アレク「あの船、まだついて来るよ!」不精ひげ「いつまでも逃げきれるのか……?」マリー「あきらめたらそこで試合終了ですよ!」
すみません、もうちょっと後始末の話が続くみたいです。
今回は第二作から登場しております悪役、ランベロウのお話。
もちろん三人称で御願い致します。
レイヴン王国の元高等外務官、ランドルフ・ランベロウは、ブレイビスより北に100km離れた小さな村の土蔵の中に居た。
ランベロウは死刑囚の最後の願いとして、故郷で処刑される事を望み、聞き届けられていた。
しかしランベロウがこの村に居たのは、生まれてすぐのほんの数ヶ月の間の事だったという。ランベロウ自身、今までは自分はブレイビス生まれだと吹聴していたのだが。
「村で獲れた蜜柑があるぞ。食べるか?」
ランベロウの為にブレイビスから同行している司法官が、土蔵の入り口にやって来てそう尋ねる。入り口には扉は無かったが、四人の当直兵士によって警備されていた。
「蜜柑は体を冷やし、腹を下す原因になる事がある。冬に生食するものではない」
ランベロウは土蔵の中で、窓の明かりを頼りに本を読んでいた。
「冬の蜜柑が悪いなんて聞いた事がないぞ、だいたいこの辺りではこの時期に実る果物なのだろう?」
「第一これから処刑されるというのに、今更健康に気をつかってどうするのだ」
周りでそれを聞いていた兵達が笑う。ランベロウは溜息をつく。
「一兵卒の身に甘んじている者共には解らんだろうな。私に言わせれば、折角時間があるのに勉強もしない諸君らの方が余程、命を粗末にしている。自分がこの世に生まれた意味など考えた事が無いのかね? 申し訳ないが、私は君達とは人間が違うのだ。私はどんな時も、天下国家の為、全力で生きている」
兵士達は顔を見合わせ、憮然として黙り込む。
司法官は差し入れの蜜柑の篭をその辺りに置き、牢屋代わりの土蔵に入る。
「時間が来たようだ。ランドルフ・ランベロウ。外に出たまえ」
ランベロウは、静かに顔を上げる。
「時に君はこの書物を御存知か? これはおよそ1650年前、古代帝国の時代に書かれた物だ。まあ、私が入手したのは200年前の写本だが、かなり原典に近い物であると言われている」
「それは……貴重な書物だな」
「勿論だ。これは全8巻のうちの7巻、アイビス人の祖先共が古代帝国の総督ユリウスに大規模な抵抗を企てた時の物だ。興味があるだろう?」
「私はあまり歴史学は得意ではなかったのだ、その時代がどんな時代だったのかもよく解らん」
「得意ではない! 得意ではないから勉強をして得意になるべきなのに。君は学問は若いうちでないと出来ないと思っているのか? 私に言わせれば学問はむしろ大人がするものだ、大人にならないと理解し辛い事柄もあるからな。例えばユリウスは何故とある包囲戦で兵達が住民を虐殺するのを看過したのか、そのような行為は残りの敵の士気を高めるだけで」
「ランベロウ殿、私には執行を先送りにする権限が無い、速やかに出て来てくれないか」
御託を途中で遮られたランベロウは目を見開き、司法官を見つめていたが。
「残念な事だ。レイヴン王国の司法の近代化に尽力すべき君のような人材が、歴史に学ぼうとしてくれないとは。私はこの数日間君と行動を共にする中で、君の能力を高く評価して来たのだよ?」
「それは……光栄だ。さあ、外へ」
「外へ。勿論だ。この本を棚に戻したら、行くとも」
ランベロウはゆっくりと立ち上がり、土蔵の隅に置かれた机の方に向かう。机の上には小さな棚があり、数冊の本が立てられている。ランベロウはそこに、持っていた本を戻す。
「この机の周りは暗くて背表紙が読めん。誰か明かりを貸してくれ」
「本がどうしたのだ、いいから来てくれ」
「きちんと巻数ごとに並んでいないと気持ちが悪いだろう! 潔癖症の私に、そんな未練を残したまま処刑台へ向かえと言うのか!」
