7・猫にチョコレートは禁忌
………………
俺の手には、真っ赤に熟した大きく立派な威厳あふれるトマト様――
ルークさん何も見なかった。
これは夢。これは夢。トマト様の重みは夢っぽくないけど、まぁ……食べてしまえば証拠隠滅は容易……
「レ、レッドバルーンの実が……! 変化……した……?」
「ルーク……いま、何したの?」
目撃者がいた!? ……いやまぁ、当然である。
「え、ええと……あの……今の今まで、無自覚だったんですが……その……魔法? 的なもの……? みたいです?」
超越者さん言ってた。
チートな転生特典として、言語能力、魔法能力、肉体強化、強運に各種耐性――
言語能力はホントだった。肉体強化はよくわからんけど、猫なのに二足歩行ができてる。強運は親切な精霊さんやライゼー子爵という有能お貴族様との出会いによってなんとなく証明された。各種耐性はまだ詳細不明だが、トマト三つ食っても平気な胃袋の猫って割とすごくない?
……この状況で、魔法だけ嘘だったってことはないだろう。
もちろん、「ホオズキをトマトに変えるだけの魔法」なワケがない。
火球を撃ったり空を飛んだりといったゲーム的な魔法ではなかったが、これはむしろ……もっとヤバい系統の、よりファンタジックかつ不可解な「魔法」である。「マジック」より「ミラクル」に近いヤツ。
リルフィ様がきれいなおめめを見開き、かすれそうな声を絞り出した。
「物質変化……? そんな、まさか……ル、ルークさん? あの、今のは……!?」
「ス、ストップ! 自分にもよくわかんないです! 元いた世界ではこんなことできなかったので、なんとゆーか、こう……こっちにきて獲得した特殊能力? 的な?」
クラリス様が、細い指先を優雅に顎へ添えた。ううむ、絵になる。
「ルーク、そのトマト様を……ええと、そうね……たとえば、“鳥”に変えられる?」
「え? 鳥……鳥ですか。うーん……」
しばらく念を込めてみた。
――が、特に変化はない。
「無理みたいです。何も起きません」
「それじゃ、元のレッドバルーンには戻せる?」
「試してみます」
しばし経過――
結果は、何も起きなかった。
……ちょっと冷や汗がわく。
「…………も、戻せないっぽいです……」
「じゃ、次はこれね」
クラリス様が近くの棚から一本の薪を取り出し、机に置いた。
「ルーク、これを鉄の棒に変えられる?」
俺はテーブルの上の薪に前足を添え、念を送る。
んー。んんんんんー……
「………………無理でした」
「それじゃ……ルークの知っている、“木でできている何か”に変えてみて」
「え。急に言われましても……ええと、木、木……」
あ、あれでいいか。鮭をくわえた木彫りの熊さん。
……しかし何も起きなかった!
「うーん……ダメですねぇ」
「あれ? ……それはできると思ったんだけど……あ。じゃあ……食べ物限定で。外見がそれに似ている食べ物って、何か思いつかない?」
ふむ。この薪に近そうな食べ物というと……よし!
……匂いが変わった。
「……まどもわぜる、“ブッシュ・ド・ノエル”でございます」
……できちゃった。
切断した丸太のよーな、割としっかりめの大きなケーキ。
チョコレートクリームたっぷり、スポンジふわふわ、アクセントにイチゴを添えて、チョコレートのプレートには「めりーくりすます」の文字列まで書かれている。
完璧である。
あ、サンタさんのフィギュアはない。
テーブルの上へ直置きになってしまったが、キレイにしてるっぽかったからまぁ大丈夫だろう。
……おや? クラリス様が呆けてらっしゃる……リルフィ様も無言で固まっていた。
その隙に俺は現状を把握する。
……つまりあれか。
どうやら「変化して再現できるもの」は、「俺が前世で飲食したもの」に限られるっぽい。自らの血肉にすることで分析がー、とか物質に関する記憶がー、みたいな感じ?
で、たぶんある程度は見た目も似ていないと難しい感じがする。
実はこの薪をトマト様に変化させられないかと一瞬試したのだが、それはダメだった。
木彫りの熊やレッドバルーンも、食べたことがないから変化させられない。鉄の棒も然りである。
…………あれ? もしかして、この能力に気づいていれば……山中行軍でも餓えずに済んだのでは?
