ジョエル「艦長はどうした!? まさかまた一人で飯を食いに行ったのか!」
初めましての皆様、第五作から引き続きの皆様、このページを御覧いただきまして誠にありがとうございます!
当作品は「マリー・パスファインダーの冒険と航海」シリーズの、六番目の作品になります。過去作品を御覧になられていない方は宜しければ是非第一作「少女マリーと父の形見の帆船」から御覧下さい、作者ペンネームのリンクなどから御覧いただけます!
第五作でレブナンの港から逃げるようにして出航したフォルコン号。
しかし第六作の第一話は、それより一か月ほど前に遠く離れた港で起きた、この後の主人公マリーに大きな影響を与える事になる出来事の話から始めたいと思います。
今作もどうか、最後までお付き合いいただければ幸いです。
さて。マリー・パスファインダーの冒険と航海の第二作「マリー・パスファインダー船長の七変化」、歴史ある海編に登場しました、ジェラルドという男がおります。フレデリクと冒険を共にし、見事敵の陰謀を打ち破り幼馴染のお姉さん、フラヴィアの危機を人知れず取り除いた仲間です。
この男、フェザントという国の海軍艦長でお父さんは海軍提督、自身も野性的なイケメンというハイスペックの持ち主なのですが、どういう訳かいーっつもお金がありません。
一見野性的で無造作だが実は眉毛の端まできちんと毎日整えている、黒髪の伊達男。ジェラルド・ヴェラルディは、酒場でカップの底に僅かに残った白ワインを恨めしそうに眺めていた。
「失礼ですが、貴方はジェラルド・ヴェラルディ様ですね?」
ジェラルドが顔を上げると、そこにはターミガン風の服を着た小柄な壮年紳士が一人、佇んでいる。
気が立っていたジェラルドは一瞬、顔も知らないその男を追い払おうかと思ったが、すぐに考えを改め、立ち上がる。
「あんたは! えーと、誰だったかな、すまないが思い出させてくれ、俺の知り合いだよな、そうだろ? いやあ随分久しぶりだな!」
「あの、いえ……初めてお目にかかります、私、マクベスと申します」
「知り合いじゃ無ェのかよ先に言えよ……俺は忙しいんだ、向こうへ行ってくれ」
ジェラルドは顔をしかめ元の椅子に座り直すと、あっちへ行けという風に手を振る。
実際、彼は忙しかった。彼は今この店で飲食をしたので支払いをしなくてはならないのだが、彼のポケットには銅貨が三枚しか無く、その事について考えなくてはならないのだ。
「そこを何とか、お話だけでもさせてはいただけませんか、ナルゲスから遥々、貴方の噂を聞いてやって来たのです」
この男が知り合いなら飲食代を無心しようと愛想よく応じたものの、知り合いではないと言うので追い払おうとしたジェラルドだったが。男がわざわざ遠くから自分を訪ねて来たのだと聞き、三度気分を変える。
「どういう事か知らねえが……お前さん、国はどちらだい? いや、知りたい訳じゃねェんだ、これはあくまで一般的な話なんだが……フェザントでは男が男に何か聞いて欲しい話がある時は、飲み食いの代金くらいは担ぐもんでな」
ジェラルドは目を逸らしながら、小声で呟く。
「え……ええ、お話しを聞いていただけるのでしたら勿論。おおい、店の方! このテーブルの勘定は私が払います!」
マクベスはすぐにそう応じ、さらに店員にそう合図して見せる。頷く店員にジェラルドは慌てて付け足す。
「あとこの白ワインをもう一杯、いやタンカードじゃなくデキャンタでくれ! おっといけねえ、マクベスさんだったな、あんたも飲むだろ?」
「ああいえ私は、酒は飲まないので」
「そうか、まあいいや。それで話って何だ、何でも言ってくれ、ハハハ」
すっかり機嫌を直したジェラルドは店内の掲示物を見回す。ここは内海のほぼ真ん中、イビスコ島の都市メセリア、内海中の料理でこの街で食べられない物は無いだろう。腹具合はまだ半分にも満たない……さて、何を食べてやろうか。
