71・さらばレッドワンド(滞在約1時間)
ご夫妻の救出は、特に問題もなくあっさり終わった。
そもそも二人ともただの平民であり、別に重要人物とかではない。監視もゆるゆるであった。
そのうち不在がバレて騒ぎになるであろうが、その前にオズワルド氏が一芝居打ってくれるはずである。
コタツを挟んで皆で向かい合い、それぞれが簡単な自己紹介を終えたところで、収容所暮らしで弱っているご夫妻には軽食をご提供した。
ひどく餓えていたというわけではないようだが、栄養バランスは推して知るべしであり、特に妊婦さんには酷な環境だったと思われる。
スイーツより先に栄養を! という判断から、野菜たっぷりの温かいポトフと、薄切りのローストビーフを使った食べやすいサイズのミニサンドイッチをご用意した。
調味料等、前世日本との細かな違いはともかくとして、これらはネルク王国でも普通に食べられている品なのだが――
エルシウルさんは目を丸くして、もきゅもきゅと頬張りはじめる。
「……レッドワンドの食糧事情は、ネルク王国よりもかなり悪いと聞いています……国土の大半が山岳地帯ですので、生産効率のいい農作物を育てにくく……また、種類も少ないと……」
リルフィ様がそっと俺に耳打ちをしてくれた。こそばゆい。
しかしそんな事情であれば、外へ侵略したくなるのも人の業か……
飲食の間にも、再会したシャムラーグさん達の会話が進む。
「それじゃ、兄さんは……隣国の王様の暗殺を命じられたの!? たった一人で……!?」
さっきまでおどおどしていたエルシウルさんだったが、事情を知るなり声を高くした。
「あ、ああ……それでもちろん、失敗して――こちらのルーク様に、助けてもらった。ただ、俺が死にそびれたもんだから、今度は人質のお前らが危ないってことで――その情報が国に伝わる前に、お前らのことも助けていただける流れになった。俺はこの御恩に報いるために、今後はこちらのルーク様にお仕えする。お前達も――もう里には戻れないだろう。一緒に来ないか?」
「そんな……兄さん、急すぎるわ。収容所を出られたのはありがたいけれど、急にそんなことを言われても……」
そりゃそーである。俺としても、暗殺未遂犯であるシャムラーグさんには強制労働をお願いするつもりだが、こちらのお二人に何かを強制する気はない。
お二人を助けたのはシャムラーグさんのため、ひいては俺の自己満足のためであり、見返りを求めるのは筋が違う。
とはいえ、元の住処に戻ってもなんかいろいろありそーだし、どこに行くかは悩むところであろう。
一応、この後に「純血の魔族の客分を救い出した」という犯行声明がオズワルド氏から出る予定なので、この庇護があれば、国に残れないこともないのだが……それはそれで、何らかのよからぬ企みに巻き込まれそうである。
しかし、ここでキルシュさんがにこやかに口を開いた。
「エル、迷うことはないよ。義兄さんと一緒に行こう。こちらの猫さん……ルーク様は、おそらく正真正銘の『神様』だ。そんな方が我々に加護をくださるのなら、これを拒絶するなど末代まで響く大損だと思う」
……見破った、だと……?
今まで俺のことを『神獣』と判断した人はそこそこ多いのだが、初対面で「神」とか「亜神」と気づいた(知ってた)のは、『夢見の千里眼』とゆーウラワザを持つアイシャさんくらいである。
しかしこちらのキルシュさんは、そうした変な特殊能力はお持ちでない。
ちょっと警戒して、俺は『じんぶつずかん』を広げた。
そこに記されたキルシュさんの生き様――その一隅に、こんな記述を見つける。
『有翼人の里において、「猫地蔵」をはじめとする土着の猫神信仰について調べていたキルシュは、滞在中の世話役となったエルシウルと恋仲になり結婚した。』
……………………猫地蔵? 猫神信仰……? よもや超越猫さん達の過去のやらかし? それとも別クチ?
