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45・真の勝ち組は猫


 クロード様と一旦別れ、昼を前にして宿に戻ると、何やらやけに慌ただしい様子であった。

 深夜まで戻らないと(おっしゃ)っていたはずのライゼー様達が、執務室代わりの客室にもう戻られている。

 知らない顔の、たぶん商人と思しき人が俺達と入れ違いに部屋から出ていき、室内からはライゼー様の重苦しい嘆息が聞こえた。


「……お父様、ただいま。何かあったの?」


 クラリス様が問いながら室内へ入る。

 俺もリルフィ様に抱っこされてその後に続いたが……く、空気が重い!

 いつも豪胆なヨルダ様でさえ、何やら苦笑いを見せていた。


「……ああ、クラリスか。おかえり。クロードには会えたのか?」

「うん。午後から街を案内してくれるって」

「そうか。まぁ……今日のところは大丈夫だろう。皆、落ち着いて聞いてくれ。つい昨夜、国王陛下が急に崩御(ほうぎょ)されたらしい」


 ……ん? あれ? 「落馬で危篤の皇太子殿下」じゃなくて、「国王陛下」のほうが先に亡くなったってこと……?

 それがどの程度までヤバい状況なのか、部外者の俺にはいまいちピンときていないのだが、ライゼー様の顔色を見る限りでは一大事らしい。


「まだ正式な発表はないが、高位の貴族達には情報が回っている。私も、挨拶にうかがったアルドノール侯爵邸で教えてもらった。国民への公表は、後継者の趨勢(すうせい)が定まってからになるだろうが……王位継承権第一位の皇太子殿下は、回復の見込みがない。順当に進めば第二王子のリオレット様が王位を継ぐべき状況だが、これには正妃の閥が猛反対するだろう。そして、正妃の次男である第三王子のロレンス様はまだ幼い――王宮の内側だけで揉めてくれる分には構わないが、内乱やらクーデターやらといった話になってくると、軍閥に属する貴族として我々も静観はできなくなる。今後の数日間は状況の推移が読みにくいから、皆、心得ておいてくれ」


 ライゼー様の物言いが曖昧(あいまい)なのは仕方がない。

 今回ばかりは、「自分達がどうするか」より、「偉い人達がどう動くか」が問題である。王位の云々に絡んで、一子爵家にできることなどほとんどなかろう。

 具体的には「正妃ラライナ」と「第二王子リオレット」の出方次第。

 どちらかがどちらかの暗殺を目論んだり、あるいは兵を動かしたり、そういった乱暴な手段に出る可能性も0ではない。むしろライゼー様は、そうなる可能性が高いと危惧されているようにも見える。


 そんな中で、「万が一の事態が起きたら、クラリス様とリルフィ様をお守りする」のが、ペットたる俺の役目だ!


 貴族の子弟などという立場だと、たとえ恨みを買う心当たりがなくても、人から狙われやすい。

 たとえば人質、見せしめ――あるいは対抗勢力からの暗殺を偽装して憎悪を煽ったり、混乱に乗じて嫌いな貴族を攻撃したり、はたまた無関係なのにカモフラージュの一環として襲われたり……そんなこんなでグダグダになりがちである。

 権謀術数が無駄に渦巻いた挙げ句に、何が何やら当事者達にすらわからない混沌たる状況へ陥り、指示の伝言ゲームに失敗して、目的と真逆の結果を招いてしまった――なんていう歴史の悪戯だって起き得る。不安要素を数えれば切りがない。


 ……なんでそんなことに詳しいのかと?

 リーデルハイン領において、ルークさんは毎夜のごとく、誘惑家庭教師・リルフィ先生のイケナイ催眠授業を受け続けてきた。その中には「一般常識的な歴史」の講義も含まれており、ネルク王国、及びこの世界の周辺国の紆余曲折もなんとなく大まかに学べた。

 さすがに暗記まではしていないが、興味深いお話がいっぱい聞けたので、いずれ「猫から見た世界史」みたいな本も書けるかもしれない。おそらくは史上初と思しき猫が書いた本! ルーシャン様に高値で買っていただけそう。なお面倒なので実現する気はない。


