78・猫のプレゼン
キャットシェルターは、猫カフェをモチーフにした快適居住空間である。
内装はコタツを中心に据えつつ、勝手に動き回る猫型クッションの群れを配し、オシャレなカウンターテーブルや椅子も用意してある。
側面の広い窓は風景や動画を映すモニターとして機能しているが、この窓の外には実際には何もない。とゆーか、外へと続く非常口になっている。
いずれはこの先にお庭とか作ろうかと思っているが、まだ手が回っていないし、思案もまとまっていないので、とうぶん先になるであろう。
「ささ、皆様、こちらへどうぞ。窓にいろいろ投影しますので、見やすい位置にお座りください」
クロスローズ工房の姉妹はきょろきょろと落ち着かない。
しかし猫のモーラーさんは、この快適亜空間にさっそく適応し、天板の一隅に置かれた座布団へ素早く陣取った。
その座布団は魔力に反応するヒーター内蔵となっており、座るととてもあたたかい。普段はルークさんの居場所であるが、今日のところはお客様にお譲りしよう。こちらはこちらでやることがある。
さっそく皆様の前に、コピーキャットで錬成した本日のおやつを陳列。
今日はティラミスをチョイスした!
パティシエになる夢を叶えた先輩の店で、最初に売れた記念すべきケーキであり、定番の人気商品でもある。
クリーミーなマスカルポーネチーズをふんだんに用い、エスプレッソの風味をいー感じに利かせた逸品だ。
さっきモーラーさんから「チーズ食べたい」と聞いたせいで、こちらもチーズ系のスイーツを食べたくなってしまった。
見慣れぬケーキを目の前にして、クイナさんとユナさんは言葉を失っている。
アイシャさんはそんなお二人の前で、満面の笑みとともにケーキを口へ運んでいた。
「きゃー♪ ルーク様、これもすごい美味しいです! 甘さの中にコーヒーの香りも引き立っていて……あとこれ、チーズですよね? チーズなのにこんなにさっぱりしてるってすごくないですか? 何か魔法使ってます?」
「魔法は……いやまぁ、魔法みたいな能力で錬成してはいますが、本来の品は、魔法とか使わず普通に作られているお菓子ですね」
先輩のティラミスは、カスタードの甘みも実にちょうど良い。香りを引き立たせるため、甘さを控えめにしつつ、表面のココアパウダーにもエスプレッソの粉を混ぜてある。
わずかな苦味が甘さを引き立て、抑えた甘みが香りを引き立て、なめらかに溶ける舌触りによってそれらが渾然と口の中で溶け合い、官能的なハーモニーとなって我々を幸せにしてくれる。
ティラミスとはイタリア語で、「私を元気づけて」というような意味であるらしい。
先輩からこの語源についての雑談を振られた際、「ティラノサウルス系女子っスか?」とか答えて鼻で笑われたのも、今では良い思い出である。
フォークで切り分けたその欠片を、恐る恐る口に運んだクイナさんとユナさんが、揃って眼を見開いた。
「わぁ……!」
「す、すごっ……え、何これ……? これが精霊様の食べ物……?」
「あ、違います。私が精霊というのは、いろいろ誤魔化すための虚偽の情報でして、実は異世界から来た猫なのです。こちらのスイーツは、その異世界側からお取り寄せしたものですね」
コピーキャットの説明はちょっとややこしいので、こんな感じで流しても良かろう。
説明しながら、俺はモーラーさんの前にもカッテージチーズをお届けした。
こちらは塩分が少ないので、猫さんでも少量ならイケると思う。モーラーさん嬉しそう。
長生きするため、食べ物に気をつける――それはとても大切なことであるが、かといって人間でも、生涯「酒禁止」「砂糖禁止」とかやられたら、それはそれで非常に切ない……適量の好物は、心理的な意味でも糧となる。
幸い、ルークさんは「じんぶつずかん」と「どうぶつずかん」を持っているため、これを駆使すればその人物の体調の変化がわかる。モーラーさんの体に影響がないか、確認しながら召し上がっていただこう。
さて、皆様におやつをご提供しながら、俺は側面の掃き出し窓をモニター表示に切り替え、手頃な指揮棒をかざした。ルーシャン様からいただいた『祓いの肉球』である。
本来は虫除けの結界を張るための昼寝用魔道具だが、こういう説明時にもちょっと便利!
