62・お猫様ランチはじめました
パレード見物のための貴賓席は、お城に一番近い高級ホテルの中に用意されていた。
ホテルはどこぞの公爵様が所有している物件だそうで、内装はいかにもな高級感! 赤い絨毯に大理石の階段、行き届いた清掃、魔道具の照明をふんだんに使用した明るいエントランス――
……猫の持ち込み、だいじょうぶ? こういうとこって、普通はペット禁止じゃない?
ピタちゃんは人型に変身しているが、俺は猫のままなので、あんまり高級感あるとこはちょっと入りにくい。
……が、特に止められることもなく、アイシャさんの顔パスでそのまま通過。
「このホテルのオーナーの公爵様は、お師匠様の猫仲間なんです。ペットと一緒に泊まれる高級ホテルとして人気なんですよ」
へー。
…………すれ違う従業員の皆様、リルフィ様に抱っこされた俺を見て、みんな笑顔なんだけど……
『じんぶつずかん』を見ると、軒並み猫力が高め。たぶんここ、人材採用の基準が「猫が好きかどうか」になってる……! やべーホテルもあったものである。
通された二階の貴賓室は、宿泊用の部屋ではなく、併設されたレストランの個室であった。
広さは六畳から八畳程度。正面の広いガラス窓からは、目の前の道が広々と見える。なるほど、これはまさにパレード見物の特等席であろう。飲食物の持ち込みは問題ない――とゆーか、お貴族様のそういったワガママを受け入れるための高級お宿であり、そもそもの場所代がとんでもなさそう。
テーブルについてすぐ、俺は猫魔法で『ストレージキャット』さんを呼び出した。
執事猫さんに頼んで亜空間から取り出してもらったのは、人数分の食器類と錬成材料の藁束。
――さて、集中である。
麦の藁束>稲の藁束>ごはんもの、という錬成は、コピーキャットにおいてかなり有用性が高いのだが、この時、「幕の内弁当」などを連想することによって、「ごはん」以外のおかず類も再現できるというチートバグがある。いや、バグじゃなくて仕様だけど、すごすぎて使い心地がほとんどバグ……
これを応用することによって、ルークさんは「好みのおかず」だけを取り揃えて弁当化し、いわゆる「ルークさん弁当」を作り上げ、更にはそれを実際に食すことで、次からは簡単に一瞬で再現できるよーにもなった。
その結果、何が起きたか。
――もうお気づきであろう。
実際に食べた組み合わせであれば、ごはん+おかず各種という「一食分のメニュー」を、藁束から一瞬で再現できるようになったのである! もちろんパンでも可。
そして誕生したのが本日のクラリス様からのリクエスト。
ルークさん選抜メニュー、絶品「お子様ランチ」ならぬ「お猫様ランチ」だ!
まずは猫さんの顔の形に成形したプリン大のオムライスとピラフ。
肉汁たっぷりのチーズハンバーグ&ベシャメルソース。
タルタルソースつきのエビフライ、クリームコロッケ。
タコさんウィンナー、ブロッコリー、フライドポテト、肉球型のにんじんグラッセ、プチトマト様、ポテトサラダ、デザートのメロンとさくらんぼ、ヨーグルトムース……
付け合せのスパゲティは、前回はナポリタンだったのだが、今回はアイシャさんのリクエストに対応してミートソースにしておこう。
汁物としてオニオンコンソメもつけて、なかなかのボリューム感!
食べ物ではない飾りの「旗」だけは再現できないのが無念だが、これにてルークさんプロデュース、「猫まっしぐら! 絶品お猫様ランチ」完成である!