「解った、解った……誰かろうそくを取りに行ってくれ」
ランベロウがこの村で処刑される事は近隣でも大きな噂になっており、村にはたくさんの野次馬が押しかけていた。
「誰かろうそくを貸してくれ、死刑囚が本を並べるのに必要としている」
村役人がそう呼びかけると、数人の村人や野次馬が我先にとろうそくを持って走って来る。
「良かった、すぐに借りられたぞ」
「あ……ああ、もう来たのか……」
ランベロウは、ろうそくが来るにはもう少し時間がかかると思っていた。土蔵の外には炭火の鉢もあったので、火もすぐについた。
「さあ、本を並べ給え」
「うむ……これでいい……きちんと一巻から八巻まで並んでいる」
「では行くぞ」
「ああ、待て、まだその、手紙を書いていない」
「手紙ならさんざん書いただろう、昨日もその前も! 国王陛下宛というものを含めて百通は書いたぞ!」
「ああっ!? 外を見よ! 馬の蹄の音がしないか!? あれは何かの使者ではないのか?」
「馬の蹄……? そんな音はしないではないか」
「よ、よく聞いてくれ、確かに聞こえた!」
「いいや聞こえない。ランベロウ。お前もしや命が惜しくなったのではないか?」
「当たり前だーッ!!」
次の瞬間、ランベロウは本を並べてあった机の下に潜り込み、叫んだ。
「死にたくない!! 私は死にたくないのだーッ!!」
「非直の兵士を全員呼べ! 死刑囚が抵抗を始めた!」
手馴れた司法官はすぐにランベロウに近づいたりせず、外に向かってそう叫ぶ。たちまち、土蔵の前に居た者の他、半休と非直の者も集まり十人ばかりの兵士が土蔵に入って来る。
「そんな所にしがみついていても無駄だ!」
「死にたくないーッ!! 私は死にたくない! 死にたくない!!」
ランベロウは椅子の足に四肢を絡ませ、しがみつき、必死に抵抗する。兵士達はランベロウの手足を剥がそうとするが、土蔵の暗さと囚人の必死の抵抗でなかなか捗らない。
「一度、机ごと外に運び出せ」
「やめろォォーッ!! 殺すな! 私を殺してはならぬ、ならぬーッ!!」
兵士達は机をランベロウごと担ぎ上げ、土蔵の出口へと運んで行く。ランベロウが並べた本などはすぐにバラバラになって土間に落ちた。
机は出口に近づいて行く。しかし、どうもこの状態ではそこを通れないらしい。
「まあここなら囚人と机を引き剥がせるだろう」
「やめるのだぁぁー!! やめろ! 処刑は中止、中止だぁぁー!」
机にしがみつくランベロウの後ろから、四人の兵士が組み付く。一方では、四人の兵士が机の方を引っ張る。
「そーれ」
「やめろォォォォ!!」
さすがに机から引き剥がされたランベロウは、土蔵の土間に仰向けにひっくり返る。残りの二人の兵士が、上から飛び乗ってランベロウを抑える。
「さあ連れ出せ」
「私はッ! 私は自分の命が惜しいのではないッ! この国が私を失うのに耐えられぬのだ! 私の力は必要だ! この国には私が必要なのだ!」
ランベロウは土蔵の出口に手足を引っ掛け、突っ張って、必死に耐える。他の兵士達もまた集まって来て、ランベロウを抱え上げる。
「見苦しいぞランベロウ!」
「やめろォォォ! 嫌だァァ! 私は死にたくない!! 死にたくないのだぁぁー!!」
土蔵から抱え出されたランベロウは、八人の兵士によって四肢を抑え込まれ、胴上げされたまま、処刑台の方へと運ばれて行く。野次馬達はそんなランベロウを見て罵声を上げ、囃し立てる。
「見苦しいぞ死刑囚ー!」
「昨日は辞世の詩なんか読んでたくせに!」
「お前のような大賢者は、静かに美しく世を去るんじゃなかったのかー?」
ランベロウは決して屈強な男ではなかったが、生きようとする執念は非常に強かった。四肢を兵士達に捕まれながら、必死に身をよじり、振り回し、叫び続ける。
「死にたくない! 殺してはならぬ! 私は役に立つ男だ、やめろー! 処刑を! やめろぉぉお!!」