マクベスはそんなジェラルドの向かいの席に腰を下ろす。
「ありがとうございます。貴方はフェザント海軍、アキュラ号の艦長でもあるとお聞きしておりますが」
その一言でジェラルドは、再び真顔に戻る。
「マクベスさんよ、俺はいかにも海軍艦長だ、そしてパパはジニアの提督でもある……その俺が飯を奢られたぐらいで海軍の秘密の一つでも漏らすと思っているのならだな」
「やや、申し訳ない、海軍は関係無いのです、私がジェラルド様を探していたのは、私が貴方の画家としての才能に心酔させていただいているからなのです」
ちょうどその時、店員の中年女性が、白ワインのデキャンタを手にやって来る。ジェラルドは仏頂面をしたまま椅子の背もたれに寄り掛かっていたが。
「ロブスターとイカのグリルを貰おうか、胡椒をたっぷりと振るのを忘れないでくれ……こいつで、宜しく」
デキャンタを受け取る代わりに、ジェラルドは全財産の三分の一をチップとして店員に渡す。
店員は愛想よく返事をして立ち去る。ジェラルドはマクベスに向き直る。
「さて、俺は今し方面白い冗談を聞いた。俺が画家だって? 俺は部下からは艦長と呼ばれ、パパからは坊やと呼ばれ、借金取りからは泥棒と呼ばれているが、誰かに画家と呼ばれた事は無ェし、自分が画家になったつもりも無ェ。俺に飯を奢ってくれるのはアンタの勝手だが、俺がアンタの期待に応えるのは難しい」
「まあまあ、そこを、何とか」
マクベスはジェラルドのカップにデキャンタの白ワインを注ぎながら、愛想よく続ける。
「先程申し上げた通り、私もジェラルド様の作風を崇敬させていただいているのですが、私の依頼人はそれ以上なのです。どうか御願い致します、私の依頼人の為に、絵を描いてはいただけないでしょうか」
「断る」
慇懃に話を進めるマクベスに、ジェラルドは迷う事無くそう答えた。
「あ、あの……どうかお聞き下さい、私の依頼人はジェラルド様の才能を本当に高く評価しておりまして」
「興味が無ェ。俺は画家なんて物にはなりたいと思った事すら無ェ。だいたいお前、この俺にどんな絵を描けってんだ」
マクベスはこめかみの汗をハンカチで拭い、二、三度躊躇してから、ようやく切り出す。
「私の依頼人は、貴方様に……フォルコン号船長、マリー・パスファインダーの肖像画を描いていただきたいと、そう願っております……」
ジェラルドはそれを聞きながらカップを口元に運び、中身を一口で飲み干し、それを音高くテーブルに置く。
「そら見やがれ、何が俺の才能だよ、どうせ何かの訳ありの話なんだろ。マリー・パスファインダー? 誰だそいつは? ああいや、思い出した、ナントカっていうアイビスの騎士にも同じ話を聞かれたわ、青白い顔して艦尾の柵にぶら下がってゲロゲロ言ってた自称船長の妙な女だろ」
マクベスはジェラルドが置いたカップにすかさず白ワインを注ぐ。ジェラルドは目を逸らしたまま続ける。
「あんな女の肖像画を書けだと? 誰が何の為にそんな事を言ってるんだか知らねェがな、お断りだよお断り」
「そ、そんな……どうか御願い致します、私はナルゲスから貴方に会う為に」
「くどい! どうしても描けってんなら金貨30枚を申し受ける! さ、帰んな」
ジェラルドはそう言って、白ワインを満たされたカップを口元に運ぶ。彼としてはこれでこの話を断ったつもりだった。
マクベスは放心していた。彼としては依頼料の交渉は金貨100枚からスタートするつもりだった。
「解りました、金貨30枚お支払い致します」
「あ……あああ!? ふざけてんのか!? あのゲロ女に誰がそんな金」
「私がお支払い致します!」
