92・ロレンス様のダンジョン講義
中継地の宿を経て、我々一行はつつがなく侯爵領へ到達しつつあった。
王都からここまで道の状態は良好で、想定していたよりも快適な旅であった。
こうして他の地域を旅してみると、やはりリーデルハイン領は割と田舎であると実感するが――逆の見方をすると、空いている土地が多いため開発の余地もでかい。
つまりトマト様の覇道の第一歩としては、リーデルハイン領こそがむしろ理想的な土地であったとも言える。『奇跡の導き手』さんは縁の下の働き者である。
さて、アルドノール・クラッツ侯爵領は交易の要衝だ。
友好国へつながる国境と、王都とを結ぶ中継地でもあり、年間を通じて多くの旅人が訪れるが、その最大の特徴は領都の近くにある『ダンジョン』!
そう。ダンジョン。
迷路である。迷宮である。迷路と迷宮は厳密には違い、迷路には分岐があって迷宮は一本道、なんて豆知識も聞いたことがあるが、重要なのは語感である。迷路より迷宮のほうが……その……かっこいい。
ともあれ、この世界にはそういうモノがあると、知識として学んではいたのだが――実際に近くを通るのは初めてだ。
「そんなんいうてもただの地下洞窟でしょ?」
とか内心では思っていたのだが、話の詳細を聞くと、どうもそういう感じではないらしい。
こちらの世界では、いわゆる「ダンジョン」とただの「地下洞窟」は、明確に区別される。
ダンジョンとは、「神々がこの地にもたらした構造物」。
地下洞窟は、「鍾乳洞などの、自然にできた洞窟」。
……この解釈に関して、ルークさんは勘違いをしていた。
いわゆる「伝説とかが付加されて神聖感や恐怖感マシマシになった洞窟を、ダンジョンって呼ぶのかな?」くらいに思っていたのだ。
ところが、馬車の中で改めて話を聞くと――ダンジョンというのは、どうやらガチで「神々が作ったもの」という認識であるらしい。
詳しく教えてくれたのは読書家のロレンス様。
「ダンジョンと呼ばれるものは、主に二種に分けられます。まずは『神代』のもの。これはとにかく古いため、ほぼ踏破されており、宝などもありませんが、特殊な鉱物や植物が生成されるので、資源の採掘場として機能していることが多いです。構造も単純で、どちらかというと地下神殿のような作りですね。次に、『亜神ビーラダー』が世界各地に『人々への贈り物』として生成したダンジョン。これは内部に独自の生態系を持ち、特定の魔獣が出没します。構造も複雑で、ダンジョンごとに特色のある罠や仕掛けが用意されており、また定期的に宝石や魔光石の生まれる祭壇が随所に出現するため、その採取が冒険者にとって重要な収入源になります。通路などは破壊されても再生し、不定期に内部構造が変化するため、古い地図は役に立たず、常に探索者が絶えません。奥深くには『迷宮の主』もいて、この主に認められた者は、迷宮の踏破者として新たな称号を得られたり、特殊な魔道具を貰えるそうです」
……これはつまり、亜神の特殊能力によって作られた、ガチのゲーム的なダンジョン……?
その亜神ビーラダーという方は、いわゆるダンジョンクリエイターみたいな趣味を持っていらしたのだろうか。
それこそ転生者かもしれないが、この実物が侯爵領にもあるとのことで、ルークさんもちょっとそわそわしてしまった。
我々はリーデルハイン領への帰途でもあるし、ダンジョンを探索する余暇などはさすがにないが、記憶には留めておこう。
俺が興味津々で眼を輝かせているのを見て、ロレンス様はさらに講義を続けてくださった。
「有名なところでは、ホルト皇国にある『浄水宮』。これは神代のダンジョンで、魔力を含んだ水が大量に湧き出ているそうです。魔道具の素材として貴重な水晶の産地でもあり、ホルト皇国の魔導研究を支える重要な拠点の一つですね。あとはレッドワンドにも『砂神宮』と呼ばれる鉱物資源の豊富な神代のダンジョンがあります。これはレッドワンドの生命線であると同時に、政治的な火種にもなってきました。過去にはここの権益を巡って、内乱が起きたこともあります」
レッドワンドとゆーと、シャムラーグさんを使い潰そうとしたあの国か……
実は『じんぶつずかん』で王様の動向をチェックしているのだが、なんかオズワルド氏の襲撃後から「魔族を怒らせたのは誰だ!」という内輪揉めの責任追及が始まり、政治的な暗闘に発展しつつあるらしい。策士、策に轟沈である。ルークさんのせいではない。
ロレンス様のありがたいご講義が続く。
「一方、亜神ビーラダーが作ったダンジョンは、できてから三百年前後のものが多いようです。山地の開発などで新しいダンジョンが見つかることもありますので、まだ未発見のものもきっとあるでしょう。侯爵領にあるダンジョンは『古楽の迷宮』と呼ばれており、迷宮内にいつも妙な音楽が流れています。これがなかなか厄介だそうで、敵の足音を察知しにくく、また罠やその解除方法にも、音にまつわるものが多く――深層に下ると、精霊が歌唱能力を判定し、合格しないと通してもらえない門などもあるようです」
……………………思った以上に好き放題やってるな? 微妙に楽しそうだな? カラオケダンジョン?
