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50・遁術、猫騙し!


『だって……「あの女」の息子ですもの――』


 俺が抱いた直感は、「何かが起きる」という類のものではない。たぶん「この場」では何も起きない。

 が、このまま正妃とライゼー様の会話を続けさせると――ライゼー様に、余計な心労を負わせてしまう気がしたのだ。


 正妃ラライナのこの言葉は、会話というより独白に近い。が、言葉は「聞く者」がいる限り、独白であっても何らかの効果を生む。

 彼女自身の、心の深い部分に埋まっている汚泥を、憎悪のスコップで掘り出して――

 それをあえて周囲に「見せつける」ことで、相手を萎縮させ、できた隙間に毒を塗り込む。そんなタチの悪い言葉が、この後に続くものと予見できる。


 正妃の適性、「人心操作」……それを警戒して、俺は咄嗟に邪魔を試みた。


松猫(まつねこ)殿! 遁術、『猫騙(ねこだま)し』発動!)

(なーう!)


 元気なお返事が脳裏に響き、応接室に待機させておいた松猫さんが、肉球をあわせ印を結んだ。お手々の形状の都合で結べてないけど、雰囲気的には結べてる感じを醸し出せてるからヨシ!


 そして発動した遁術、『猫騙し』!


 ……特に音などはしない。

 何も起きない。

 ただ、沈黙。


 本当に……この術は、「何も起きない」のだ。

 より正確には、「何も起きない状態を強制的に作り出す」という、恐るべき『虚』の術である。


 松猫殿を中心として、放射状に放たれる魔力の思念波によって、その場にいる人間達の思考を一瞬だけ同時に麻痺させ、「……あれ? いまなんの話してたっけ?」と惑わせる――

 一見すると地味だが、これは「戦闘中にも、一瞬の隙を強制的に作り出せる」というとんでもないチート技であり、しかも地味すぎて食らった側も何をされたか理解できない。これが『魔法の一種』とすら気づかないだろう。


 ……会議中とかにふと訪れる「不意の沈黙」ってあるよね? みんなが言葉に迷ってしまう、まさにあんな感じ。

 話題を強制的に切り替えたい時に使えそうだなー、ということで思いついた猫魔法なのだが、前世の知人はあの現象を「お化けが通った」「幽霊が通った」「神様が通った」なんて表現していた。今回は「猫が通った」ということにしておこう。


 さて、応接室の中は静かなカオスであった。

 正妃、ライゼー様、ヨルダ様、正妃の側近達――


 みながみな、わけが分からぬままに沈黙している。

 正妃もきょとん、として、毒気を抜かれて言葉に詰まっている。どうして自分が黙ってしまったのか、これから何を言おうとしていたのか――彼女は今、それを完全に見失っている。

 記憶喪失ではないからすぐに思い出すだろうが、それでも我に返るまでは無言でいるしかない。まさに放送事故。


 最初に復活したのはライゼー様だった。


『え、ええと……あぁ、申し訳ありません――どうやら存外、長居をしてしまったようです。ラライナ様、どうかお気を落とさずに――陛下の死はまだ公式には発表されておりませんが、知った者は皆、深く嘆き悲しんでおります。ラライナ様の心労が少しでも軽くなりますよう、今後も臣下として尽くす所存です』


『…………は、はい……ありがとうございます、ライゼー子爵。私も……自分で思っていたよりも、疲れが溜まっていたようで、失礼いたしました。トリウ伯爵がお着きになったら、また是非、ご一緒においでください』


 会合は終わった。

 ライゼー様達は無事に退室し、使用人の案内で、ルークさん達がいる庭のほうへ歩き出す。

 盗聴を終えた俺は、クロード様と顔を見合わせた。


「会談、終わったみたいですね!」

「……ルーク……様。なんか最後……不自然じゃなかったですか? みんなが急に黙っちゃって」

「本当ですねー。あ、『様』とかつけなくていいです。亜神といっても、ただの飼い猫ですので」


 松猫殿の「猫騙し」は、ある意味で俺の切り札である。基本的にはナイショ。下手に説明すると、猫魔法を使ってない普通の沈黙まで「猫騙し」のせいにされそうだし!


 ……しかし、ネルク王国の王位継承問題……

 何故かここに、ライゼー様が順調に巻き込まれつつある。なんでよりにもよって?


 確かにライゼー様って、見た目からして有能感あるから、妙に頼りたくなるとゆーか……子爵という高くも低くもないちょうどいい地位も影響して、権力者側から見ると「気軽に利用したくなる」立ち位置なのかもしれない。寄親のトリウ伯爵が軍閥の有力者であり、その窓口、連絡係になれる点も利用価値につながったか。


 なのにご本人は、いまだに「たかが子爵風情」とか本気で思っていそうなので、そこがなんだか危うい。

 我が飼い主、クラリス様の大切なお父上でもあるし、迷い猫だった俺を受け入れてくれた御恩もある。

 いざという時には、ルークさんもペットとして真面目に働かねばなるまい……とりあえず元気を出していただけるように、今夜は何かおいしいスイーツでもご提供しようかな!


