85・クロードの夜会警備
クロード・リーデルハインは、その日の夜会に若干の警戒心をもって臨んでいた。
士官学校の制服を着た生徒は、軍閥の夜会では慣例的に「ゲスト兼警備役」として扱われる。
飲食やダンス、会話には普通に参加しつつ、何か起きた場合には現場で即応する――有り体にいってしまえばつまり、「酔っ払った貴族の喧嘩の仲裁役」を期待されている。
そうそう起きる不祥事ではないが、何か起きそうな気配を察したら、未然に会話へ割り込んで防ぐようにとも指導されている。
他人の喧嘩に割り込むなど、一般の貴族にとってはリスク要因でしかなく、また平民の衛兵には『相手が貴族』という時点で少々荷が重い。
士官学校の学生というのは、その点、実にちょうどいい立ち位置にいる。
学生に止められてもなお暴れるようなら、周囲からの視線も「子供相手に大人気ない」となるし、学生達は一通りの教練も受けているため、体術に関しては素人よりももちろん強い。
特に領主課程の生徒ならば、将来は家を継いで爵位を得る立場でもある。子供だからといって粗略に扱っていい相手でもなく、酔っ払いへの抑止力としてはまさにちょうどいい。
実際に騒動を起こす酒癖の悪い貴族は、人数としては決して多くないのだが――要注意人物が、今夜の夜会にも数人いた。
たとえば、農業閥からのゲストであるカルテラ・アーマーン侯爵。暴力的ではないが、若い女性へのセクハラ癖が酷い。派閥違いのゲストであるため、強く注意しにくいという問題もある。
ただし記憶が飛びやすく、飲酒中の無礼は自分の所業も他人の所業も概ね忘れがちなため、いざとなったら羽交い締めにして休憩室で簀巻きにしても文句は言われない。素面であれば、ただの陽気な愛想のいい老爺である。
もう少し厄介なのが、税務閥のペズン・フレイマー伯爵。日頃はおとなしいが、酒が入ると性格が一変し、ひどく的を射た痛烈な罵詈雑言が出てくる。酒席で喧嘩騒ぎを起こしたことも一度や二度ではないが、彼が手を出したことはほとんどなく、その言動に激怒した他の貴族から殴られた例が多い。
他派閥の重鎮であり、怒らせて良いことは一つもないし、もちろん怪我をさせるのもまずい。扱いの難しい貴族の一人である。
そしてもっとも警戒を要するのが、亡き前王の甥、ハインラット・イブル伯爵。
二十代前半のこの青年貴族は、亡き前王にとても良く似てしまった。すなわち女癖が悪くお調子者で、後先を考えない快楽主義者である。
落馬で亡くなった前皇太子のロックスとも、従兄弟として昵懇の間柄で、軍閥の貴族でありながら、正妃ラライナとも親しい。
おそらくは、今回の王位継承騒動に絡んで、「立身のために内乱を望んでいた貴族」の一人だった。
顔はそこそこ良い上に、口も上手い。
彼に誑かされた令嬢、使用人は数多いため、恨まれる心当たりも多い。つまりこうした宴席では「ハインラットの動向を監視する」のと同時に、「ハインラットに恨みを持つ者から、彼が刺されないように警護をする」という、二重に面倒な対応が必要となる。
一回刺されたほうが良い薬になるんじゃないか――とは、多くの人間が思っているはずだが、一応は王家の縁戚だけに放置もできない。
継承権の順位もそれなりに高く、もしもリオレットとロレンスが潰し合っていれば、彼が王位につく可能性も少しはあった。そして「そうならなくて良かった」と、ほとんどの貴族がしみじみ実感してしまう程度には人望がない。
そのハインラット伯爵は今、そこそこ酒が回った状態で、「目当ての女性」を探している様子だった。
それが誰なのかまではクロードも知らないが、従姉妹のリルフィあたりには絶対に声をかけてほしくない。亜神ルークの怒りが爆発してしまう。
また、ゲストの拳闘士達に眼をつけるのも勘弁して欲しい。身分の違いが大きい上、彼女達のファンである他の貴族達と揉めると大事になりかねない。
自分の欲望に忠実すぎて、そういった政治的な配慮ができない人物だとも聞いている。
そんなハインラットの動きをこの場で気にしているのは、クロードだけではなかった。
「……クロード、アレ、今のうちに縄掛けてしょっ引けないかな?」
「……ラン様、ほんとにあの人のこと嫌いですよね……気持ちはわかりますけど」
すぐ隣から耳打ちをしてきたのは、軍服で男装した美少女――もとい美少年の、ランドール・ラドラである。
ラドラ伯爵家の次期当主となる彼女――彼は、士官学校におけるクロードのルームメイトであり、軍閥における若手の代表格でもあった。
いつもの女装ではなく、今日は凛とした軍服姿であり、つい先程までは興奮した令嬢達に囲まれていた。
令嬢達はもちろん、ランドールが男だと知っている。その上で扱いは「男装の麗人」になるという、少々ややこしい関係性ではあったが、ランドール・ラドラにとっても周囲の女性達は「大切な友人」であり、彼女達に毒牙を向けかねないハインラット伯爵は明確な敵だった。