……これを七人分。一仕事ではあった。
クラリス様とリルフィ様、サーシャさんには、リーデルハイン領でバージョン違いの試作品を何度かご提供している。クロード様やピタちゃん、アイシャさんにはもちろん初めてだ。
「ルークさん……こんなに凝ったものまで、一瞬で再現できるんですか……」
クロード様にとっては懐かしさもあるはずだが、頬がひきつっておられる。
「がんばりました! オススメはこのハンバーグです。お子様ランチの常識をくつがえす、専門店のめっちゃ美味しいヤツです。単品での追加も対応できますので、足りなかったら仰ってください!」
クラリス様には適正量、リルフィ様も割と少食なのでちょうど良さそうなのだが、育ち盛りのクロード様には少し足りぬであろう。品数は多いが、あくまでお子様ランチである。
みんなで食べ始めるなり、ピタちゃんとアイシャさんのお目々がキラキラしはじめた。
「ルークさま、これおいしい! これもおいしい!」
「ほんとにおいしい……! ど、どういうことですか、これ!? あのミートソースが神様の主食じゃなかったんですか!?」
ピタちゃんはウサギなのにオニオンコンソメも平気で飲む……安全のために「どうぶつずかん」でも確認したのだが、ピタちゃんはウサギではあるものの、食い物に関しては人間以上に雑食性であるらしい。ただし味の好き嫌いはあって、生のタマネギなどはやはり食べない。
ちなみに、普通のウサギさんにはタマネギなんて与えたら死んでしまうので、ぜったいダメである。というかネギ系はだいたいの動物がダメで、アレを食える人間のほうが種として珍しい存在のよーな気がする。
あとアイシャさんにはミートソースの立ち位置を誤解されていたよーだが――この後に待っているモノに、果たして彼女は耐えられるであろうか……?
ついでにピタちゃんは、特に「にんじんグラッセ」に衝撃を受けていた。
初対面で「世界中のにんじんをでかくしろ」などと要求してきただけあって、人参には一家言ある様子だったが、「甘く煮つけた人参」というのは未知の概念であったらしい。
「ルークさま! これもっと!」
「はーい。食べすぎないよーにねー」
……そうか。
俺がトマト様へ忠誠を誓っているように、きっとピタちゃんはニンジン様に忠誠を誓っているのだろう……この子にいだいた親近感、それは「獣!」という共通項だけでなく、種類は違えどお野菜様への信仰心に共感を覚えたからやもしれぬ……ぜったい違う。
それはそれとして、お子様ランチに期待通りの反応を返してくれる幼女というのはやはり和む。
ピタちゃんは実年齢は三百歳越え、容姿は十代なかばのウサミミ美少女であるが、精神年齢の都合上、どうしても幼女扱いせざるを得ない。
みんなで楽しくお昼ごはんを食べた後、デザートには「ソフトクリーム」をご用意させていただいた。
「変わった形の……アイスクリームですね……?」
「……生クリームのアイスクリーム?」
リルフィ様とクラリス様は戸惑い顔。アイス類は何度かご提供しているし、ケーキやワッフルなどで慣れた生クリームはもはや定番の味であるが、「ソフトクリーム」はこれが初めて。
アイスクリームとソフトクリームの違い。
それは「温度」である。ぶっちゃけ成分はほとんど同じ。
どちらも撹拌によって空気を含ませながら冷やし固めるスイーツだが、より低温で冷やし固めていくとアイスクリームになり、練り上げている最中の滑らかなモノがソフトクリームになる。できたてのアイスクリーム、とも言われる。
やや乱暴な説明であり、実際には各メーカーによる添加物の工夫などもあろうが、方向性としてはだいたいそんな感じ。
しかしこの「温度」というもの、馬鹿にはできぬ。
どちらも冷たいお菓子ではあるが、人間の舌というものは「適度に温かいものほど甘みを感じやすく、冷たいものほど甘みを感じにくい」という性質がある。溶けかけのアイスクリームがやけに甘く感じられるのもそのためだ。
それに加えて、ソフトクリームのなめらかな食感は舌により絡みやすく、乳脂肪分の風味までダイレクトに届きやすい。
いわゆるご当地ソフトクリームに多種多様なフレーバーが多いのもそのためで、つまりアイスクリームより「風味が伝わりやすい」のだ。また持ち帰りや配送に不向きなため、「その観光地でしか食べられない」という限定感もある。
今回ご用意したのは、あくまでオーソドックスな牛乳メインのソフトクリーム。
ルークさん的には、一番好きなのはチョコとバニラを合わせた「ミックス」なのだが、初手はまずみんなで同じものを食べるのが良かろう。ピタちゃんは二回目だし、クロード様は前世組だけど。
まずはピタちゃんが我先にと舐め始める。
眼はしんけん。いっしんふらん。ソフトクリームを食べる顔ではない。野生の獣が数日ぶりの餌にありついた顔である。ピタちゃん……三食+おやつもしっかりあげてるのに、どうしてそんなに餓えてるの……? なんか変なスイッチ入ってない……?