「それでは、先程の紙の用途に関して、私の見解をご説明いたします! 皆様、まずはお手元の資料をご確認ください!」
ぱっと現れた執事猫さんが、コタツの上に三枚ほどのレポート用紙を人数分配布した。
内容は、俺が王都までの旅の間にまとめておいた『缶詰』に関する企画書である。サイズとか加工精度とか錆止めやコーティングなどの欲しい要素を列記し、物流上のメリット……つまり荷物の軽量化や、瓶詰と違って振動や落下でも割れない旨をまとめたものだ。本来はこれを、缶詰製作のためにスカウトした魔道具職人さんへお見せする予定であった。
「これ、ルークが書いたの……?」
「……いつの間に……?」
「もちろん深夜、クラリス様とリルフィ様がおやすみの間に書かせていただいてました!」
……ククク……ルークさんはトマト様のためとあらば、残業も厭わぬ文字通りの社畜となれるのだ……!
まぁぶっちゃけ、旅の間は日々の農作業もなかったですし。
「こちらは先日、金属価格の判明により断念に至った、『缶詰』という製品です。私の目論見では、コレが瓶詰に代わる物流や保存食の要となる予定だったのですが……このネルク王国では金属が輸入頼りで高価とのことで、コスト面から諦めました。しかしながら、瓶詰にはない多くのメリットがあることは、この資料からお察しいただけるかと思います!」
そして俺は、窓型ディスプレイに、脳内でまとめた『レトルトパウチ』の画像を表示させる。
「続いてこちらをご覧ください! これはその『缶詰』よりも、さらに軽く! 缶切り不要で使い勝手がよく! さらにはゴミ問題すら発生しにくい、新たな包装容器!」
あ、と気づいた様子を見せたのはリルフィ様とアイシャさん。
クロード様も反応したが、こちらは「気づいた」というより「思い出した」といったほうが近そう?
リルフィ様がつぶやく。
「……ミートソースを入れる袋……ですか?」
「はい! さっき見せていただいた、『水気を完全に弾く紙』で、この袋を製作できないか? もしこれに成功すれば、他のスープや調味料、加工品だけでなく、洗剤やインク、一部の薬品なども、瓶詰ではなくこちらの袋で輸送できるようになる可能性があります。まぁ、長期保存性では瓶詰に軍配が上がりますので、インクや薬品の容器まで置き換わるとは考えにくいのですが、開封して即食べる食料品の場合は、実に合理的です。実際、私がかつていた世界では、この袋状の密封容器が世界中に広まっていました。ただ、加工が難しいと思っていたもので、こちらでの再現は諦めていたのですが……よもやあんな新素材に巡り会えるとはびっくりです。先程の私の興奮、その理由をご理解いただけましたでしょうか?」
クイナさんとユナさんの顔色をうかがうと、なんかポカンとされていた。
「…………ずいぶんと、あの……しっかりした、猫さんですね?」
「……えっと……すみません……よく喋ることに驚いちゃって、肝心の内容が、頭に入ってこなくて……」
……話が拙速すぎたか。ルークさん、反省。
「えーとですね。要は、あの紙を使って、将来的に数千、数万、数十万の『密封できる袋』を作成し、それに特産品を入れて輸出したいのです」
クイナさんがかっくんと首を傾げる。
「数万……数十万?」
「ヒットすれば更に増えますね。もちろん、クイナさんお一人でこなせる仕事量ではありませんので、大量生産を目指す場合には、リーデルハイン領に工場を建てることになります。材料となる草の栽培や、薬品の調達にも目処をつける必要があるでしょう。そしてその前にまず、あの紙の『食品に対する安全性』の確認や、密封の方法など、いろいろな追加研究を重ねる必要もありますが……クイナさんにはぜひ、紙の発明者として、それらへのご協力をお願いしたいのです。もちろん、成果にふさわしい謝礼と地位をお約束します! クロスローズ工房とクイナさんのお名前も、その発明者として歴史に刻まれることでしょう!」
必死である。この人材をよそに取られるわけにはいかぬのだ……!
なにせ前世でも、ミートソースのレトルトパウチは利便性が素晴らしかった。開封して鍋で炒めるばかりでなく、袋のまま湯煎でもOK。
さらに前世と違って、こちらではその原料が植物由来の紙であり、有害物質さえ出なければ竈に放り込むだけでゴミ問題も解決できる可能性がある。
半年ほどの太陽光でもぼろぼろになるとゆー話だったし、土にも還りやすいのではないか?
