67・落ちた狙撃手
さて、本日もお茶の時間である。
ルークさんの基本スケジュールは朝食→お昼→お茶(三時のおやつ)→夕食→夜食であり、朝食とお昼の間にもう一回お茶が入ることもあるが、猫としてはそこそこ多食であろうか?
いや、しかし猫さんの食事で気をつけるべきなのは肥満にならない程度の総量を守ることであり、尿石症などを防ぐためにも、少量を複数回に分けて食べるほうが良いとも聞く。個々の性格や体調にもよるのだろうが、食べすぎないように少しずつ一日五食とかそんな感じ?
……ルークさんの場合はどう考えても総量的に明らかに食べ過ぎなのであるが、何故か体重・体型には変化がないため、あまり気にしてはいけない。健康状態も極めて良好で毛ヅヤも良い。サラッサラのもっふもふである。ついでに肉球はプニップニで腹肉はダルッダル……猫は液体だからしゃーない。
しかし食っても太らないのは良いが、どうやらダイエットもできそうな気がしない。そういえば転生直後の山歩きでも、体型にこれといった変化は見られなかった。多めのごはんも「亜神としての適正量」ということでご容赦願おう。
それはさておき、本日のおやつ。
メニューはチョコレートとミックスベリーのタルト、アイスレモンティー。王道の組み合わせである!
甘めのミルクチョコレートのムースをベースに、爽やかな酸味のラズベリーとブラックベリー、薫り高いブルーベリーとストロベリーを山盛りにし、これにクランベリーのソースを絡めてツヤ出しのナパージュで覆った贅沢な一品だ。
ナパージュとは液状のゼリー。主成分はペクチンだが、粉ゼラチンを使うこともある。これを塗ると光沢が出ておいしそうに見えるし、フルーツやクリームの乾燥も防いでくれる。ケーキの完成度を高めてくれる頼れる名脇役といったところか。
このベリータルトも先輩のケーキ屋の定番スイーツだが、特筆すべきはチョコレートムースの滑らかさと上品な甘さ。
舌の上でふわりと溶け、それでいて味わいは濃厚。口いっぱいにチョコレートとフルーツの香りが広がる至高のおやつである。
さらに追加の一手間として、タルト生地とミルクチョコレートムースの間にもう一層、薄めにダークチョコレートを塗ってある。
これが苦味と香りの良いアクセントになっていて、風味に奥行きをもたらしてくれている。
オレンジピールを混ぜた別バージョンの試作品などもあるのだが、そちらはまたいずれ。
そしてこのタルトにあわせてチョイスしたドリンクは、少し甘めの爽やかなアイスレモンティー。チョコムースの濃厚さを、味覚的にも嗅覚的にもすっきりとさせてくれる。
結石が怖いルークさんはレモンティーよりもミルクティー派なのだが、スイーツを食べるときに限っては、ミルクティーだと少々甘すぎる感がある。
特にミルクチョコレートや生クリームなどを使ったスイーツの場合、ミルクとミルクでかぶってしまう。これが『マリアージュ』として作用することももちろんあるのだが、先輩の店のこの「チョコレートとミックスベリーのタルト」に関しては、やはり爽やかなアイスのレモンティーがよく合う。めっちゃ合う。
クラリス様もリルフィ様も、とても美味しそうに召し上がってくださっている。
「うん、おいしい。これもすごくおいしい――」
「ルークさんが出してくれるお菓子には、この『ちょこれーと』というものがよく使われていますが……ベリーの香りと、すごく良く合うのですね……おいしいです……」
他の皆様も――ピタちゃんは満面の笑顔で、サーシャさんは頬を染めつつ眼を輝かせて、アイシャさんはうっとりとして幸せそうに、それぞれこのスイーツを堪能されていた。