クラリス様とリルフィ様は、頬を赤くして眼を見開いている。
「すごい……ルーク、これどうなってるの……? なんでこんなすごいもの、今まで隠してたの……?」
「いえ、隠していたわけではなくてですね。私のいた世界では、割といろんなところで食べられるごく普通のおやつだったので、あんまり意識してなかったんです」
「これが、普通……? あの……ルークさんのいた神々の世界では、たとえばこれを食べるのに、どのくらいの代償が必要だったのでしょうか……?」
代償……いやまぁ、もちろん無料ではないが、そんな黒魔術的な産物でもない。
「物の価値や相場が違いますので、感覚的な話になってしまいますが……カフェでの飲み物の一杯分か二杯分か、そのくらいですかね? さほど贅沢品というわけではないです」
ソフトクリームの価格……ファストフードなら150円前後、コンビニで200~300円前後、喫茶店でもだいたいそのくらいで、観光地ではフレーバー次第だが、まあ200円から400円くらいだった気がする。ちょっとお高いヤツだと700円くらいするのもあった気がするが、その価格帯にはあまり手を出した記憶がない。
アイシャさんが真顔に転じた。
それまで「わー、きゃー、おいしー! すごーい、こんなのはじめてですー!」とか女子高生のよーにきゃーきゃー言っていたのだが、お値段の話が出た途端に真顔。
……ソフトクリームって、異世界の陽キャを真顔にさせる成分とか入ってるの……? ピタちゃんといいこの子といい、急にテンションを変えないで欲しい。
「一杯分か二杯分……? ちょっと待ってくださいよ、ルーク様。こんなのどう考えても超が3つくらいつく高級品ってゆーか、どんなにお金だしてもぜったい買えないヤツじゃないですか……そんなに安くてたくさん買えるなら、月給全部ぶち込みますよ……」
まぁ待て落ち着け。さすがにそれは数日で飽きる……芋粥は適量に限る。芥川先生もそう書いている。
「アイシャさんからは、さっき良い魔道具もいただいてしまいましたし、ご希望とあらばある程度はスイーツのご提供もしますけれど……どんな食べ物も、過ぎれば健康に悪い影響が出ます。食べすぎは良くないので、そのあたりはご理解ください」
「わかってますけど……わかりますけど……うぅぅ。ルーク様、社交の季節が終わったらリーデルハイン領に帰っちゃうんですよね? 私がこれ食べられるのって、どう付きまとってもあと数日なんですよ? ……わー、切ない……」
珍しい。陽キャが落ち込んでいる……ナチュラルに「付きまとう」とか言われた気もするが、食いしん坊仲間として気持ちはわかる……
「ルーシャン様を介したトマト様交易の件もありますし、なんだかんだでちょくちょくお会いする機会はあると思いますよ? 日持ちするお菓子なら、交易品に紛れ込ませることもできますし」
「約束ですよ? ……実はですね。昨日、お師匠様に、『王都を離れて、リーデルハイン家に仕官してもいいですか?』って聞いてみたんです」
アイシャさんはあれかな? 就職面接で志望動機を聞かれて「社食が美味しそうだったので!」とか答えちゃうタイプかな? 就職よりも主食が大事な感じ?
