87・襲撃の真相
翌日の早朝。
俺はウィンドキャットさんにまたがり、王都の上空を優雅に飛んでいた。
昨夜は遅くまで、情報の整理と今後の思案をしていたため、実は若干眠いのだが、方針が固まった以上は早急に動く必要がある。
眩しい朝日を直視せぬように顔を庇いつつ、俺は昨夜も読み込んだ『じんぶつずかん』を再確認した。
馬車を襲った素人の刺客――
彼らの正体は、ほぼライゼー様の読み通りであった。
裏社会のイカサマな違法賭博で多額の借金を負い、「あの馬車を襲えば、成否に関わらず借金を減らしてやる」と強制された、だいぶアレな人達である。
そして彼らの表向きの雇い主は、「ライゼー様に恨みを持つ商人」――しかし、この商人は架空の人物であり、実在しない。
ライゼー様が懸念されていた「誰かに罪を着せる」というパターンではなかったが、犯罪組織を仲介役に通すことで、一応の偽装工作はされていた。
もちろん、本当にライゼー様の命を狙うつもりであれば、戦力が全然足りぬ。失敗が折込済みだったのは間違いない。
つまり今回の襲撃は、「ライゼー様を殺す」ためのものではなく、また「警告」ですらない。雇い主は偽装していたが架空の人物であり、誰かに罪を着せる目的でもなかった。
――では、誰が、何の目的で襲撃を実行させたのか?
……ここで現在、一部の貴族の間でまことしやかに流れている、根も葉もないクソみたいな噂を一つご紹介しよう。
『正妃ラライナ様とロレンス様を侯爵領へお送りするにあたって、その護衛役となったライゼー子爵には、「道中の事故を装って、お二人を暗殺する」という密命が下されている』
…………ライゼー様のお人柄さえ知っていればありえない話なのだが、詳しいことを知らぬ一部の蒙昧な貴族の中には、こんな噂を信じてしまっている残念な方もいる。
とはいえ、これを責めるのは気の毒かもしれない。
そもそも『正妃はリオレット様を殺そうと、魔族の暗殺者まで雇った』わけで、本来ならばこの時点で死罪が確定。
しかしながら、慈悲深きリオレット陛下は、正妃達に「罪人としての死」を与えるのをよしとせず、「王族としての不幸な事故」という形で幕引きを図られた――という流れは、いかにもありそうなお話なのである。
王侯貴族によるスキャンダル揉み消しの歴史においては、「真実を隠しつつ罰する」とか、「虚偽の罪で罰する」みたいな手段は珍しくない。
ただし一部の貴族がそう勘違いしたところで、とうのリオレット陛下にそのつもりは一切なく、むしろ弟のロレンス様は大事な後継者(予定)だ。
陛下が退位してアーデリア様と結婚し、魔族の領地で婿養子として悠々自適な隠遁生活を送るためには、ロレンス様の健全なる成長が必須条件なのである。
……国王陛下、割といいとこどりしてる感あるな……?
話が逸れたが、つまり一部の貴族は、旅の護衛役たるライゼー様のことを「正妃達の始末役」だと誤解している。
実際に正妃とロレンス様が侯爵領での生活を始めてしまえば、この誤解はすぐ解けるのだが、今の時点ではいくら否定したところで「逆に怪しい」と思われてしまうだけだろう。
昨夜の刺客は、このひどい噂を信じた、とある貴族から差し向けられた。
そして彼の目的は、「ライゼー様の身辺で問題を起こし、正妃達の護衛役から外させる」こと――
暗殺者に狙われている貴族を、わざわざ王族の護衛役にするわけにはいかない。巻き添えにされたら大問題だし、まともな貴族であれば「それはちょっと……」と難色を示すであろう。
つまり昨夜の襲撃未遂は、その成否に関係なく、「公にされた」時点で黒幕の予定通りとなってしまう類の罠だったのだ。
ライゼー様の「スルー」というご判断は、ほぼ唯一の正解であった。
ライゼー様は、ギブルスネークを一撃で仕留めたほどの槍の名手として知られている。
並の兵士では太刀打ちできぬ強キャラで、しかも配下には称号持ちの騎士団長、ヨルダ様までいる。
この二人に鍛えられたリーデルハイン騎士団の面々は、少数ながらも間違いなく精鋭であり、この一行が道中で「正妃達の暗殺」を目論んだら、止める手段はそうそうないだろう。
逆に言うと、だからこそ「護衛」としては、少数でも頼りになるのだが……
しかし黒幕の貴族には、たとえライゼー様が「暗殺任務を受けていなかった」としても、正妃の護衛から外れておいて欲しい理由があったのだ。
――首謀者の、真の目的。
それは「正妃の亡命」である。
王都を出て、アルドノール侯爵領へ正妃達が向かうタイミングで、彼女らを救出し、そのまま他国へと逃がす!
