76・職人探訪〜クロスローズ工房〜
……いろいろごまかすために「にゃーん」と毛繕いしながらリルフィ様に身をすりつけ、必死にごきげんをとっていると、アイシャさんが話を先に進めてくれた。
「ユナ、こちらはリーデルハイン子爵家の方々で、ええと……子爵家長男のクロード様、その妹のクラリス様、子爵様の姪のリルフィ様。それからメイドのサーシャさんに……遠い親戚のピスタ様と、飼い猫の……ルークさん」
紹介順については、ビミョーに悩んだ形跡がうかがえる。
この一行の中でもっとも優先すべきは跡継ぎのクロード様で間違いないのだが、現実的な力関係でいうと、割とびみょう……?
リルフィ様は女神様だから別格としても、ぶっちゃけクラリス様やサーシャさんのほうが立場的には強そうだし、偽名でごまかしているピタちゃんにいたってはその正体が神獣である。ルークさんは名実ともにペット枠なので悩む余地はない。ないったらない。
そしてお貴族様を前にしても、ユナさんは特に緊張する様子もなく、ぺこりと一礼。
「はじめまして、ユナ・クロスローズです。そこで丸まっているのは、うちのご隠居のモーラーさん。もうお年なのでおとなしいですけれど、あまり愛想は良くないので……失礼があったらすみません」
貴族相手にも自然体である。貴族が集うこの王都では、子爵クラスは特に珍しくもないのであろう。しかも子爵様本人ではなく、その家族だ。
だが、同時に――
彼女の目線は、チラリとだが確実に、サーシャさんとピタちゃんを値踏みした。
こちらのお二人は武力が高い。サーシャさんは拳闘術が得意で、ピタちゃんは兎式格闘術の達人である。どんな戦い方なのかは未見なので知らぬが、とりあえず『どうぶつずかん』にそういう記載があるし、武力もA。
強者の勘とかで、何かしら察するものがあったのだろう。
こちらの紙工房はこの拳闘士、ユナさんの実家であり、彼女の姉君によって運営されている。
歴史は古いものの家族経営の零細工房なため、従業員はいない。そしてご両親が早逝してしまったため、姉妹で切り盛りしている――のだが、実際のところ経営状態は悪いらしく、アイシャさん情報によれば、「ユナがボクシングで工房の借金を返して、ついでに経営の赤字分も埋めてる感じだと思います」とのことであった。姉孝行な妹さんである。
ルークさん、そういう浪花節的なお話に弱い……
ついでにもう一点、「じんぶつずかん」上の重要な要素がある。
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■ ユナ・クロスローズ(18) 人間・メス
体力A 武力B
知力C 魔力C
統率D 精神B
猫力80
■適性■
拳闘術A 直感B
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体力A、拳闘術A! この若さで達人級とは、立派なものだ。
体力は、若者だとそこそこ高い評価になりやすい傾向はあるのだが、それでもAはなかなかいない。
俺の知っている範囲だとヨルダ様とピタちゃん、あとは拳闘場で見かけた上位選手と思しき数人くらいである。
また、こちらの世界ではパンチ力や防御力が、体重よりも「体内魔力の制御技術」に左右されるため、体重別の細かな階級割がなく、したがって「無理な減量」という概念も存在しない。
この体力Aも、適正体重であればこその評価であろう。
アイシャさんの見立てでは、ユナさんは「女子選手の中では五指に入る、若手の筆頭株」とのことで、それも納得の有能ステータスだ。
……とはいえ、トマト様の覇道に役立つ能力ではないし、そもそも人気選手なのでスカウトとかはできぬが……ファンにはなってしまいそう。
何はともあれ、美人さんである。それはもう美人さんである。それだけでルークさんは依怙贔屓する気満々である。
「ええと……それでアイシャ、買い物って雰囲気じゃなさそうだけど、どういう用件で?」
「クイナさんに会いに来たの。リーデルハイン子爵領で、近いうちに特産品の輸出を始める予定なんだけど……その瓶詰に貼るラベル用の紙や印刷技術について、アドバイスが欲しくて。今いる?」
