44・猫の困惑
……さて、俺は何に驚くべきなのだろうか。
リルフィ様のお膝に座ったルークさんは、頭にずっしりとしたお胸の重みを感じつつ、珍しく全然別のことを考えていた。
ラン様はなんと男の娘であった。
クロード様の浮気を疑ってしまった自分を恥じつつ、しかし「ここまで可愛いなら男でも別に良いのでは?」などと新たな感性に目覚めてしまいそうになったが、そうはいってもリルフィ様の神々しさにはさすがに及ばない。リルフィ様かわいい。リルフィ様お美しい。リルフィ様せくしぃ。リルフィ様すてき。
そんな感じでリルフィ様のおかげで俺は正気を保てたわけだが、先程からリルフィ様の俺を撫でる手が、ちょっと、その――撫でるとゆーより、絡みついて逃さない系の力加減になっているよーな気がするのは気のせいであろうか?
見上げると二つのお山の向こうからにっこりと微笑んでくださるのだが、お目々のハイライトさんが少し早めのお昼休みに突入されている感。
(……ルークさん……あんな子に見惚れちゃだめですよ……?)
的な心の声まで聞こえる気がする。きっと気のせい。たぶん気のせい。間違いなく気のせい。ルークさんがちょっと神経質で臆病なだけ。なにせこちとら猫だからな!(思考放棄)
さて、本題の新規キャラお二人。
クロード様とは念願の初対面であるが、予定外のラン様にはかなり驚かされた。
じんぶつずかんを最初に見た時はうっかり性別の表記を見逃してしまい、クロード様が到着されたタイミングでやっと気づく始末。
いや、だってまさかこの見た目で性別とか疑わないでしょ普通……!
びっくりしすぎて思わず声が漏れてしまったのは俺のミスだが、結果的にはそれで良かったかもしれない。
このラン様、早めに味方に引き込んでおきたいなかなかの強キャラである。
ルークさんもいよいよリーデルハイン家ペットとしての地位を確立し、更には宮廷魔導師ルーシャン様という後ろ盾まで得たわけで、以前ほど神経質に隠蔽する必要もなかろうし、味方になってくれそーな人とはなるべく仲良くしておきたい。
彼の場合、リーデルハイン家の寄親であるラドラ家の跡取り、という要素ももちろん大きいのだが、なにより特筆すべきはそのステータス。
------------------------------------------------
■ ランドール・ラドラ(15) 人間・オス
体力D 武力D
知力C 魔力C
統率B 精神B
猫力71
■適性■
男の娘A 政治B 話術B
------------------------------------------------
体力武力は普通評価なのだが、このお年で「統率B・精神B」はかなり優秀。
更に魔力も持っているが、魔法系の適性がないため、本人は気づいていない可能性が高い。通常の魔力鑑定では、「魔法系の適性」の有無しかわからないし、ステータスも表示されないから。
そして、適性欄に燦然と輝く「A」評価!
………………なのだが、「男の娘」適性って何。それ高いと、見た目以外にどんな効果があるのか……?
ま、まぁ、政治と話術の適性も「優秀」評価だし、有能人材であることは間違いない。ラドラ家の将来は(たぶん)安泰であろう。将来は婿取り……ではないな。お嫁さんが来た場合、絵面的には百合っぽくなるのであろうか? それはそれで。
……しかしこの可愛さでオス……「じんぶつずかん」を見ても、未だに信じられない。クロード様は同室で悶々とご苦労されているのではなかろうか。
で、肝心のクロード様。
さっき俺は「何に驚くべきか」と言ったが、つまりこのクロード様の諸々が、いろいろと想定外だったのだ。
見た目的には悪くない。
取り立てて「美少年!」とか「耽美!」といった系統ではないのだが、ライゼー様に似て顔立ちはそこそこ整っている上に、精悍さはないが優しげな印象である。
クラリス様は以前、「子犬っぽい」などと形容されたが、言い得て妙。人懐っこい忠犬みたいな雰囲気だ。特にサーシャさんの前では露骨に尻尾を振っている。ないはずのものが見えるふしぎ!
