42・子爵家の跡継ぎ
クロード・リーデルハインは、武名も高きライゼー・リーデルハイン子爵の長男である。
近年、あまり大きな戦が起きていないネルク王国においては、武功を立てる機会自体が少ないが、そんな中でも王都に現れた魔獣「ギブルスネーク」を槍の一撃で仕留めたライゼー子爵の武勇伝は、軍閥の面目躍如と話題になった。
その長子であるクロードが士官学校に入る――となれば、教官達の期待も高まろうというものである。
結果として、クロードは――
今のところ、その期待に概ね応えられている。
これは彼自身にとって、とても意外な流れだった。
力には自信がない。
速さもさほどではない。
持久力も普通程度で、入学時の体力測定では「こんなものか」と失望されかけたほどである。
ところが、模擬戦で評価が一変した。
槍では教官相手に互角以上の戦いを繰り広げて粘り勝ち、弓を射れば規定の距離ではほぼ百発百中、剣の腕は槍と弓に比べるとやや落ちたものの、それでも人数の少ない領主課程では首席、生徒数の多い下士官課程との合同訓練でも五指に入る腕前を示し、「さすがはあのライゼー子爵の息子」と高い評価が定まった。
領主課程は「各領地の跡継ぎが無試験で入れる」のに対し、下士官課程には「倍率の高い入学試験による選抜」がある。家格に影響される枠もあるにはあるが、武力の面でも優秀な生徒が揃っており、その中に割り込んで上位に食い込める領主課程の学生はなかなか珍しい。
弓術は確かに得意で、師のヨルダにも褒められていたため、これに関して不思議はない。
が、槍術では父に一度も勝てていないし、士官学校のカリキュラムにはないものの、拳闘術では幼馴染のサーシャに手も足も出ない。これは「女の子相手に本気なんか出せない」などという理由ではなく、本当に、実力の面でまったく勝負にならない。
そもそも拳闘への適性は女子のほうが高いともいわれるが、それにしてもまったく手も足も出ない。いや、足を出したら反則である。
士官学校への入学が決まったばかりの頃、リーデルハイン領において、クロードは騎士団長のヨルダにこんな相談をしたことがある。
「同年代のサーシャにまったく歯が立たない弱い自分が、王立士官学校なんかに入って、果たしてやっていけるんでしょうか……」
ヨルダは大笑いした。
「クロード様。まず、うちのサーシャは、こと拳闘術においては正真正銘の天才です。拳闘術のルールであれば、俺でも勝てる気はしません。筋力と耐久力では俺の圧勝ですから、KO負けまではせんでしょうが……まぁ、順当にいけば速さに圧倒されて、手数が及ばず判定負けですな。それほどの天才と比べて“歯が立たない”などと言われても……それはそうだ、としか申せません。士官学校の学生達でも、拳闘術でサーシャに勝てる者など、例年通りならば一人もおらんでしょう」
拳闘の強さに影響する要素は多岐にわたる。
技術、筋力、持久力、反射神経、打たれ強さ、闘争心、戦略――そして何より重視されるのが「体内魔力の効率的な制御」で、この要素が、一流選手とそれ以外とを隔てる明確な壁となっていた。
一般論として、打撃、特に拳撃には体内の微量の魔力を乗せやすく、乗せられた魔力は衝撃となって相手の肉体に直接伝わる。また、全身を巡る体内魔力は身体の強化にも寄与するため、動きの速さや打たれ強さにも影響する。
男性よりも女性のほうが、この体内の魔力制御を得意とする傾向があり、時に筋力や体重の不利程度はあっさりとひっくり返る。
魔力制御が下手な下位層では、単純な力の強さによって男子有利とされるが、魔力制御に長けた上位層ともなれば、男女の強さにはほとんど差がない。男女間で公式の試合が組まれることは有り得ないが、それでも日々の練習や野試合、魔獣相手の実戦などを通じて、この事実は立証されていた。
体内魔力とは、簡単な魔道具を操作できる程度の、誰もが当たり前に持つ「一般的な魔力」を指す。これは魔法としての行使はできないが、訓練によって「身体強化」や「打撃強化」に繋げられる。
他国においては「気力」「気合」「闘気」、あるいは「巫力」などと呼ばれることもあるが、呼び方と活用法が違うだけで、これらは全て同じものとされていた。
魔法がまったく使えないクロードやヨルダも「体内魔力」は持ち合わせているが、拳闘におけるその制御技術においては、サーシャの才に遠く及ばない。古来、歴史に名を残す「魔剣」や「魔道具」の使い手に女性が多いのも、この制御技術の差が影響している。
