表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

98/263

96・王弟と家庭教師


 クラッツ侯爵家では、「王弟ロレンス」の扱いについて、数日前まで議論が割れていた。

 これは情報の錯綜さくそうが原因である。

 ロレンスの立場が、「新王リオレットの立場を脅かす不穏分子」なのか、それとも「王から信頼されている弟」なのか。

 今回の措置は「遠回しな左遷」なのか、「ていの良い幽閉」なのか、それとも「混乱を避けるための一時的な避難」なのか――


 領都で暮らす侯爵家の親族・家臣達は、王都における情勢の変化にうとく、最新の正しい情報を入手する手段も限られていた。

 今回は特に、流言飛語にも等しき悪質な噂もあった。「アルドノール侯爵が拘束された」だとか「諸侯が内乱のための兵を集め始めた」だとか、あるいは「猫の精霊が王都の危機を救った」などといった現実味のない内容で、王都にいれば「明らかに嘘だ」とわかる情報でさえ、こちらでは精査が必要になる。


 これはある意味で、クラッツ侯爵領に特有の問題でもある。

 近隣にダンジョンを抱え、交易の中継地でもある領都は、ただでさえ旅人や冒険者が多く、デマや誤情報が生まれやすい。

 酒場の与太話がさも真実のように独り歩きしたり、敵国の間諜が人々の不安を煽ろうと欺瞞情報を流したり、悪知恵の働く商人が物資を高値で売るために嘘をついたり――


 そんな中でもっとも信頼性が高いのは、もちろん当主たる「アルドノール・クラッツ侯爵」直筆の書状であり、その正確な指示が届くまで多少の混乱はあった。


『王弟ロレンス殿下は、新国王リオレット陛下から深く信頼されている。しかし王都にいると、寡妃かひラライナ様を担ぎ上げる貴族達から利用されやすく、余計な陰謀に巻き込まれる危険性があったため、数年間は当家でお守りする流れとなった。今のうちに政治や経済等の知識を蓄えていただき、数年後には閣僚として政治の中枢に復帰される予定である。世の噂に惑わされず、くれぐれも粗相のないようにお迎えし、不自由のない生活をご提供するように』


 この方針は家中かちゅうで共有され、結果、王弟ロレンスは粛々と迎えられた。

 滞在場所は侯爵邸ではなく、王家所有の離宮――街から離れた、閑静な湖の傍に建つ別荘である。

 決して大きな屋敷ではないが、少数の貴人が長期滞在するのに手頃な広さでもあり、到着したロレンスも嬉しそうな様子を見せていた。


「侯爵領にこんな別荘があったとは驚きました。アルドノール侯爵のご配慮に、改めて感謝します」


 ロレンスの言動は穏やかで優しく、侯爵家の人々はそのことにも安堵したものだった。


 ここに住み暮らすのは、ロレンスと母親のラライナ、使用人達で、いずれ人員の入れ替わりはあるだろうが、概ね十人前後の予定だった。

 この中には当座の家庭教師、税務閥のペズン・フレイマー伯爵も含まれている。

 彼がロレンス達に同行していたことは、侯爵家の人々を驚かせた。

 ペズンはそもそも学者ではなく、実務畑の人材である。王族の教養を通り越して、官僚レベルの知識を身につけさせるためだろうとは推察できたが、この人事も実は判断が難しい。

 まずペズン本人にとって、これは「左遷」なのか、それとも「引退前の滅私奉公」なのか、はたまた「むしろ望むところ」なのか――

 侯爵家の人々どころか、教え子となるロレンスですら、ペズンの本音を測りかねていた。


 §


 ロレンスが離宮に着いた翌日。

 護衛をしてくれたライゼー子爵達が、領地への帰路についた後で、彼はやっと、余人を交えずこのペズン伯爵と話し合う機会を得た。

 道中でのロレンスは、ルークやクラリス達と行動を共にしていた。他の人々がいる場での会話は少しあったが、ペズンとの込み入った話はできていない。

 ロレンスを前にして、老いた官僚はどこか懐かしげに微笑んでいた。


「……思えば、不思議な御縁となりましたな。カルディス殿とは長い付き合いでしたが、晩年の彼は、書庫でのロレンス様との日々をとても楽しんでおりました。確か……『書庫に子供の精霊が出た』と、勘違いをされたのがお二人の出会いでしたか?」