「ソフトクリームもすごかったですけど……このケーキもすごいですよねぇ。やっぱりルーク様、王都でスイーツの専門店とか出しません? こっちの技術で再現可能なものを見繕って売り出したら、あっという間に超一流店ですよ?」
「ちょうどいい甘味料が手に入りにくいので難しいですし、まずはトマト様優先です。他にもプランはいろいろありますが、スイーツ系は……材料とか設備とか手間の都合で、なかなか難しいかと思います」
先輩の努力と苦労を間近で見てきた身としては、気軽には手を出しにくい分野なのである……
あと俺には、お屋敷の庭先に作っていただいた『ルークさんの実験畑』の維持管理という大事なお仕事もある。
王都滞在中の今は、庭師のダラッカさんに世話を一任してしまっているが、これは「俺の不在時に、作物がちゃんと育つかどーか」という実験も兼ねている。どんな作物がこの地の気候風土に合うか、これも大事な実験である。スイーツ店のプロデュースまではさすがに肉球が回らぬ。
さて、今回初めてスイーツをご提供したオズワルド氏は、優雅ににこにことフォークを操る女子達の隣で、まばたきもせず呆けていた。
その隣のクロード様は、どことなく懐かしげにタルトを召し上がっている。前世のケーキを思い出しておられるのだろう。
オズワルド氏が、そんなクロード様に小声で話しかける。
「……クロード君といったな? あの、その……この、菓子は……君達は、いつも、このような品を食べているのか……?」
「いえ、まさか。見ての通り、ルークさんがいる時だけですし、僕も数日前に王都で合流したばかりなので……ただ、ここ数日はちょくちょくご馳走になっています。詳しいことは、ルークさんに直接聞いてください」
オズワルド氏が唸った。
甘いモノは苦手ではないと言われたので同じモノをお出ししたのだが、気に入っていただけたようで幸いである。
俺はリルフィ様のお膝からするりと離れ、四足でオズワルド氏の傍へ歩み寄った。
「オズワルド様、お口にあいましたか?」
「あ、あぁ……それはもちろん。このような品は初めてだ。たいへん……たいへん、楽しませてもらっている――が……」
……オズワルド氏、さすがにもうお気づきである。
じんぶつずかんによって、俺も『バレた』ことについてはもう確認済みである。だからこうしてスイーツも普通にご提供した。
「……ルーク殿。失礼ながら、貴殿は『猫の精霊』などではない。もっと、別の……」
「お察しの通りです。私はオズワルド様に、虚偽を申し上げていました」
オズワルド氏が震えた。
「では、やはり……貴殿の正体は……」
「はい。『猫』です」
ちんもく。
オズワルド氏、フォークに刺したチョコレートムースを口へ運びつつ、しばし困惑の顔へ転じた。
「ああ、いや、そうではなく……」
「猫です」
「いや、狂乱状態にある『純血の魔族』を力ずくで屈服させられる存在など、神の使徒か邪神か……」
「猫といったら猫です」
頑なに猫であることを主張し続けるルークさん!
もうバレている。それは知っている。それでも嘘をつき続けるのには理由がある。
「リオレット様とこの王都をお救いしたのは、あくまで『猫』なのです。ルーシャン様の長年に渡る猫への信仰心が、このたび実を結んだのです。だから『亜神の加護』とかそーゆーものではありません」
オズワルド氏が、ぴくりと眉を震わせた。
「……そういうことか。心得た。では今後も、『猫』としてルーク殿に接する。一つうかがいたいが……それは、我ら魔族に対する心遣いか? アーデリア嬢の立場を、『神に牙を剥いた愚か者』にしないため、とか……」
……その理由だと「猫に負けた魔族」ってことになっちゃうけど、それはいいの……?