マクベスは、手付金だと思って持って来ていた金貨100枚の入った皮袋をテーブルに置き、そこから金貨30枚だけをテーブルの上に取り出す。
「これで、マリー・パスファインダーの肖像画を描いていただけるのですね?」
ジェラルドは金貨を見て息を呑み、真顔でマクベスの目を見て二度頷いた。マクベスは笑顔で頷く……ジェラルドは慌てて机の上の金貨を集めて懐に仕舞う。
「な……なんだお前、いやマクベスさんアンタめちゃくちゃいい奴じゃないか! 最初からそう言ってくれたら良かったのによ、俺はすごくいい奴だって、ハハハ」
「いやいや、自分の事をいい奴だなどと言うのは中々、ハハハ」
ジェラルドは手を差し伸べ、マクベスはその手を取る。短い握手を終えると、ジェラルドは再び背もたれに身を預ける。
そして十分に上機嫌になったように見えるジェラルドを見て、マクベスは本命の依頼を口にした。
「そうだ、実はもう一人貴方の絵を欲しがっている方がいらっしゃるのです、どうでしょう、金貨をもう30枚お支払いすればその絵も御願い出来るでしょうか?」
「その前に言っておくけどよう。絵っつったって俺のは暇潰しの手習いだからな、使うのは鉛筆一本だぞ?」
「勿論、存じております」
「マジか……それで!? 本当に俺が貰える金貨が倍になるってのか!?」
ジェラルドは最後にそう言って身を乗り出す。
「はい! もう一方、同じフォルコン号に乗船されていた、フレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト氏の肖像を御願い出来ないでしょうか」
「ああ、そういう事か」
ジェラルドは薄笑いを浮かべたまま腕組みをして、二秒だけ天井を眺めていたが。やがて視線をマクベスに戻すと、おもむろに懐から先程の金貨30枚を取り出し、そっとテーブルに置いた。
「ジェラルド様?」
「すまねぇ、この話は無しだ。あんたはいい奴だとは思うが、俺にも曲げられないもんがあってな」
ジェラルドはそう言って立ち上がりながら、カップの白ワインを再び一気に飲み干す。
「お待ち下さい、何故急にそのような」
マクベスは彼を引き留めようと手を伸ばし掛けたが。
ジェラルドは店の壁に立て掛けていた長剣の鞘を、右手で掴んでいた。それは別にいきなり人を斬ろうというのではなく、その剣を持ってこの店を立ち去ろうという、ただそれだけの仕草なのだが。
それでもマクベスは自分の手を伸ばす事は出来なかった。
ジェラルドは大変な剣豪であり、世間では艦長でも提督の息子でも画家でもなく、その評判に於いて知られていた。その男が剣を手にして立ち上がった時の威圧感は、世の中の表裏を見尽くして来たマクベスを金縛りにするのには十分だった。
「友情ってやつは金じゃ買えねえんだ。例え鉛筆一本の落書きであろうと、俺は友達は売らねェ。じゃあな」
ジェラルドはそれだけ言って振り返る事もなくその場を立ち去って行く。マクベスはその背中を暫く見つめていたが、やがて肩を落としがっくりと項垂れる。
しかしそのジェラルドが、店の出口から出てほんの数秒後、血相を変えて駆け戻って来た。さらにその後ろから小太りの中年女性が、白髪の痩せた老人が、さらに三人ばかりのどれも顔に傷のある若い衆が、ジェラルドを追って店内に乱入して来る。
「今日こそ借金を返して貰うよ! 金貨37枚、いい加減にしやがれ!」
「年寄りの蓄えを何だと思ってるんじゃ! 金貨44枚、耳揃えて返せ!」
「借りる時ばっかり愛想振り撒きやがって、剣豪だか艦長だか知らねェがふざけんな、金貨61枚! いつになったら返すんだこの泥棒!」
ジェラルドはマクベスに駆け寄ると、滑り込むようにその膝にすがりつく。
「マクベスさんっ! 助けてくれマクベスさん、絵なんかいくらでも描くから!」