これが本当の狙いであり、つまり謀略の犯人は「正妃の信奉者」だった。
もちろん正妃の指示ではない。
あくまで忠心からの暴走であり、軽率といえば軽率なのだが……恐るべきは正妃の『人心操作』といったところか。
彼女の求心力は残念ながら本物だ。もしもロレンス様が一計を案じていなければ、本当にこの国で内乱が起きていたのだろう。
この亡命計画を成功させるためには、槍の達人であるライゼー様が正妃の暗殺担当であれ護衛担当であれ、「ただ近くにいる」というだけで大変な障害になってしまう。
非合法の組織にわざわざ依頼し、安価で使い捨てが前提となる借金漬けの素人に頼らざるを得なかった時点でわかることだが、下手人はまともな手勢を所有していない。野心もたぶんそんなにない。ただ、『正妃とロレンス様の命を助けたい』という一心から、分不相応な大事をやらかそうとしている。
……やり方と判断力はともかくとして。
そういう「忠義の臣」というものが、ルークさんは決して嫌いではない。主に仕えるペットとしては、見習うべき心意気だとも思ってしまう。
だからこそ昨夜はいろいろと考え込んでしまったが、一応の対応案はまとまり、今、俺は宮廷魔導師ルーシャン様にご相談するため、お城へ向かっている。
ここしばらくのルーシャン様は、お屋敷でも魔導研究所でもなく、城で起居されていた。
政務で多忙な陛下を傍で支える――という建前だが、どうも警護役たるアーデリア様との、魔導師的な情報交換が主な目的らしい。
純血の魔族と親しく会話できる好機などそうそうなかろうし、陛下が忙しく書類系の執務をしている傍らで、アーデリア様とルーシャン様が楽しくお茶会をする日々が続いているとも聞く。
……国王陛下、割と貧乏くじ引いてる感もあるな……?
城に辿り着いた俺は、王様の執務室の窓から中を覗き込んだ。
執務机で早朝から書類仕事をしているのはリオレット陛下。
警護役のアーデリア様は、室内のソファで、のんびりとモーニングティーを味わっておられる。
ルーシャン様は扉を隔てた隣室にいた。こちらは手紙を書いておられるようだが、今はペンを止めてなにやら考え事をされている。
邪魔をするのは恐縮だったが、まずはメッセンジャーキャットを飛ばして、窓から室内に入れていただいた。
「これはこれは、ルーク様! 昨夜の夜会ではお疲れさまでした。今朝はどのような用件で?」
「はい。ちょっとご相談がありまして!」
そして俺は、馬車の襲撃事件について手短にご報告。
その黒幕が、「正妃達の亡命」を目論んでいることもあわせてお伝えした。
ルーシャン様はしばらく絶句した後、わなわなと震え出す。
「な、なんと罰当たりな……! ルーク様、たいへん申し訳ございません! 下手人は必ずや引っ捕らえて――」
「あ! いえ、違うのです。お願い事というのは、そうじゃなくてですね。犯人は捕まえずに、王様の命令で、正妃達の移動のお供に加えていただけないかなぁ、と――」
ルーシャン様が戸惑いを見せた。
差し出がましいのは自覚している。が、理由もこれからご説明したい。
「……それはつまり、犯人がさらなる尻尾を出すまで泳がせる――ということでしょうか?」
「いえ。むしろ変な泳ぎ方をされないように、眼の届くところにいて欲しいのです。近くにいてもらった方が動きを読みやすいですし、目的地に着いてしまえば『ライゼー様が暗殺の指示など受けていない』という事実の証明にもなります。何より……その下手人というのが、投獄するにはちょっと惜しい人材でして――」
ルーシャン様の眉間に皺が寄った。
「一体、何者でしょうか? 心当たりがないのですが……」
「黒幕は、税務閥の『ペズン・フレイマー伯爵』という方だと思います」
「……ペズン伯爵? ……えっ? いや、彼はただの役人ですぞ……!?」
ペズン・フレイマー伯爵。
この人物は、昨夜の夜会にもゲストとして出席していた。
酔うと罵詈雑言が飛び出す要注意人物とのことで、クロード様がその動向を気にされていたのだが――昨夜はとてもおとなしく、そもそも酒を一滴も飲んでいなかったらしい。
