81・猫の契約交渉
「……というわけで、試作品が完成しました」
……マジかよ。
開発は順調に進んでも一年以上先と覚悟していたのだが、クロスローズ工房の姉妹とその人脈によって、あっさり第一段階を飛び越えてしまった……
この後、長期を想定した保存性と毒性の検証は必要だが、これはそれこそ半年から一年くらいかかる。
今度はその間に、こちらの素材だけで再現可能な「ミートソース」の量産を目指さねばならない。これはこれで茨の……いや、どーかなー……なんかあっさり成功しそうな気がするな……?
……正直、何者かに運命とか操作されていそうな違和感があるのだが、超越猫さんがそんな痒いところに爪が届くアフターサービスをしてくれるとはとても思えぬ。
一応、推論は一つあるのだが……近いうちに、リルフィ様にご相談してみよう……
ともあれ、試作品製造の目処はついた。
長期保存性を検証するためには、一週間後、一ヶ月後、二ヶ月後、三ヶ月後……と、それぞれのタイミングで開封し確認できるよう、複数のペーパーパウチを作成し、保管しておく必要がある。
風雨や振動、気温の変化、日差しからの影響なども把握したいし、試作品はそこそこ多めに必要だ。
当面の目標は「賞味期限六ヶ月」、この検証用の袋はクイナさんに正式発注し、近日中に作っていただくとしよう。
そしてもうお昼の時刻をすっかり過ぎてしまったので、我々は遅めの昼食をとることに。
メニューはもちろん、たった今、袋詰めのためにご披露した「ミートソース」!
その甘酸っぱく芳醇な香りを、クイナさんやユナさんも気にしていらした。しかしタマネギやスパイスが入っているため、猫のモーラーさんにはあげられぬ。無念である。
ミートソーススパゲティだけでは寂しいので、餃子みたいなサイズのミニオムライスもご用意した。実際に作るのは割とめんどくさいのだが、いなり寿司感覚で好きな数だけつまめるアイディア料理である。たこ焼き機で作っちゃう器用な人もいる。
ユナさんとクイナさんには、もちろん喜んでいただけた!
年頃の娘さんであり、さすがにがっつくような不作法はせぬが、興奮を隠せずに頰を染め、眼を輝かせて一心不乱に召し上がっておられる。
シェルターから出てきたピタちゃんも、口の周りを真っ赤にしながらにこにこ笑顔。
クラリス様が、横からそっとその口の周りを拭いてあげている。微笑ましい。
……342歳が9歳に世話を焼かれてるぞ……? これはもう介護?
さらにデザートのソフトクリームをみんなで食べつつ、ペーパーパウチ試作品完成の感慨にふける。
「……普通に……できちゃいましたね……?」
ぐつぐつと試作袋の煮沸消毒が進む鍋を横目に、リルフィ様も若干、戸惑い顔。
俺は元気に肉球を掲げる。
「皆様のご協力のおかげです! 実際にうまく保存できるかどうかは、今後の推移を見ないとわかりませんが……しかし、この紙は他の用途にもきっと使えるはずですから、今回の成否にかかわらず、技術提携はぜひお願いしたいです。で、肝心の今後についてなのですが――」
俺はアイシャさんと目配せをする。ここから先は、馴染みの深い彼女から説明を受けたほうが良かろう。
そしてアイシャさんの説明を聞くうちに、クイナさんが戸惑い始めた。
「……リーデルハイン領に……工房を建てるんですか?」
「移転しろってわけじゃないですよ? 研究用の工房じゃなくて、大量生産に特化した工場が必要なんです。王都のクロスローズ工房は、このまま残しておいてもらって……その上で、向こうにこれから作る工房へクイナさんに出張してもらって、作り方とかをいろいろ指導してもらえれば、と。で、製品の売れ行きに応じて……ルーク様、なんでしたっけ?」
「ロイヤリティですね。えーと……私のいた世界での概念ですが、発明品に対して、その発明の『使用料』を支払うという仕組みです。売上に応じた歩合だったり、あるいは一年ごとに決まった使用料をお支払いしたり……一括での権利の買い取りはこちらの世界にもあるようですが、今回ばかりはそれをやると、クイナさんが大損してしまいます。この発明は物流を変えてしまうほどの革命的技術であり、これを発明したクイナさんは大金持ちになるべきなのです。私は不公正な取引が嫌いですし、そもそも私の目的は、このトマト様を! いま召し上がっていただいたミートソースを! 国中、そしてゆくゆくは世界中に広め、皆がトマト様の恵みにひれ伏すワン・フォー・トマト、オール・フォー・トマトの理想郷を構築するべく……!」