「サーシャはおそらく、メイドなんぞより闘技場で戦ったほうが遥かに稼げるはずなんですが……まぁ、目立つのは嫌いでしょうし、戦いが好きなわけでもない。メイドのほうが性に合っているのは間違いないです。それでも、うちの娘に拳闘で勝とうなどとは思わんでください。人間、できることとできないことがありますぜ」
高々と笑いながら、ヨルダにはばっさりとトドメを刺された。
次いで彼はこうも言った。
「そしてライゼーがクロード様に強いのは、クロード様の性格と癖を完全に熟知しているからです。もしもその知識と経験なくば……それでも五分とまでは言いませんが、まぁ、十戦中二、三戦程度は、クロード様が勝つでしょうよ。クロード様が感じているほどの力の差はありゃしません。そう遠からずいい勝負に持っていけるでしょうし、拳闘でサーシャに勝つよりはだいぶ楽な相手ですな」
それはない、と思う。父の強さは身をもって知っている。
クロードの見たところ、ライゼーの強さの本質は、小細工を許さぬ『剛』である。対峙するだけで一撃必殺の気構えがびりびりと伝わってくる。
そしてその一撃をいなしても、次の攻撃にはまた同じ気迫が乗ってくる。それが息をつく間もなく延々と続く。
我が父親ながら、その真っ直ぐさには畏敬の念を通り越して恐怖を感じる。
クロードを威圧するわけでも下に見るわけでもなく、ただただ純粋に、「自分の強さ」を最大限に発揮してぶつけて来るのだ。
相手を問わず、自身の実力をひたすら出し切る槍術――この恐ろしさは、熊の一撃にも似ていた。
そんなクロードの見解を、ヨルダはまた笑い飛ばした。
「そいつは相性の問題です。俺はクロード様の才に向いていると判断して、いろいろと小手先の器用な技をお教えしています。が、ライゼーには、あいつの気性に合わせて“小手先の技に惑わされない槍術”を教えていたものですから……こいつはもう、単純に相性が悪い。もしライゼーが少しでも様子見をしたら、クロード様にも勝ち筋が見えますよ。おそらく士官学校程度なら、クロード様の槍術と弓術は充分以上に通じるでしょう。俺としては、実戦でも生き残れるだけの技をお伝えしたつもりです」
そんな言葉に後押しをされて、実際に入学してみると――驚くべきことに、ヨルダの予言通りになった。
元から得意な弓術に関しては、幼少期の時点で、ヨルダからこんな教えも受けている。
「敵が動く実戦ではまた別ですが、訓練の場合、当たるように撃てば自然と的に当たるのが弓というものです。ただの的は防御も回避もしませんのでね。これが当たらないとしたら、当たらない所に向けて撃っているだけの話であって、当たる場所へ撃てば普通に当たります。あと気にするのは風向きくらいですな」
なるほど、と納得した。
つまり矢を外したら、その着弾点から逆算して手元を修正しろ、という教えである。
だから言われた通りにしたら、見事に的中した。
あとはもう同じように撃つだけで良いと察し、次々に矢を番えた。残りの矢はすべて的の中心を射抜いた。
その時、ヨルダは妙なことを言った。
「……………………冗談のつもりだったんだが、まさかなぁ……そっちの才能があったか」
弓については多少、才もあったようだが、それでもいまだにサーシャの心は射抜けていない。こればかりは相手が手強い。
今にして思えば、他にもヨルダの教え方は少々変わっていた。
「幼い頃から筋力をつけすぎると、背が伸びにくくなります。体格の不利は後々に影響しますんで、成長期が終わる頃まで筋力はあまり鍛えず、適度に怠けてください。訓練も俺やサーシャがいる時だけにして、自主的な訓練などはしないように」
「クロード様はスジがよろしい。武芸の才という意味ではなく、筋肉をつなぐ、人体組織としての“スジ”の部分がとてもお強い。これが強いと、反射的、瞬間的な動きを、より速く、より強くできます。体の使い方さえ間違えなければ、体力や筋力で負けている相手とも互角以上に戦えるでしょう」
「弓に関して、ライゼーの前では本気を出さんでください。あいつのことだから、“クロードには武芸の才がある”などと言い出して、根性論丸出しのおかしな方向へ向かいかねません。クロード様が持つ才の本質は“そういうもの”ではないので、引き続き俺に指導を一任してもらえるよう、奴の前では手抜きをすること。ただし士官学校に行ったら、そういう気遣いはもう不要です。ああいう場所では強いほうが楽をできますんで」
どこまで本気か、よくわからない口調で、ヨルダは根気強くクロードを教導してくれた。
そんな郷里での諸々を懐かしく思い出しながら、クロードは士官学校の図書室にて、ぼんやりと窓の外を見ていた。
手元には小難しい数学の教本があるものの、あまり集中できていない。
考えるのは、領地にいるはずの愛しい可憐な幼馴染のことである。
