95・一番風呂は猫が入る
リーデルハイン邸にて、その夜は久々に、料理人ヘイゼルさんの晩ごはんをみんなで堪能した。
王都へ行って改めてわかる。ヘイゼルさんのごはんはシンプルだが、実においしい。
優しい味わいで飽きが来ない、まさに実家の味である。
高級食材などは使っていないはずだが、絶妙な塩加減や焼き加減、隠し包丁などの工夫で素材の旨みを引き出している。
猫用の皿の具材は食べやすいサイズに切り分けてくれたりと、細やかな心配りも嬉しい。
夕食後、俺はたったかと厨房へ行き、「やっぱりヘイゼルさんのごはんはおいしいです!」とお礼を言いつつ、ストレージキャットさんに収納しておいた王都のお土産をお渡しした。
王都Tシャツとー。王都ペナントとー。王都メダルとー。
……いや、この三品はさすがに冗談だが、メインはなんといっても食材、そして珍しい調味料である。
お菓子の類は……コピーキャットでご提供する前世スイーツのほうが、評判が良いので……うん。
特にヘイゼルさんと奥方のロミナさんは、豆大福がお好きである。
というわけで、お土産とは関係ない豆大福の箱詰もお渡し。
そして話題は「お風呂」について。
「ライゼー様からは、使用人の皆様のご利用についてもご許可をいただいています! ただ、お年のいった方ですと、夜は暗くて危ないので……慣れるまでは、明るい昼のうちに入っていただいたほうがいいかと思います。明日の午後あたり、いかがですか?」
「はは、そいつは楽しみだねぇ。しかし、ほんとに私らまでいいのかい?」
「クラリス様のご意向です! クラリス様は、使用人の方々の福利厚生をいつも考えておられます。自分だけが使う予定であれば、そもそもお金をかけてお風呂を作ろうなどと考えなかったことでしょう」
そのお考えはお風呂場の設計思想にも現れている。
必要な場所に必要な手すりを設置し、掃除をしやすい設計とはどういうものなのかを職人さんと相談し、コストに配慮しつつも安全性の追求を怠らなかった。
当初はコスト面から「湯船は一つで」「男女は時間差で分ければ良いのでは?」という方針だったのだが、クラリス様は「毎日使うつもりはないけど、ルークの負担になるから、なるべく短時間で多くの人数をさばけるようにしたほうがいいと思う」と仰られた。
そこで当初の案よりも大きめの湯船を用意し、真ん中に壁を設けて男女を遮ることで、一度に複数人が入れるようにした。
お湯の温度調整と浄水はルークさんのコピーキャットでおこなうため、拘束時間が長くなることを懸念されたのだ。
ペットの労働環境までご案じくださるとは、クラリスさまやさしい……
結果として広さは、銭湯とまでは言わぬが、ちょっとした民宿のお風呂ぐらいになっている。だいたい三~四人くらいがのんびり浸かれる感じ。
このでかい湯船、仕切りを抜いて真上から見ると、「凸」のような形をしている。
そして左右で男女の浴槽が分けられ、出っ張った部分だけは底が浅く、なおかつ小屋の外に露出している。
ここがルークさん専用の露天風呂であり、俺がここに肉球をちょっとつけるだけで、湯船全体の温度調整と浄水が可能だ。
みんなが交代でお風呂に入っている間、俺がずっと湯船に浸かっていたら、さすがにのぼせてしまう。俺は庭先で好きにのんびりしつつ、たまにここへ肉球を突っ込んで調整すれば良いという仕様である。
ここには屋根もあるし、小さな湯船の周囲にテラスのようなスペースもあるため、ぐでーっと身を伸ばして横になれる。ルークさんとピタちゃんの日向ぼっこスペースとしても実に有用である。
肝心のお風呂は、黒褐色のつやつやした硬そうな材木をきっちりと組み合わせた、なかなか立派な造作であった。
形状としては前世のいわゆる高級ヒノキ風呂を思わせるが、色と香りが全然違うので、こちらの世界固有の木材であろう。
ボートや漁船の製作に使われる水に強い木材とのことで、手触りもすべすべで気持ちいい。さらに撥水性の塗料も塗ってあるようで、ほとんど水が染みない。
塗料は一年ごとに塗り重ねる必要があるものの、期待以上の素晴らしい出来栄えである。
給水は敷地内の小川から、煉瓦でごく細い水道を引けた。
