70・人質救出作戦(※イージーモード)
足元がなんか白く光り、身体がすとんと穴に落ちた――と思ったら、見知らぬ場所にいた。
一瞬である。「ぱっ」ってなもんである。
何がどーしてこーなったのかとか、感覚的に把握する余裕すらなく、中継映像を切り替えるくらいの感覚で景色が変わっていた……
これが……転移魔法!
――いや無理無理。わけがわからない。「仕組みがわかれば俺にも使えるかな?」とかこっそり考えていたのだが、これは理解の外にある。いずれウィル君にご講義願おう。
「ここが……レッドワンド将国ですか?」
「ああ、首都のブラッドストーンだ」
我々が辿り着いた先は、夕闇迫る岩場の陰であった。
ゴツゴツとした灰色の巨石が、いたるところに突き出ている。
そして眼下には巨大な楕円形の湖と、それをぐるりと囲んで立ち並ぶ石造りの街――さらに街の周囲も山の斜面に囲まれており、なだらかな稜線の向こうには別の山々が遠くまで見えた。
これは、つまり……巨大な山岳都市? 国土のほとんどが山岳地帯とは聞いていたが、首都まで山の上とは恐れ入る。かなり標高が高いようで、ネルク王国に比べてもだいぶ肌寒い。
てゆーか、まさかとは思うが……これ、地形的には、巨大な火口に街を作っているよーに見える。
もちろん噴火が起きたら大惨事であり、さすがにそんなバカな立地ではないと思いたいが、印象としてはそんな感じ。
「……ここ、まさか……火山の火口では?」
「いえ、伝承によると、空から降ってきた星が山を穿った跡だと聞いております。そこから地下水が湧き、水を求めて周囲に村ができ、やがて街に発展したと――まぁ、真偽の知れぬ昔話です」
わー、メテオストライクのクレーターかー。
………………なんか違和感はあるのだが、別に地質学とかに詳しいわけでもないので、今のルークさんにはなんとも言えぬ。
俺にそんな解説をしてくれた連絡員のおっちゃんは、まだ目隠しをしたままだった。
「オズワルド様。そろそろ、こちらを外してもよろしいでしょうか?」
「ああ、私も依頼者も姿を隠した。問題ない」
姿を隠す魔法はウィンドキャットさんも使えるわけだが、オズワルド氏のそれは、いわゆるダンボール隠れの術に近いモノらしい。
自身をすっぽりと囲む箱型の結界を作成し、その側面に光学迷彩を施すという器用なワザ。
これは『空間魔法』の一種であり、この箱型結界の中に一緒にいる俺には、オズワルド氏の姿がフツーに見えている。
箱の内側からは外が見えるが、外側からは俺達が見えない。つまりマジックミラーっぽい仕様である。
連絡員のおっちゃんは目隠しをとって周囲を見回し、俺達のいない方向を見たまま喋りだした。
「あの右側の斜面にずらりと並んでいるのが、例の第二収容所です。で、そのずっと下――湖のほとりに接している城が、レッドワンドの中央政府ですな。見取り図は……必要そうですか?」
「いやー……あれは要らないかもですね」
件の第二収容所。
まさに「段々畑」のような規則的かつ単純な形状の集合住宅であり、斜面に並んでいるせいもあって、構造は一目瞭然である。思ったよりはでかくもない。前世でうちの近所にあった団地ぐらいの規模感。
「しかし……よくこんな斜面のきつい窪地に、街を造りましたねえ……」
「左様ですな。数百年にわたって、数多の魔導師が地魔法を駆使して作り上げた大規模な城塞都市です。とにかく攻めにくい地形であることは、ご納得いただけるでしょう」
街を囲む、火口っぽい――もとい、クレーターっぽい地形の稜線。
そこにはぐるりと城壁が築かれ、そこかしこに小さな砦も点在している。
城壁の向こう側もおそらくは急峻な斜面であり、侵入経路はそう多くあるまい。
これは街全体が難攻不落の城といえそうだ。
「……でもここ、街の人達もすごく移動しにくいのでは? 畑とか牧草地はそれなりにあるようですが、よそからの物資の搬入とか大変でしょう。けっこうな急斜面ですし」
「いえ、街の四方に、斜面を貫いて向こう側へと抜ける長い地下道があるのです。馬車も通れる大きさで、戦時には封鎖も可能とか。実際に封鎖に至った例は一度もないようですが、お時間があれば一見の価値はあるかと思います」
ほう。「地魔法」を用いた土木工事の技術とは、けっこうな水準にあるものらしい。観光的な意味ではちょっとだけ気になるが、もちろん今やるべきことではない。
「それではオズワルド様、お気をつけて。私はすぐ下のアジトに戻っておりますので、何かありましたら、またご指示をお願いいたします」
「ああ、ご苦労だった。近いうちにまた顔を出す」