だって、木なら、周囲に……それこそ、山ほど……
超越者さん。せめて……せめて最初に、能力の説明書か仕様書をいただきたかったです……!
ともあれ動かないお嬢様方お二人を放置して、俺はテーブルから棚へと跳び移り、戸棚からお皿とティーカップを拝借した。
お湯沸かせるかな? あ、飲んだことあるから、水さえあれば熱い紅茶に変えられるかも。
幸い室内に水瓶があったので、柄杓ですくってポットに移し、ポットの中で熱い紅茶に変わったのを確認する。すげぇなコレ。確かにチートだ。人間であろうと猫であろうと、「食」の保証というのはやはりこの上なく心強い。
無作法を承知で再びテーブルに飛び乗り、フォークを駆使してブッシュ・ド・ノエルを皿に移動、次いでカップに紅茶を注ぎながら、俺はお嬢様方を肉球で手招きした。
「まぁ、せっかくですんで……その、子爵様には内緒で……食べちゃってもいいんじゃないですかね、コレ」
ケーキや焼き菓子はこの世界にもあるだろう。が、クオリティの差は想像に難くない。
しかも今回再現したブッシュ・ド・ノエルは、ケーキ職人の夢を叶えた高校の先輩から「味見に!」という名目で誕生日にいただいた超自信作であり、そのクオリティはちょっと尋常ではない。
見た目はチョコの丸太であるが、内部にはイチゴを中心とした様々なフルーツがバランス良く配されており、爽やかな後味もあいまってペロリと胃に収まってしまう、それこそ魔法のようなスイーツである。
未知のトマト様にはピンとこなかったであろうクラリスお嬢様も、これを前にしては即堕ちだった。
「……いただきます」
「ク、クラリス様!? だめですよ、珍しいのはわかりますが、その、あの……も、元は薪ですし……! 物質変化じゃなくて、幻術の可能性も……!」
リルフィ様が我に返った。が、クラリス様は既にフォークを握り、テーブルへ陣取っている。
一口目は毒味も兼ねてまず俺が……と思っていたが、クラリス様のフォークは即、ケーキに突き刺さっていた。
問答無用で一角を切り崩し、チョコレートクリームとスポンジに隠れた苺、バナナ、キウイ、パイン等の細切れを表出させる。
リルフィ様が息を飲んだ。
「これは……果物でしょうか……? 見たことのない品種ですが……」
そしてクラリス様が、フォークに刺したケーキの欠片をおそるおそる口にいれる。
起きた反応は劇的だった。
「……んーーーーーっ!?」
あのクレバーかつ冷静なクラリス様が、青い眼を大きく見開き、口元を押さえ、悶絶しながら歓声をあげてしまう。
「リル姉様! すごい! これすっごい! 甘い! おいしい! 口の中で溶ける! ふわっふわっ! 姉様も食べて!」
眼はキラキラを通り越して、宝石のようだった。
……いかん。オーバーキルだ。
クラリス様の反応を見る限り、この近隣には生クリームとかスポンジもなさそう。あるいは砂糖が貴重なのかもしれない。
そのあたりはいずれ確認するとして、とりあえず俺も一口。
……うん。うまい。
猫の舌は甘味を感じない、みたいな豆知識を、以前にどこかで見かけたことがある。その真偽は知らないが、少なくとも俺の舌はやはり人間並らしい。ちょっとザラザラしてるけど。
あと猫にチョコレートやイチゴは禁忌らしいので、今のうちに少し試してみたかった。
コレでダメだったらタマネギ系にも気をつけないといけないが、食した感じでは何ともない。これも「各種耐性」の効果?