 リルフィ様が不安げに、抱えこんだ俺の喉を撫でた。ごろごろ。


「……国王陛下が……ご病気とはうかがっていましたが……」

「容態が急変したらしい。遺言では、『第二王子リオレットに王位を任せる』と遺されたらしいんだが……正妃はこれを捏造と断じている。王位継承権の一位は、意識不明ながらいまだ存命の皇太子にある。こちらに王位を移して、自分が後見人になり、意識不明の皇太子と正妃の連名で、第三王子へ王位を委譲すると――そんな無茶苦茶な筋書きで動こうとしているようだ」


 わぁお……

 この国の法律がどうなっているのかまではよく知らんけど、それができちゃう法整備なのか、それともいろいろぶっちぎった上での強行策なのか……ライゼー様の口ぶりを聞く限り、グレーゾーンというよりは真っ黒な気がしないでもない。


「それって、通るんですか……?」

「正妃の閥に迎合(げいごう)する貴族は少なくないから、多数決になったら五分五分といったところかな。が、第二王子は当然納得しないだろうし、『あまりに無茶がすぎる』ということで、官僚達も戸惑っている。これをゴリ押しするべく、邪魔な第二王子に暗殺者が差し向けられたとの噂もある。もちろん大罪だから、そんなことが発覚すれば、未遂であっても死罪か終身刑、実現した上で捕縛されれば間違いなく死罪だ。普通は渡らない危険な綱渡りだが……正妃には、それを通しかねない権力と、是が非でも通さなければ自身の破滅を招くという危機感がある。トリウ伯爵がまだ王都へ着いていない現状は、果たして吉と出るか凶と出るか……」


 お貴族さまって大変そう……

 ルークさんは飼い猫の立場で本当に良かった。リルフィ様の柔らかなお胸に埋もれてゴロゴロ言ってれば許されるこの特権階級感……やはり真の勝ち組は権力者ではなく猫である。うなー。


 王家の人間関係はちょっとややこしいので、ルークさんの得ている情報の範囲内で、ここで整理しておこう。情報源はリルフィ様のご講義とライゼー様のお話。


・国王 ハルフール・ネルク・オービス(50)

  以前から病床についていたが、昨夜、急死された模様……ご愁傷様です。


・正妃 ラライナ・ネルク・レナード(45)

  第二妃リーゼ(故人)を毛嫌いしており、その息子のリオレットとも険悪。

 ・皇太子 ロックス・ネルク・レナード(27)

  落馬事故で意識不明の重体。回復の見込みはなさそう……

 ・第三王子 ロレンス・ネルク・レナード(10)

  正妃のもう一人の息子さん。彼を王位につけられれば正妃の勝ち!


・第二妃 リーゼ・ネルク・トラッド(故人)

  正妃様に暗殺された、なんて噂がある模様……真相は闇の中。

 ・第二王子 リオレット・ネルク・トラッド(22)

  魔導師でルーシャン様の弟子。トリウ伯爵は彼を推したい模様。


 他にも、既に他貴族の家へ嫁入りした王女様とか、政治的な影響力のない幼い王女様がいるらしいが、そちらの事情までは俺も把握していない。以前にアイシャさんがちらりと触れた、名前も知らぬ第三王女様は8歳。この方は、正妃の腰巾着である「第三妃」の娘さん。

 政治的な力は皆無とのことで、こんな馬鹿げた状況に巻き込むのはお気の毒である……


 ちなみに名前の付け方だが、王族はミドルネームに「ネルク」が入り、臣籍に下ると「ネルク」が取れるとのこと。

 そして正妃様の「レナード」は、「レナード公爵家のご出身」であるためで、子供達にも母親と同じ姓がつく。これは「誰が母親か、わかりやすくするため」と、「臣籍に下った折には、その姓を名乗るため」だ。

 国王陛下の「オービス」という姓も、つまり「前王のお妃様がオービス侯爵家のご出身だった」と一目でわかる仕様。割と合理的。

 ――そして、「トラッド」なる高位の貴族はいないから、第二妃は平民出身、第二王子は庶子と明らかにわかる仕様……ノーコメント。

 仮にリオレット様が臣籍に下った場合、彼は「リオレット・トラッド」という一貴族になる。


 正妻の子供を優先的に嫡子とするか、あるいは年齢順に継承権を定めるか。

 この問題については、どちらにもメリットとデメリットがあり、俺の頭程度ではなんともいえない。王子達の資質や国民性、国の来歴にも左右される。前世でもこーいう部分は国ごとに制度が違っていたが、異世界ともなればなおさらか……