威厳を保ちつつも、オズワルド氏の声は柔らかい。
ううむ……アーデリア様とはまた別の意味で、このオズワルド氏も魔族の中では珍しいタイプなのであろう。連絡員のおっちゃんの態度を見るに、ちゃんと部下の忠誠心を獲得しておられる――
おっちゃんのアジトは、巨石群と斜面に作られた段々畑を抜け、眼下の街の端っこにあるらしい。どの建物だかはわからない。
彼が降りていく後ろ姿を見送りながら、オズワルド氏が俺の喉元を撫で回した。ごろごろごろ。む。悪くない。
「さて、ルーク殿。このまま姿を隠して、収容所を調べるか? 救出相手の容姿は、シャムラーグとやらに確認させるとして――」
「あ、ちょっと魔法を使います。人探しに便利な魔法があるのです」
俺は山肌に飛び降り、元気に肉球を掲げた。
たちまち足元に生まれる小規模な旋風!
「猫魔法、サーチキャット! 目標、無実の罪で囚われている有翼人の若い女性! 捜索開始っ!」
『にゃーん!』
旋風が数百匹の猫に分裂し、遠くの収容所めがけて一瞬で飛び去った。
ウィル君の妹さん探索時とは違い、今回は捜索範囲がごく狭いため、少数に絞った。その代わりステルス機能を付与し、魔導師や魔族にも見えないよう配慮した。
オズワルド氏はぴくりと眉を動かしたが、些細な違和感で済んだ模様。
「……ルーク殿、今、何か……?」
「捜索が得意な仲間を放ちました。じきに連絡が……あ、見つかったみたいですね」
脳内で「にゃー」という囁き声が響き、相手の所在を俺に知らせてくれた。
今回は「収容所に囚われた」「有翼人の」「若い娘さん」という、割と珍しい特徴があったため、顔がわからずともすぐ見つかるだろうとは思っていた。
仮に候補が複数いたとしても、シェルター内のシャムラーグさんに聞けばいいだけだし、まさかそんな特徴を備えた人質が何十人もいるはずはない。
特徴がわからない妹さんの旦那さんについては、妹さん御本人から聞けばよかろう。
「見つかった……? 見えない斥候を放ったのか? いや、しかし……ものの数秒で?」
「優秀な子達なのです。特に妹探しには定評があります!」
といってもウィル君の妹さんに続いてまだ二度目ですけど。
オズワルド氏はまだ釈然としない様子だったが、俺はウィンドキャットさんを召喚し、その背にまたがった。
「オズワルド様も後ろに乗ってください。ちょっと飛ばします」
「う、うむ……」
ばびゅんっ。
ロケットスタートながら、身体にかかるGを謎の技術で軽減し、まばたきの間に収容所へと肉薄した。
ほんのちょっとだけ衝撃波が発生してしまったが、「どかん」という爆音が街中に響いたくらいだったので、大丈夫であろう。
……大丈夫なわけがなかった。
街の人達がなんだなんだと驚き顔で空を見上げている。
しかし衝撃波の発生地点は我々が「通り過ぎた場所」であり、収容所側には視線が向いていない。
また収容所の衛兵とか看守達も「何事?」と側面に集っており、警備体制やその規模が丸見えとなった。これは思いがけぬ収穫である。
収容所最上層の屋根に着地した俺は、オズワルド氏を振り返った。
「オズワルド様、私はこのまま救出作戦に向かいます。オズワルド様は、シェルター内で休んで……あ、もしご面倒でなかったら、犯行声明を書いておいてくださいますか? 口上で済ます場合には必要ないですけど」
そう提案したが、オズワルド氏、何故か呆けておられる。目の焦点が合っていない。髪型もちょっと乱れてしまっている。
「オズワルド様? あの、大丈夫ですか?」
「……い、いや……大丈夫。大丈夫だ……ちょっと驚いただけで……ルーク殿は……いつも、今のような速度で移動しているのか……?」
「いつもではないですね。今日は急ぎたい気分だったので、たまたまです」
「………………事故に気をつけてな?」
――確かに、バードストライクなどはガチで怖い。気をつけます……
さて、オズワルド氏には一旦、猫カフェへ戻っていただき、俺はウィンドキャットさん(ステルス仕様)にまたがったまま、ふよふよと収容所の外側を飛んだ。
石造りの壁が、まっすぐ延々と続いている。
そこには鉄格子のついた、小さな明かり取りの窓があるのみだ。牢屋の入り口に面した通路は山肌側にある。
斜面に作られた収容所は段々畑のようになっているため、足元には下の階層の牢屋の天井がある。
この天井部分が外回り用の通路にもなっており、通路の端では、看守が暇そうに街を眺めていた。
……警備は緩い。思った以上に緩い。
少し先の小さな窓で、サーチキャットさんが手招きをしていた。
(ごくろうさまです!)