「ええい、暴れるな!」「一度地面に降ろせ」「手を離すな……あっ!」
そしてついに一本の手を引き抜いたランベロウは、たまたま近くを通る所だった松の木の一つにしがみつく。
「離せ! 離さんか!」「そっちへ引っ張れ!」
兵士達はランベロウを木から剥がそうとするが、死にもの狂いで抵抗するランベロウは腕をがっちりと幹に回し、さらにその幹に噛みつく。
「ふひひふふひー!!」
「ええい! いい加減にしろ!」
そこへ。走り寄って来た司法官が、短い革巻きの棍棒でランベロウの頭に一撃を加える。それでさすがのランベロウも一瞬力を抜いてしまい、ランベロウを引っ張っていた兵士達はランベロウごと地面に倒れてしまう。
「うわああっ!」「ええい、だがこれで剥がれたぞ!」
ランベロウが息を吹き返す前にと、兵士達は急いで立ち上がり、再びランベロウを胴上げにして処刑台の方へ運んで行く。
野次馬達は歓声を上げ、興奮して囃し立てる。
「やーれ! やーれ! やーれ!」
「しっ、死にたくない!! やめろー! 私はまだ死にたくない、殺さないで、殺さないでくれええーっ!!」
処刑執行人はランベロウの目の前に立ち、その巨大な斧を振り上げる。
処刑台に押し付けられたランベロウは、尚も泣き叫ぶ。
「死にたくないーッ!!」
―― パカラッ、パカラッ、パカラッ……
その時、地面近くの処刑台へと押し付けられたランベロウは、確かに地面を叩く蹄の音を聞いた。続いて。
「おおーい!」
遠くから呼ばわる声も。
「その処刑待て! その処刑、今暫く待てー!」
「あ……ああ……あああ!」
ランベロウは嗚咽を上げ、涙声で叫ぶ。
「遅いではないか! 何故……何故もっと早くに来ない! 私は、私は危うく首を落とされる所だったのだぞーッ!」
首都ブレイビスから早馬を乗り継いでやって来た司法局の特使は、ランベロウの処刑を中止するという命令書などは持っていなかった。
「処刑される前に。お前に聞いておかなくてはならない事が出来た。フレデリク・ヨアキム・グランクヴィストについて」
ランベロウは処刑台に押し付けられたまま、絶望に顔を歪め、特使の顔を見上げた。
「わ……私は誰よりも奴の事を知っている、何度もそう言っているだろう? 奴は神出鬼没の大盗賊、いや悪魔そのものなのだ、奴を倒す為には、誰よりも多く奴と戦った、私の経験が必ず必要になるのだ……」
それでもランベロウは、一縷の望みにかけ、特使にそう、必死で訴える。一方、この特使の男は以前にもさんざんランベロウの尋問に携わっていたので、ランベロウの誇大表現にうんざりしていた。しかし今回は、そうも言っていられなくなった。
「私の処刑を中止してくれ。頼む。私は自分の命が惜しいのではない、私が死ぬ事で母国が、レイヴンがあの悪魔と戦えなくなるのが口惜しいのだ」
「お前の処刑は決まった事なのだ。だが一つだけ聞きたい事がある。お前は奴と……ああ例えば……お伽話に出て来るような怪物の話を知ってはいないか?」
特使はあえて情報を濁して、ランベロウに鎌をかけた。
ランベロウは。たった今処刑されようとしている所に助けが来て、しかし助かったと思ったら助けて貰えず、そんな恐怖と絶望のあまり半ば錯乱していた。
「そ、そうだ知っているとも! 奴はドラゴンだって呼び出す事が出来るのだ、もしも奴があの空飛ぶ悪魔を、火焔を吐く巨大なドラゴンを呼び出し、王宮を襲わせたらどのように対処するのだ!? お前達は夢物語だと笑うだろうが……その事が起きた時、後悔するのは天国に居る私と、右往左往するお前達だ! 頼む、助けてくれ、私はまだ、死にたくない……!」
何も知らないランベロウは、やぶれかぶれで特使にそう言った。
特使の顔は、見る間に激しい怒りに染まって行った。
「処刑は中止だッ……! この男は今すぐブレイビスに連れ戻す!」
ランドルフ・ランベロウの処刑は中止され、死刑判決も一旦撤回された。