「いえ、そーいうわけではないです。理由は二つ。『ネルク王国は亜神に守護されている』なんて噂が世間に広まったら、ちょっと困ります。この国の一部の貴族が、そんな噂で調子に乗ったりするとめんどくさいので。今回の件は、あくまで『ルーシャン様の信仰心の賜物』ということにしたいのです。二つ目の理由は……まだ見ぬ『魔王様』とかに、興味をもたれたくないとゆーか――私は平穏無事な生活を望んでおりますので、なるべく魔族の皆様との厄介事は避けたいと思っています」
オズワルド氏が薄く笑った。
「魔王様への隠蔽工作、か……確かに『亜神の顕現』ともなれば一大事、魔王様も強く興味をもたれるだろう。結果、悪意なくルーク殿の平穏を乱してしまう懸念は充分にある。わかった。私からの報告には嘘を織り交ぜよう。謎に包まれた猫の精霊の仕業、手がかりも少なく噂も真偽が知れない、という扱いがご所望か?」
「はい。あの……その通りではあるのですが、魔王様に嘘をつくことになりますよ? 大丈夫ですか?」
「構わん。我ら魔族はさほど規律を重んじていないし、上下関係も緩い。魔王様の指示があれば必ず従うが、指示がない限りはそれぞれの家の裁量が尊重される。あと……西方に住む魔族は、東方の……気を悪くしないでくれ、東方の田舎には、あまり興味を持っていないのだ。今回の件も、私やアーデリア嬢がうまく口裏をあわせれば、『辺境の与太話』で流されるだろう」
そんなもんか。
カメラも動画もSNSもない世界だし、情報の伝達速度や正確性は推して知るべしである。
……いや、訂正。カメラはある。実は、「カメラ」はあるのだ。
ただ、前世にあったような、化学反応を利用してレンズとフィルムと印画紙でー、みたいな仕組みではなく、魔法を使って『魔光鏡』に景色を焼き映すというシロモノであり、ちょっと勝手が違う。
魔光鏡を印画紙代わりにするという仕様上、一枚あたりのコストがとても高価なため、一般家庭などにはもちろん普及していない。
しかも魔導師にしか撮影できないため、貴族の趣味としても成立しにくい。さらに撮影には数分かかるため、動くものは撮影できない。
つまりさっきの『猫の旅団』も、街からの撮影は不可能だったと思われる。
要するに「幕末から明治頃のカメラ」と似たような使用感といっていいだろう。ただし一応、フルカラーで、画質もけっこう美しい。
この数日で王都を見物中、「写真みたいな絵だなー」と何度か見かける機会があったのだが、リルフィ様のご講義によってガチの写真だと判明し、「マジで!?」と驚いた次第である。
「私への相談事というのも、その魔王様への隠蔽工作についてか?」
「それもありますが、もう一点。実は、さっきリオレット様を襲った下手人を、奥の部屋に捕らえてあります。レッドワンドの工作員なのですが……諸事情から、私は彼を助命したいと考えています。そこで、裏社会に詳しいオズワルド様から、いくつかアドバイスとご助力をいただければと」
「未遂とはいえ、国王の暗殺を企てた者だぞ? わざわざ助命する意味があるのか?」
「これから尋問をしますが、アレは明らかに『自殺』同然の暗殺でした。生きて帰ることを完全に諦めた、やけっぱちの奇襲です。国や指揮官への忠誠心からとった行動というより……『何か弱みを握られて、脅された末の自爆』だったのではないかと推測しています」
『じんぶつずかん』から得た情報であることは隠し、あくまで推論ということにしておいた。
オズワルド氏が眼を細める。
「その可能性は充分に有り得る。レッドワンドには『人質法』と呼ばれる評判の悪い法があってな。正式な名称は忘れたが、邪魔者の親族を無実の罪で捕らえ、その減刑を盾にして、生還できない類の無茶な任務を押し付ける、という――遠回しな死刑だが、うまく任務を果たせれば儲けもの、といったところか。上官に逆らった者への見せしめ、という意味合いもあるらしい」
ほう。シャムラーグさんの『じんぶつずかん』にも「妹夫婦を人質にとられ、その減刑のために」とは書かれていたのだが、「人質法」なるものの詳細はまだ読んでいなかった。読もうと思えば読めそうだが、文字数多いの苦手……ツラい……
「もしもそういう事情だった場合、私が仕返しするべき相手は、捕らえた実行犯ではなく、その指示を出した人物、あるいは黙認したレッドワンドの上層部全体です。で、そのための手段や注意点について、オズワルド様や正弦教団のお知恵を借りられれば、と――私はそういった物騒な物事に、あまり詳しくないのです」
「承った。そうなると、まず第一は敵方の『情報収集』だな。レッドワンドにも正弦教団の拠点がある。連絡員が数人暮らしている程度の小さな拠点だが、宿代わりにはなるだろうし、国内の情勢程度は把握しているはずだ。ルーク殿が望むなら、私が転移魔法でこちらへ連れてきてもいい」
オズワルド氏ッ……! 期待以上に使えるぞ、この人ッ!