(にゃーん)
一仕事終えたサーチキャットさんはドヤ顔で俺とハイタッチをし、そのまま煙のようにかき消える。
鉄格子越しに、牢屋の中を覗くと――
いた。
有翼人の女性である。
ちょっとやつれて見えるが、寝台に横たわり、少しふくらみかけた腹部を悲しげに撫でている。
肩口で束ねた髪の色は、スミレのよーな淡い紫。毛布の隙間から見える翼の色も同じ。
シャムラーグさんのようなワイルドな印象はなく、むしろ華奢で儚い系だ。
即座に『じんぶつずかん』を確認!
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■ エルシウル・ラッカ(24)有翼人・メス
体力E 武力E
知力C 魔力D
統率D 精神C
猫力75
■適性■
細工B 家事C 滑空C
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……間違いない。シャムラーグさんの妹さんだ。あんまり似てないご兄妹である。
既婚者なため姓は違うが、名前は確認済。
理不尽な拘束に加えて、妊娠中のつわりのせいで体力がかなり落ちているようだが、とりあえず外傷は見当たらない。
さすがに身重の妊婦さんを虐待するよーな非道はなかったようで、これは不幸中の幸いである。もしそんなことになっていたら、ルークさんも激おこ案件であった。
……いやまぁ、現時点でも割とビキビキきてますけれども、一応、間に合ったとは思いたい。
よりにもよって妊婦さんを無実の罪で捕らえて人質にするとか、レッドワンド将国の士官はやっぱりだいぶアレである……
俺は鉄格子の隙間をするりとすり抜け、室内に飛び降りた。こういう時、猫の体はとても便利!
エルシウルさんも物音に気づき、顔を向けた。
「えっ……? 猫……?」
「はい、猫です!」
まずは元気に前足をあげてご挨拶!
エルシウルさんはきょとんとして、簡易寝台に寝転んだまま、しばし硬直した。
「……い、いま、変な声が……?」
「変ですか? あ。あーーー。標高が高いせいですかね? はじめまして、ルークと申します。ええと、貴方はシャムラーグさんの妹さんの、エルシウルさんですか?」
「えっ……は、はい……そうです……けど……?」
話し方からして、ちょっと気弱そうな子である。ただのかわいい猫さんを前にして、そんなに怯えなくてもよかろうに。
「シャムラーグさんに頼まれて、貴方を助けに来ました! 旦那さんも一緒に救出したいんですが、どこにいるかわかります? あるいは特徴とか教えていただけると助かります!」
「旦那さん……? あ、あの、夫なら、あの……たぶん、二つくらい隣の独房に……看守さんが、たまに手紙を交換させてくれるので……」
……あれ? 看守さんはもしかして割といい人……?