あの子ら、人類にはあんま興味なさげだったけど……
今度「アカシック接続」する機会があったら聞いてみたいものだが、アレは時間のコストがヤバすぎるので、リルフィ様の猫依存症が寛解せねば難しい。
当面の問題はキルシュさん。魔導師でもありつつ、この人の専門分野はどうやら「考古学」であり、決して農作業向きの人材ではない。
当初は全員まとめてトマト様の菜園に放り込むつもりであったが、この方に関してはむしろ魔導師として、また研究者として遇する道を模索する必要があろう。
とりあえず一ヶ月くらいは緊急避難的にリーデルハイン領内でお世話をして、その後はどうするか、御本人とも相談して決めるべきか。
……なんかルーシャン様とも気が合いそうだな……後日、ご紹介してみたい。
リルフィ様に抱っこされてそんな思案を重ねる俺を見つめ、エルシウルさんが呆然と呟いた。
「……神……様……? 先生、こちらの猫さんが、神様だっていうんですか……?」
「いえ、私はリーデルハイン子爵家のペットです!」
むしろリルフィ様のお美しさのほうが女神感あると思うのだが、こやつらもそこには反応せぬ。くやしい。やはり渡る世間は美男美女ばかりなのか……
「私の素性はさておき、今後のことをお話ししますとですね。とりあえず一、二週間くらいは、リーデルハイン子爵家のお屋敷に身を寄せていただこうと思います。その間に領内のどこかに住居を用意して、シャムラーグさんにはその後、トマト様の育成栽培に従事していただく予定です。妹さんご夫婦にも、しばらくはそれを手伝っていただくつもりですが、見たところ……キルシュさんは学者肌というか、研究職にある方ですよね? 今後の進路については、キルシュさん御本人の希望を優先したいので、暇を見て相談させてください。なんならネルク王国の魔導師さんも御紹介できますし」
適材は適所に! これがルークさんの方針である。
アイシャさんがにこやかにぱたぱたと両手を振った。「ネルク王国の魔導師ならここにいますよー」アピールである。
……そうか。そういえばこの方、次の『宮廷魔導師』(候補)でもあった……
なお、俺のこのプランについては、おやつの間にリルフィ様やクラリス様、クロード様にもご相談していたのだが、キルシュさんの扱いにだけ、微調整が入った感じである。
それまで黙って聞いていたオズワルド氏が、顎を撫でながら唸った。
「ルーク殿は……なんというか、身内の輪を広げる者なのだな。今後、なんらかの『組織』を作るつもりか?」
「組織……? いえ、トマト様の農園は作る予定ですし、その輸出に関する人手もこれから集めないとですけど……基本的には、それらはライゼー様が取り仕切ってくれるはずです。私の役割は現場でのちょっとした労働と人集め、あとは……クラリス様やリルフィ様にスイーツをご提供しつつ、のんびり日々を過ごすことですね!」
飼い主のお二人に笑顔を向けると、クラリス様とリルフィ様は嬉しげに頷き、俺を適度にモフってくださった。ごろごろごろ。うーむ、極楽。
オズワルド氏はやや戸惑い気味だが、一応納得してくれたらしい。
「精神性は、そこそこ猫らしいのだな……賢者の隠遁生活が理想といったところか。魔族にもそうした感性を持つ者はいるから、わからんでもない。強すぎる力というのは、扱いが難しいものだしな」
「……まぞく?」
エルシウルさんのきょとんとした視線が、今度はオズワルド氏に向く。
「ああ。私は『純血の魔族』だ。バルジオ家の当主で、ネルク王国にて先日、こちらのルーク殿に完敗し、仲間に加えていただいた」
実にあっけらかんと。
しかしシャムラーグさんとエルシウルさんはひきつった顔で、びくりと肩を震わせる。
「じゅ、純血の魔族だと!? 本物の!? や、やべっ……!」
「し、知らぬこととはいえ、大変なご無礼を……!」
平伏するシャムラーグさんと硬直するエルシウルさん。たぶんこれがフツーの反応である。
キルシュさんは微笑のままで、オズワルド氏は軽く肩をすくめたのみだった。
「そう固くならんでもいい。ルーク殿の前では、私も君達も等しくただの弱者だ。それから、念のために言っておくが――先程からエルシウル嬢が背もたれにしているそのでかいウサギは、トラムケルナ大森林の神獣、クラウンラビットのピタゴラス殿という。ご本人がわざわざ背後へ回ったようだから、別に無礼にはあたらんと思うが、ただのウサギでないことは理解しておきなさい」
「にんぷさんは、あたたかくしないとダメなんだよー」
ピタちゃんはまぶたを閉じたまま、お鼻をヒクヒクさせて呟いた。
その声にびっくりしたエルシウルさん、あたふたしつつも身体はピタちゃんの毛皮に埋もれており、即座には立ち上がることもできない。そもそも妊婦さんであるからして、そういう咄嗟の動きはなるべく避けていただきたい。
「ピ、ピタゴラスさま!? えっ!? 神獣!?」
「ルークさまのじゅうしゃだよー。すきなたべものはそふとくりーむです」
……ピタちゃん、順調におねだりが上手くなってきたな……さっき食べたばかりだろうに、やはり餌の回数を増やすべきなのだろうか? 神獣の育て方とかイマイチよくわからんので、たまに判断に困る。
一応、『どうぶつずかん』で健康状態は把握できているので、大丈夫だとは思うが……この子も大きさを変えられたり人間に化けたり、ルークさん以上に謎の多い生命体だ。
そんなピタちゃんはこの猫カフェにおいて、だいたいウサギ形態でお昼寝していることが多いのだが、妊婦のエルシウルさんを気遣って、クッションになってくれていたらしい。基本的にはやさしい子なのである。
「エルシウルさん、ピタちゃんは神獣ですが、とても人懐っこい良い子ですので、かわいがってあげてください。あと私も中身はただの猫ですので、なるべく猫相応の扱いをしていただければと思います!」
リルフィ様の前にお腹をさらし、わしゃわしゃされるルークさん。リルフィ様も手慣れたもので、その細指がいー感じに毛並みをブラッシングしてくださる。まるで床屋さんでの頭皮マッサージ的な心地よさ。
そしてクラリス様が、新参のシャムラーグさん達を見回した。
「ルークの正体は、もうバレバレだけど……でも、とうのルークが堅苦しいのが苦手だし、うちでも猫としてのんびり暮らして欲しいから、みんなもそのつもりでいてね。あと……ルークは、トマト様っていう農作物に異常なほど執着してるから、トマト様を悪く言ったり、粗末には扱わないこと」
異常な執着? ごく当たり前の自然な忠誠心ですけど?