「あー……ごめん。お姉ちゃん、ちょっと寄り合いに出掛けてる。時間的にはもう終わってるはずだから、遅くてもあと三十分くらいで戻ってくるとは思うけど」
それくらいなら、ここでショッピングをしながら待たせていただこう。同族のモーラーさんとも雑談させていただきたい。
というわけで、クラリス様達には適当に商品を見ていていただき、ルークさんは『獣の王』の効果でモーラーさんと脳内会話。
(ルーク様、来てくれてありがとうねえ。うちの娘どもは、あたたかくて気立てもいいんだけれど商売が下手で……両親が早くに死んだもんだから、いろいろと不憫でねえ……なるべくたくさん買ってあげておくれ)
(は、はあ。私も所詮は飼い猫の身なので、そうそう高い買い物はできませんが……)
……祖父母に育てられたルークさんは、高齢者のお願いに弱い……
なんかこー、恩ばかり受けて、こちらからはたいした孝行もできずに見送ってしまった反省があるため、高齢キャラを邪険にできぬ。それが同族の猫さんとなればなおさらである。
このモーラーさん(30)は、猫の身ながら工房の姉妹より普通に年上であり、彼女らを自身の娘のように思っている。「猫は人間のことを、でかい猫だと思っている」なんて説を前世で見かけたが、「主従」ではなく「家族」という意味では当たっていると思われる。
モーラーさんの世間話が続く。
(特にユナは、真面目で一生懸命であたたかい子でねぇ……工房の借金を返すために、子供の頃からボクシングなんかやって……たまたま才能があったからうまくいったけど、私ゃ気が気じゃなくて。すごく強い相手もいるみたいだし、たまに負けると落ち込んじゃって、でもすぐ立ち直って練習にいくの。ほんとに健気で、体温も高くてあたたかい子なんだけど、オスっ気が全然なくて……ルーク様、よさそうな人知らないかい?)
(そういう婚活みたいな事業はやってないんですよねぇ……)
……娘というか、孫を心配するおばあちゃんである。
ちなみに「体温が高い」というのは猫様的にはかなりの高評価らしく、しきりに推してくる。いや、人間はあんまりそういうの気にしないんで……猫的に重要なポイントなのは実感としてわかりますけど。
お買い物のため、我々が店頭の商品を見ている間、アイシャさんとユナさんはカウンターでひそひそ話を始めた。
「そういえば、王国拳闘杯の時の観戦記事、見たよー。私は出張中で試合は見られなかったけど、あのノエル先輩相手に大健闘だったんだって?」
「……健闘じゃなくて完敗。圧倒的な実力差で遊ばれただけ。あの観戦記事は、記者さんが私に肩入れしてくれてるだけで、実際はもう手も足も出ずにボッコボコだったんだから」
「えー? でも、お客さんは盛り上がってたんでしょ? 試合内容に文句言ってる人、全然見かけないし。観戦してたリオレット陛下も褒めてたよ?」
「陛下……たまに職人街で見かけてたあのお兄さんが、今や王様かぁ。びっくりだよね」
リオレット陛下、数年前まではルーシャン様のお弟子として、身分を隠しつつ、職人街でのお使いなどをこなしていたらしい。その頃の話であろう。
お二人の仲よさげな会話を猫耳に挟みつつ、俺はリルフィ様に抱っこされたまま、猫のモーラーさんに視線を向けた。
(この二人、幼馴染でねぇ。昔っから仲いいんだよ)
(そうみたいですねー。アイシャさんは陽キャっぽいですし、そもそも友達多そうですけど)
モーラーさんが眼を細めた。
(……でもあの子、昔はあんなに明るくなかったんだよ? 孤児院では泣かない笑わない喋らない、冷たい雰囲気で、猫さえ寄せ付けない怖い子で……八歳で子供ジムに通い始めた頃のユナが、毎日へこたれながら必死で構って、やっと友達になって……その後、魔導師のお爺ちゃんの弟子になって、だんだん性格も明るくなったの。今じゃ見てのとおりだけど、感慨深いわぁ……)
……マジか。想像がつかぬ……
陽キャは生まれた時から陽キャであり、赤ん坊の時点で泣き声も「うぇーい」とか「ひーはー」だと思っていた。(偏見)
そんな感じにモーラーさんと脳内世間話をしていると、お店に店主が帰ってきた。
「あら? いらっしゃいませ。ユナ、店番ありがとうね」
クロスローズ工房の主、紙職人のクイナ・クロスローズさんである。