 それでも似たよーな問題が持ち上がってくるあたりは、むしろいかにも人間らしいとも言える。


 ヨルダ様がおおげさに肩をすくめた。


「国王陛下崩御の影響で、午後からの挨拶まわりも先方の都合で中止になった。商人達との会合も流れて、今はどこもかしこも今後に備えた情報収集と分析の最中だ。うちもトリウ伯爵の傘下だから、伯爵への報告書を早急にまとめる必要がある。第一報はもう使者にもたせて出発させた」

「予定通りなら、トリウ伯爵は今、王都へ向かっている道中だろう。途中で合流できるはずだ。そこから無理をして足を早めれば、明日くらいには王都に着けるかもしれん。派閥としての方針を決めるのはその後だが……それまでにできるだけ、こちらで各貴族の動向を掴み、分析しておく必要がある」


 話しながらも、ライゼー様は執務机で手紙を書いていらした。かなりお忙しそうだが、会話と執筆のマルチタスクとは器用なものである。


「となると……王都の祭も中止ですねぇ」


 当然だ、と返されるものとばかり思っていたのだが、ライゼー様は皮肉な失笑を漏らされた。


「他国だったら、喪に服すという意味でそうなってもおかしくないが……王都の祭は中止にはならん。そもそも王威を称えるための祭じゃなく、豊作を願って神に祈るための祭だからな。王権とは無関係に開催されるのが当然だし、過去にも喪中に祭が開催された例は幾度かある。むしろ祭事の中に、特例として『王を送葬する儀式』が組み込まれ、より盛大になるほどだ」


 ほう。祭に「お祝い事」だけでなく「追悼」の意味ももたせるのか……お盆みたいな発想かな。おそらくは経済を回す的な都合もあるのだろう。せっかく祭のためにいろいろ準備したとゆーのに、それが王家の都合で流れては各方面に大損害である。


「もちろん、私を含めた貴族連中は『のんびり祭見物』というわけにはいかないがね。昨日お会いしたルーシャン卿などは、第二王子派の中心人物だ。おそらく今は大忙しだろう」


 お気の毒……やはり真の勝ち組は猫(略)

 その時、横合いからピタちゃん(人間形態)に、ちょいちょいと尻尾を引っぱられた。


「ルークさま、ちょっといい? なんか外に、変な人たちがきてるよ」

「変な人たち?」


 俺達の会話に反応して、ライゼー様が窓辺から下を見下ろした。


「……来ているな。あれは王室近衛兵だ。『変な人たち』で合っている。おそらく正妃からの使者だろうが、トリウ伯爵はまだ着いていないから、私を通じて接触の約束でも取り付けに来たかな」


 さすがはピタちゃん。聴覚嗅覚と気配察知能力は野生のウサギ並である。

 ライゼー様からは「会いたくねぇーー」という心の声が聞こえた気がしたものの、子爵なんて立場じゃ断れないよね……


 手紙や報告書の類がある執務室まで入れる気はないらしく、ライゼー様はさっさと出迎えに動き出した。

「ただの近衛兵だが、王の威をかさに着た嫌な連中だ。ホテル側に負担をかけたくない。適当にあしらってくるから、ルーク達はここで……」

「いえ、私はお伴します! リルフィ様達はこちらでお待ち下さい」


 俺はリルフィ様の腕から飛び降り、四足歩行でライゼー様を先導した。


「いや、しかし……」

「ついていってもらえ。ルーク殿はこの場の誰よりも頼りになる。相手の出方次第では、ちと面倒なことになるかもしれん。俺はここで待機しておこう」


 ヨルダ様の助言には、ライゼー様も素直に頷いた。

 お二人には話していないが、なにせ俺には「じんぶつずかん」がある。相手の内心をも把握できるこの力は、こうした時にこそ威力を発揮するだろう。ほぼ反則。


 階下に降りていくと、フロントでは従業員の方が応対中であった。

 王室近衛兵は白っぽい軍服に身を包んだ、ちょっと偉そうな方々である。ビミョーに感じ悪いのが四人。姿勢もあまりピシッとしておらず、こちらを「安宿に滞在するケチな子爵風情」と侮っている感が否めない。

 この世界のお貴族様はあまり絶対的な存在ではない、というのはリーデルハイン領でも感じていた。しかしそれは、「領民と領主の間に、双方とも親しみや気遣いがある」という意味であって、「貴族が舐められている」という話ではない。