一応は爵位を持っているが、彼の持つ伯爵位は上級官僚に与えられる一代限りのもので、子孫には継がせられないし領地も持っていない。つまり宮廷魔導師にして伯爵たるルーシャン様と似たようなお立場といえる。
守るべき家や領地がないからこそ、「正妃達を亡命させよう!」などと思い切れたのだろう。
「ルーク様、それは間違いないのですか? ペズン伯爵とは、個人的な親交こそありませんが……酒さえ入らなければ、生真面目で職務に忠実な官僚と聞き及んでおります。あまり大それたことをしそうな人間ではありませんが――」
「真面目な人が覚悟キメると怖いですよー。ペズン伯爵にとっての正妃ラライナ様は、なんというか――そうですね。ルーシャン様にとっての『猫』と同じくらいの重みなのではと思います」
ルーシャン様が真顔に転じた。
「……なるほど……なるほど、わかります。恐れ多いことですが、距離感を保ちつつも敬してやまぬ至高の存在という意味では……あのラライナ様に猫様ほどの価値があるとは到底思えませぬが、まぁ、信仰は自由ですからな」
世間様の一般常識的には、頭おかしいのはルーシャン様のほうよ? そこは自覚しといてもバチはあたらないよ?
とはいえ信仰はまさに自由であり、俺がとやかく言うことではない。「これでこそ安定のルーシャン様」という貫禄である。
「ペズン伯爵は昨年末に一線を退きまして、現在は税務の助言役として、後進の育成にあたっております。昨夜の夜会も、退職を視野に入れての挨拶回りとして出席していたようで――とはいえ、実務能力は確かですし、退職はまだ早いのではと引き止める声もありましてな。酒席での評判はともかく、税務を通じて国内の諸事情に詳しい上、統計や数字に強く、得難い人材であるのも確かです。でなければ、一代限りとはいえ、伯爵位など得られるものではありませぬ」
酒癖の悪い人がよくそこまで出世できたものだが――実はここに、「正妃ラライナ」の庇護があった。
ラライナ様は税務閥の貴族とは特に親しく、癖はあっても優秀なペズン氏を重用し、問題を起こした時には庇っていたらしい。
ペズン氏はそれを恩義に感じており、正妃が殺される前に亡命させようと画策するに至った。
ここでそのペズン氏の『じんぶつずかん』情報をば。
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■ ペズン・フレイマー(61) 人間・オス
体力E 武力E
知力B 魔力D
統率C 精神C
猫力41
■適性■
税法A 算術B 統計学B 史学B
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能吏、と言って差し支えあるまい。
昨年までは、王国税務庁の部官というお立場だった。聞き慣れぬ役職名であるが、長官→副官→(各部の)部官という順に偉いらしく、要するに会社組織で言うところの「部長」級と思われる。
「しかし、ルーク様。ペズン伯爵が本当に刺客を雇ったとして、わざわざ同行させて、どのように扱われるおつもりですか? 罪をなかったことにするには、いささか不敬が過ぎるものと……」
「手段に問題はありましたが、馬車の襲撃以外はまだ未遂です。そして馬車の襲撃に関しては、襲われたライゼー様ご自身が、『あれは単なる盗賊の仕業』『それを適当にあしらって追い返しただけ』という対応で押し通すおつもりですので、私もそのご意向に従います」
ちょっと無理があるだろうか……? いや、しかし、まずはペズン伯爵の残念な誤解を解きたい。その上で、腹案としては――
「ペズン伯爵は悪質なデマに騙されたようですが、それでも彼が、『正妃やロレンス様の命を救うため』に、自らの立場を危うくしてまで策を練ったことは事実です。そこにおそらく私利私欲はなく……改心していただければ、きっとロレンス様の良き師となられるのではないかと、そんな期待を持ちました」
『じんぶつずかん』におけるペズン伯爵の項を熟読した末、俺はそんな結論に至った。
