89・猫と王族のお茶会
ククク……ククククク……
内心で悪代官のよーに嗤いつつ、ルークさんはひたすら、無害でカワイイ陽キャの猫さんを演じ続けた。
よもやこの笑顔の裏で、抜け目なくトマト様の覇道を目論んでいるなどとは誰も気づくまい……!
……や、クラリス様やリルフィ様は既にご存知であるが、ロレンス様は(ほぼ)初対面であり、俺のことも「ただの猫さん」だと思っているはずである。
まずは油断させて協力者に仕立て上げ、外堀と内堀を猫車(土木用)の往復で地道に埋め立てたのち、季節のスイーツをお中元とお歳暮にお送りする流れで懐柔してくれよう……ククククク……気づいた時には、ロレンス様は我が戦略的ビジネスパートナーの一員となっているはずである。
メロンのムースケーキをご賞味いただきながら、ルークさんはせっせと媚びを売る。
「ロレンス様のお噂は、我が飼い主の父君であらせられるライゼー様からもうかがっておりました! ラライナ様の不興を買った侍女を穏便に逃したり、御用商人を助けたり、商人達の間ではたいへん良い評価を得ておられるそうで……」
ロレンス様に「ペーパーパウチ工房の後ろ盾になってもらおう!」と決めたのには、この評判も影響している。後援者になっていただければ、王都の有力商人達とのつながりもオマケでついてくるという有能ぶり! この獲物は逃さぬ……!
が、この件についてはリオレット陛下が初耳だったらしい。
「ロレンスが? 商人達と仲が良いとは聞いていたが、侍女の話は初耳だな」
ケーキに夢中になっていたマリーシアさんが、はっと顔を上げた。
この方、初めて見た時はメイドさんに変装していたが、中身は警護役のロレンス様専属近衛騎士。
ちょっと険しめな顔立ち、鋭い目つき、輝くような金髪と、容姿だけなら立派な「くっころ系」である。
ルークさんがオークさんだったら一波乱あってもおかしくないのだが、生憎とこちとらいたいけな猫さんなのでそういう展開はない。ないので大丈夫ですからリルフィ様見惚れてないです他意はないですハイライトさんカムバック。
ひっそりと耳を伏せる俺をよそに、マリーシアさんが真顔で話し続ける。
「ラライナ様の不興を買った侍女とは、私の友人です。あの……以前、ハインラット伯爵に言い寄られて、襲われそうになった拍子に、殴りつけてしまって……貴族を殴るなんて大事ですし、ラライナ様はハインラット伯爵と懇意にされていますから――その、伯爵に詫びて、許していただくようにと……」
ここで言い淀んだが、あまりクラリス様達のお耳にいれたくない形での「詫び」を前提としていたのだろう。
「それをロレンス様が諌めて、表向きは侍女を解雇する形で逃がし、ハインラット伯爵も上手く言いくるめてくださったのです。殴打の件もなかったことになって、今は平穏に暮らしています」
ロレンス様が少々苦い顔とともに、マリーシアさんの袖を引っ張った。
「マリーシア、あれは……本来なら、こちらの恥だ。ハインラット伯爵が一番悪いし、侍女を守ろうとしなかった母上も悪い。せっかく志を持って王宮へ来てくれたのに、あんな形でしか逃がしてあげられなくて、申し訳なかった」
……ロレンスさま、いい子……(きゅん)
そしてまた名前が飛び出た例の「ハインラット伯爵」は、ほんとにもうどうしたものか。他人事ながらちょっと放置できない感じになってきたぞ? 処すべきなのでは?
「しかし、ライゼー子爵はよくそんなことまでご存知でしたね。この話は、それこそ実際の関係者しか知らないはずですが」
不思議がるロレンス様に、クラリス様が応じる。
「父は庶子だったため、子爵家を継ぐ前は商家へ養子に出されていました。その頃に培った商人達との人脈が、今も父の強みになっています。件の侍女も、もしや商家のご出身だったのでは?」
「ああ、なるほど……商家ではないのですが、実家は職人街で革職人をしていたはずですから、商人達との取引はあるでしょう。そちらから出た話かもしれません」
セリフだけ聞いてると、九歳児と十歳児の会話ではないな……?