ランは人当たりが良く、立場もあるため、その嫌悪感を態度に出すことはない。が、気心の知れたクロード相手にはあえて隠しもしない。
「……あのクソ野郎、私の知り合いのご令嬢にも声かけてたんだよ。まじめな子だから、フザけた誘い文句を『伯爵からの要請』だと思って、すっかり青ざめちゃって……あっちは遊びのつもりだから無視していい、って、さんざん説明したけど、それでも怯えちゃってさ……クロード、弓は持ってきてる?」
ランは輝くような笑顔と甘い囁き声で物騒なことを言った。
クロードは眉間を押さえる。
「こんな場所には持ち込めないですし、危ないことにも荷担しません。何をやらせる気ですか」
「あのクソ野郎を仕留めてくれたら、私の代で領内の通行税とか今以上に優遇してあげるんだけどなー」
「対価が現実的すぎて冗談に聞こえないので勘弁してください」
クロードの耳元で囁くランの姿は、周囲からはふざけているようにしか見えないだろうが、発言内容は少々どころでなく不穏だった。
陽キャにも二種類いる。
良い陽キャと悪い陽キャであり、ランやアイシャは前者だが、亡くなった前王やハインラットは明らかに後者だった。
やがてハインラット伯爵は、目当ての女性を見つけたらしい。
会場内でも、特に人の輪が分厚い一角――
そこには、今夜が夜会デビューとなるうら若き女性拳闘士がいた。
慣れない社交に戸惑う彼女の名は、ユナ・クロスローズ。
クロードも先日、工房で挨拶をしたが、はからずもルークの正体を知る同志になってしまった娘である。
もしも彼女に何かあればルークが激怒するのは間違いなく、この会場内ではリルフィやクラリスに続く警護対象だった。
ハインラットの視線は、明らかに彼女へ向いている。
いかにも拳闘一筋で生きてきたらしいユナに、貴族のあしらいができるとは思えない。
先程まで一緒にいたはずの王者ノエルも、今はダンスに誘われて、広間で音楽にあわせ優雅に踊っていた。
一緒に踊っているのは子爵家の令嬢である。
ノエルのファンサービスは基本的に子供か女性限定となっているのは有名な話で、成人した男性貴族からのダンスの申込みまで対応していると、希望者が殺到して切りがない。
限られた時間内でそれをさばこうとすれば不公平感も生まれるし、爵位や人間関係が絡めば、いずれは政治問題化しかねない。
それならいっそ一律で断ってしまったほうが角が立ちにくいのも事実で、これは「拳闘士の特権」として、歴史的にも広く黙認されている。
拳闘士は、貴族からのダンスの誘いを断っても失礼にはあたらない――という特権である。
一方、ユナのほうはそもそもダンスを苦手としているらしく、女性や子供からの誘いも、先程から申し訳なげに断り続けていた。代わりに握手をしたりサインをしたりと対応自体は丁寧で、なかなか忙しない。
ハインラットは、その流れが一段落し、邪魔が入りにくくなる時間帯を待っていたのだろう。
案の定、声をかけられたユナは戸惑い気味である。
会場全体が騒がしいため、その会話はまだクロード達に聞こえないが、歯の浮くような世辞とあわせて「内々の話がある」とか「ぜひ二人きりで」とか「我が家の夜会にも来て欲しい」とでも言われているのだろうと察せられた。
早足で近づいたクロード達は、無礼を承知で人混みに割って入った。
ハインラットは、情熱的な笑顔でユナを口説いていた。
「ユナさん、ダンスを一緒に、とは申しません。少しだけ、あちらで二人きりで、内々の話をさせていただけませんか?」
「い、いえ、あの……困りますので……たいへん恐れ多いのですが、今日はご挨拶しなければならない方が他にもいらっしゃいまして――」
若い伯爵相手に、ユナは戸惑いを隠せていない。
クロードとランはすぐさま二人の間に割り込もうとしたが、その時、大柄な二人の貴族の背に進路を阻まれた。
「これはランドール様、今日もお美しい! 先日の夜会ではトリウ伯爵にもご挨拶をさせていただいたのですが、ランドール様はご不在だったようで……」
「やや、こちらはリーデルハイン家のクロード殿ですな? 武名は聞き及んでおりますぞ。士官学校でも大層なご活躍とか」
「えっ。い、いえ、そのような、あの……」
………………挨拶をされれば、こちらも相応の挨拶を返さねば無礼にあたる。この二人を無視して、ユナとハインラットの元には向かえない。
どうやら連携する配下がいたらしい。「士官学校の学生が邪魔をしに来る」ことを見越して、それを遮るための貴族の防壁である。
相手が貴族だけに、まさか殴り倒して突き進むわけにもいかない。人混みを利用したこの防壁は、単純な策ゆえに厄介だった。
見ればランドールも、笑顔をまじえて応じつつ、舌打ちを漏らす寸前のヤバい目つきに転じている。
この小癪な連携は、ハインラットが「本気」でユナを狙っているという証明でもある。この会場で、クロードとランがハインラットを監視していることに気づき、あらかじめ示し合わせていたのだろう。