 そんな昔話をされて、ロレンスは気恥ずかしくなって笑う。


「あはは……はい。人がいない場所だと思って、こっそり忍び込んで、本を読んでいました。そこをカルディス先生に見つかって……」


 ――カルディスの第一声は、「遂に書の精霊が見えたかと――」だった。

 当時四歳、無心で本を読み続けるロレンスの姿は、大人の眼には奇異に見えたのかもしれない。

 読んでいた本が、ルーシャン・ワーズワースの著した『精霊概論』という専門書だったことも誤解の一因ではある。もちろん幼児の読み物ではない。

 

「カルディス殿が、『書庫で賢人の友を得た』と喜んでいたので、出向いてみれば――そこにいたのは、まだ四歳のロレンス様でしたからな。それはもう驚きました」

「あの時はお名前を存じ上げず、失礼しました。幼かった私は、官僚の方々とは面識がなかったもので……」

「何をおっしゃいますか。四歳の子供が一官僚の名まで知っていたら、それこそ正体は精霊かと疑ってしまいます」


 談笑を重ねるうちに、話題はライゼー・リーデルハインとの関わりに及んだ。

「ロレンス様は、ライゼー子爵とは以前からご面識があったのですか?」

「いえ。数年前のギブルスネーク退治の折に、どこかの会合で一瞬だけご挨拶をさせていただいたくらいです。まるで物語に出てくる勇者のようで、圧倒されたのを憶えています」

「確かに、あの方の腕前は本物です。それに加えて……智謀まで備えておられる。正直に申し上げて、あれほどの人物が僻地にいたとは存じ上げませんでした。ライゼー子爵は、ロレンス様のことを非常に高く評価しておられました。何か……彼の忠誠心につながるような、心当たりはございますか?」


 ロレンスは、しばし考え込んだ。

 ――リーデルハイン家のペット、ルークのことは、さすがに本人の許可がなければ話せない。


「私は……王都の商人達と、少し縁がありました。また、貴族の横暴に困っていた侍女を、城から逃がしたり……そういった行為を、ライゼー子爵は知り合いの商人達から聞いていたようです。彼は子爵家を継ぐ前、有力な商家へ養子に出されていた過去があるとのことで、その時期に知り合った商人達との人脈が、今も生きているのだとご息女からうかがいました」

「ご息女……あぁ、馬車に同乗されていたご令嬢ですな。ロレンス様と近いお年頃の――」

「私より一つ下だそうです。しかし……驚くほど聡明で、まるで年上のようにも感じました。立ち居振る舞いには気品があるのに、親しみやすい気遣いも感じられて……単なる高貴さにとどまらず、どこか神聖なものを感じたほどです」


 宮廷魔導師ルーシャンは、この感覚を『称号の影響によるものかもしれない』と教えてくれた。

 リーデルハイン家の飼い猫、ルーク――彼の正体は、おそらく「亜神」である。仮にそのルークから称号を得ているのなら、クラリスは神の眷属けんぞくにも等しい。物語に出てくる聖女や巫女みこ巫姫ふきといった存在を連想してしまう。

 ペズンが考え込む様子を見せた。


「……ロレンス様。不躾ぶしつけな問いをご容赦ください。つまり、その……クラリス嬢に対して、特別な感情をお持ちであるということでしょうか……?」


 そう問われて、今の発言が少々、一般的な社交辞令から逸脱していたことに気づいた。


「特別……? ……あっ。ええと……特別である点は間違っていませんが、兄上とアーデリア様のような意味での『特別』とは違います。むしろ『畏れ多い』というか……いえ、間違えました。私ごときの器では測れない、という思いです」