王侯貴族の教育の賜物、と言うべきか。いやしかし、先日の夜会で見かけたクラリス様と同世代のお子様達は、もう少しフツーっぽかった気もするし……やはり、このお二人が特別なのだろう。
周囲が大人ばかりで、あまり同世代の子供が身近にいなかった、という事情もあると思われる。
ロレンス様の場合は司書のカルディス氏、クラリス様の場合はライゼー様や母君のウェルテル様、リルフィ様、サーシャさん、クロード様、ヨルダ様、執事のノルドさんあたりが人格形成の基礎となっているはずで、「まぁそりゃ賢くなるよね……?」的な納得感もある。いや、カルディス氏は故人なんで知らんけど、今のロレンス様を見れば、その賢人ぶりを疑う気にはなれぬ。
そうこうしているうちに、リオレット陛下が本題に入ってくださった。
「ところで、ロレンス。今日、ルーク様と引き合わせた理由なんだが……実は、ルーク様は近々、今までに前例のない新たな食品加工の事業を始められるそうなんだ。で、その後ろ盾として、君の名前を借りたい。出資者……いや、金銭は建前程度のわずかな額でいいし、それはこちらから出せるから気にしなくていいんだが、要するに『この事業には王族が絡んでいる』と示すことで、他の貴族からの介入や、他の商人からの嫌がらせを防ぐ盾になって欲しい、という願いなんだが……」
ロレンス様、眼をぱちくり。
「それは……しかし兄上、私では盾になりません。今の私は母ともども、むしろ罪人に近い立場ですので、かえって事業の足手まといになるのではないかと思います」
リオレット陛下が肩をすくめる。
「説明を急ぎすぎた。『今の時点で』、盾になってもらう必要はないんだ。事業はまだ準備段階で、商品を出荷して交易を本格化させるまでには数年かかる。数年後には、ロレンスにも国政に復帰してもらうつもりだから……この事業への参加も、社会勉強の一環と考えて欲しい。基本的にはこちらのルーク様の指示に従ってもらうが、経済や市場の仕組みを学ぶ上で、貴重な経験になると思う」
……ククク……さすがはリオレット陛下。打ち合わせ通りに、断りにくい頼み方をしてくださっている……なかなか演技派であるが、ルーク「様」はちょっと重いからやめない?
ロレンス様は少し考えてから、ケーキを貪り続ける俺を見つめた。
「私の経験のために、というお話なら、ありがたく承りますが……しかしルーク様、それでもやはり、事業の盾としては兄上のほうが適格ではありませんか?」
俺は眼を細めてフォークを掲げる。
「さすがに国王陛下が絡む事業となると、逆に注目を集めすぎちゃいますし。ただでさえご多忙な陛下の手を煩わせるわけにもいきません!」
……と、もっともらしい理屈をつけたが、真の理由は「リオレット陛下は、あと数年で魔族さんのおうちへ婿養子にいっちゃうから」である。リア充め。
しかし、これはまだロレンス様にも言えぬ。リオレット陛下の退位予定は、アーデリア様の正体が「魔族」である事実とも関係してくるため、隠せるうちは隠しておきたい。
…………あと「息子が王になれる!」とか、今の時点で正妃ラライナ様に知られたら、反省するどころか悪い方向にはっちゃけてしまいそう。
それはともあれ、「陛下は忙しいから!」という理由は、ロレンス様には刺さった模様。
「わかりました。お役に立てるかどうかまではわかりませんが、まずは事業の内容をうかがった上で判断させてください」
言質とったッ!
ひとまず「リオレット陛下からのお願い」という形で、ロレンス様を巻き込むことに成功した。
トマト様! また貴方様の覇道へ一歩近づきました!