 目の前の近衛兵達は、その意味でちょっと残念な種類の方達だ。


 その傍まで歩み寄り、ライゼー様は悠々と名乗られた。俺は廊下に寝そべり待機。


「ライゼー・リーデルハインだ。王室近衛兵とお見受けする。何か御用かね」

「これはこれは、ライゼー子爵。お出迎えいただき恐縮です。正妃ラライナ様より、ライゼー子爵とトリウ伯爵へのご挨拶を預かっております」

「引き続き皇太子殿下を支える心強き臣として、頼りにしているとのことです。つきましては、こちらの書状をご確認の上、ご家族の方々にはぜひ、安全な王宮へお移りいただければと――」

「何分にも第二王子の一派が不穏なのです。城下にて混乱が起きる可能性もありますので、もっとも安全な王宮にてライゼー様のご家族をお守りしたいと、正妃様が仰せでした」


 近衛兵の方々が次々に言葉をつなぐ。

 表情は愛想笑いなのだが、どことなく嘲笑の感もあり、ルークさんは粛々と「じんぶつずかん」を広げた。


(ライゼー様のご家族を、人質として王宮で確保するのが目的、かぁ……)


 トリウ伯爵の寄子であるライゼー様は、伯爵と同様、一応は『皇太子派』ということになっている。が、これは皇太子や正妃への忠誠心のためではなく、「王位継承権の順位を正しく守る」というお立場だ。

 この基準でいくと、皇太子が落馬の影響で再起不能な今、次の王としては第二王子のリオレット様を支持する流れになりかねない。

 つまり正妃ラライナ様にとって、トリウ伯爵とその傘下の貴族達は、「今日は味方でも、明日には敵に成り得る、動きの読めない相手」なのだった。

 伯爵のご家族を抑えるとなるとさすがに影響がでかいが、子爵風情の家族ならば、人質としての価値も薄くはなるものの、手元においておけば何かに使えるかも――くらいの判断だろうか。


 また露骨な「人質」ではなく「安全な王宮への保護の提案」という形になっているから、本音はさておき、建前としては決して非道な話でもない。

 ライゼー様が素直に受け入れれば「恭順」の意となるし、断れば「要注意」ではありつつ、明確な「敵対」とまではいかないとゆー、ちょうどいい様子見の一手とも言える。


 そしてライゼー様は、この提案を平然と突っぱねた。


「いや、家族の護衛は間に合っているし、そんなことで正妃様のお手を煩わせるわけにはいかない。それに娘は、祭の見物を楽しみにしていてね。特に最終日の舞踏祭を見損ねたら、領地に戻った後もずっと恨まれそうだ」

「……正妃ラライナ様からの招待を、お断りになると?」

「ん? 単なる招待であれば、もちろんうかがうが……『王都での滞在中は王宮で暮らす』というお話だろう? 正妃様のご厚意は嬉しいが、たかが子爵家の身で、そこまでご迷惑をおかけするわけにはいかん。娘はまだ九歳のわがまま盛りだ。もしも正妃様に何か失礼でもあったら、それこそ我が一門の存亡に関わる」


 いけすかない相手にも冗談めかしたこのご対応――ライゼー様は実に大人である!

 一方のルークさんはさっきから爪がピクピクしている。我が飼い主、クラリス様に対する非礼など絶対に許さぬ……!(フギャー)


 近衛兵達は意味深な頷きを見せた。


「それではせめて、午後のお茶会へのご招待だけでもお受けいただけないでしょうか。ライゼー様は昨日、宮廷魔導師ルーシャン様ともご面会をされていたそうですし、二日続けて王宮までご足労いただくのは、少しばかり心苦しいのですが――」


 あっ。

 ライゼー様は表情に出さなかったが、俺は思わず鼻筋を歪めた。


 つい昨日、ルーシャン様とはカフェでの会話が弾んでしまい、けっこうな長い時間を過ごさせていただいた……

 正妃側はその動きを把握し、「軍閥の有力者であるトリウ伯爵の懐刀(ふところがたな)が、そんなに長い時間、宮廷魔導師ルーシャンと何の話し合いをしていたのか」という疑念を持ったのだろう。

 ライゼー様は僻地の一子爵であっても、その背後にはトリウ伯爵、及び軍閥の有力貴族達の影が見え隠れしてしまう。


「……ふむ。茶会へのご招待ということであれば、謹んで承る。しかし……陛下が崩御された直後だというのに、ご多忙ではないのか?」

「配下の者達はともかくとして、正妃様が今するべきことは特にありませんので、ご多忙ということはありません。むしろ、長く連れ添った陛下の死にひどく心を痛めておいでです。伯爵家や公爵家の方々とは利害関係が大きく、気軽にはお会いしにくいという事情もありまして……ここはぜひ、ライゼー様のような至誠(しせい)の武人に、良き話し相手となっていただければと思います」