まぁ、クラリス様はまだお子様であるし、お野菜よりもスイーツに意識が向いてしまうのは仕方がない。
きっと成人される頃には、トマト様の尊みに目覚め、その恵みに感謝し、共にトマト様による市場制圧のために働いてくれる同志となっていることであろう。我が主は将来性抜群の優秀な人材なのである。
「トマト様については、後ほど改めてじっくりたっぷり細部まであますことなくこれでもかとご説明しますが、ぼちぼち慣れていってください。いずれにしても、このままレッドワンドにいるよりは安全な暮らしができるかと思います。生活や収穫が安定してきたら、他の親族や友人を呼ぶのもありですし、その場合には勧誘リストとかも作っておいていただけると助かります!」
他の親族や友人、と聞いて、エルシウルさんが眼を震わせた。
「あ、あの……! でも、兄が生きていて、私達も収容所から逃亡したら、その親族や友人達が捕縛されて取調べを受けることに……!」
ここで襟を正して、悠々と立ち上がるオズワルド氏。
「それを防ぐために、今から私が『純血の魔族』の立場で一芝居打つことになった。ルーク殿、とりあえず行ってくる」
「あ、私もご一緒します! お城の様子とか見ておきたいですし」
ついでに、この国の偉い人を幾人か『じんぶつずかん』に登録してしまおう。今後の動きを読めれば対策も取れる。
シャムラーグさん達一行への諸々の説明や対応をクラリス様達に任せ、俺とオズワルド氏は再びキャットシェルターを後にした。
§
――オズワルド氏の脅迫は、圧巻であった。
ヤクザとかマフィアとか、そういう系統の人達とはまた違う……どちらかというと、VFXバリバリなアクション映画系のヤバさであった。
オズワルド氏はまず、夕闇迫るお城のバルコニーから、窓をぶち破って普通に侵入した。
そのまま悠々と室内を通り抜けて廊下へ出ると、驚く衛兵二人の顔面をアイアンクローで掴んで軽々と投げ飛ばし(非殺傷)、物音に気づいて駆けつけたものの恐怖で立ちすくむメイドさん数人に対しては、手の甲にキスしながら優雅に通り過ぎ、王様の執務室へ踏み込むと、あいていた椅子に足を組んで悠々と座った。
呆然とする王様(らしき中年男性)と宰相(っぽい老人)を蔑んだ眼で一瞥し、扉付近に駆けつけた衛兵を顔も向けずに謎の魔法で吹き飛ばすと、彼は肘掛けに頬杖をついてため息を吐いた。
「……城ごと吹き飛ばしてやっても良かったんだがな。この国の王か? 私は『純血の魔族』、バルジオ家の当主、オズワルド・シ・バルジオだ。貴様らが、私の友人に無実の罪を着せて投獄したことに対し、苦情を言いに来た。すぐ傍の第二収容所にいたから、もう引き取らせてもらったが……弁明があれば聞こう」
オズワルド氏の眼前に、何やら意味ありげに光る幾何学模様の魔法陣が広がった。
あまりの急展開に、王様と宰相は頬をひきつらせ、まばたきもできず硬直している。
扉の前には、続々と衛兵達が集まりつつあったが――
彼らは踏み込めない。
扉にも魔法陣を伴う結界が張られ、そのまま壁となって衛兵の侵入を阻んでいるのだ。これがオズワルド氏の研究している「空間魔法」の一種なのだろう。
なるほど、ちょっと地味めに見えるが、使い方次第では便利そう!