「そしたらなんて言ったと思います? 『いずれ自分が宮廷魔導師を辞めてリーデルハイン領で隠居させてもらうつもりだから、若いお前は宮廷魔導師のほうを引き継げ』って……ふざけんじゃねーって話ですよ! あのお師匠、弟子に面倒事押し付けて、おいしいとこかっさらう気なんですよ! 師匠の風上にもおけません!」
……キミも師匠に面倒事を押し付けて、おいしいとこ(味覚的な意味で)かっさらう気だったのでは?
というかルーシャン様、隠居とか検討してるの……?
師弟間の冗談なのか本気なのかは不明だが、「トマト様の交易が軌道に乗ったら、その縁を生かして移住!」みたいな未来は想定していてもおかしくない。老後の農作業、悠々自適な研究生活、トマト様に囲まれた平穏な日々――憧れるぅー。
まー、今の時点ではともかく、数年後を考えると決して有り得ない話ではないのだ。
というのも、ルーシャン様は「宮廷魔導師」として伯爵の位を賜ってはいるが、領地はもっていない。そもそも宮廷魔導師というのは、専門職として国からお給金が出ている立場であり、仕事も「魔導」絡みのみ。
領地経営なんぞに関わっている暇はなく、そんな余裕があったら研究と後進の育成をしろ! と言われてしまうお立場である。
また、世襲が認められない「一代限り」の爵位であるため、仮に領地なんかあっても後継者に継がせられない。そんなぽんぽんと領主が変わったら、領民も迷惑であろう。
つまり、隠居する場合には「王都に住む」か「故郷に帰る」か「他人の領地に身を寄せる」かの三択となり、その行き先として「亜神のいるリーデルハイン領」が候補に挙がってくるのは、割と納得できる流れなのである。
「あの……それは、可能性としては有り得る話なのでしょうか……? リーデルハイン領は、王都に比べるとあまりに辺境の田舎ですが……」
リルフィ様が恐る恐る、そんな問いを発した。
アイシャさんはにっこりと笑みを返す。
「お師匠様は研究さえできればどこでも、っていう人ですし、今までは王都のほうが便利でしたが……もしもルーク様のお側でお仕えできるとなれば、それはもう喜び勇んで飛びつくと思います。ただ、お約束したトマト様の交易の件がありますから、何はともあれ、そっちが落ち着いてからという話になるはずですが――むしろ私も行きたいんですけど、ルーク様、どうですか?」
「アイシャさんが宮廷魔導師になったら、必ずお祝いをお送りしますね!」
にこやかに流した。
アイシャさん優秀だし、来てもらう分にはありがたいのだが……彼女には、政権側で権力者になってもらったほうが都合が良い。その代わり、スイーツはちょくちょく差し入れさせていただこう。
「……ルーク様のいけずぅ……」
むにむにと頬肉をつままれた。
「だってリーデルハイン領で私がすることって、トマト様の栽培と昼寝くらいですよ? 平穏無事な日々ではあると思いますが、若いアイシャさんにはたぶん退屈だと思います」
「宮仕えよりは絶対楽しいです!」
断言された。アイシャさん、じゅーぶん高収入だろうに……しかし前世スイーツは金では買えぬため、わからんでもない。あと「亜神の研究」って、魔導師さんにとっては官位なんかよりよほど魅力的なのかもしれない。
「あとですね、ルーク様についていけば、一儲けどころか大儲けできそうな気がするんですよね。トマト様以外にも何かありそうですし、私の中の守銭奴が『この案件はおいしいぞ』って囁くんです!」
「……アイシャさんのその自分に正直なところ、すばらしいと思います。本音と建前をむやみやたらと使い分ける人が多い昨今、アイシャさんのよーな方はたいへん貴重ですし、お話ししていてとても安らげます。でも却下で」
「ぐぬぬ」
そういえばこの子、「水精霊の祝福」の称号持ちなんだが……このズレた正直さは精霊さんと相性良さそう。一歩間違えたらヤベー人である。
アイシャさん、こほんと咳払い。
「冗談はさておき……いえまぁ、八割くらいは本気なんで考えておいて欲しいところではあるんですが、それはさておき、ちょっと皆様のお耳にいれておきたいことがあるんですよね。今回、おかげさまでリオレット様が穏便に『国王』になられたわけなんですけれど……内乱の危険性はほぼ去ったと思いますが、だからといって『レッドワンド将国』が侵攻を諦めるわけではありません。おそらく、数ヶ月のうちには戦端が開かれるでしょう。様子見の小競り合い程度で済むかもしれませんが、ちょっと大きめの乱に発展する可能性もあります」
