93・猫は見た! 領都の深い闇!
侯爵領側における寡妃ラライナと王弟ロレンスの受け入れ態勢は、決して万全ではなかったものの、必要充分にして努力と誠意が感じられるものだった。
なにせ前陛下の死からさほど月日が経っていない。
今日までの準備期間はせいぜい二週間程度だったはずで、その間に居室の準備や生活用品の調達、家臣への注意事項伝達など、その他諸々を整えるのは大変だったはずである。
ラライナ様は「塔とかに幽閉されるかも」と考えていたようだが、お二人と従者達に用意された住まいは、かつての離宮であった。
街から少し離れてしまうため、少々不便ではあるが、閑静な森に囲まれた洋館!
デザインはリーデルハイン子爵邸とも似たよーな感じで、湖畔に面した風光明媚な美しい住まいである。
元は王族の別荘として整備され、その後、王子様とか王女様が一時的に住み暮らしたよーだが、ここ十年ほどは居住者不在のまま、侯爵家の人員で管理だけしていたらしい。
大掃除と家具類の補修はギリギリ間に合ったようだが、一部のリフォームがまだ途中で、今後しばらくは職人さんの出入りが続く。
余談ながら、ロレンス様は邸内の「書庫」に眼を輝かせていた。
城に比べれば蔵書はかなり少なく、ちょっとした書斎程度の空間だったが、なかなか古そうな本もあり、なにより広さが手頃で居心地良さそう。
もちろん好きに使って良いとのことで、ルークさんとの待ち合わせも概ねここで、ということになった。
そして我々も今夜はこの屋敷に泊めていただき、明朝、リーデルハイン領に向けて再出発する流れに。
つまり今宵は、ラライナ様・ロレンス様とライゼー様達との晩餐があり、この場にはさすがにルークさんは出席できない。
「できればルーク様にもご出席いただきたかったのですが……」
「お気になさらず! ラライナ様やペズン伯爵の前で喋るのはちょっとアレですし、ついでにこっそり、街の様子を見てこようと思います!」
ロレンス様は少し心苦しそうであったが、ここはダンジョン近くの街である。冒険者も含めておもしろそうな人材がいる可能性は高く、できればダンジョンそのものに関する生の情報も得ておきたい。
というわけで、ここでピタちゃんの出番である!
「ピタちゃん、これに着替えてもらっていい?」
「はーい!」
取り出しましたるは、王都で買い求めておいたピタちゃん変装セット。
フードつきの緑の長衣に、冒険者風の短衣とミニスカ、長靴、そして決め手となる覆面。
顔の下半分を覆う、盗賊系のキャラがよくつけているアレである。これはピタちゃんの口元を隠すのが目的だ。
そしてルークさんの居場所は、ピタちゃんに背負ってもらった帆布製デイパックの中。なかなか居心地は良い。猫様が袋に入りたがる理由がよくわかる。
もうお気づきであろう。
このピタちゃんのマスクはスピーカーのような音声伝達系の魔道具であり、デイパックの中で俺がマイクに向けて喋ると、それが女の子の声になって周囲に伝わる変声システムなのだ!