このあたりの作業は、微妙な勾配を調整したりもっと時間がかかる予定だったのだが、新たに移住してきた地属性の魔導師・キルシュさんが手伝ってくれたおかげで、あっという間に工事が終わってしまったらしい。
地魔法とゆーのは、土を掘ったり盛り上げたり固めたりといった土木工事に極めて有用だそうで、地水火風の四属性の中で一番食いっぱぐれがない属性らしい。
魔導師はそもそも貴重であるが、地属性は畑の開墾、土地の改良、道路工事や堤防作り、崖崩れへの対応、建築物の基礎や鉱物の採掘等、産業とインフラを中心に活躍の幅が広い。むしろ火属性とか「派手だけど、戦闘以外では何の役に立つの?」レベルである。確かにお湯は沸かせるが、それは薪とか炭でもできてしまう……
料理人ご夫妻に賄賂……お土産を渡し終えた俺は、厨房から離れ、クラリス様達の元へ戻った。
食休みも終わり、いよいよ楽しいお風呂タイムである!
一番風呂はもちろん、クラリス様とリルフィ様! さらにお世話係としてサーシャさん。
――ピタちゃんは「やだ」と言って逃げ出した。動物だからね……ウサギさんは基本的に水浴びもしないらしいし、まぁ仕方あるまい。普段から濡れタオルで拭いてブラッシングはしているし、無理強いはせぬ。
それから男風呂側にも、ライゼー様とヨルダ様が入ることになった。
このお二人は、商人時代に旅の途中で温泉場などに立ち寄ったことがあり、普通に入浴経験がある。
クラリス様の「お風呂つくりたい」というご要望をあっさり聞いてくれたのも、「自宅に風呂があったらいいなぁ……」と、内心思っていたからであろう。
「では、私は露天のほうで湯加減を見ておりますので、皆様はどうぞごゆっくり!」
ルークさんはペットの身であるが、あくまで紳士なので、女風呂側に紛れ込むような無作法は決してせぬ。リルフィ様には問答無用で連れ込まれそうになったが、今回ばかりは断固として拒否した。あと人間様用の浴槽は普通に深いので、落ち着いてリラックスできぬ……
しかし壁一枚を隔てているだけなので、会話は可能。
上部には換気用の窓もついている。昼間は明かり取りの窓にもなるのだが、ただの風呂小屋とは思えぬ雰囲気の良さ……天井が高めで、湿気がこもりにくい心遣いもされている。
リーデルハイン邸も田舎の子爵邸とは言いつつしっかりした作りだし、こちらの世界の建築技術はなかなか侮れぬ。質の良い木材が山から気軽に採れるのも強みだろう。
猫専用露天風呂スペースで、だらんと手足を伸ばしてくつろいでいると、やがて背後のお風呂場から水音が聞こえはじめた。
まずは湯船のお湯を手桶にすくい、ざっと体を洗ってから、湯船に浸かるという流れ。
蛇口まではさすがに設置されていないので、ここは湯船のお湯を使わざるを得ない。
「おお、立派な風呂じゃないか! いやあ、温泉がないこの領地で、まさか風呂を作れるとはなぁ。ライゼー、ここ、騎士団の連中にも使わせてやっていいんだよな?」
「ああ。ただし、クラリス達が優先で、ついでにルークが暇な時だけだ」
お二人の会話に、俺も露天風呂から壁越しに混ざる。
「数日間は私が管理をしますが、使い勝手に慣れてきたら、猫魔法でお風呂の管理をしてくれる猫さんにも出てきてもらうつもりです!」
今日から出しても良かったのだが、しばらくはこの業務を通して、自身の目で設備の問題点や改善点などに関する「気づき」を得たい。オートモードに頼るのはその後でよかろう。
ルークさんは安易な手段をヨシとせず、常にイノベーションのきっかけを模索しているフロンティアスピリッツあふれる猫さんなのだ。風呂とフロンティアを掛けたわけではない。断じて違う。違うからそんな眼で見ないで……(必死)
ライゼー様達から声が返ってきた。
「ルーク、あまり負担になるようなら言ってくれよ? 無理をされても困るし、この小屋自体は、もしも風呂として使えなくなったら、リルフィに頼んで氷を作ってもらって、そのまま穀物の倉庫に転用できるようにしてある」
「いや、しかし、こいつは……倉庫なんてもったいないぜ。すばらしいぞ、ルーク殿。俺はもう、街にある自分の家より、邸内の騎士団宿舎に住みたい気分だ」