「お願いできますか!? その間に、こちらは暗殺者の尋問をしておきます」
「よし。では……」
オズワルド氏、ベリータルトの最後の一欠片を、名残惜しげに口へ運んだ。
うむ。このご協力にはお礼が必要であろう。正式なお礼は後日用意するとして、今日のところは――
「あ、こちら、お土産です! 道中で召し上がってください!」
「む。これは、かたじけない……?」
ストレージキャットさんから取り出したのは、一口サイズに切り分けた四角い生チョコの詰め合わせ。
ひょいっと摘めるお手頃サイズでありながら、味わいの濃厚さで確かな満足感をくれる一品だ。まぶしたココアパウダーの風味も嬉しい。箱は王都で調達したモノである。
「熱で溶けてしまうので、水属性の魔法か何かで、適当なタイミングで冷やしてください。それと二、三日で傷んでしまいますから、遠慮なく食べきってくださいね。お口に合うようでしたら、またご提供しますので!」
「……ありがとう。つかぬことをうかがうが……貴重なものではないのか?」
先程のベリータルトの完成度は、こちらの世界ではちょっと規格外である。この生チョコも「こちらの世界に存在してない」という意味では貴重だが……金銭的な意味では無料だし、ルークさんならほぼ無制限に量産可能ではある。
……でも、この手のモノを量産すると社会的な影響力がやっぱり怖い。
「世間に流通させたりは無理ですが、身の回りの方々に、たまにご提供する程度なら問題ないです。もっと大量に差し上げても良いのですが、そんなに日持ちしない上、ちょっとだけ興奮作用があり、食べすぎると夜に眠れなくなったりするので……あと、こういうスイーツは少しずつ食べるのが美味しいと思います。大量に食べると飽きます」
「まぁ……それは、そうかもしれん。贅沢すぎる話だがな」
さっそく、生チョコを一欠片。
たちまちオズワルド氏は眼を見開き、にやりと嗤った。
「……ルーク殿。貴殿とのつながりを得られたことは、私のこれまでの生涯において最大の幸運やもしれん。魔王様には悪いが、こんなにおもしろい縁、そうそう譲る気にはなれんな。私に手伝えることがあれば、どうかなんでも言ってくれ。それでは、ひとまず失礼する」
ウィンクを残して、オズワルド氏は猫カフェの扉から外へ戻っていかれた。
スイーツを食べ終えてレモンティーを飲んでいたお嬢様方が、ルークさんの背後で囁きをかわす。
「……落ちましたね、あれ」
「ア、アイシャ様、そんな言い方は……」
「リル姉様、認めて。あの人、たぶんそれなりに猫好き――」
「……ルークさんって、割と人たらしですよね」
クロード様にまで呆れた口調で言われてしまった。サーシャさんは無言のまま静かに頷き、ピタちゃんはクラリス様の背中に寄りかかって、デザート後の口直しのニンジンをポリポリとかじっている。この子も俺以上によく食うな……!
「オズワルド様は好奇心旺盛なだけだと思います。そんなことより、私は例の暗殺者の尋問をしてきます。皆様は、退屈でしたら街へ出ていただいても――」
「ルーク、その尋問、聞いててもいい?」
クラリス様が食いついてしまわれた。
見ていておもしろいもんでもないとは思うのだが、飼い主のご意向である……あと、後からご説明するのもちょっとメンドいので、聞いていただくことにもメリットはある。
「こちらの窓に、尋問の様子を映すことはできます。あと、こちらからの質問は『メッセンジャーキャット』で相手の脳内に直接届ける予定ですので、相手が勝手に答えてるよーに見えるかと思いますが……そこらは適当にスルーしていただければと!」
そして俺は皆様にコタツで待機しておいてもらい、カフェ奥の通路から隔離部屋の前へたったかと移動した。
有翼人、シャムラーグさんを閉じ込めた隔離部屋は、特に装飾のない真っ白な部屋。
室内の様子は、壁面のモニターに映し出されている。
光源は特に設定していないのだが、全面がなんとなく明るい。影もできない。SFちっくなヤバめのお部屋であるが、実際のところは「内装工事中」というだけの話であり、和モダンでいくかカントリー風でいくか昭和レトロでいくかアール・デコ風にまとめてみるか、ちょっと決めかねている。
あ、簡易ベッドだけは一応用意した。
しかし現状では窓もないため、閉塞感がすごい。やはりインテリアは大事である。これは人を発狂させるタイプのお部屋だ。
有翼人、シャムラーグさんはまだ寝ている模様。これは好都合といえよう。
俺は脳内で第一声を練り上げ、メッセンジャーキャットさんにコレを託す。
そして、リオレット様暗殺未遂犯への『尋問』が始まった。