……なんか腹話術人形の逆バージョンみたいな感じであるが、ピタちゃんには『獣の王』の脳内会話機能で動作の指示を出せるし、口元さえちゃんと隠せば割とごまかしが利く――はずである。実証実験は今日が初めて。
……一応ですね? 『獣の王』の指示通りに喋ってもらうという、もっと簡単な案も試してはみたのですが……ピタちゃんの口調だと、やはり子供が背伸びしている感が拭えず、不自然とゆーか悪目立ちしてしまう。この案は早々に諦めた。
さっそく、皆様の夕食の時間帯にあわせ、俺とピタちゃんは見知らぬ街へと繰り出した。
初手の移動は、姿を隠したウィンドキャットさんで空から。
そして人気のない路地裏にいったん隠れ、何食わぬ顔で街の大通りへ出る。
こちらの領都は栄えている。
人口はもちろん王都のほうが多いが、「人口密度」はこちらのほうが高く、またダンジョンを抱えた交易の街だけに、「旅人」や「余所者」の割合が段違いに高い。
すなわち活気があり……ちょっとだけ、治安がよろしくない。
夕闇迫る街を歩き始めて五分もしないうちに、ピタちゃんは怪しい男に声をかけられてしまった。
「こんにちはー、お嬢さん! いま、こちらの画廊で複製画の販売会をしてるんですよー。もしよろしかったら……」
……………………………………なに? 異世界にも絵画商法ってあるの……? 思わず真顔になってしまったが、当然スルーして三分後。
「あっ! そこのおねーさんおねーさん! ひとりー? いまからサービスタイムだから! はい一名様ごあんないー!」
強引に肩を掴まれ店舗へ連れ込まれそうになったわけだが、ピタちゃんはスルッとこれをかわす。神獣がぼったくりホストクラブの客引きなどに捕まるわけがない。
その後もあまり質の良くない勧誘を数度切り抜けたところで、俺はようやく悟った。
この界隈はピタちゃんの教育に悪い……!
(ルークさまー……ここなんかやだー……)
(ごめんね……他のところに行こうね……)
帰ったらソフトクリームでお詫びすることにして、いったん姿を消し、ウィンドキャットさんで街の上空に上がる。
うーん……思ったより栄えてるけど、思ってたのとは違う方向性……選んだ道が悪かったのかもしれぬ。
人通りが多いと変な勧誘が増えるし、人通りが少ないと治安がよろしくなさそう。まずは散策にちょうどよい場所を見つけねばならぬ。
そして次に我々が向かった場所は、街の中心部から少し離れた喫茶店。
晩ごはんはコピーキャットで済ませるとして、見聞を広めるために何か軽食を食べておきたい。トマト様やトマトソースに合う食材の発掘は重要なお仕事である。
一応、ライゼー様から軍資金もいただいている。特に先日の暗殺未遂からの王都防衛に関しては、陛下側から結構な額の褒賞が出たらしく、そのお金がこっちにも回ってきた。
ククク……これで街での買い食い程度ならば当分は困らぬ……「猫に小判」ということわざの意味がひっくり返った瞬間である。
お邪魔した喫茶店は、カウンター席があり、店主と気軽に会話できる形式。アルコール類も提供しているが、飲み屋ではなく、メインは紅茶である。
軽食もメニューは少ないが、「バロメ」という特産品の実を使ったガレットがあり、コレがおすすめらしい。
ちなみにガレットとゆーのはフランス料理であり、クレープみたいなものである。こちらでは別の呼ばれ方をされているのだが、翻訳の都合で「ガレット」とさせていただく。
小麦粉やそば粉で出来た生地を丸く焼き、具を中心において折りたたむ、という素朴な家庭料理であり、起源も古い。
方向性の近い食べ物はいろんな文化圏に存在し、「生地に具を包む」という意味では餃子や春巻、トルティーヤ、ラビオリなどの親戚といえなくもない。ちょっと乱暴な解釈か?