宰相のご老人が震える声を絞り出した。
「な、な、何者……何者だ……!? ここは、王の御前で……」
「私に二度も名乗らせるのか? 『純血の魔族』、オズワルド・シ・バルジオだと言った。ああ……こんな田舎の国では、我らのことなど知らぬのか。この首都を今すぐ廃墟に変えてやれば、私の名前も多少は広まるかね?」
オズワルド氏の眼が――白目だった部分も含めて、すべて真っ黒に変色した。さらに手の爪が鋭く長く伸び、室内の温度が一瞬で氷点下にまで下がる。
怖っ! 寒っ!
ガタガタと震えだした王様の、髪やまつ毛に白く霜が降りる。宰相のご老人は完全に腰を抜かし、その場に尻もちをついてしまった。
「どうした、王よ? わけがわからぬといった顔だな? ……まぁ、平民の捕縛が原因となれば、配下の将官あたりが勝手にやらかしたことであろうよ。その責を貴様に問うのも、少々気の毒ではあるか――いいか? 一度だけだ。今回だけは見逃してやる。私の友人はもう外に連れ出したが、ついでに収容所にいる無実の連中も解放してやれ。その上で、我が友人の親族や知人どもには一切手を出すな。もし、貴様らがこの約定を違え、なんらかの不利益があった場合には――私は『魔王軍』を動かして、貴国に報復と粛清を行う。こんな山だらけの田舎に興味はないが、更地にでもすれば多少は気が晴れよう」
オズワルド氏の声は、途中から低音を増し――まるで地の底から響くかのごとき凄みを発していた。
青ざめてガタガタ震える国王陛下。
いかに王とはいえ、肉体的にはただの人間であり、魔族の威圧に耐えられるわけもない。ついでにこの王様、『じんぶつずかん』を覗いた限りでは、精神レベルが「D」と一般人並である。
廊下側に締め出された衛兵達も、声すら出せず震えていた。
オズワルド氏の、この異常な威圧――これはおそらく、単なる話術や迫力のなせるワザではなく、「魔法」の一種である。相手を萎縮させるとか、恐怖を増幅させるとか、そういった類の「精神魔法」というやつだ。
「さて、こちらの用件は済んだ。私は去るが……何か言いたいことはあるかね?」
国王陛下と宰相が、揃って首を横に振った。言葉は出ないままである。
「結構。では、約束を忘れるな」
オズワルド氏は薄く嗤い――
姿を消したままのルークさんを抱えて、床に吸い込まれて消えた。魔族の「転移魔法」である。
……お城に入る時もコレで良かったはずなのだが、派手な行動で初手から威圧する目的もあったのだろう。突入時のオズワルド氏はぶっちゃけ輝いていた。
首都を見下ろすクレーターの縁付近に転移したところで、オズワルド氏は俺の喉元を撫で、一転してくすりと笑った。ごろごろごろ。まぁ、これはこれで。
「ルーク殿、今ので良かったかね?」
「はい! さすがの迫力でした!」
ついでに「ネルク王国への侵略をやめろ」とか脅していただくという案もあったのだが、コレをやるとネルク王国と魔族との関わりが露見する事態になるため、他国との外交的な意味であまりよろしくない。そっちは別途、策を講じるとしよう。
「それにしても、オズワルド様を見直しました! やはり魔族の方々は、いろんな魔法を効果的に使えるのですね」
「……規格外のルーク殿に褒められても、困惑するところではあるが……まぁ、そう言ってもらえるのは光栄だ。ただ、魔族の中では、やはり私は変わり者なのだよ。大概の魔族は、まず火力、破壊力の大きさを求める。アーデリア嬢などはまさにそれだ。私は――もう少し、利便性や応用力を重視している。最大火力が、他の当主達よりやや劣るという自覚もある。それに……人の世には、火力だけでは解決せぬ事態が意外と多いのでな」
異論はない。ルークさんも『猫の旅団』という切り札は持っているが、普段使いに便利な魔法はコピーキャットやキャットシェルター、ウィンドキャットさんなどだ。
レッドワンド将国の首都、ブラッドストーンは、夕焼けに染め上げられ、その名の通り血を浴びた石のよーな色合いに転じていた。
やや不気味にも見える光景であるが、この赤さはルークさんにとって完熟したトマト様の赤さであり、むしろ縁起の良い色である。
いずれはこの「レッドワンド将国」にもトマト様の御威光が波及し、もしかしたら「レッドトマト農国」と名を変える日が来るかもしれない――
そんな栄光と繁栄の日々を夢見て、ルークさんは今日もひっそりと爪を研ぐのであった。