謎に包まれたビーラダーさん、もしや同郷だろうか。
……あ、もしかして名前の由来が「ビルダー」だったりする……? 時代の変遷で発音が訛って伝わったパターン?
ともあれ俺は感心して、肉球をてしてしと叩き合わせた。
「ロレンス様はたいへんお詳しいのですね! もしやダンジョンにご興味が?」
「はい。私は城から出られない身でしたから……書庫にあった英雄の冒険譚やダンジョンの探訪録などは、大好きな読み物でした。また、ダンジョンから得られる様々な資源は、各国の国力を支えるものでもありますので……それに関する基礎知識は、王族にとって重要なのです」
リルフィ様の書棚にはあまり冒険譚系の本はなかったため、これらは俺にとってもたいへんありがたい知識である。
「そういえば、以前にアイシャさんから『螺旋宮殿』という単語を一瞬聞いたのですが……これももしかして、ダンジョンの一つなのでしょうか?」
アイシャさんが俺の「キャットシェルター」を初めて見た時のことである。なんか気になる名称だったので憶えておいたのだ。
ロレンス様は、ちょっとだけ困ったようなお顔に転じた。
「螺旋宮殿は……実は、分類が定まっていません。あまりに謎が多すぎるため、存在そのものが疑問視され、議論がまとまらず例外的に扱われています」
「疑問視……? 伝説や神話の中にしか存在しない、作り話の迷宮ということですか?」
ロレンス様、首を横に振った。
「確かに、神話の中に登場する迷宮ではあるのですが……目撃情報は、現代でも時折、発生しています。螺旋宮殿は決まった場所に存在せず、世界の各地に、出入り口が突発的に現れる特殊な迷宮なのです。そこに迷い込んだと主張する冒険者もいて、書き残された体験談には複数の共通点があります。ある日、何の前触れもなく、渦巻きを模した巨大な石扉が現れ――その向こう側に、現世とは別の異空間が広がっている、という話です。一つのパーティーが踏み込むと扉は消えてしまい、脱出時には別の場所へ飛ばされるそうです。もちろん、出てこられなかった者もいます」
ふーむ……「何もない場所に急に扉ができる」という意味では、確かにキャットシェルターと通じる要素がありそう。これもやはり、俺と同じよーな『亜神』の仕業であろうか?
「目撃情報は、それこそ神話の時代からあるのですが……なにせ詳細がわからないので、これをダンジョンと同列に扱っていいものなのかどうか、まだ議論が分かれています。しかし、私はダンジョンの一種であると考えています。空間に扉を作るなど、それこそ神々でなければできないことでしょうし……」
饒舌に話されていたロレンス様が、ふと言葉を止め――
リルフィ様に抱っこされた俺を、改めてじっと見つめた。
「……それこそ、神々で、なければ……」
……どうやら話しているうちに、アイシャさんと同様、「キャットシェルター」に連想が及んでしまったらしい。
ロレンス様はしばし黙りこくって、クラリス様をちらりと見た。
クラリス様は微笑をたたえ、無言で頷く。
「……そうでしたか。いえ、精霊や神獣が商売を始めるというのはさすがに初めて聞く事例で、違和感はあったのですが……猫の姿をした神様というのも、やはり初めて聞く話で……」
もうバレたと察して、俺もにこやかに応じる。
「前例はあるようですよ。レッドワンド将国の僻地の民間伝承で、猫の神様が現れて食料を交換したとかなんとか」
と、これはシャムラーグさんの義弟、キルシュさんから聞いたお話である。
ルーシャン様も知らなかったくらいだから、かなりマイナーな伝承なのだろう。
「でも私は、世間一般でいうところのちゃんとした神様とか亜神様とはだいぶ中身が違いまして……もっと俗物とゆーか、食い意地の権化ですので、あんまり緊張せずにテキトーに撫で回していただけると幸いです!」
俺はリルフィ様のお膝からロレンス様のお膝へと飛び移り、ゴロゴロと喉を鳴らして首筋をこすりつけた。
ロレンス様は頬を染めつつ、わしゃわしゃとモフってくださる。
「……ルーシャン卿が猫を信仰されている理由が、わかった気がします。ルーク様との交流は魅力的すぎますね」
モフみの前に人類は無力である。
そもそもロレンス様、猫力が73と割と高めなので、ルークさん的には最初から勝ち確ではあった。ククク……存分にモフるが良いわ。
そうこうしているうちに、馬車の窓から見える景色が、だだっ広い耕作地から建造物の群れへと変化していった。
いよいよ侯爵領の領都に着いたらしい。
窓から見える街並みは、王都とかなり雰囲気が近く……ずいぶんと栄えている上に、王都では見かけなかった系統の人達がちらほらと見受けられる。
背中に剣を背負った戦士っぽい人、外套をまとった魔導師っぽい人、窃盗はしないタイプの盗賊っぽい人……
すなわち、憧れの「冒険者」である!