(……社交の季節だから、父上とヨルダ先生はそろそろ王都に来るだろうけど……サーシャはクラリスのお付きだし、やっぱり来られないだろうな……)
寂しいし、会いたいとも思う。
が、成長の実感がない今はかえって失望されかねず、その意味ではもう少し時間が欲しい。
士官学校というものに対し、クロードはもっと厳しいイメージを持っていたのだが――軍に入るのが前提となる下士官課程はともかく、領主としての基礎知識を学ぶ領主課程は、むしろ郷里以上に生温い環境だった。
考えてみればそれも当然で、将来の侯爵、公爵、伯爵、子爵といった領主の跡継ぎ達に対し、教官達が不興を買うような真似などできるはずがない。彼らは基本的に腰が低く、成績だけは真摯に査定してくれるが、日常的には「学生」というより「客」扱いで、入学当初のクロードは悪い意味で困惑したものだった。
もっと、こう――「男として、性根を叩き直す」的な環境を想定し、サーシャに対しても自身の成長を約束して領地を出てきたのだが、その気合は空回りでスカされた。
父のライゼーは商家へ養子に出されていたため、こうした士官学校には通っていない。だから実情を知らなかったのだろう。
世故長けたヨルダはある程度、わかっていたようで、「骨休めと思ってのんびりしてくるといいですよ」「他の課程でめぼしい学生がいたら、家臣にスカウトしてくるように」「むしろスカウトと人脈づくりが本命です」とまで言われた。
田舎の子爵家が就職先として人気になれるはずもなく、これはこれで難題なのだが――だからこそ、年単位で人柄を見極めて人材獲得できるこのような機会は、より貴重で重要だともいえる。最近ようやくわかってきた。
「失礼いたします。クロード様。クロード・リーデルハイン様はこちらにおいででしょうか」
名を呼ばれて振り返ると、図書室の入り口付近に衛兵が立っていた。
「はい、私です。何かありましたか」
すぐに本を棚へと戻し、返事をしながら近づく。
衛兵はわずかに安堵した様子で道を開けた。
「ご家族の方が面会にいらしております。第一学生寮のサロンにご案内いたしました」
「あぁ、ありがとう。父上かな……もう王都に着いたのか」
並んで歩き出しながら、衛兵が首を横に振った。
「いえ、とてもお美しい女性ばかりでしたよ。あと、猫が一匹」
「……えぇ? 猫?」
父のライゼーは猫嫌いのはずだった。まさか屋敷で飼い始めたとは思えない。
「なかなか愛嬌のある顔立ちの、賢そうなキジトラでした。私と目が合うと、ぺこりと小さく会釈までして……すぐに目を背けてしまいましたが、ご家族の方に、よく懐いている様子で」
この衛兵は猫好きらしい。猫が会釈などするはずはないから、偶然そんなふうに見えただけだろう。
「へぇ。新しく飼い始めたのかな……って、あれ……? 女性ばかり? 父上はいませんでしたか?」
「はい。十歳前後の利発そうなお嬢様と、落ち着いた物腰で品の良いメイドと、猫を抱いた魔導師風の女性と……あと一人は、ウサギの耳を模したカチューシャをつけておられました。あれはリーデルハイン領の民芸品でしょうか」
そんなヤバそうな民芸品はない、と思う。
そして、「落ち着いた物腰で品の良いメイド」と聞いた瞬間、クロードの心臓は跳ね上がった。
クラリスが来ているならば、当然――その護衛役は、「彼女」しかいない。
「き、君はもう詰め所に戻ってくれていいよ! 後は走っていくから!」
「は。承りました。それでは、私はこれにて戻らせていただきます」
クロードの様子にただならぬものを察したか、衛兵は素直に一礼して足先を転じた。
一方でクロードは石畳を蹴って走り出す。
少々、嫌な予感がする。
寮には今、確か……
(だ、大丈夫ですよね!? そういう部分はちゃんとわきまえてますよね!? 信じてますよ、ラン様……!)
……しかしてその祈りの言葉は、神にも猫にもラン本人にも、もちろんまったく届いていないのだった。
いつも応援・感想、ありがとうございます! たいへん励みになっています。
おかげさまで、このたび「我輩は猫魔導師である!」に書籍化のお話をいただきました。
レーベル等の詳細は、また発売日が確定した頃にお知らせできれば――という感じで、現在鋭意進行中です。
そろそろ書き溜めたストックも怪しくなってきたもので、感想の返信まで手が回らずたいへん申し訳ありません。(;´∀`)
「連日・数日おきに連載されている方達すごいな……!」と、改めて自分の遅筆に呆れつつ、こちらでの連載も気合を入れ直して進めていきますので、引き続きどうぞよろしくお願いしますm(._.)m




