8・猫の魔力鑑定
リルフィ様がいそいそと隣室……たぶん物置に駆けていった。すげぇ。たゆんたゆんしてる。あんなん初めて見た。そうだ、毛繕いしよう。
邪な意識を逸らすために、ペロペロと手の甲を舐めながら顔を洗って猫ムーブに勤しむ。
猫の体になった直後は慣れなかったが、やはり精神というものは身体に適応していくもののようで、たった数日で無意識のうちに猫っぽい動きが板についてきてしまった。なんというか、本能レベルで落ち着くのである。
人間でいうなら、手櫛で髪をいじったり手で顎を触ったりする感じ?
リルフィ様はすぐに戻ってきた。
俺も毛繕いを切り上げて、テーブルの上に香箱座りをする。わくわく。
目の前に置かれたのは、8インチタブレットくらいの大きさの黒曜石の石板だった。
周囲は銀細工で縁取られていて、一見して何かの呪具とか祭具を連想させる。少なくとも子供の玩具ではない。
「ルークさん、こちらの魔道具はご存知ですか?」
「いえ、初めて見ます」
「これは“魔光鏡”といって、魔力に反応して、様々な効果を発揮する道具です。たとえば、“照明”の魔法を使うと、この面が光って周囲を照らせます。“記録”の魔法を使えば、音声や文字などを一時的に保存できます……これらはごく簡単な使い方ですが……他にも、数理魔法による計算、千里眼による地図作成や天候の予測など、扱う魔導師の能力次第で、様々な使い道があります……」
いろんな用途に使える便利道具、ということらしい……なんか「通信機能のないスマホ」って感じかな? いや、もしかしたら遠隔会話機能とかもあるのかもしれないけど。
「これから行う、魔力鑑定の結果も……こちらに表示されます。魔法の才は、我々の魂に神々から贈られた恩恵ですので……基本的には、生まれつきのものです。後天的に才を獲得する例も、ごくごく稀にあるとされますが……その実例も、修行や努力の成果ではなく、神々やそれに類するものと直に接触し、加護を得た場合のみだと聞いています……」
あ。神様の実在が常識レベルなのか。もしや超越者さんのことかな? 精霊さんも実際にいる世界なんだし、そのあたりは予測の範囲内である。
俺も神様的な存在から力をもらったわけで、これがつまりは「後天的に加護を得た」状態なんだろう。
「また、あくまで“才能の有無”を鑑定するだけなので、現時点での練度や力量、才能の限界値まではわかりません……そこはやはり、努力や修行次第、という話になるかと思います……」
丁寧に一生懸命しゃべるリルフィ様かわいい。初日の教育実習生かな?
「それではルークさん、私の手を握っていただけますか……?」
「えっ……それはちょっと難しいかもです……サイズ的に」
俺は小さな前足を差し出した。
女性とはいえ、人間様の手はそこそこ大きい。猫の前足でこれを握るのは無理がある。指なら辛うじていけるかもしれない。
リルフィ様が赤面して言い直した。
「す、すみません! 私が握りますね。えっと……いいですか?」
「もちろんです! よろしくお願いします」
うっかり爪を出さないように気をつけよう。猫の手はぐにぐにされると爪がにょっきり出てきてしまう。割と最近実感した。
「わぁ……肉球……わぁぁ……かわいい……わぁ……」
……リルフィ様、そういうのは後でお願いします。
開始まで少し時間はかかったが、鑑定自体はすぐに終わった。もうほんと一瞬だった。
リルフィ様が、左手で俺の前足を掴み、右手で机に置いた黒い石板に触れると――
魔光鏡は「ぽわっ」と淡く光った後、その黒い表面に白い文字を浮かび上がらせた。
そこに表示された内容は……正直、ちょっと眼を疑うものである。
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◎ 鑑定対象者・ルーク
■ 種族・亜神 ■
■ 適性
・猫魔法 ・神聖魔法 ・暗黒魔法
・全属性耐性 ・精神耐性
■ 特殊能力
・コピーキャット ・アカシック接続
・獣の王 ・能力錬成
■ 称号
・奇跡の導き手 ・猫を救いし英雄
・風精霊の祝福 ・トマトの下僕
・英検三級 ・うどん打ち名人
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……OK。
OK、ちょっと待て。一つ一つツッコミたいのは山々だが、クラリス様とリルフィ様が完全に固まってしまっているので、ここは小粋なナイスジョークとかで場を和ませる必要がある。
「……にゃーん」
……何も思いつかなかったから鳴いて誤魔化した。毛繕い毛繕い。あ、枝毛。
「……ルークって……神様?」
クラリス様が呆然と呟いた。俺は即座に否定する。
「違います違います。断じてそんな大層な存在ではないです。猫です。ただのかわいそうな迷い猫です」
「……で、でも、確かに……薪をケーキに変えるレベルの物質変化なんて、それこそ神様でもなければ……」
やめてやめてプレッシャーかけないで。違うから。ルークさんただの猫だから! 安住の地が欲しいだけの野良猫だから!