クイナさんはこれを「欠点」と言ったが、環境問題として考えるとむしろ大きな利点だ。
クイナさんを見ると……
焦点のあわない眼を見開き、かたかたと震え始めていた。
「えっ……えっ……? いえ、あの……あの、印刷もできない出来損ないの紙ですよ? あの紙に、そんな使い道が……?」
「ガラスだって印刷には不向きですが、使い道はたくさんあるでしょう。さっきの紙もそれと同じで、『印刷用紙』ではなく『新素材』として素晴らしい可能性を秘めているのです。とはいえ、まずは毒性の有無を確認し、実際に食品を入れて大丈夫なのかどーか、きちんと検証しなければなりません」
ユナさんが、やけに真剣な顔で姉の背中を撫でた。
「……お姉ちゃん、落ち着いて。まだ決まった話じゃないし、使えるかどうか、これから確かめるってことだから……まさか失敗作の紙に、そこまでうまい使い道があるわけないって、私も思うし……」
ルークさんは、にこやかに頷く。
「そうですね。まずしばらくの間は検証の日々です。もしよろしければ、私もこちらの工房に滞在させていただき、その検証のお手伝いをしたいのですが……」
「……えっ!?」
真っ先に反応したのは、何故かリルフィ様であった。
眼を見開き、あらわな肩を震わせて、絶望に近い表情をされている……
あっ。この反応は……
「い、いえ! リルフィ様、たった数日ですよ!? 検証の方針説明とか、私がいたほうが効率も良いはずですし。もちろん、夜だけは宿に戻るとかでも可能です!」
「で、でも……あの……でも……!」
リルフィ様は、目に涙を溜めてあたふた――ルークさんは困りきって、他の方々を見回し……クロード様と目があった。
たすけて?
「…………ええと、あの、クイナさん。もしご迷惑でなければ、ルークさんと、リル姉様と……それからクラリスも一緒に、こちらの工房で検証のお手伝いをさせていただけませんか? 寝床はこの謎の空間をそのまま使えますし、食事もルークさんが用意できますので、お手間はとらせません」
クロードさま……! すてき!
すかさずアイシャさんも挙手した。
「あ! 私も私も! ユナ、いいでしょ? 今度、練習付き合うから!」
「えええ……いや、私はそれでいいけど……お姉ちゃん? 大丈夫? 話についていけてる?」
なかばぼーぜんとしていたクイナさんが、こくこくと頷いた。
「うん、だいじょうぶ。ユナ、お姉ちゃんはちょっと自分に都合のいい夢を見ているみたいだから、朝になったら起こしてくれる?」
……あんまり大丈夫じゃなさそう。
が、今はリルフィ様のケアを優先すべきである!
「……そんなわけで、お手数ですが、リルフィ様も私に付き添っていただけますか? 工房に入り浸るのは二、三日で、その後は日をおいて、保存性などを確認していく流れになるかと思います。作業内容は、ちょっと地味で退屈かもしれませんが……」
リルフィ様は泣きそうな顔のまま、そっと頭を下げた。
「……ルークさん、ごめんなさい……あの、自分でも……頼りすぎだって、わかってはいるんです……私、日頃が隠遁生活に近いせいか……王都みたいに、人の多いところは怖くて……でも、ルークさんが傍にいてくれると、それだけで安心できて……」
クラリス様が、リルフィ様に向けて俺を差し出した。精神安定剤的な扱い? ペットとして異論はないが、さすがクラリス様、状況判断が的確ぅ。
リルフィ様は受け取った俺をぎゅっと抱きしめ、耳元に消え入りそうな声で囁く。
「……あの……やっぱり……ご迷惑、ですよね……?」
にゃーーーーーーん(形容し難き感情)
いと気高き女神リルフィ様にこんなことを言わせてはペットの名折れ! ルークさんは基本的に愚か者であるが、さすがにここで選択肢を間違えるほど愚かではない!
「そんなことはありません! リルフィ様と過ごせる日々は、私にとって至上のものです! むしろ地味な検証や研究などで退屈な思いをさせてしまうのではと、それだけが心苦しく――」
「…………それは、ありえませんから……なるべく、そばにいさせてください…………」
アッ、アッ……脳が溶けりゅ……出てきちゃダメな快楽系脳内物質がドバドバでてりゅ……リルフィさま尊い……
そんな感じに魂の抜けきったルークさん、クロード様とふと視線が合った。
……クロード様は、どうしてそんなに心配そうなお顔なのですか……? まるで、弱った子猫をどう助けたらいいのかわからずに戸惑う、心優しき少年のように哀しげなお顔……
(……ルークさん……リル姉様の『それ』は完全に天然ですけど、だからこそ、接し方を間違えないでくださいね……? 共依存は怖いですよ……?)
