掃除夫のおじいさん「船長は貴様だろうが! しゃんとせんかああ!」フレデリク「ヒエッ、すみませんすみません!」
コロコロ視点が変わって申し訳ありません、今度はヘッジホグ号を乗っ取ってブレイビスを離れたマリーの話。
この話は一人称で御願い致します。
二本マストのヘッジホグ号は甲板長30mほどのブリガンティン船で、帆の枚数も面積も多く、きちんと走らせればとても速い船だ。行きも乗って来たから知っている。しかしそれは十分な数の水夫が居ればという話である。
「目立たないように逃げなきゃならないのに、何でこんな立派な船で逃げるんだよ、しかも乗組員が四人って……」
おまけに掃除夫のおじいさんの人遣いが私とマカーティに対してだけ荒い。
「ブツクサ言っとる暇があるなら甲板でも磨かんかァ!! 貴様らはこの船に乗せて貰っている見習いだという事を忘れるなァァ!!」
「じじい! 四人しか居ねえのに甲板掃除とか出来る訳ねえだろ、だいたい何でお前が船長ヅラしてやがんだ、この船を乗っ取ったのはフレデリクだってお前も言ったろうが!」
「船乗りが船磨かなくて誰が船磨くのだクソガキがァァア!!」
「わかった、わかったおいやめろ痛ェエ! 痛ェェエ!!」
深夜から朝まで、朝から日暮れまで、私とマカーティは見習い水夫として掃除夫のおじいさんに扱き使われた。その間、レイヴン海軍は再三に渡り臨検をしに来たのだが。
「ヒッ……し、失礼致しました! 航海の御無事を祈ります!」
我々の姿を見ると、どの船も敬礼をして離れて行ってしまう。
蛇行するブレイブ川を東に下っている間、風は西から吹いていた。洋上に出ると風は北風に変わり、背中を押してくれた。そして南西に転針しクレー海峡に差しかかると、今度は東風が吹き出す。
「気持ち悪い程の順風だな。仕方ない、貴様らも交代で眠れ」
掃除夫のおじいさんがそう言うので、私が前にも忍び込んだ船牢に行って寝ようとすると、マカーティがついて来る。
「何だよお前! 僕が先に寝るんだからお前は甲板に居ろよ!」
「順風が吹いてるうちに眠れるだけ眠っておく方が利口だろ。何かあったら二人とも起きなきゃなんねーんだから」
「だとしても何でついて来るんだ、部屋なんか他にいくらでも空いてるだろ!」
「固い事言うなよ、俺達もう仲間じゃねーか。なあ? 一緒の部屋で寝ようぜ」
マカーティはそう言って不気味な狼のように笑う。私の全身に鳥肌が立つ。
―― バターン!
私は全速力でヘッジホグ号の艦長室に駆け込んで扉を閉めていた。
「きゃっ!? ど、どうしたんですか……フレデリクさん……?」
艦長室にはエイヴォリーさんが居た。ちょっと上着を取りに来たという御様子だったが、着替え中とかでなかったのは幸いである。
―― ドンドンドンドン!!
「馬鹿野郎! そこはブライズさんの部屋だろうが何押し入ってんだ、ふざけんなフレデリク! 今すぐこの鍵を開けろ! ブライズさん中に居られませんか!? 大丈夫ですか、今私が参ります!」
たちまち追い掛けて来たマカーティが扉に鬼ノックをかまして来る、嫌だ……この男とこれからも一緒だなんて絶対に嫌だ……
はあ、と後ろで誰かが溜息をつく。誰かって、エイヴォリー艦長に決まってるんだけど。
「いいわ。私が行って話してあげるから」
エイヴォリーさんはそう言った。私は藁にもすがる思いで艦長の方に振り返る……何と優しい微笑みだろう。私はこの人の船の安全を脅かす海賊だというのに。
「あの……僕がこんな事を言うのも何なんだけど、本当にいいのかい? 貴女もあの男がちょっと苦手なように見えるんだけど……ああっ、あの、あいつ本当は悪い奴じゃないんだ、むしろとてもいい奴で、だから僕はあいつを処刑から救いたくてブレイビスに来たんだけど、」
―― ドンドンドンドン!