「あ、それともう一点。ロレンス様は、税務閥のペズン・フレイマー伯爵という方をご存知ですか?」
「はい、それはもちろん。私の師だった、今は亡きカルディス男爵のご友人です。何度か、話をさせていただいたこともあります」
ふむ。印象は悪くなさそうだ。
「確か、昨年末で実務からは引退されて……今は引き継ぎを兼ねて、税務関係の職員の指導・教育をされていると聞いています」
「はい。実はそのペズン伯爵に、我々と一緒に侯爵領へ同行していただき、ロレンス様に税務や法律関係の講義をしてもらおうかと考えています。期間は応相談ですが、数ヶ月くらいかなぁ、と」
「それは……少々、恐れ多いです。引退間近とはいえ、伯爵位を持つ貴族ですし、御本人も良い返事はされないものと思います」
ロレンス様はこう仰ったが、リオレット陛下が首を横に振った。
「いや、ペズン伯爵はラライナ様の派閥の一員だし、ロレンスが国政に復帰するための助けになると思えば、おそらく受けてくれるだろう。私から直接、依頼してみる」
王命である。断れるわけがねぇ。
その後は雑談のお時間となったが、リオレット陛下は公務があるとのことで、残念ながらケーキだけ召し上がって、護衛のアーデリア様と共にご退席。
ちなみに魔族のウィル君は、今日は転移魔法で実家に戻っておられるらしい。
姉弟揃ってずっとこちらにいるわけにもいかぬのであろう。アーデリア様とリオレット陛下が婚約されるなら、親族への根回しも必要なはずである。
ほぼ謹慎中のロレンス様はお暇とのことで、今日は一日、みんなで遊ぶことになった。
メンバーはクラリス様、リルフィ様、アイシャさん、ルーシャン様、ウサギと猫。
そしてゲストにロレンス様とマリーシアさん。
……ルーシャン様、公務は……? とか一瞬思ったけど、なんだか楽しそうだったので何も言わずに流した。猫の情けである。実際、社交の季節はもう終わりなので、さして忙しくはないのだろう。
これからロレンス様達は、数年にわたって王都を離れる。
そこでルークさんからご提案。
「ロレンス様、しばらく王都を離れる前に、なにかやりたいこととか、見ておきたい場所とかってありませんか? 私が警護をしますので、大概の場所には自由に行けるかと思います!」
遁術の達人・松猫さんの要人警護における信頼性は、リオレット陛下暗殺未遂事件の折に実証済みである。
警護役のマリーシアさんがちょっと不安そうだったが、口は出さない。おそらくロレンス様のご意向を優先したいのであろう。
ロレンス様は、しばらく迷った後で俺をじっと見据えた。
「……行き先は、王都の外でも可能でしょうか?」
これは意外なリクエスト。どのみち侯爵領に移動する時に王都を出るわけなので、「王都の外ならどこでもいい」というわけではなかろう。目的地はどこだろうか。
「たぶん可能だと思いますが、地理には明るくないもので、場所によっては道案内が必要になります」
「そんなに遠方ではありません。王都の外、城からも見える丘の上に、古い砦があるのです。既に朽ちかけていて、もはや遺跡のような代物ですが――可能なら、そこに行きたいのです」
…………本当に予想外のリクエストである。
え? 王都で人気のスイーツ店とか露店とかレストランとか、そういう場所じゃなくていいの? けっこうオススメのおいしいお店とか気になるお店とかあるよ?
「朽ちた砦ですか……理由をうかがってもいいですか?」
「私の師、カルディス男爵から、頼まれていたことがあるのです。もしもいずれ、私が王都を離れる機会があったら、可能ならあの砦に立ち寄って、掘り出して欲しいものがあると――」
……ふーむ。
コレは、アレか。
亡き師が弟子に、あるいは老いた忠臣が幼き主へ遺した置き土産――という匂いがプンプンする。なかなかロマンのある話であり、正直好きな展開だ。
「すぐに行きましょう! このまま出発していいですよね?」
俺が肉球を掲げると、マリーシアさんが慌てた様子で口を挟んだ。
「いえ、お待ちください! いくら見えている距離とはいえ、往復するとなれば帰りは夜になってしまいます。交易路からも外れた場所ですし、馬車の用意も……」
俺は掲げた肉球をそのまま左右にうち振った。
「いえいえ、見えている距離なら片道数分です。このままこちらでお待ち下さい!」
ウィンドキャットさんの機動力ならば、お茶菓子をつまむ時間すらかからぬのだが……音速を超えるとソニックブームが発生してしまうので、王都上空では自重していただこう。バードストライクも怖いので安全運転を基本としたい。
後のご対応をクラリス様達にお任せし、俺はさっそくシェルターの外へ出た。
ロレンス様の居室の窓から飛び出し、まずは上昇して辺りをぐるりと見回す。
(王都の近くに見える、丘の上の朽ちた砦……あ。アレかな?)