怒り任せに施設ごとふっ飛ばさなくて良かった……
「じゃ、すぐに回収しますので、先にこちらへ入っていてください。猫魔法、キャットシェルター!」
「きゃっ……」
何もない空間に現れた扉を見て、驚き戸惑うエルシウルさん。
俺が扉を開けると、出入り口付近にシャムラーグさんが立っていた。
「エル! 無事なのか!?」
「兄さん!? えっ!? 本当に!?」
さっき入ってもらったオズワルド氏から状況を聞き、そわそわしていたのだろう。兄妹の再会は感動的であるが、ルークさんは旦那さんのほうも保護せねばならぬ。
さっさと猫カフェの扉を閉めて、窓の鉄格子から外へと抜け、近くの独房へ移動!
――そこにいたのは、なんだかやたらと賢そうな、割とイケメンなメガネ男子であった。
有翼人ではない。ただの人間である。
独房の寝台に腰掛け、私物と思しき本を読んでいる。その姿が妙に絵になる。
鉄格子を抜けて室内に入る前に、俺はじんぶつずかんを確認した。
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■ キルシュ・ラッカ(27)人間・オス
体力D 武力E
知力B 魔力B
統率D 精神B
猫力83
■適性■
地属性B 神聖B 薬学B 考古学B
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………………あのさぁ。
レッドワンドって「魔導師を優遇してる国」って話でしたよね……?
だったらなんで、こんな有能人材がこんな所でこんな目に遭ってるの……? 頭おかしいの? 要らないならウチで貰っちゃうよ?(嬉々として)
ともあれ、こちらがエルシウルさんの旦那で間違いない。
年齢はシャムラーグさんと同じ。そして有翼人ではなく人間である。
俺は音もなく室内に飛び降り、読書に集中するキルシュさんのズボンをくいくいと引っ張った。
「あのー。ちょっといいですか?」
「……え? ああ、うん。なんだい?」
読書に集中しすぎて、返事がテキトーである。こういう人はたまにいる。研究者とかプログラマーとか物書きとかミツユビナマケモノとか、そういう類の人種だ。集中力が高すぎて周囲が見えなくなるタイプ!
「エルシウルさんの旦那さんの、キルシュさんですよね? 脱出の手はずを整えましたので、ちょっとこちらに来ていただけますか?」
「ふぅん? えぇと、君は……」
キルシュさん、ようやく書物から視線を外し、足元の俺を見た。
「……………………………………猫?」
「猫です」
やっと事態の異常性に気づいてくれた!
キルシュさんはメガネを外し、服の裾できゅっきゅっと軽く拭いた後、またメガネを掛け直し、一瞬だけ天井を仰いで――
石の床に膝をつき、俺の前足をとった。
「……はじめまして。挨拶が遅れて失礼をしました。キルシュ・ラッカと申します。貴方は?」
「ルークと申します! リーデルハイン家のペットです。ちょっとした御縁でシャムラーグさんと知り合いまして、貴方と妹さんをここから救出するように頼まれました!」
キルシュさんは、にっこりと微笑んだ。
………………この人、たぶん大物である。喋る俺を間近に見た上でこんな自然な対応ができるのは、明らかに只者ではない。
「なるほど。それはそれは、お手数をおかけしました。義兄さんは元気ですか?」
「もちろんです! すぐにお会いできますよ」
俺は素早くキャットシェルターの扉を開く。
そのすぐ傍には、まだシャムラーグさんとエルシウルさんが立っていた。
「キルシュ!」
「先生!」
「やぁ、エル、少し痩せましたね? 義兄さんも、お久しぶりです」
キルシュ、と名前を呼んだのはシャムラーグさん。
奥さんのエルシウルさんは「先生」と呼んだ。元教え子? それとも教官と助手みたいな関係?
エルシウルさんはすぐさま夫に抱きつき、キルシュさんは少しよろめきながらも、身重の妻をしっかり抱き止めた。
奥さんはもう完全に泣き顔である。ポロポロと涙をあふれさせ、しゃくりあげながらすがりつく。
キルシュさんのほうは澄ました微笑のままで、事情などはさっぱり理解していないはずなのだが、状況に素直に身を任せている感がある。
……やはりちょっと尋常ではない。
もしやこの人、シャムラーグさん以上のとんでもない拾い物なのでは……?
そんな予感を胸に秘めつつ、俺はひとまず収容所を抜け出し、少し離れた人目につかぬ草むらから、再びシェルターへと入り直したのであった。