ヨルダ様、心底から嬉しそう。
俺はふと疑問に思う。
「街には銭湯とかってないんですか? 薪はたくさんとれるでしょうし、商売にはなると思うんですが……」
「昔はあったんだ。魔導師の老爺が、ほとんど趣味と道楽で経営してくれていたんだが……疫病を経てその人が亡くなって、跡継ぎもいなくて、街も人口が減ってしまって……その後はな。なにせ激務だし、そのくせ皆、行水で済ませる習慣がついているから、おそらくすぐに経営が立ち行かなくなる」
ふーむ……やはり自然の温泉でも湧いていないと、いろいろ大変なのか。
リルフィ様達の女湯からも、きゃっきゃと声が聞こえてきた。
「サーシャ、ほら、一緒に入って。遠慮しなくていいから」
「し、しかし、お嬢様……私は、使用人の立場ですので、後ほど……」
「あの……むしろ、一緒に入ってください……私もクラリス様も、その……お、泳げないので……」
リルフィ様……溺れるほど深くはないですよ……?
こちらの皆様は、お風呂は初体験……というわけでもない。王都滞在中、キャットシェルターのお風呂を何度かご利用いただいた。
ただ、あっちはなんとゆーか……完全にシステムバス的なものだったので、ちょっと世界観にズレがあったかもしれぬ。
また、こちらのほうがだいぶ広いので、リルフィ様が「溺れそう」と思ったのも、まぁわからんでも……いや、お年寄りとか赤ん坊とか酔っ払いならともかく、普通の人が溺れる余地はほぼない。
俺も露天部分で、バカでかいお月様をのんびりと見上げつつ、だらーんと専用のお風呂を楽しむ。
やはり風呂は良い……心身を整えてくれる……
今日の疲れを癒やし、明日への活力をくれる魔法の湯である。
傍らでは、ウサギ状態のピタちゃんがぺろぺろとソフトクリームを舐めていた。こちらはもちろん入浴はしておらず、ごろ寝スペースでだらけておられる。
「ルークさまー。あしたからはなにするのー?」
「そうだねー……まずは畑のお世話と、それから使用人の皆様に、こちらのお風呂を使ってもらって……あと、明後日にはまたロレンス様のところへ行くよ。侯爵領の領都で音楽会をやるらしいから、みんなで聴きに行こうね」
「はーい」
できれば王都にも顔を出して、クロスローズ工房のお手伝いもしたい。こうしてみると、そこそこ忙しい。
他にもレッドワンドの動向チェック、ダンジョンに関する調査など、やりたいことはけっこうあるのだが、時間のかかるものが多いのと、どれも優先順位がさほど高くない。
しかし一点、「なるべく早めに」と考えていることもある。
「あと……近いうちに『転移魔法』を学びたいので、ウィル君かオズワルド様にお願いしてみようかなー、って思ってます。使えると便利そうだし」
「ふーん」
ピタちゃんは興味なさそう。
しかし俺にとっては、割と重大なことである。
ウィンドキャットさんの移動速度は本当に素晴らしいが、転移魔法の便利さはまた別格。アレはぜひマスターしておくべきだ。
また、これは「ダンジョン」を調査する際の脱出法としても役立つかもしれない。
転移魔法は普通の人間には使えぬ。宮廷魔導師ルーシャン様でさえ無理。しかし、ルーシャン様よりも魔法の才が劣るはずのウィル君は、何故かコレが使える。
そこにはどういった理由があるのか。俺にも使えるものなのか否か――ちょっと時間を多めにとって、じっくりと学びたい。
お湯の中でそんなことを考えていると、壁越しにリルフィ様のお声がした。
「……あ、あの……ルークさん……その……こちらに来て、一緒に入りませんか? クラリス様とサーシャは、もう出るそうなので……」
……にゃーん。
方針は決まっているのだが、なんと言って切り抜けたものか。
あまり否定的な言葉を使うとリルフィ様が病ん……がっかりしてしまう。かといってこの畜生風情が桃源郷へお邪魔するなどもっての他。
最近のルークさんは賢いので、こうした事態もスマートに紳士的に優雅に颯爽と切り抜けられる。
「リルフィ様、あまり長く入っているとのぼせてしまいます! お飲み物を用意いたしますので、一緒に出ましょう」
ククク……どうよ、この完璧なムーブ……! 己の賢さが恐ろしい……!