背後のクラリス様が、熱弁をふるうルークさんのお口を、小さなお手々でそっと塞いだ。
「……ええとね。うちの領地でそのミートソースをこれから特産品として輸出するから、この袋が大量に必要なの。クイナさんにはそれを作ってもらいたいんだけど、とにかく数が多いから、一人二人じゃ手が回らないはずで……だからこちらとしては、作り方を指導してもらって、売上に応じて利益を分配する契約をして欲しいんだけど、基本的にはクイナさんの要望にあわせたいから、そのあたりを相談させてください、っていうお話」
はい。
……どうもルークさんは、トマト様が絡むと信仰心が先に立ってしまい暴走しがちである。
クイナさんは迷っておられる。これは「契約を渋っている」わけではなく、「なんて答えたらいいのかわからない」という状態だ。
「あの……普通に、うちで作った紙を買っていただくというわけには……?」
「初期はそれでいいのですが、数年のうちには……もしかすると来年ぐらいには、それでは数が間に合わなくなるでしょう。クイナさんが不眠不休で働いても届かないでしょうし、そんな働き方はとてもさせられません」
おそらく、「紙作りをせずにお金を貰える」という話に、イマイチ違和感が拭えないのだろう。
この国の職人さん達の思考は、以下のような流れに縛られている。
技術を開発するのは、自らの「仕事の口」を増やすため。
研究の成果は、職人個人か、もしくはパトロンになっている貴族が独占するもの。
よそに技術を盗まれたら、仕方ないと割り切って諦める。その代わり、自分の側が技術を盗むことにもさして抵抗はない。そうなる前に、技術を高値で売っ払うこともある。
ただし貴族が利権に絡んでいる場合には、ちょっとややこしい事態になりがちなので、仕事と報酬さえもらえればあんまり口を出さない。
……そんな状況を当たり前のものとしているため、「継続的な使用料」という概念が定着していないのだ。
「では、ええと……製法を買っていただいて、足りない分はそちらで作っていただいて……その上で、うちからも紙を買っていただくというのは……?」
……うーん。
これはリーデルハイン家にとっては、とても都合の良い契約なのだが、クイナさんが大損してしまう……御本人が自分の発明の真価をわかっていないというのは、なんとも歯がゆい。
こちらが「製法」に大金を積めれば良いのだが、生憎とリーデルハイン家の懐具合も現時点ではそこまで潤沢なわけではない。
また、おそらくクイナさんの想定額もかなり安めと思われるが……これだけの大発明を前にして、その隙につけ込む気にはなれぬ。
昨夜の、クロード様との話し合いが改めて思い起こされた。
気は進まぬが、こうなるとやはり、ルークさん自身が起業し、社長権限でいろいろ差配する必要があるか……?
「……わかりました。今後のよりよい関係構築のためにどうしたら良いか、自分ももう少し考えたいので、ちょっとだけ時間をください。クイナさんのご要望に寄り添いつつ、我々と手を組んで良かったと思っていただけるようにしたいです。それまでこの技術についてはどうかご内密に――よそに漏れると、大変なことになります」
「は、はい……それは、まぁ……でも、ミートソース? という商品があって初めて生きる技術だろうと思いますし、よそが欲しがるとは思えませんが……瓶詰のほうが、広く普及していて信頼性もありますし――」
やはり認識が甘い。スイーツのように甘い。
とはいえ、今は寝不足も祟っていっぱいいっぱいであろう。よく考えたらクイナさんには睡眠が必要である。
検証用ペーパーパウチの試作品追加は明日以降に持ち越して、疲労が限界のクイナさんには(ピタちゃんと一緒に)睡眠をとっていただき、その間に我々は、ユナさんのお供で街の貸衣装屋さんへ向かうこととなった。
「服、選ぶの苦手で……アイシャ、お願い! 一緒に来て?」
「……とのことですが、ルーク様、どうします?」
「……なんでこっちに振るんですか。一緒に行ってあげてください」
アイシャさんが俺の喉元をわしゃわしゃと撫で回す。
「でも私、ルーク様達になるべくついているように言われてまして」
「あの……それなら、私達も……行ってみたいです……」
リルフィ様が珍しく積極的だ!