「わかった。娘は旅の疲れもあるからご遠慮するかもしれないが、私は間違いなくうかがおう」


 近衛兵達を丁重に追い返した後。

 ライゼー様は、かすかに舌打ちを漏らされた。


「至誠の武人などとは、また空々しいことを――面と向かって『考え足らずの体力馬鹿』とは、さすがに言えんか。ルーシャン様との会談も、平時ならさして気にもされなかっただろうに――昨夜、陛下が亡くなった影響で、今日になって『トリウ伯爵からの密使だったのでは』と深読みされたかもしれんな」

「……申し訳ありません。これは、自分が巻き込んでしまったようなものですね」


 ルーシャン様との会談は、俺の存在が原因である。

 臨時執務室へ戻るべく階段をのぼりながら、ライゼー様は謝る俺を抱えあげ、頭を撫でてくださった。あれ? ライゼー様からの抱っこって初めてでは?


「すまん、今の言葉にそんなつもりはなかった。ルークが気にするようなことじゃないさ」

「……しかし、クラリス様達を人質にされかねないところでした」


 ライゼー様が嘆息した。


「あー……まぁ、見方によっては確かに人質か。だが、こうした話は別に珍しくない。貴族の慣例というか、探りの一手というか――格上の王侯貴族からの『滞在の誘い』というのは、つまり『派閥への誘い』とほぼ同じ意味なんだ。ろくな宿がないほどの僻地の貴族の場合には、そういう意図を抜きにして滞在を申し出る例もあるが、さっきの正妃からの誘いはまさに『派閥への誘い』だ。仮に同意していた場合、そのまま正妃の派閥に加わるか、あるいは条件の交渉に応じるという意思表示になる。後ろ盾のない貴族なら出世のチャンスと思って飛びつくだろうが、うちはトリウ伯爵との関係が深いから、向こうも安々と乗っかるとは思っていない。乗ってきたら儲けもの、といった程度の誘いだな」


 あ。だから近衛兵達も、割とあっさり退いたのか。

 そういう慣例があるのなら、王都への旅路で、ライゼー様がトリウ伯爵のお屋敷に一泊されたのも――「自分はトリウ伯爵の閥に属している」と、内外に態度で示す意味があったのかもしれない。

 こちらの世界でのそうした慣例や風習については、リルフィ様から日々、講義を受けてはいるのだが、細かな部分ではやはりまだまだ抜けがある。前世の世界と似た部分も多いからつい忘れがちだけど、俺はこっちの常識をまだまだ把握しきれていない。


 ライゼー様は俺を撫でながら、自身の思考を整理するように話し続けた。


「私がもう少し欲深くて野心に満ちていたら、これを好機と見て正妃に取り入り、トリウ伯爵を説得する立場に回ったかもしれないが……生憎と私は、それほど器用な性分でもない。それに今回の王位の行方については、トリウ伯爵の判断に従うともう決めている。だから正妃の誘いに乗るつもりはないが――かといって茶会の誘いまで拒否するのは、さすがに臣下として非礼だ。午後は正面からうかがう。今の時点では、支持もせず、敵対もせず――のらりくらりとかわすしかない」

「わかりました。それにしても、ライゼー様は、トリウ伯爵をずいぶんと深く信頼されているのですね」

 

 今のライゼー様の言葉は、『王族の正妃よりも、トリウ伯爵につく』という意味でもある。そこに微塵も迷いがない。

 

「そうだな。領地が隣接しているという理由もあるが、伯爵には個人的な恩もある。それに、ルークの眼にどう映ったかはわからんが……あのトリウ・ラドラ伯爵は、貴族の中でもかなりの存在感を持つ大物なんだぞ。先陣を切って暴れまわるような猛将ではないが、公明正大で良識を(わきま)えた傑物だ」


 ふーむ……

 ステータス的には、魔法要素以外はライゼー様のほうが有能感高いんだけどな……とはいえ経験とか人脈とか、数値化されない強みというものもある。


「さて、午後の茶会はどうするかな。私とヨルダはもちろん行くが、クラリス達を連れて行くべきか否かは迷うところだ。ルークはどう思う?」


 俺は当然行きたい!