「ブライズさんの部屋を穢すな、匂いも嗅ぐな、今すぐ出て来いこのクソ野郎! ブライズさん! 本当に中には居られませんか!? やいフレデリク、てめェブライズさんの部屋の中で何をしてるんだ、許さねぇ、もう許さねぇぞ!」
「助けて、エイヴォリーさん……」
私は、フレデリクもへったくれもなく、アイマスク越しに涙目でそう訴えた。
「大丈夫。貴方はそこのベッドで休むといいわ」
エイヴォリーさんはそう言って私の肩をポンと叩くと、私の代わりに艦長室の扉の鍵を外し、そっとそれを開く。
「やいクソ野……ブライズさんッ! 御無事でしたか!? あの狼藉者に何かされませんでしたか!? 淑女の部屋に乱入するとは、見損なったぞグランクヴィスト! さあブライズさんもう大丈夫です、この男は俺が外に」
―― バタン……ガチャ。
エイヴォリーさんはマカーティが入って来る前に艦長室から出て扉を閉め、外から鍵を掛けてくれた。
「なっ……何故ですかブライズさん!? あいつをあそこに放置して……」
艦長の足音とマカーティの声が遠ざかって行く。
昨日は朝からブレイビスの街を走り回り、牢獄や海軍省、司法局、城門の砦、処刑場と転戦して、そこからこの船を乗っ取り川を下り海に出て、今日の夕方まで。その間私は本当に一睡もしていなかった。
へなちょこの私がここまで戦えたのは、マーマイトのおかげのような気がする。あれ、お土産に欲しかったなあ。コンウェイでも手に入るだろうか?
エイヴォリーさんのベッドの柔らかさは知っていた。ごめんなさいエイヴォリーさん、私本当は以前にもここで寝た事があります……清潔でふかふかなベッドに倒れた私は、三秒で気絶した。
◇◇◇
「何でてめェはブライズさんのベッドで寝る事を許されてるんだ……畜生、俺とお前、一体何がそこまで違うんだ……!」
しっかりと睡眠を摂って起きて来た私に、マカーティはそう言って怒りと嫉妬を露わにする……マカーティは艦長室ではなく船員室に行って、そのへんにハンモックを吊るして寝るようだ。
私はこれからの事を考える。
マカーティは決して悪い人間ではない、むしろいい奴だと思う。船乗りとしても優秀で、勘が鋭く抜け目ない。だけど下品でうるさくて面倒臭い。
そして私は今後マカーティとどう接するのか? 私はフォルコン号の乗組員になってしまったマカーティの前で、ずーっとフレデリクで、子爵家の四男坊で居続けるのか? もうマリーには戻れないのか? 嫌だ、そんなのは嫌だ。
ではマカーティに明かすか? 実は私はマリー・パスファインダーという女の子なんですと明かすか? しかし私は既に奴に、お姫マリーを着た姿さえオカマ野郎と言われてしまっている。あああむかつく、むかつく……あんな奴に私はどんな顔をして自分が本当に女なんだと言えばいいのか。
バニーコートを着てみせれば、さすがのマカーティも納得するか? 嫌だ。そんな事をするくらいなら真面目に本気で死んだ方がマシだ。あの服を着た所をマカーティのような奴に見られるのは絶対に嫌だ。父親に見られるより嫌だ。
クレー海峡から先は臨検に会う事もなく、ヘッジホグ号は快調に進んだ。
「夕食ですブライズさん! 丁寧に塩抜きをした塩漬け豚肉を香草と一緒にローストしてみました、温かいうちにお召し上がり下さい! フレデリク、お前はその昼飯の残りのオートミールな」
そしてブレイビスを発って二晩と14時間、ハロルドに会ってから六日と16時間程で、私はフォルコン号が待つコンウェイに帰って来た。