クラリス様もちょっとご興味がありそうだし、貸衣装とは俺にとっても未知の業界である。見ておいて損はなかろう。
アルドノール侯爵邸の夜会は明日。
クラリス様とリルフィ様のドレスは持ってきているため、何も借りる必要はない。
アイシャさんは魔導師で、しかも弟子の立場なのでいつもの格好で行くらしい。まぁ、そもそもいつもの姿が私服というより制服っぽい格好ですし。
そんな流れを経て、ユナさんの案内で導かれた貸衣装店。
店内にはメイドさん風の店員さんが一人。
お年は三十代の前半か、実に落ち着いた物腰で、昔はどこかの貴族の家に勤めていらしたのではと思われる。
お店は貸衣装だけでなく、仕立直しや販売などもやっているようだ。
さっそく店員さんに猫アピール!
「にゃーん」
「あらあら、可愛らしい猫さん……もしよろしければ、こちらの蝶ネクタイなどはいかがですか?」
紐で結ぶタイプの、簡素な赤い蝶ネクタイをつけていただいた。
これは貸衣装ではなく販売品の小物で、お値段は前世の金銭感覚でいうと五百円くらい。あくまでペット用であり、布の品質はイマイチだが、仕立ては決して悪くない。
聞けば、このメイドさんが趣味で作っている余り布の手芸品であった。
猫用蝶ネクタイはリルフィ様もクラリス様もいたくお気に入りであったため、そのままご購入いただいた。明日の夜会にはルークさんもコレをつけた礼装で出席である!
一方、アイシャさんプロデュースによる、ユナさんのファッションショー(?)は――
「アイシャ、だめだって、これ! 胸ほとんど見えちゃってるし。背中がら空きだし……!」
「試合中だって似たような格好でしょ。あんた、大観衆の前であんな格好しておいて、今更なに言ってんの?」
……胸元とお腹と背中の大きく開いた、ビキニの水着に装飾用の布とスカートをつけただけ、みたいな白いドレスを着用されていた。
とてもよくお似合いであるが、ぶっちゃけ単純にエロい。もう擁護できないレベルでエロい。羞恥で真っ赤になったユナさんは尊いが、さすがにかわいそう。あかんやろ。
リルフィ様に抱っこされたまま、俺は小声で助け舟を出す。店員のメイドさんは奥で作業中なため、大きな声を出さなければ心配ない。
「とてもよくお似合いですが、そんなにも魅惑的な格好で貴族の野郎どもの前に出たら、周囲が狼ばかりになりそうで心配です……ユナさんには、もう少し露出部分の少ない衣装のほうがよろしいかと」
アイシャさんが舌打ちした。舌打ち?
「……ルーク様、そんなド正論を……せっかくこの子を騙くらかして、夜会の視線を集める囮に仕立てあげようとしていたのに……!」
……キミ、意外に属性が邪悪寄りだよね? お友達にその仕打ちってどうなの?
「……アイシャ……? 真面目に、悪目立ちしない格好にしてって言ったよね……?」
ユナさんが怒りの真顔に転じたところで、クラリス様がハンガーに掛かった一着のドレスを差し出した。
「ユナさんには、これが似合うと思う」
九歳児の見立てと侮ってはならぬ。この場の誰よりもクラリス様の眼力は信用できる。他の面々がオシャレに絶望的なだけ、とか看破してはいけない。
試着してみると――
「とてもお綺麗です!」
ルークさんはすかさず(囁き声の音量レベルで)快哉を叫んだ。
試着室から出てきたユナさんがお召しになっているのは、シンプルな濃いスミレ色のイブニングドレス。
容姿としては華やかだが、ドレス自体は地味な仕立てで主張が少なく、ユナさん御本人の可憐さをより一層引き立てている。つまり衣装に着られている状態ではなく、レンタルなのにいかにも自然に着こなしておられるのだ。
貴族のご令嬢方を煽るほど豪奢ではなく、嗤われるほど質素でもなく、まさにTPOを考慮した堂々たる淑女ぶりである!
