ロブスター漁師兼海賊の眉間に大きな刀傷のある怖そうだけど優しいおじさんは、仲間達と共にトロ箱の山を積み上げた改造コグ船を操り、出港して行った。