髪色は妹のユナさんと同じく青みがかった黒だが、作業の邪魔にならぬよう、布飾りを頭に巻いて髪をまとめている。ターバンとまでは言わぬが、ぐるぐるとちょっとラフめに巻いてあって、なかなかファンタジー感あるお姿。
クイナさんは数日前にも店に来た俺達を憶えていたようで、にっこりと微笑んだ。
「先日、レターセットと懐紙をご購入いただいた、アイシャちゃんのお客様ですよね。本日は何をお探しですか?」
懐紙とゆーのは、前世でいうところのポケットティッシュ的な用途の紙である。
こちらでは置き手紙や包み紙にも使ったりするようで、ちょうど折り紙のような厚みと硬さであり、なおかつキレーな正方形のものがあったので「楽しい折り紙教室」で流用させていただいた。
あの紙はこのクロスローズ工房の製品であり、品質の高さは既に把握している。
……のだが、この店主さんの『じんぶつずかん』情報はだいたいこんな感じ。
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■ クイナ・クロスローズ(22)人間・メス
体力C 武力D
知力C 魔力C
統率D 精神C
猫力71
■適性■
製紙B
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ご覧の通り、魔力は少しあるが、能力値的に特筆すべき要素はあまりない。
しかし妹さんと同じく美人。華やかな印象はないが確実に美人。あと製紙技術に関してもちゃんと優秀評価なので、職人としての腕は確かである。
アイシャさんが、俺の代わりに話を進めてくれる。
「クイナさん、今日は買い物じゃなくて、新事業に関するアドバイスをもらいにきたの。こちらのリーデルハイン子爵家の方々が、輸出用の瓶詰に貼るラベルをお求めで……紙の選び方や印刷のコストや注意点について、教えて欲しいんだって」
クイナさんがわずかに首を傾げつつ、クロード様とリルフィ様を見た。
「……えっと……それは構いませんが、珍しいことを気にされるのですね。貴族の方から、そういったことを聞かれるのは初めてです。出入りの商人などに『ラベル』とだけ注文すれば、あとはお任せで済んでしまうように思いますが……」
実に正論なのだが、これは俺の社会勉強も兼ねている。好奇心もあるし、ライゼー様曰く、「出入りの商人も、結局は注文を職人に投げるだけだから、技術に詳しくはない。目的が知識の入手で、デザインなどにもこだわりたいのなら、直接、職人から話を聞いたほうがいい」とのことであった。
もちろん「その機会があれば」という話であり、王都にいる間に、なるべくそうしたチャンスを作っていきたいというのが現在の方針だ。
クラリス様が一歩、前へ歩み出た。
「私の父、ライゼー・リーデルハイン子爵は、幼少期を商家で過ごしたため、商人としての視点をとても大切にしています。その父から、今回の新事業にまつわる諸々は、社会勉強も兼ねて私と兄で段取りをつけてみるようにと指示を受けまして――新規の取引も含めて、ご協力いただける方を探しているのです。こちらのリル姉様と親戚のピスタ様はそのお目付け役で、ご助言そのものは、主に私と兄がうかがうことになります」
……我が主しゅごい……特にそれっぽい打ち合わせもしていなかったのに、この場でサラサラと色々でっちあげ、人見知りなリルフィ様や言動ヤバめなピタちゃんが口数少なくても違和感ないように、一瞬で状況を整えてしまわれた……
一方、急に巻き込まれたクロード様は「え? え? なんで?」みたいな顔で戸惑っておられる。嘘のつけぬ御方である。
クイナさんは納得したのか、クラリス様にくすりと微笑みかけた。
「左様でしたか。立派なお父様ですね。それに、お嬢様もたいへん聡明で……ええと……」
「クラリスと申します。クラリス・リーデルハインです。兄はクロードと申します」
「ク、クロードです。よろしくお願いします……」
以前にうかがった時は客として買い物をしただけなので、個別の名乗りまではしていなかった。
「では、立ち話もなんですから、工房のほうへどうぞ。ユナ、しばらく店番をお願いしてもいい?」
「……どうせお客さんなんてほとんど来ないから、私も行く」
「そう? じゃあ、こちらへどうぞ」