おや? 何の猫魔法も使っていないのに、クロード様のお声が聞こえたような……?
――気のせいだな!
ともあれ、これからしばらくの間、ルークさんはレトルトパウチ……もとい、ペーパーパウチの成功を目指し、暗躍する必要がありそうだ。
もしも成功した場合、コレはリーデルハイン領単体で活用すべきではない。
トマト様に加えて、瓶詰よりも軽く、輸送に適した新たなる包装技術――こんなもんを一子爵家で独占したら、他の貴族からのやっかみがえらいことになる。それこそスパイとか暗殺者とかを呼び込む羽目になりかねない。
ライゼー様も目先の欲に目がくらむタイプではないし、拒絶はせずとも、あまりいい顔はされないだろう。
ルークさんとしては、『共犯者を増やす』という案を検討したい。
すなわちこのペーパーパウチ技術については、リオレット陛下とか、あるいはライゼー様の寄親にあたるトリウ伯爵などの後ろ盾が欲しい。
幸い、トマト様に関しては、すでにルーシャン様という強力な後ろ盾を得ているが、農産物と違い、コレは「技術」である。
しかも瓶詰よりも大幅に荷物を軽量化できるため、物流の効率をも一変させかねない偉大な技術――本来なら技術は広め、パテントを徴収して、クイナさんに儲けていただく流れが良いのだが、たぶん「特許」という概念はこの国には根付いてなさそう。
その代わりに、「王侯貴族による庇護」がある。
技術を貴族と結びつけることで、その利権の庇護者になってもらう――前世の感覚ではちょっと抵抗もあるのだが、郷に入りては郷に従え、社会システムそのものに手をつけたいわけでもなし、ここはネルク王国の慣例を利用すべきだろう。
そうして考えてみると……
リオレット陛下は、数年以内に退陣し、非公式に魔族への婿入りを予定している。それでなくともしばらくは内政に多忙なはずで、とてもではないが余計な仕事は頼めない。
いや、頼めばやってくれるだろーけど、だからこそ負担をおかけしたくない。過労で倒れられたらアーデリア様にも怒られてしまう。
ルーシャン様は――トマト様の件では頼りにしているが、政治力がさほど強くない。
得ている爵位は一代限り、領地を持たない身でもあり、名声こそ高いものの、他貴族への影響力そのものはそんなに大きくないのだ。
なればこそ、正妃ラライナ様もリオレット様・ルーシャン様一派を侮って、第三王子ロレンス様をゴリ押しで王位につけようと画策した。
こうして考えると――
この技術の庇護者として有望なのは、今の時点では二人に絞られる。
ライゼー様の寄親、トリウ・ラドラ伯爵。
そして軍閥のまとめ役、アルドノール・クラッツ侯爵。
彼らを巻き込むことができれば、国内諸侯への盾としては充分である。またペーパーパウチの技術は、兵士の糧食輸送という観点からも有益なはずであり、実物を眼にすれば両手をあげて歓迎してくれるだろう。もちろん出資も期待できる。
……まあ、ちょっと気が早い。
まずはペーパーパウチの完成と検証が先だし、発明者であるクイナさんの意向を最大限に反映せねばならぬ。
今はまだ急展開に混乱しているようなので、このあたりは思考が落ち着いてから確認したほうが良かろう。
それらの諸々をライゼー様にご報告、ご相談するべく、我々も今日のところはホテルへ戻る。工房への泊まり込みは明日からとゆーことでひとつ!
工房からの帰り際、リルフィ様に抱っこされたまま、俺はクイナさんとユナさんに肉球を振った。
お二人は戸惑いながら、遠慮がちに手を振り返す。
「……ユナ、お姉ちゃん、まだ寝てる?」
「寝たら覚めると思うよ。明日の朝、起きたら、またこの夢の続きだけど」
なかなか哲学的である。お姉さんにも、明日までには正気に戻っておいていただけるとルークさんうれしい。
何はともあれ……まずはこの吉報を、ライゼー様にご報告だ!