そんなクロード様は、ライゼー様のご子息でクラリス様の兄君、「そこそこ優秀なのでは」くらいの期待感はあった。
……が、その期待感をプラス方向にぶっちぎる、いくつかの看過できない要素が――!
まずは「じんぶつずかん」をご覧いただこう。
------------------------------------------------
■ クロード・リーデルハイン(15) 人間・オス
体力C 武力B
知力B 魔力D
統率C 精神B
猫力53
■適性■
弓術A 槍術B 剣術C 拳闘術C
主人公補正B 転生特典C
------------------------------------------------
………………おわかりいただけただろうか。
ぱっと目を引くのは「弓術A」。なんとびっくり達人評価。
槍術も「B」ならライゼー様と同評価。武芸関連でこの有能ステータスは聞いていた話と違う!
……まぁ、拳闘術Cはサーシャさんより劣るから、一応、証言との整合性はとれている……のか?
あとこのABC評価、割と幅があるはずで、たとえばAは100〜81点、Bは80〜61点、Cは60〜41点、Dは40〜21点みたいな感じだとすると、同じB評価でも「80点」と「61点」の間には結構な開きがあることになる。
もちろんこの数字も仮のもので、実際にはAは100点以上、Bは99〜50点みたいな幅の広い評価かもしれず、つまり「評価が違う」場合の差は歴然としているものの、「同評価だから互角」とは言い難いのだ。この場合は強弱の差が読みきれず、判断が難しい。
勝負は時の運とも言うし、体調や相性、精神状態などに左右される不確定部分、とでも思っておくか。
そしてクロード様の最大の問題は、それら武芸関係の適性の下。
「主人公補正B」「転生特典C」
なんだこの適性??????
字面だけで判断すれば……クロード様って、もしかして「転生者」の一人?
俺も一応は転生組のはずだが、こんな変な適性は持っていない。これ、クロード様ご本人は認識されているのだろーか?
属性魔法の適性とかではないから、魔力鑑定には出てこない表記だろうとは思うが……
効果も謎だし、ちょっとよくわからん。
その中身によっては、あるいはライゼー様を上回る有能人材やもしれぬ……
しばし考え込むルークさん。
……できればクロード様とは、早めに二人っきりで、少し込み入ったお話をさせていただきたい。
もしかしたら彼は、リーデルハイン家の跡継ぎというだけでなく――もっとこう、いろんなものの運命を左右しかねないキーパーソンになる可能性もある。
たとえば、ほら……「トマト様の覇道を共に支える心強い同志!」とか、そんな立ち位置。
クラリス様やリルフィ様の存在もたいへん心強いのだが、このお二人は猫好き&スイーツ好きではあるものの、トマト様への忠誠心はさほど高くない。俺の推しが足りないのだろうか。無念である。熟したトマト様はあんなにも気高く尊いというのに!
以前、そんな感じでクラリス様に熱弁をふるったら、「ルーク。普通の人は、植物に忠誠心とか持たないから」と淡々と諭された。え? そうなの? 前世には大根のオシラサマとかいたし、お米なんて八十八もの神様が宿っていらしたのに……
あとカボチャをかぶって踊り狂う変人が出てくるファンタジー小説とかもあった気がするが、名前が思い出せない。パン……パン……パンダのグリルとか、そんな感じのお野菜。いや、この名前だと熊肉料理か。
閑話休題。
ルークさんが悪い顔でトマト様の覇道に思いを馳せている間に、人間様達の挨拶と会話は一段落しつつあった。
クロード様は久々に再会したサーシャさんにめろめろになりつつ、ラン様がそれを適度にからかい、クラリス様がこれまでの諸事情を簡単に説明する中、リルフィ様は俺を撫で回してご満悦である。
ピタちゃんは引き続きお昼寝。みんな自由だな!