時間差で体調が変わる可能性も考慮して、ここは少しにしておこう。ルークさんは自制できる猫さんである。
しばらく戸惑っていたリルフィ様も、クラリス様に促されるまま、遂にフォークをのばした。
恐る恐る、その端整な口元に欠片を運び――
「……っ!? ふえっ!?」
……発育のいい幼女かな? 反応があざとい。
その後の惨状は、もはや語るに及ばない。
フォークが乱舞し、丸々一本のブッシュ・ド・ノエルは、あっという間に二人のお嬢様の胃袋へと収まった。
その後に要求されたのは、もちろん――
「ルーク、同じの、もういっこ」
「ダメです」
断固として突っぱねる。
意地悪ではない。
ショートケーキ一個ならともかく、そこそこでかいブッシュ・ド・ノエルをほぼ二人で山分け……どう考えても糖分と脂肪分のとりすぎである。
「今のお菓子は美味しいですが、食べ過ぎると絶対に太ります。体に悪いとまでは言いませんが、どんな食べ物であっても、一つのものをとりすぎると栄養が偏るものです。クラリス様は成長期! もっと体にいいものをちゃんと食べていただかないと困りますから、今日はこれ以上はダメです!」
飼い猫にも譲れない一線というものがある。主を甘やかすのがペットの本懐ではあるが、結果として主の健康を害しては本末転倒。ペットたる者、時には心を鬼にして主を諌めねばならない。
クラリス様は不満顔……
リルフィ様は理解してくれたようだが、にじみ出る残念感は否めなかった。
「……えっと……あの、こっちのトマト様ならいいですよ? 栄養価高いですし」
「……たべる」
……ルークさんってば、なんだかんだいって幼女様には甘いから……
おずおずと差し出した赤い実に、クラリス様がかぶりついた。
甘味はもちろんケーキに劣るが、糖度の高い最高級のトマト様である。その爽やかな酸味は後味も抜群だ。ほとんどフルーツといっても過言ではない。
「……うん。これはこれで……おいしい。ふしぎな味」
もきゅもきゅとトマト様を頬張りながら、クラリス様はご機嫌を直してくれた。
さすがにケーキのインパクトの後では反応が薄い――無念である。トマト様の真価を理解していただくには少し時間がかかりそうだ。まずはお子様相手の鉄板、ミートソースからだな!
「あの、ルークさん……」
リルフィ様が背筋をのばした。
やや緊張気味に肩をすくめているせいで、両腕に挟まれたアレがものすごい存在感を放っているが、ルークさんは紳士なのであえて眼を逸らす。
俺は猫、俺は猫……欲望に負けてはいけない……にゃーん。
心を落ち着けるため毛繕いを始めた俺に、リルフィ様が囁くような美声をお寄越しになられる。
「……今の“魔法”がどういったものなのか、私にはわかりません。でも、私も一応は魔導師の端くれですので……初歩的な“魔力鑑定”を使えます……もし失礼でなければ、ルークさんの能力を鑑定させていただければ……少しは、何かわかるかも……?」
……ふむ。そんな魔法が。
いろいろ知りたい反面、若干の危険性も感じる。
“別の世界から来た”という事実はもう話してあるからいいとして、元が人間とか、隠しておきたい黒歴史とか、中二病じみた過去とか、そういうものを明かされてしまうのは非常にマズい。何がマズいって、個人的に死にたくなる。
「それは……たとえば、どういったことがわかるんですか? 思い出とか記憶とかも?」
「あ、いえ……そういうものではなく……まずわかるのは、適性ですね。魔法には、地水火風の四大元素を操る属性魔法、思考や感覚に影響を与える精神魔法、信仰心によって聖なる属性を扱う神聖魔法、結界を張ったり亜空間を作ったりする空間魔法などがあります……これらに対する適性は生まれつきのものなので、これを鑑定した上で、得意な方面の修行を重ねるのが、魔導師の一般的な在り方です……ちなみに大多数の人は、何の適性もありません。ですから、適性が一つでもあれば、魔導師としての修行を勧められます」
つまり適性検査か!
それは今後のためにも、ぜひお願いしておきたい。
「たとえば私は、水属性と神聖魔法に適性がありました……火球なども一応は使えますが、得意な属性ではないので、威力はありません。せいぜい薪に火をつけるくらいです……でも水属性の魔法なら……それなりに使えます……神聖魔法のほうは、リーデルハイン家が軍閥なもので、修道院や教会とは少し距離があり、習得が難しいのですが……」
ああ、おうちの政治的な事情で修行しにくい、という話か。
「なるほど、ぜひお願いします。私も自分の適性は知っておきたいので!」
「は、はい。それでは、準備を――」