リルフィ様は、少し艶っぽいお声で――
「……………………わかりました。じゃあ……次は、一緒に入ってくださいね……? 約束……ですよ?」
……………………………………あれ? リルフィ様、王都への旅でお強くなられた……? それは強者のムーブでは……? 一ヶ月前のリルフィ様なら「……あ……はい……」みたいな感じでゆるっと流せたはずでは……?
……我が師の意外な成長ぶりに驚きを隠せぬルークさん。
――古来、「可愛い子には旅をさせろ」などと言う。リルフィ様は可愛い。すなわち可愛いリルフィ様が旅をしたのは必然である。俺は何も間違っていない。間違って……いない。たぶん……
気を取り直して湯上がり後、水分とミネラル補給のため、皆様に少しぬるめの麦茶をご提供した。
入浴で失われた水分をしっかり確保するという意味では、常温の水やぬるま湯でも良いのだが、ルークさんは麦茶派である。
キンキンに冷やしたほうが美味しいけど、湯上がりで温まった内臓を急速に冷やすと負担をかけてしまうため、ここはあえてぬるめにする。
「クラリス様、リルフィ様。私は近日中に王都へ行って、ウィルヘルム様からいよいよ『転移魔法』を教えてもらおうかと思っています。これは魔族独自の魔法らしいので、私に使えるかどうかはわかりませんが……込み入った話になりそうですし、行く時には単独行動になる予定です。数日かかるかもしれませんので、あらかじめ、ご許可をいただければと――」
クラリス様は軽めに頷いたが、リルフィ様は戸惑い顔……
「あ、あの……転移魔法には、私も興味があるのですが……ついていっては、いけませんか……?」
「一応、ウィルヘルム様に聞いてみますが……その返答次第では、今回は諦めていただくことになるかもです。転移魔法というのは、失敗すると誤作動で変なところへ飛ばされる例もあるので……私一匹ならどうとでもなりますが、修行中に、間違ってもお二人を巻き込むわけにはいきません」
俺がウィル君と知り合うきっかけになった「フレデリカちゃん迷子事件」……アレをクラリス様やリルフィ様で再現するわけにはいかぬ。転移魔法の仕組みや問題点をきちんと把握するまでは、慎重に行動するべきであろう。
あと……これはたぶん「魔族の秘密」的な話につながりそうなので、俺一匹のほうがウィル君も話しやすいと思う。
「とはいえ、まだ数日先の話です。明日はのんびりしますし、明後日は侯爵領の領都で音楽会があるらしいので……これにはロレンス様をお連れして、鑑賞に行きたいと思っています。クラリス様とリルフィ様もいらっしゃいますよね?」
「うん。もちろん」
「は、はい! ぜひ……!」
そして翌日、俺は使用人の皆様のための風呂番を無事に勤め上げ――
さらに次の日には、ロレンス様に再びお会いするため、侯爵領へ飛ぶこととなった。