………………アイシャさんが言っていた。「ここのお姉さんは、筋金入りのお人好し」と。
アイシャさんの紹介とはいえ、飛び込みの我々を疑いもせずに対応してくれるあたり、確かに結構なお人好し感がある。
なんか雰囲気もぽやぽやしてるし、妹のユナさんのほうがしっかり者な気配。つまりついてきたのは、「姉一人で対応させるのは不安」という意図であろう。
二階へあがる階段はスルーし、我々は奥の工房へ導かれた。
工房はそこそこ広く清潔感はあったが、モノが多い。
壁面の戸棚にびっしり詰め込まれた木の根や草などを含む素材類、薬品類、床には完成品の紙類が積み上げられ、奥にはいくつか並んだ釜とでかい鍋がある。
我々の真正面には大きな作業台……それと、よくわからんでかい木箱。
縦横のサイズはだいたい一畳分くらいで、高さは腰丈程度、おそらく中身は何かの機械である。木箱に見える側面の部分は、ホコリよけのカバーであろう。簡単に取り外せるように留め金がついている。あと、箱の上には投入口、端には排出口っぽい機構もある。
俺の代わりに、クラリス様が先回りの質問をしてくださった。
「こちらの大きな機械は?」
「紙製造機の『ペーパームーン・9型』です。少し古い型ですが、頑丈で動作が安定していて、とっても頼りになるいい子なんですよ」
木箱の表面を撫でながら、クイナさんはにこにこと嬉しそうに笑った。
……ルークさんはここで、若干の違和感を覚える。ユナさんも一瞬、眉がぴくりと動いたが、そのまま無言を守った。
続けてクイナさんは、どこかうっとりとした表情で話し続ける。
「この子に、紙の材料になる繊維と薬液を注いで……詳細な動きをインプットすると、それを繰り返して、あとはどんどん紙を作ってくれるんです。向こう側の排出口から出てきた紙を、私が取り出して奥の乾燥機にいれていくんですけど……ふふっ、たまに機嫌を損ねて目詰まりしちゃうとことか、すっごく可愛くて。普段は『なんでもできるよ』みたいに優等生ぶってるのに、油断すると居眠りしちゃう無防備なちっちゃい子みたいで、もうほんと可愛いんですよ。私は愛情を込めて『きゅーくん』って呼んでるんですけど、稼働音にもたまに『きゅっ、きゅっ』っていうかわいい音が混ざって――」
……一同、沈黙。
ユナさんは片手で額をおさえて俯き、疲れたよーな溜め息一つ。
アイシャさんだけは、にこにこと笑顔を崩さない。もちろん張り付いた作り物の笑顔である。
「クイナさんはお客様の前でもブレないですねー。皆さん、お察しと思いますが、クイナさんは紙の製造機を心から溺愛していらっしゃいます。だから、不用意な発言は控えてくださいね? いま心の中で思ったことは一旦飲み込んで、そのまま吐き出さずに『そういうもの』だと思って消化しちゃってください」
アイシャさんがさらりと吐いた毒を意にも介さず、クイナさんは楚々と微笑んだ。
……顔だけ見るとごくごく常識的な人っぽいのだが、ルークさん、自分の『人を見る目』にちょっと自信がなくなってきた……
「やだもう、アイシャちゃんったら、人をそんな変わり者みたいに言わないで。職人なら自分の道具を大事にするのは当たり前でしょ? ユナだって自分のグローブとかすごく大事にしてるし」
「一緒にしないで。私は高いから大事に手入れしてるだけ。ダメになったら普通に買い換えるし、歪んだ思い入れとかないから」
妹さん、そこそこ苦労してそーだな……?
……いや、しかし逆の見方をすれば、「自分の道具」にそれだけ深い思い入れを持っているのなら、職人としての腕前も相応に高いのではないかと期待できる。
一流の職人は道具を大事にする。とゆーか道具を粗末にする時点で職人としては二流三流である。
助言をいただくだけでなく、ラベルの発注先もこちらでイケそうだ。
そして我々一行は、こちらのクイナさんから、「紙」と「印刷」に関するありがたいご講義を受けることとなった。
いつの間にやら大晦日です。
今年一年、更新にお付き合いいただきありがとうございました!
来年は書籍の2巻目にコミカライズと、いろいろ動いていく予定です。
引き続き、「我輩は猫魔導師である!」をどうぞよろしくお願いします(*´∀`*)
それでは皆様、良いお年を――