 やがて応接室を後にしたライゼー様とヨルダ様が、庭先に出ていらした。


「クロード、ルーク。待たせてすまん。そろそろ戻ろう。クラリス達は……あぁ、戻ってきたな」


 ライゼー様達に気づいたクラリス様とサーシャさんも、庭園の鑑賞を切り上げて合流する。

 案内の使用人さん達がいるから込み入ったお話はできないし、馬車に乗るまでは俺も喋るわけにはいかない。

 クラリス様は俺をぎゅっと抱えあげ、その小さな手のひらで背中をもふもふと撫でた。


「ルーク、ちゃんといい子にできたね」

「にゃー」


 わざとらしく鳴いておくと、クロード様がなんとも微妙な顔をした。言いたいことはわかる。が、偽装工作は日々の積み重ねである。猫道は一日にしてならず。千里の道もにゃんこから。にゃーん。


 入城時とは別の、庭園を抜けて馬車まで帰るルートがあるとのことで、俺達はそのままご高齢の使用人さんに先導されて庭を歩き出した。この使用人さんは安全。何の裏もない真面目な王宮勤めのモブキャラさんである。やべー事態に巻き込んではいけない。


「さすが、王宮の庭園は見事なものだ。あちらの花壇に咲いているのは……陛下が好んでいらしたという、桜草かな」


 ライゼー様の視線の先を見ると、花壇にピンク色の桜っぽい花が咲き乱れていた。

 前世にもあった「桜草」と、ほぼ近縁の種と思われる。細かい違いなどはあったとしてもどうせわからないが、野菜ではないのであまり興味はない。ルークさんは食べられる植物にしか興味を持てぬ打算的な猫さんである。


 使用人さんが恭しく頷いた。


「はい。陛下はことのほか、あの桜草を好んでおられました。特にコンソメスープにいれると、たいそう良い味がすると仰られて――」


 前言撤回!

 あれは俺の知る「桜草」ではない! そして食用に適しているならばもちろん興味津々である。

 ……が、今はこの使用人さんがいるから、喋るわけにもいかぬ……! 後でリルフィ様にうかがうとしよう。王都の市場とかで調達できるかな。


 後ろ髪ならぬ尻尾の毛をひかれながら、俺達は花壇の前を通り過ぎる。

 その時、進む先の生け垣の角に、人影が見えた。


「む? リオレット、猫がおるぞ! 子供が猫を抱えておる。なんとも愛らしいのぅ」


 ……炎のような、真っ赤な髪の美女だった。


 黒いドレスを優雅に身にまとい、こちらへ悠々と近づいてくる。

 年はおそらく二十歳前後で、笑顔はやけに無邪気なのだが、容姿そのものはびっくりするほど高貴だ。

 その背後には、穏やかな顔つきの青年貴族――いや、「王族」も続いていた。

 さらにその後ろからは、先日も会ったばかりの、耽美系美少年な我が友人――ウィルヘルム・ラ・コルトーナ君。


 互いに一瞬だけ「はっ」と眼を見開いたものの、すぐさま知らんぷりに徹した。空気読める友達って素晴らしい……!


「アーデリア、失礼だよ。こういう時は、まずは自己紹介をしないと――お騒がせして申し訳ない。第二王子のリオレット・ネルク・トラッドだ。貴方は、ええと……」

「――は。ライゼー・リーデルハインと申します。子爵として、ドラウダ山地に領を賜っております」


 ……そう。こちらの青年は、まさかの「第二王子リオレット」様である。『じんぶつずかん』で真っ先に確認した。

 この偶然の遭遇にはライゼー様も驚いたようで、慌てて返礼。

 同時にリオレット様が目を見張った。


「ライゼー子爵……というと、もしや数年前の、あのギブルスネーク退治の?」

「……はい。私です」


 リオレット様、興味深げに何度も頷いた。


「そうだったか。いや、あれはお見事だった。貴殿が倒したあの魔獣の死骸は、王立魔導研究所で回収させてもらったんだ。それで後輩の魔導師と一緒に、私が解剖をおこなった。傷口が急所への一撃のみで、他の部位がほとんど無傷だったものだから、たいへん良い標本になったんだよ。それに、あの時に貴殿が助けた子供――あの子は今、私の助手として働いてくれている。彼の口からいつも武勇伝をうかがっていたものだから、初めてお会いした気がしないな」