ピタちゃんに切り分けてもらって、その一切れをデイパックの中に突っ込んでもらう。おいしいー。これおいしいー。
基本の味付けは塩なのだが、バロメの実というのはちょっと「肉」に似た風味があり、けっこうな食いごたえがある。大豆ミートより肉っぽく、コンビーフにも似ているが、油分が少なくさっぱり系。ちょっと不思議な食べ物である。
ピタちゃんが食べ終わるのを待って口元に覆面を付け直し、俺は冒険者風のキャラを作って店主さんに話し掛けた。
「……ご馳走様。とても美味しかった。私はこの街に初めて来たんだけれど、何かおもしろい名所とか、土産話に良さそうな場所ってあるかな?」
店主のおばちゃんはにこにこと笑いながら、この変な客に対応してくれた。
「そうだねぇ。おすすめはやっぱり音楽会かね? 大聖堂でやってるんだけど、古楽の迷宮で見つかった楽器類を使って、聖歌隊や歌姫達が歌うんだ。王都からも観光客が来るし、ちょっとしたお祭り騒ぎだね」
ほう、コンサートか。クラリス様の情操教育にちょうど良い。ロレンス様も連れ出して、一緒に音楽鑑賞というのも悪くなかろう。
聞けば開催は不定期だが、だいたい一、二ヶ月に一回のペースでやっており、次の音楽会は三日後とのこと。
我々はリーデルハイン領への移動中であろうが、ウィンドキャットさんに頼れば往復は容易である。
――とゆーか、荷物をストレージに、人員を猫カフェに放り込んで、全員とっととリーデルハイン領へ持っていっても良いのかもしれぬ……
王都に着く前は「往復の旅路の常宿との付き合いもあるから」という理由でこの策を封じたが、王都滞在期間の延長と帰りのルート変更が発生したため、各地の宿には書状にてもう事情を通達済みだ。
また帰りはルート上の宿の手配が間に合っていないため、最悪の場合、ライゼー様達は既に野宿も覚悟されている。クラリス様とリルフィ様にはキャットシェルターがあるから、まぁいいか……的な判断。
即時帰還の件については、今夜のうちにライゼー様にご提案してみよう。ライゼー様も、俺に負担をかけまいと遠慮されているだけかもしれぬ。
さて、喫茶店を後にした俺とピタちゃんは、再びウィンドキャットさんにまたがり、姿を消して街の上空へ!
「あっ。ルークさま、あれなに?」
飛び上がってすぐにピタちゃんが指さしたのは、広場っぽい場所に建てられた大きなテント。
喫茶店に入る前まではそんなに目立たなかったのだが、暗くなった現在は内部に明かりが灯され、ぼんやりと全体が明るい。
雰囲気からして……興行用の移動式テントだろうか? 前世では旅芸人一座とかサーカスの人達が使っていたアレである。
ちょっと気になったので近づいてみると、どうやら中で演劇をやっているらしく、役者さんのセリフが微妙に外まで漏れ聞こえてきた。
『前進せよ、猫の勇者達! 邪悪な精霊から、この王都と人々を守るのだ!』
『ええい、たかが猫ごときが生意気な! 我が炎で焼き尽くしてくれる!』
…………………………おや? 何か既視感あるな? 現実とだいぶ違うけど、一部の要素に変な心当たりがあるぞ……?
しかしちょっと待て、アーデリア様との戦いからまだ十日前後しか経っていないし、脚本を書いて練習して……という流れを考えると、さすがに無理があるような……
天幕の外には、演目の看板が置かれていた。
■ 本日の演目 ■
・速報! 王都を救った猫の精霊!
・国王即位、リオレット陛下の半生を綴る。
・王国拳闘杯、女王ノエルの五連覇!
・詐欺に注意。繁華街の最新防犯情報。
ふむ。これは……いわゆる芸術作品としてのガチ演劇ではなく、ニュースの再現映像とか報道バラエティ的な、「こんなことがあったよ!」と世間に伝えるための広報劇か?
テレビや映画がない世界だけに、庶民の娯楽、もしくは情報入手の手段として、こうした演劇はそこそこ需要があるのだろう。
そして「猫の精霊出現!」みたいなよくわからぬ面白ネタは、客寄せとしてまあまあ有効と思われる。とりあえず猫好きはスルーできぬ。
登場人物の一人は、確実にルークさんなわけだが……まさか本物の猫を舞台にあげているわけではなかろう。どんな姿か気になる!
お代を払って観覧すべきなのだが、今日は腰を落ち着けてじっくり見る気もないし、姿を消したまま、ほんのちょっとだけ覗かせていただこう。
良い出来だったら明日あたり、クラリス様達もお誘いして観劇するのも悪くない。
ちらり。
……太ったおっちゃんが、ネコミミつけて踊ってた。
ルークさんは何も言わず、そっとその場を後にした。