「……そんなわけで、お父様の許可は出ているから、兄様には職人街の案内をお願いしたいの。もちろんサーシャも一緒」
「うーん……案内はするけど、ちょっと時期が悪いな。職人街は祭の前までが繁忙期だから、いざ祭の時期になると、ほとんどの工房が長めの休みに入るんだよ。商取引の窓口くらいは開いているはずだけど、工房は閉まってるし、肝心の職人達はあんまり残っていないと思うよ」
む。それは盲点であった。
そりゃまあ、みんなお祭は楽しみたいだろうし、あるいは屋台などで一儲け! なんて人もいそうだが、いずれにしても祭の時期に通常労働とはいかないか。
「最終日の舞踊祭まで終われば、翌日からはいつも通りに戻るから、それまではのんびり王都見物でもしていくといいよ。もちろんそっちも案内するから」
わーい。これはこれでありがたい展開である。予定通りとはいかなかったが、どのみち祭見物はしたかった。クラリス様達にも楽しんでいただきたいし!
「それで、どこか見たいところとか、要望はある?」
クロード様が問うと、クラリス様とリルフィ様は少しだけ首を傾げた。
「特にないけど……リル姉様は古書店とか? それから私はお母様へのお土産も買いたいけど、まだ何も決めてないから、街を見ながら考える」
「私は……ルークさんと一緒なら、どこでも……」
リルフィ様は本当に猫がお好きだな……(棒)
とはいえ(ご本人の容姿の都合で)人が多い場所は危ないので、それこそ古書店とか、あとは魔道具店とか薬草店とか、そういう場所へお連れしてみたいものである。
「それじゃ、サーシャは? どこか行きたいところないか?」
「私はメイドです。そんな立場ではありません」
クロード様の問いかけにサーシャさんは呆れ顔であったが、ここでクラリス様が口を挟んだ。
「サーシャ、そういうのは気にしなくていいから、行きたいところがあったら教えて。私やリル姉様はこんな感じだし、兄様に任せると張り切って観光地を連れ回されそうだし」
「そうは申されましても――私も王都のことはほとんど存じませんので、行きたいところなども本当にないのです。強いて言えば……クロード様が通われている王立士官学校がどういった環境なのか、それは気になっていましたが、既にこうして確認できましたので」
ルークさんニヨニヨ。発言者のサーシャさん本人は気づいていないが、これはもう「クロード様のことがずっと心配だった」と白状したも同然である。ツンデレメイドさんのデレ期は近いぞ!
……うっかり勢いでそんなことを思ったが、サーシャさん普通に優しいからあんまりツンデレ感はない。どちらかとゆーとクーデレ?
クロード様も気づいたようで、無言のまま「感無量……」的な感極まった眼をされている。わかりやすぅい。
「じゃあ、猫さん……ルークさんは? 職人街以外に、気になる場所とかないかな?」
「食べ歩きですね!」
わざわざ聞いてもらった以上は遠慮なく即答である。
王都の料理店・カフェに加え、祭の屋台飯やテイクアウトメニューなど、気になるものは山程ある。
が、猫の体で「くださいな♪」とお金を差し出しても、いちいちびっくりされるだけだろーし、トラブルになるのは目に見えている。
実は「猫魔法」で外見だけでも人間化できないかと試してはいるのだが、現時点でそういった変化は無理であった。人どころか虎にすら化けられぬ……! そもそも肉体変化系の適性を持ち合わせていないので、これはしゃーないかもしれない。
あとピタちゃんに「どうやったら人間になれるの?」と聞いたところ、「きあい!」との明確なお返事をいただけたため、この子に頼るのも諦めた。どーせそんなことだろーとはちょっと思ってた。
しかし無収穫というわけではなく、根気強く話を聞いた印象では、「経験値と願望の蓄積」が鍵になりそうな感触も得ている。「にんげんになりたい! なりたい!」的な願望が蓄積していって、それが飽和状態になると、なんかそんな感じのスイッチが入る、的な流れ? 少なくともピタちゃんの場合はそういう感じだったらしい。「必要に迫られると能力が目覚める」という、よくあるアレなのだろーか。