「にゃーん」
俺には関係ない話っぽかったので、すかさずリルフィ様の細腕にじゃれつくルークさん。リルフィ様はくすりと微笑み、飼い猫を適度にモフりはじめる。
猫ムーブに勤しむ俺を見て、アイシャさんは溜息一つ。
「亜神のルーク様に助力を願おうとか、そんな無礼は考えておりませんので、そこは誤解されませんように。ただ、軍閥の一貴族たるリーデルハイン家は無関係ではいられません。領地は国境から少し離れていますが、反対方向というほど遠くはありませんし、諸侯と同じように兵を出していただき、ライゼー様にもその指揮をとっていただく、という流れになるかと思います。で……これに関して、ルーク様のご意向を確認させてください」
む。ライゼー様の出陣とな。
危険な戦争沙汰などは御免被りたいのだが……
「意向とゆーと?」
「以前にも申し上げましたが、私と師は、亜神たるルーク様のご意向を最優先にして動くと心に決めています。ルーク様のお怒りや失望を招く事態は極力避ける、そのための相談です。現状の選択肢は三つになります。まず一つ目は、ライゼー様にそのままご出陣いただくこと。軍閥の貴族としては当たり前の流れですし、ライゼー様もそのおつもりでしょうが、もちろん危険です。二つ目は、ルーシャン様や私達の工作によって、後方の任務にまわしていただくこと。これだと身の危険は減りますが……ライゼー様のお立場は、少し悪くなります。武勇で知られる方ですし、恥辱と受け取られるかもしれません。また、御本人がこれを是としなかった場合、我々の工作にも限界はあります。何より寄親のトリウ伯爵が出陣されるはずですので、その腹心たるライゼー子爵が傍にいないというのは、いささか余計な噂を生みそうです」
……むぅ。ライゼー様は臆病風とは無縁である。
冷静なお方ゆえ、功を焦って無茶をする、ということはなかろうが――自らの責務には忠実なため、戦地に赴かないという選択肢は嫌がるだろう。
「三つ目の選択肢というのは?」
「前線でも後方でもない、特別な任務についていただくことです。これについては具体案がまだありません。例をあげれば、補給部隊の護衛とか、要所となる砦の防衛とか――それらも危険がないとはいえませんが、流れ矢による突然の死も有り得る野戦よりはまだ安全かと思います。で、さらに悩ましいことに……私達がこんな相談をしているとライゼー子爵に知られたら、きっと『自分だけを特別扱いしてもらっては困る』と言って、最前線行きを決断されるでしょう。そんな事態を避けるためにも、ルーク様のご意向を早めに確認し、悩まれるようなら思案の時間を確保していただくようにと……師はそう仰せでした」
「…………承りました」
……存外に、難しい問題である。
ライゼー様の誇りと責任感を無視して、周囲が勝手に決めて良い話ではない。
かといって、飼い主たるクラリス様の大切なお父上を危険な戦場へ送るなど、ペットとして絶対に放置できぬ事態である。
「今すぐお返事を、という話ではありません。懸案の侵攻が起きず、すべて杞憂に終わるかもしれません。ただ、今のうちから対応を考えておくべきかと思い、僭越ながら申し上げました」
アイシャさん、こういうマジメなお話もできるんだよね……ちゃんとしてる……
「そうですね……お心遣い、ありがとうございます。この件はクラリス様達とも、きちんと相談したいと思います」
我が飼い主も思案顔である。
貴族の子女として出過ぎたことは言えぬだろうし、かといって父親の危険は看過できぬ。
一方、クロード様はある程度、覚悟しているのか――無言のままだが、緊張がうかがえる。
場合によっては、クロード様もライゼー様のそばについて初陣ということになるかもしれない。子爵家の跡取りとして、これも避けては通れぬ道である。
やや重くなった空気の中、ソフトクリームを食べ終えたピタちゃんが、不思議そうに呟いた。
「……ルークさまって、いがいにめんどうくさがりだよねー。そんな国、ふつうにやっつけちゃえばいいのに」
……この子は何を言っているのか?