リルフィ様に至ってはふるふる震え始めてしまったが、神様じゃないのに神様扱いは困る。だいたい「亜神」なら厳密には神様ではない。「亜」がついてるし似て非なるものである。人から見たら感覚的には近そうだけど熱帯と亜熱帯くらい違う。……違うよね?
「な、なんかの間違いだと思いますよ? てゆーか、そもそも“猫魔法”ってなんですか。猫が寄ってくる魔法とか?」
「……それは私も初めて見たので、何もわかりませんが……でもまず、“全属性耐性”というのが尋常ではありませんし、特殊能力や称号なんて普通は一つも持っていません……神聖魔法と暗黒魔法の両方に才があるのも有り得ないですし、私には意味のわからない言葉もいくつか……」
英検三級のことか……あれって転生すると称号になるのか……こうして晒されるなら頑張って二級までとっておくんだったな。
とゆーか、俺にもよくわからん言葉が割とある。アカシック接続ってなんぞ? 持ってる本人すらわからない特殊能力って危なくない?
あと、コピーキャットって、確か……“模倣犯”?
……あ! トマト様爆誕とかブッシュ・ド・ノエル再現ってコレの効果か!?
まだ推論の段階だが、超越者さんは確かにいろいろヤバそうなのを付与してくれていた。だけど種族・亜神はやりすぎだろう……現地の方々ドン引きですやん……
「あの……この件、どうかライゼー子爵様にはご内密に……!」
「えっ。で、でも、亜神様となると、あの、私達としても、相応のおもてなしというか、丁重にならないと神罰が怖……!」
「だから何かの間違いなんです! たぶんこっちの世界に来た時に、こちらの世界の神様が、気を利かせていろいろサービスしてくれたんだと思います。でも俺自身は本当にただの猫ですから!」
クラリス様がぽつりと呟く。
「……立って歩いて喋るただの猫……見たこともない野菜とケーキを作り出すただの猫……」
「無理があるなー、とは自分でも思いましたよ! そこを曲げて! あえて! ただの猫としての扱いを希望いたしますっ!」
必死である。
俺はそんなにも安穏たるペットの地位に憧れていたのか……いや違う。神様扱いはさすがに恐れ多いにも程がある。あと分不相応な立場にいきなり祭り上げられるってむっちゃ怖い。
たとえば新入社員をいきなり社長に据える会社は、夜逃げ直前に債権者用のスケープゴートを求めているだけである。
これを異世界転生になぞらえた場合、次にくるのは「魔王を倒して!」とか「世界を守って!」とかそういう無茶振りであり、猫の俺には荷が重い。パンチパーマでサングラスかけた顔に傷ある白い背広のおっちゃんから「亜神サマならそれくらいできるやろ? なぁ、兄ちゃん?」的な脅迫を受ける展開は本当に勘弁してほしい。
そもそも猫に倒せるのはネズミくらいなものだが、そのネズミすら狩れぬ俺に何をしろというのか。にゃーん。
「……まあ、ルークがそう言うならいいよ。お父様には黙っておくね」
クラリス様が俺をひょいっと抱えあげ、わしゃわしゃと撫で回してくれた。
これこれ。求めていたのはこういう対応です。
……いや、幼女の抱っこパネェとかじゃなくて、猫らしい扱いって意味で。
「リル姉様も、よく考えて。もしもルークが居心地悪くなって出ていっちゃったら、もうあのケーキ……」
「あっ」
わぁ、即物的ぃー。
しかしクラリス様、それは正しい判断です。さすが貴族かしこい。
リルフィ様がかしこまる。
「で、では、あの……私達に至らぬ点がありましたら、何卒、その旨……」
「普通の猫としてテキトーに扱ってくださいお願いします……!」
実験動物は嫌だが御神体扱いも嫌だ。呑気に猫らしい昼寝が許されるちょうどいい塩梅を求めたい!
……しかしコレ、暇を見ていろいろ能力を確認しておかないとマズそうだ。
コピーキャットもヤバそうだけど、「猫魔法」「アカシック接続」「獣の王」「能力錬成」に関しては、もはやどんな効果なのか、字面だけでは判断しにくい。
獣の王、あたりは……もしかして、「超かっこいい虎」に変身できるとか、そんな感じだろーか……?
……うっかりクラリス様達をびっくりさせないように気をつけないとな!(わくわく)
やはりルークさんも男の子であるからして、かわいい猫さんよりもかっこいい虎さんにより憧れてしまう。
現実問題としては、体が大きいと生活はしにくそうだし、人から無闇に怖がられても面倒なので、今の姿はむしろ望むところなわけだけれど――
それはそれとして、「ピンチに虎化!」みたいな展開には変身ヒーロー的な憧れを禁じ得ない。掛け声とか変身ポーズとか考えておくべきだろうか。「獣王転身! タイガーフォーム!」とかそんな感じの。
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…………結論から言うと、俺のそんなささやかで可愛らしい願望は、約一時間後にあっさりと瓦解した。
コレもう変身とかどーでもよくなるレベルのヤバい能力だった。
発覚のきっかけは――そう。リーデルハイン家の先住ペット、「猟犬」の皆様方である――