彼の忠誠心は、正妃だけでなくロレンス様にも向いている。
かつてお城の書庫で司書をしていた、ロレンス様の師、『カルディス男爵』――既に故人であるが、ペズン伯爵はこの人物と親友であったらしい。
その教え子だったロレンス様に対して、伯爵も一方ならぬ思い入れを持っている。
親友の教え子が、くだらぬ王位争いの末にむざむざ暗殺されるなど、我慢ならなかったのだ。
酒癖は悪くとも。口は悪くとも。少し短慮で、迂闊なところもあるにせよ――彼は、政治的な敗者となった正妃やロレンス様を見捨てなかった忠義の人である。
ロレンス様の将来のためにも、誤解を解き反省していただいた上で、できれば味方に引き込んでおきたい。
あと……こんな人を騙した、『ライゼー子爵が暗殺に荷担する!』というデマを流した輩には、別途、対応を考えたい。むしろそっちの方が罪深い。
ルーシャン様が、少し不思議そうな顔に転じた。
「ルーク様は、ペズン伯爵ともう接触されたのですか?」
「いえ、遠目に見ただけですね」
「左様ですか……いえ、ルーク様の方針に異を唱える気はないのですが、少々、意外でしてな。リーデルハイン家に害を加えようとした輩には、容赦せぬものとばかり思っておりました」
その認識は間違っていない。決して、間違ってはいないのだが……
「…………襲ってきた刺客とゆーのが、あまりに弱すぎて……その……あんな刺客を使わざるを得ないほど思い詰めているのかと考えたら、なんだか気の毒になってしまいまして……」
……一人だけ顔を確認しておいた刺客も、あまり同情の余地がなさそうなタイプの小悪党であった。
詐欺や窃盗で身を持ち崩し、ギャンブルにはまって借金をこさえ、酒に溺れて堕ちた先があの状況という……今回は、ライゼー様が陰謀を警戒したために見逃さざるを得なかったが、いずれ遠からず別件で捕縛されそう。
むしろ今回の件で懲りて更生してくれると良いのだが、さすがに面倒を見る気にはなれぬ。
ルーシャン様は、自らを納得させるように何度か頷いた。
「何かしら、深慮があるものと推察いたしました。では、ひとまず……どのような名目で、ペズン伯爵を同行させたものでしょうな? 文官で、しかも高齢ですので、護衛役というのはさすがに無理がありますが」
「『ロレンス様の家庭教師』というのはいかがでしょう? 長期間ではなく、数ヶ月程度で良いかと思いますので、税金や国政についての講義をしていただくという流れなら、先方も断りにくいと思います。確か先日の会議の席で、リオレット陛下もそんな感じのことを仰ってましたよね? ロレンス様が成人するまでは、侯爵領で政治とかいろいろ勉強してもらって、いずれは国政に手を貸して欲しい――みたいな。あの言を補強する指示ならば、不自然ではないはずです」
我ながら、これは悪くない案だと思う。
ロレンス様に税とか経済とかの仕組みを学んでおいていただければ、ペーパーパウチ工房の後援者に名を連ねてもらう際にも、なにかと都合が良い。
ルーシャン様も納得顔で微笑んだ。
「うまい抜け道ですな。承りました。陛下に進言いたしましょう。それと……もしよろしければ、今日のうちに陛下を通じて、ロレンス様と接触しておかれますか? 旅のはじめにいきなり自己紹介をするよりは、あらかじめ陛下からご紹介いただいたほうが良いかと思いますが――」
いかにも猫らしく、すかさず餌に飛びつくルークさん!
「それはありがたいです! でも、ご多忙ではないですか?」
「いえいえ。どのみち、ロレンス様が出立される前に、内密に話す時間を確保する予定でしたから、ちょうど良いかと思います」
いよいよロレンス様へのご挨拶である!
俺の側からは幾度か、姿を隠して盗み見させていただいたが、ロレンス様は俺のことをまだ知らない。
次期権力者を懐柔し、トマト様の覇道をより確かなものとするための重要なイベントである。失敗は許されない。
ルーシャン様に抱っこされて運ばれつつ、俺はいつもの悪い顔で、ご提供するお茶菓子の思案を始めたのだった。