ネルク王国内で唯一の「ダンジョン」が近くにあるため、この領都は彼らの拠点となっているのだろう。
そそくさと『じんぶつずかん』をチェックしてみると、能力的には、まぁ……うん。ふつうだな……?
……ヨルダ様の部下の騎士さん達にも冒険者出身の方々がいるし、「機会があれば転職したい」という方が大半なのだろう。
各種創作物の影響で、ルークさん的には「憧れの冒険者!」という感じなのだが、現地の方々にとってはフリーター的な感覚なのやもしれぬ。
実際、ネルク王国の場合には、強ければ王都で拳闘士になったほうが安全に稼げるし、回復魔法の使い手にも拳闘場での需要がある。魔導師さんは数が少ないから仕官も就職もしやすいし、好き好んで冒険者をやろうという人はそんなに多くないのでは、という気もしている。「やむにやまれず」とか「他にできることがないから」とか「必要に迫られて」という人は多そう。
あと……ロレンス様のお話では、「迷宮の主」に認められれば、称号や魔道具を得られるという話だし、「一攫千金!」的な夢はありそうだ。
その実例も見てみたいものだが、それはさておき。
「……領都に、着いてしまいましたね」
ロレンス様はほんのちょっぴり寂しそうに呟いて、俺やクラリス様、リルフィ様、ピタちゃん(ウサギ状態)を順番に見回した。
……ピタちゃん、初日は猫カフェで過ごしていたのだが、俺がいないとおやつが出てこないことに気づいて馬車側に出てきた。ハハハ、食いしん坊さんめ。(ブーメラン)
クラリス様が、ロレンス様に微笑みかけた。
「ロレンス様、またすぐに会えますわ。ルークなら、こちらの領都とリーデルハイン領の往復もあっという間です。それこそ、ものの数分でうかがえますし、もしご不安でしたら、次に会える日程を約束しておくことをおすすめします。ルークは、約束を守ってくれる子ですから」
信頼と実績のルークさん。
日頃の賄賂によって(即物的に)培われたペットと飼い主の絆は、やはり伊達ではない。
クラリス様から得たこの信頼を裏切らぬよう、今後も不惜身命の覚悟をもってペット道に邁進していく所存である!
それはそれとして、このタイミングで「日程確保」という発想がちゃんと出てくるクラリス様すごくない? ルークさんがズボラで無計画なだけ?
「じゃあこうしましょう。毎月五日を、定例で秘密のお茶会の日にしませんか? その日は特殊な事情がない限り、みんなでロレンス様の元に集まって遊ぶ、とゆーことで……その日以外でも、私は暇を見てちょくちょくお邪魔するつもりですが、とりあえず日時を確定させておけばスケジュールを立てやすいと思います!」
リルフィ様が、ちょっとだけ首を傾げた。
「良い案と思いますが……五日というのは、何か理由があるのですか?」
「一日とか月末とかだと、他の用事が入りやすい印象がありまして……そういう日を避けました。たとえば年越しの前後とかは、侯爵家の側でも何かイベントがありそうですし。もちろん予定が入った場合には、そのたびに融通を利かせてズラしますが、ロレンス様、いかがですか?」
振り仰ぐと、ロレンス様がはにかみながら頷いた。
「ご面倒でなければ、その……ぜひ、お願いしたいです」
視線がちらりとクラリス様へ向いたのを、ルークさんは見逃さない。大丈夫です、予定が合う限りはちゃんとお連れいたします。ええ、それはもう。
ピタちゃんも赤いおめめをキラキラさせた。
「ルークさま、その日は、そふとくりーむをたべほうだいにしましょう」
「しません。おなかが冷えちゃうから、一日一個までにしようね?」
「けちー」
ピタちゃんは防寒性能高そうだから、アイスをドカ食いしても案外平気かもしれないが……最近ちょっとぷっくりしてきた感じがしないでもないので、餌の量には気をつけたい。この子はあればあるだけ食べてしまう……
ロレンス様は我々のやりとりに笑ってくださった。
クラリス様のご提案から始まったこのお茶会は――この後、想定外の事情により、回数が増えることになる。
そこには「ダンジョン」との関わりが影響してくるのだが、今の時点ではまだ、これはルークさんにも予測できぬ未来のお話であった。