ただの猫さんが軍隊に敵うわけないでしょ。怖いし。無理だし。にゃーん。
「……ま、まぁ、いずれにしても、ライゼー様やクロード様の御身を守る手段は講じたいと思います。あ! リオレット様のパレード、そろそろ始まるみたいですね!」
窓の外から、楽隊の演奏が聞こえてきた。
レンガを敷き詰めた大通り、その両脇に集った観衆がわっと声を上げる。
この場の皆様も窓辺に寄った。
お城の正門、その重々しい扉がゆっくりと左右に開き始め、正面に整列した衛兵さん達が一斉に旗を掲げる。
白と黒に色分けされた、2×2マスの市松模様――えらく単純な意匠だが、ネルク王国の国旗だ。
そして楽隊の演奏に導かれ、兵隊さん達の行進が始まった。
騎馬はえらい人。
割と前の方にいるのはアルドノール侯爵だ。ロレンス様とリオレット様の仲介をした、軍閥の筆頭お貴族様である。
少し離れて、幌が開放されたロレンス様の馬車!
今回のパレードは『亡くなった王の葬送』という意味合いもあるため、喜色満面というわけにはいかないが、観衆へ向けて穏やかに手を振られている。
馬車のすぐ隣には、白馬にまたがった女性騎士さん。
リオレット様との密談の時に、メイドさんの格好で同行していた子だ。確かお名前はマリーシアさん。
じんぶつずかんを見た感じ、ロレンス様の腹心……というより、姉代わりのよーな存在っぽい。
正妃様のお姿はないが、俺がよく知らないお貴族様も、ロレンス様の馬車に護衛として同乗されていた。おそらくは正妃様の派閥に属する貴族であろう。
その馬車の斜め後ろに……本日の主役(※我々にとっては)、ライゼー様とヨルダ様のお姿が!
思わず窓越しに肉球をぶんぶんと振ってしまった。
我々の存在に気づいたライゼー様とヨルダ様は、一瞬だけ顔つきを柔らかくしたものの、すぐに正面を向いて騎馬を進めていく。
お二人とも威風堂々!
将官クラスは皆、ほぼお揃いの軍の礼服姿なのだが、こちらのお二人からはただならぬ貫禄が漂っている。
……というか、ライゼー様には明らかにいつも以上の貫禄がある。服のせい? もしくはちょっと演技してる?
――いや、違う。
これは「警戒心」のせいだ。
ライゼー様は、王位継承権の問題が片付いたはずの今も、まだ警戒を解いていない。
王弟ロレンス様の警護に回された経緯を「政治的な都合」だと理解しつつも、自らの役目はあくまで「ロレンス様を守ること」だと真摯に受け止めている。
軍閥の貴族たる、責任を果たす――その思いの強さが、他の同世代の貴族達と比べて、一段も二段も上の貫禄につながっている。
……こんな生真面目な御方に、「戦地は危険だから後方待機でよろ!」なんて言えるわけがねぇーーーー……
アイシャさんの懸念は、実に的確であった。
そして、あろうことか。
ライゼー様のこの警戒心も、決して大袈裟ではなく、また杞憂でもなく――
実に的を射たものであったことを、俺はこれから、数十分後に理解することとなった。
……なって、しまった。とても、残念なことに――