アイシャさんが唸った。
「……ユナが……ユナがいいとこのお嬢様に見える……ッ」
「とてもよくお似合いです……私も、これが良いかと思います……」
「あはは……ありがとうございます、リルフィ様。クラリス様も、いいドレスを選んでくださってありがとうございます。アイシャは後で泣かす」
せやな。
こちらでは貸衣装の細部調整もしてくれるそーで、ユナさんはメイドの店員さんと一緒に店の奥へ移動された。
衣装の調整をしている間、リルフィ様は抱っこした俺をモフりながら、ぽつりと呟く。
「……肌の露出が広ければいいというわけでも……ないのでしょうか……」
「え? なんのお話ですか?」
「……いえ。なんでもないです」
ちょっとさむい? 夕方になって冷えてきたかな? もうじき初夏とはいえ、季節の変わり目だけに体調の変化には気をつけたいところである。
店の品々をじっと見定めていたクラリス様が、アイシャさんに声をかけた。
「アイシャ様。ユナさんに似合いそうな衣装を、つい選んでしまいましたが……よく考えたら、ああいう上品な格好だと余計に貴族にもてませんか? 少し下品な格好のほうが、『そういう人間』だと思われて遠巻きにされそうというか……軍閥の貴族は特に体面を気にしますので、スキャンダルの気配がある女性には、逆に近づいてこないのではと思ったのですが……」
……ん? おや? お貴族様ってそういうもの……? 悪名高きパリピとは違う価値観……?
アイシャさんはにこにこと頷く。
「そうですねー。クラリス様の仰るとおりだと思います。なので私としては、せめて楽させてあげよーと思って露骨にエロい格好させて、視線は集めつつも話しかけてくる貴族を減らす方針を勧めたんですけど……あの子は自ら茨の道を進むと決めました。ユナはいっぺん、本気でモテまくって貴族のウザさを思い知るべきです。こっちからは怒れない、邪険にするわけにもいかない、社交辞令と本音の迷路で右往左往させられつつ、それでも猫をかぶり続けなきゃいけない楽しい楽しい虚無の時間……ククク……あの小娘、明日は泣いたり笑ったりできなくなりますよ……」
……気を利かせて助け舟を出したつもりだったが、むしろ窮地に追いやってしまったのやもしれぬ……せめてもの罪滅ぼしに今夜のデザートは増量して差し上げよう。
あとアイシャさんは何か嫌なことでもあったの? 最近は美味しいもの食べてピタちゃんとお昼寝したりして、割といい生活してない?
リルフィ様が、俺の耳元に囁いた。
「あの……ルークさん……私、夜会は本当に初めてで、不安で……ずっと傍にいていただけますか……?」
「もちろんです! リルフィ様に近づくオスどもは、片っ端から『フカー!』です!」
たちまちクラリス様に尻尾を掴まれた。
「ダメだよ、ルーク。お父様の立場に関わるから、ちゃんと愛想よくして? リル姉様も、ルークに頼り過ぎちゃだめ。代わりに私がフォローするから、自己紹介と形式的な挨拶くらいはがんばって」
「……はい……」
「……はい……」
リルフィ様とルークさん、揃ってお返事。
やはりクラリス様には逆らえぬ……だって正論なんだもの……
不安げなリルフィ様に抱かれ、毛繕いをしながら、ゴロゴロと喉を鳴らしていると――貸衣装屋さんに、別の客が現れた。
『我輩は猫魔導師である』2巻、2月15日の発売日も近づいてきまして、一二三書房サーガフォレスト様の公式サイトに表紙が掲載されました!
今回もハム先生の表紙が明るく優しい雰囲気で素晴らしいので、ぜひサイトのほうでご確認ください。
よく見ると、ルークが座っている場所は……(ΦωΦ)