 ペズンは何か言いたそうだったが、とりあえずは口を閉ざした。

 ロレンスからも問う。


「ペズン伯爵。私からも一つ、うかがいたいことがあります。今回の『家庭教師』の件――ペズン伯爵の地位と実績を考えれば、断ることもできたはずです。今の私と母は、兄上の温情によって生かされている罪人のような立場です。いえ、兄上にそんなつもりはないのだろうと、わかりますが……諸侯はそう判断するでしょう。ペズン伯爵は、どうして――こんな仕事を引き受けてくださったのですか」


 ペズンが、やや眩しそうにロレンスを見つめた。


「……詳しい事情は申せませんが……私にとって今回のお役目は、むしろ僥倖ぎょうこうと言えるものでした。カルディス殿は、ロレンス様の将来を最期まで案じておられた――その遺志にようやく応えることができます。また私自身も、ロレンス様にお仕えできることを嬉しく思っております。個人的な理由を申せば、まず一つには、ラライナ様への恩義。もう一つには、ロレンス様への期待――引退間近の私のような年寄りは、今更、出世がどうこうという話でもありませんのでな。爵位とて一代限りのもので、息子達に継がせるべきものも特にない。老後の仕事として、微力ながらもロレンス様やラライナ様のお力になれるのであれば、我が身に余る光栄です」


 ロレンスにとって、それは意外な言葉であると同時に、亡き師の晩年を思い出させるものだった。

 カルディス老人は、立場としては城の書庫で不遇をかこっているようでもありつつ、本人は悠々自適と司書の職務を楽しんでいた。

 出世して権力を握るばかりが生き方ではないと、彼自身が証明していたようにも思う。

 ことに王侯貴族や官僚の場合、権力に近い立場ほど毀誉褒貶きよほうへんも激しい。母のラライナなどは、まさにその好例となってしまった。

 強権を振るいすぎれば恨みも買うし、まったく身に覚えのない逆恨みで暗殺されることさえある。

 正直に言えばロレンスは、父であるハルフール王の急死にも、誰かの作為があったのではないかと疑っていた。

 証拠は何もないし、仮に何者かの関与があったとしても、おそらく今となっては突き止めようがない。いずれは時の流れがすべてを覆い隠す。


 その日は本格的な講義はなく、挨拶のような雑談で終わった。

 ロレンス自身が学びたいこと、また学ぶべきことへの言及もあったが、ペズンの専門は税法、および法律全般である。史学と数学も少しなら……とのことだったが、専門家には及ばないとも言われた。

 幸い、クラッツ侯爵家は軍閥の名門であるため、「軍学」を教えられる人材はそこそこいる。家格が高いため、外交と儀礼に関してもおそらく問題はない。


「あと、足りないのは――」

「魔導学……ですが、これは魔力のない人間にはあまり意味がありませんので、あくまで一般教養程度で充分でしょう。もしも深く学びたい場合は、リオレット陛下が魔導研究所の職員でしたから、そのお知り合いを紹介していただくことも可能かと思います。それから……護身術ですな。王族の場合、剣か槍を学ぶ方が多いようです。ネルク王国では拳闘も盛んですが、あれはどちらかというと平民が立身するための手段ですので、王族で拳闘を学ばれる方はほとんどいません。基礎体力をつけるため、幼少期に学ぶ貴族はおりますが、それも多数派ではないでしょう」


 兄のリオレットなどはそもそも魔導師であり、扱う魔法がそのまま護身術となるため、体術の類はおそらく学んでいない。

 また、戦争に関わる軍閥の貴族はさておき、一般の貴族ならば得意分野だけに集中しても問題はない。そしてロレンスも、そのうち臣籍にくだって「一般の貴族」になる身である。