 うまく会えれば、正妃様の本音を『じんぶつずかん』で確認できる。


「ライゼー様とヨルダ様だけだと、『家族を置いてきた』ことで敵対の意図を疑われそうな気がします。お邪魔でなければ、クラリス様や私もご一緒した上で、『猫を連れてきていて粗相があるといけないから、王宮では暮らしにくい』とでも言えば、断る口実の補強にもなるでしょうし……また私には、魔光鏡を使わない『魔力鑑定』のような能力がありまして、お会いした人物の適性や称号などを一目で見破れます。この力を使えば、正妃本人やその周囲の戦力もある程度は把握できますよ」


 ライゼー様が思案げに顎を撫でた。


「ほう。それはつまり……ウェルテルの病気を見極めたのも、その力か?」


 ウェルテル様はライゼー様の奥方だ。結核治療のため、今は領地の一隅で療養されている。治療薬は「コピーキャット」で順調にご提供中!


「はい、同じ力です。神様から授かった力なので、詳しいことは自分にもよくわかっていないのですが、名前や年齢、武芸の得意不得意や体調などもわかる、ちょっとだけ精度が高めの魔力鑑定みたいなものと思っていただければ――」

「ふむ。まぁ、上位の精霊や神獣などは、出会った人間の内面を見る力を使えるらしいから、亜神のルークがそうした力を持っているのはむしろ当然と思うが……参考までに聞きたいんだが、その能力で私を見た印象はどんなものかな。世辞は要らんから、本当のことを教えてほしい」


 そーいや泉の精霊ステラちゃんも、俺の称号『風精霊の祝福』にはすぐ気づいてたな……

 そしてライゼー様の質問は、単なる好奇心というより、俺の能力が信用に値するかどうかのテストであろう。なので、俺も正直に告げる。


「文武両道、魔力はないものの、多くの部分で人より優れています。特に槍がお得意で、弓はあんまり、剣はほとんど使わないという印象ですね。あとは商才に優れ、政治力も優秀です。それから……初めてお会いした当初は、猫があまりお好きではなかったのかな、と」


 ライゼー様が吹き出した。

「そんなことまでわかるのか。まさに神の目という代物だな」


 とは言いつつ、実はライゼー様の猫力、最近けっこう上がってきている……初対面の時は26という低さだったが、なんと現在は57。これもトマト様のご加護であろう。トマト様すぱしーば。


「で、ヨルダの評価は?」

「化け物です。剣と槍は達人級、馬術と弓もお得意で、魔法を使わない通常戦闘においては、おそらく国内でも五指に入りそうな強者と思います。まあ、他の人達をあまり知らないので、無責任なあてずっぽうの感想ではあるのですが……もしかしたら、国内一かもしれません」

「よし、信じた。その評価には私も同意する」


 ライゼー様と笑い合い、俺達は執務室へと戻った。


 午後からはご子息のクロード様もおいでになる。もし出発までに間に合うようなら、王都の見物は後日にして、お茶会にはぜひご一緒していただこう。

 リーデルハイン領の跡継ぎたるクロード様には、なるべくライゼー様の公的な言行に触れる機会を作って差し上げたい。息子に父親の背中を見せるのは大事なことだ。

 俺の両親は、残念ながら早くに亡くなってしまったが――代わりに俺は、祖父母の背を見て育った。

 今の俺が在るのは、あの背中のおかげである。

 爺ちゃん、婆ちゃん……俺、お貴族様のペットとして立派に飼われてるよ!


 ……こんな孫の姿を見て、爺ちゃん達は草葉の陰で泣いているやもしれぬ……いや、あるいは大笑いしてるか。むしろ絶対笑ってるな! 指差して笑い転げてるぞあの祖父母なら! 感謝はしてるけどちょっと腹立つ!


 そんな割とどーでもいい感傷を抱えつつ、正妃様とのお茶会を前に、「今日のお昼ごはんはどうしようかな」などとのんびり思案するルークさんなのであった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 〉爺ちゃん、婆ちゃん……俺、お貴族様のペットとして立派に飼われてるよ! 字面だけ見ると、奴隷制度、植民地政策崩壊後の地球は日本人としてこれほど酷い形容もないが。 実際は居候というか、食客とし…
[良い点] ルークが二人の評価を表に出したの、なんか無性に嬉しいな
[良い点] 古狸しかいねえ… うん、最高です!
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