 リオレット様が、ライゼー様に握手をお求めになった。

 ライゼー様、緊張しつつもこれに応じる。


「左様でしたか。そのような御縁があったとは驚きました。しかしあの子供は、三年前、魔獣に襲われた時は、まだ十歳にもならぬ身だったかと記憶していますが……そんな年で、リオレット様の助手として王宮勤めに?」

「あぁ、いや、王宮勤めではないんだ。彼は……フォルテンは、つい去年、魔導師ギルドで小間使いとして働いていたところを、うちの師匠がスカウトして弟子に加えた。その上で今は、ルーシャン卿の屋敷内で、私の助手をやってくれている。魔導師としてはまだまだ未熟だが、非常に真面目で研究に骨身を惜しまない。彼は大成すると思うよ」


 ライゼー様とリオレット様が、そんな会話をしている間――

 アーデリアと呼ばれた赤い髪の美人さんは、クラリス様の正面にしゃがみこみ、にこにこと満面の笑みで俺をモフり始めた。


()いのう、愛いのう……これはなんとも、良い猫じゃ。わらわを怖がらぬ。お、御令嬢、挨拶が遅れてすまぬな。わらわはアーデリアという。リオレットの友じゃ。そなたは?」

「…………クラリス。クラリス・リーデルハインと申します。こちらは飼い猫のルークです」


 アーデリア様は、俺に続いてクラリス様の頭を気安く撫で回した。

 はつらつとした美人なのに気取ったところがまるでなく、距離感がやけに近い。陽キャだ!


「ほう。クラリスとルークか。そなた、わらわの妹に雰囲気が似ておる。わらわの妹は、それはもう賢くて優しくて気立てが良くてな。こちらの猫は……そっちの弟に似ている気がせんでもない。顔立ちは良いのだが、やたらと人に気を使う性分で、しかも人が良いものだから、賢い割によく貧乏くじを引いておる。のう、ウィル?」

「……姉上。わかっているなら、あまり困らせないでください」


 …………ウィル君。俺と似ているかどーかはともかく、貧乏くじ引きがちとゆーのはわかる気がする――


 そう。彼女は……このアーデリア様は、魔族の貴公子・ウィルヘルム君の姉君だ。

 松猫さんを使ったわけでもないのに絶句して何も喋れないルークさん。いやそれでいい。喋ったらあかん。この状況では沈黙あるのみ!

 遭遇直後、「じんぶつずかん」を確認した時には、思わず真顔になってしまった。

 その内容がこちら。


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■ アーデリア・ラ・コルトーナ(50)魔族・メス


体力B+ 武力B+

知力C  魔力S

統率D  精神C

猫力79


■適性■

火属性S 暗黒A 地属性B 水属性B 風属性B

物理耐性A 魔族補正A 合気闘術B


■特殊能力■

・ウォーザイの紅蓮 ・神炎百華


■称号■

・純血の魔族コルトーナ ・火群の姫 ・火精霊の祝福

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 ……舐めてたつもりはない……「純血の魔族ってすごいんだろーなー」とは思ってたし、能力値については、予測からそう大きくかけ離れていたわけでもないし。

 ――が、実際に「魔力S」の評価を直に見てしまうと、なかなかのインパクト……!

 しかも適性が多い!

 火S! 4属性全部盛り+暗黒! 特殊能力や称号もなんかいかにも火属性のエキスパートっぽい!


 クラリス様もライゼー様も、彼女が『魔族』だなどとはもちろん気づいていない。

 当たり前だ。

 魔族と何の縁もないはずのネルク王国の、こんな王城のど真ん中で、第二王子が連れているいかにも高貴なこの女性が『魔族』だなどと……! 俺だってウィル君から情報提供がなければ、あるいは「じんぶつずかん」を使えなかったら、絶対に気付けなかった。


 てゆーかウィル君、「姉はこちらの貴族と懇意にしている」とか言ってたけど、貴族じゃなくて王族……しかも、もろに世継ぎ争いの渦中の人……いや、むしろそんな立場の人だからこそ、ウィル君相手には身分を偽っていた可能性もある。


 この場を何事もなく切り抜けるには――もはやスルーするしかない。

 ただの猫のふりをして、モフられるがままにやり過ごす……!

 そう心に決めた俺は、にゃーにゃーと声を上げる余裕すらなく、アーデリア様の細い指に、虚無のお顔で身を任せたのだった。


 

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― 新着の感想 ―
[一言] 実はずっと心配していたのです。 アーデリア嬢のステータスに「ノーコンS」「魔力制御F」とかあるんじゃないかと。 なくて、よかった。
[良い点] (松猫まつねこ殿! 遁術、『猫騙ねこだまし』発動!) (なーう!) ははは。
[良い点] やだ、アーデリア様かわいい・・・。オタクにまで優しく気さくに接するギャルみたい・・・かっ、勘違いさせないでっ!
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