しかし大問題なことに、俺は現状、「猫の体」に割と満足してしまっており、食べ歩き以外の目的で、人の体が欲しいとはあんまり思っていない……
仮に人間になったところで所詮はルークさんであるからして、イケメンや美少年なんぞになれるはずもない。小汚いおっさんとかになってしまえばイメージ崩壊、訴訟ものである。
こんな精神状態での人化はちょっと難しそう。食べ歩き以外に、人間になってやりたいことは……うーむ、思いつかぬ。お貴族様の飼い猫などという甘美な立場を経験してしまうと、これはもうやめられぬのだ……ごろごろ。
ところでピタちゃんに「どうして人間になりたかったの?」と聞いたら「森のそとの世界を見てみたかった」という、意外にもちゃんとした答えが返ってきた。というわけでピタちゃんが満足するまでは、この子の観光をお手伝いしよーと思う。
……白状すると、「トマト様の輸出事業に関連して、ピタちゃんの御威光があればトラムケルナ大森林を常に安全に通過できるのでは」的な打算も働いている。できれば森に住むらしいエルフさん達にも会ってみたいし、その時はピタちゃんに仲介を頼んでしまおう。
ラン様が口元に指を添え、不思議そうに首を傾げた。
いかん、この子ってば仕草まで完全に美少女……自分が周囲からどう見えるかをカンペキに理解しておられる……
「食べ歩き……でもルークさんって猫だから、危なくない? タマネギとか味の濃いものとかはダメなんでしょ?」
「いえ、飲食に関しては何も問題ないです。実は私、異世界からやってきた猫なので、人が食べられるものはだいたいなんでも食べられます!」
「……異世界?」
お、クロード様が反応した。
反応を見るつもりで、わざと「異世界から」と口にしてみたのだ。
ラン様が眼を輝かせる。
「ホントに!? それってアレかな? カーゼルの救国の軍師・キリシマ様とか、サクリシア建国の山賊王・シュトレイン様とか、そういう人達の系譜ってこと!?」
これはいつぞや、ライゼー様からも聞いた名である。どうやらこのお二人(故人)が、異世界出身著名人のツートップであるらしい。
「そんな感じです。シュトレインという人はわかりませんが、キリシマという人は同郷かもしれません。私の出身地は“ニホン”という国ですが、なんでもこちらの世界にも、リズール山脈の向こう側にそんな名前の国があるそうで……もしかしたらそっちも、同郷の人が関係しているかもしれませんね」
「えっ」
クロード様、露骨に動揺! ……隠し事が下手そうな御方である。
さて、どうしたものか。
とりあえずタイミングを見てクロード様と二人で話したいのだが、上手い口実が思い浮かばない。
考えていると、クロード様がソファから立ち上がった。
「……クラリス、宿はいつもの八番通りホテルだよね。午後になったら迎えに行くから、一度戻ってもらってもいいかな? 午前中のうちに、学生会の書類を片付けて、ついでに学校にも外泊届を出しておくから。今夜からしばらくは、僕も八番通りホテルに泊まる」
ラン様がクロード様にしなだれかかった。
「えー。寂しいー! それじゃ、その間は誰が私のお世話をしてくれるの?」
「…………普段から世話なんかしていませんし、今後もその予定はありません。ラン様も、明日か明後日頃にはトリウ伯爵と合流される予定でしょう。伯爵家の跡取りなんですから、社交の席でしっかり役目を果たしてくださいね」
お二人の力関係、普段はきっとこんな感じなのだろう。
どうやらクロード様も、俺と同じようなことを考えてくれたらしい。宿が一緒なら、クラリス様達が寝静まった後にいくらでも密談ができる。
そして俺とクロード様は、この瞬間、初対面とは思えぬ互いに含みのある目配せをかわしたのだった。