該当の物件はすぐに見つかった。
石造りの小さな砦だが、明らかに時代が古い。大きさはもう普通の民家と変わらず、二階建てプラス屋上という佇まい。
道にも接しておらず、丘の上にぽつんと、忘れ去られたよーに建っている。
戦闘や防御用の砦ではないな……高いところに建てられているし、ほぼ「見張り台」と言っていい。
遠い昔には二、三人の兵士がそこに詰めていたのだろうと思われるが、今となっては無用の廃墟。諸行無常である。祇園精舎は見当たらぬ。
砦の周辺はほぼ荒れ地で、岩場が多い。
降り立った丘も見晴らしが良く、広い王都をほぼ一望できた。
廃墟の前で、俺は再びキャットシェルターの扉を開ける。
「着きましたー。皆様、どうぞこちらへ!」
室内に声をかけると、クラリス様やリルフィ様達がぞろぞろと外へ。
そしてロレンス様とマリーシアさんが、呆気にとられた様子でその後ろからついてくる。
「……ほ、本当に着いたのですね……」
「あの距離を一瞬で……?」
「空を飛ぶと、一直線なので早いんですよねー。それよりこの砦……だいぶ朽ちていますので、中に入るのはちょっと危ないかもしれません」
石造りなので腐ってはいないのだが、風雨による侵食は避けられないし、扉もどっかへ行ってしまっている。
中を覗けばがらんどうの一部屋のみ。奥の階段、もしくはハシゴすら残っていない。
「いえ、中には入りません。砦の裏に石碑があるはずで、その石碑と砦のちょうど中間地点を少し掘りたいのですが……しまったな。スコップを持ってくればよかったですね」
「あ。それは大丈夫です! 私が愛用している農作業具がありますので。猫魔法、ストレージキャット!」
今日も優雅な執事猫さんが、くるりと前転して現れる。
取り出してもらった子供用スコップは、よくわからぬ獣の骨から作られたモノ。
いわゆる骨角器というやつだが、強度は必要充分でなおかつお安い。リーデルハイン邸でいただいたルークさんの大事な大事な農具類は、ストレージキャットさんにちゃんと管理してもらっているのだ。
スコップを手にした俺を見て、ロレンス様はおかしげに吹き出した。
「あははっ……す、すみません! いえ、スコップを手にしたルーク様が、あまりに手慣れた様子だったので、つい……ご愛用の品なのですか?」
それまで驚いてばかりであったが、そろそろ緊張もほぐれ、俺の存在も「こういうモノ」とご納得いただけたらしい。
「はい! リーデルハイン領では私専用の畑も作ってもらいまして、王都から帰還後は、またそちらで農作業の日々に戻る予定です。いずれロレンス様にもお見せしたいので、収穫期になったらこっそりお迎えにあがりますね」
「それは……はい。楽しみにしています」
ロレンス様はにっこり。
距離を考えたらさすがにムリだろうし、これは社交辞令か……とでもお考えになったようだが、ルークさんはガチである。普通に迎えに行くつもりである。
アルドノール侯爵領の地理と、ロレンス様の居場所さえ把握できれば、駅前のコンビニに出かけるよーな気安さでリーデルハイン領と往復できるであろう。
そして我々一行は、『カルディス男爵の置き土産』を探すべく、廃墟の裏手へと回った。