ハインラットの無礼がもっと露骨なものであれば周囲も止めてくれるだろうが、さすがにそのあたりのラインの見極めはそつがない。つくづく小賢しい。
障壁となった貴族の言葉を適当に受け流しつつ、クロードが内心で歯噛みしていると――
見知った顔が、ユナとハインラットの間へ、代わりに割り込んでくれた。
「ご歓談のところ、失礼いたします。私はウィルヘルムと申します。リオレット陛下の隣にいる私の姉が、ユナ様にご挨拶をしたいとのことで――少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
黒い礼服姿の美少年、ウィルヘルム・ラ・コルトーナは、静かな透き通った声音で淡々とそう告げた。
その凛々しい容姿と涼しげな立ち居振る舞いが、場の面々の視線を引き付ける。
彼の正体が『魔族』だと知っているのは、この場ではクロードのみである。
この無礼にも見える割り込みに、ハインラットが反応しようとした矢先――
ふと、全員の会話が途切れ、その場が不自然に静まり返った。
皆が皆、ある一瞬を境として唐突に言葉を失い、楽団の演奏だけが虚しく響く。
その場を一瞬だけ支配したのは、見えない幽霊でもよぎったような、よくわからない不可思議な沈黙だった。
ハインラットが言葉を失いまごついているうちに、ウィルはそっとユナの手を引き、人の輪から連れ出してしまった。
クロード達を止めていた貴族も呆けてしまい、その隙に二人もこの場を離れる。
数秒を経て、貴族達はそれぞれ、気まずそうに会話を再開した。ハインラット伯爵も特に怒るでもなく、自らの頭を軽く振って、耳の具合を確かめている。
ランがクロードに耳打ちをした。
「……なんか、今……変な感じしなかった?」
「……そう……ですね……?」
クロードはこの感覚に覚えがあった。
王都にライゼー達が着いた直後――正妃ラライナに呼び出され、父と正妃が密談をした際の記憶である。
知り合ったばかりのルークと一緒に、その会話をこっそり盗聴していた時、ライゼー達の会話が不自然に途切れたことがあった。
そのタイミングで父は部屋から退出したが、あの不自然な「沈黙」は少々気になったものである。
たった今起きた現象は、その時とよく似ていた。
クロードの脳裏に、ふと鼓膜を通さない声が聞こえた。
『クロード様、今、ウィル君に、ユナさんを保護していただくようにとお願いしました! アーデリア様もユナさんと話したかったみたいなので、ちょーどよかったです』
……やはり、ルークの差し金であったらしい。
会場の壁際でリルフィやルーシャン達に囲まれ、猫らしくぼんやりしているように見えるが、なんらかの魔法で会場内の警護をしているのだろう。
つくづく、よく気の回る猫である。
おそらくクラリスとリルフィが最優先警護対象のはずで、少し過保護ではあるかもしれないが、家族としては単純にありがたい。
会場内に他の騒乱の芽などは見当たらず、やや手持ち無沙汰になったところで、ランが声をひそめた。
「クロード。そういえば、ルークさんのことなんだけど……この間のアレ、ルークさんだよね?」
「なんのことです?」
曖昧な問いには、曖昧にすっとぼける。
ランは苦笑いして、ぺろりと舌を出した。
「秘密にするのは別にいいんだけど、そっちの耳には入れとくね? ちょっと前に、『猫の精霊』様が、邪悪な何かの精霊から王都を守ってくれたんだけど……実はあの日、ホルト皇国の外交官が王都に滞在していてさ。アレを見て滞在予定を延長して、今も何か調べ回ってるみたい。そうそうバレないとは思うけど……ルークさん、割とうかつなところがありそうだから、気をつけるように言っておいてね」
「…………ありがとうございます」
勘の鋭いランには、もう『王都を守ったのはルークだ』と気づかれている。人語を喋る猫などそうそういるものではない。
それでいて「秘密を守る意志」を示し、なおかつ「情報提供」までしてくれた。
友人としては、すべてを話せないのは心苦しい反面、ありがたくも思う。
「その外交官の名前ってわかります?」
「リスターナ・フィオット子爵。人当たりは良くて悪い噂も聞かないけど、意外に切れ者だって評判。宿はクランプホテルね」
この世界の国々に、前世にあったような「大使館」などはまだない。同盟国に限って、それに近い役所を首都に置く例はあるが、これも極めて珍しいし、ネルク王国には存在していない。
だから外交官の多くは常駐せず、旅人のようにやって来て、王侯貴族の屋敷やホテルに短期間逗留して帰国する。
おそらく今回は、「王位の行方」を気にして、情報収集のために赴いていたのだろう。
そこでルークの起こした「奇跡」を目の当たりにしてしまい、背景を探っているものと思われる。
このことは後でルークに知らせる必要がありそうだが、今は夜会の終わりを待つしかない。
そしてクロードは、親友ランドールと共に、再び会場内の見回りを始めた。