「護身術も、何か学んだほうが良いのでしょうか?」

「はぁ……向き不向きもありますが、ひとまず最低限の『剣の使い方』くらいは学んでおくべきかと思います。実際に使うか否かはさておき、これもまた有事への備えです」

「わかりました。考えてみます」


 どのみち、これはペズンから学べる技術ではない。まずは従者の騎士、マリーシアに相談するべきだった。

 そして今日の雑談の最後に、ロレンスは大事なことを告げる。


「ペズン伯爵、休日は適宜設けますが――それとは別に『毎月五日』は、従者のマリーシアともども、自由行動の日とさせてください。これは後で兄上にも了解をとりますが、明かせない事情による優先的な措置です。このことは母上にも内密に。またそれ以外でも、急用によって抜ける機会が発生するかもしれません。これは、私個人の都合というより――兄上の利益にもつながる、国務の一つとお考えください」


 おそらくは『亜神』と思しきルークとの友好は、この国のみならず、世界の平穏にもつながる。

 亜神に関する書物はいくつか読んだことがある。

 それらの多くには、『亜神とは、この世界を見守る巡見使である』と記されており、その加護を得れば栄え、逆に怒りを買えば滅ぼされるという。

 歴史にはその実例がいくつも残されており、栄えた国も滅んだ国もある。

 このクラッツ侯爵領にある『ダンジョン』も、『この世界に対する贈り物』であり、そこから得られる資源が人々の生活を支えてきた。


 ルークはおそらく、農業、あるいは飲食物や商売に関わる亜神である。

 具体的に何をするつもりなのかは、これから理解していく必要があるが、本人はまず「トマト様」という植物をリーデルハイン家から世間に広めたいらしい。

 話した印象では――彼はおそらく、極めて善良な猫である。

 ルークとの交流は、今のロレンスにとって、もっとも優先すべき事柄の一つとなっていた。


 ペズンは思案顔である。


「……わかりました。気にはなりますが、私の立場で詮索すべきことではないのでしょう。ロレンス様に危険はないのですね?」

「はい。それはありません」

「ならば結構。護衛の騎士殿も一緒とのことですし、私は何も知らぬふりをいたします。ラライナ様達への言い訳が必要な事態が起きましたら、遠慮なくお申し付けください」


 もう少し問い詰められるかと覚悟していたが、ペズンはあっさりとロレンスの要望を受け入れてくれた。

 官僚としての処世術なのか、あるいはロレンスを信用するという意思表明なのか――いずれにしても、承諾は得られた。


 ペズンが部屋から退出し、しばらくしてから――テーブルの上に、一匹の猫が現れた。

 濃い灰色の猫である。

 ほぼ全身を覆う灰色の衣を身に着け、背には巻物を担いでいる。

『なーう』

 ロレンスが戸惑っていると、猫はそそくさとテーブルに巻物を広げた。

 そこには可愛らしい文字が連なっている。


『ロレンス様へ。

 我々は無事、リーデルハイン領に着きました。ところで明日、そちらの領都で音楽会があるそうですね。興味深いのでクラリス様をお連れするつもりなのですが、ロレンス様ももしお時間が合いましたら、ご一緒にいかがですか? お返事は当日に。

 リーデルハイン家ペット・ルークより』


 ……ルークからの手紙だった。

 どうやら魔法の一種と思われるが、ロレンスが手紙を読み終えるのを待ってから、猫は一礼してそのまま消える。

 巻物も一緒に消えてしまい、後には何も残らない。


 不可思議な魔法と、「もう領地に着いた」という報告と、「明日また来る」という知らせと――その三つに同時に驚きつつ、ロレンスはつい笑みを漏らす。

 この離宮での日々は、どうやら王都にいた頃よりも、ずっと楽しいものになりそうな――そんな予感がした。


いつも応援ありがとうございます!

本日「コミックポルカ」にて、三國大和先生のマンガ版『我輩は猫魔導師である』の第四話が更新されました。ニコニコ静画では日曜昼頃に更新予定です。

ルークの顔芸が一層光る、リルフィ様の登場回!

小説版ともども、こちらもぜひよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 驚くほど聡明で、、 おまいう~~w
[良い点] いちいちぬこ描写がかわいい
[一言]  トマト様の栄養素であるリコピンはうろ覚えですが、ニンジンさんの栄養素のカロテンは脂溶性。 オリーブや胡麻など、油を採ることができる作物も一緒に植えた方が良いですよ。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