4・猫という悪辣な生き物
猫。
それは小型の虎である。
優れた平衡感覚と敏捷性を有し、鋭い爪と牙で小動物を捕らえる、夜行性の狩猟者――
基本的には「かわいい」と人から愛される動物であるはずだが、所詮は獣、しかも肉食獣であり、その性根は酷薄にして自己中心的。
犬のような従順さからは縁遠く、飼い主を飼い主とも思わず、時には自らが主のように振る舞う、小生意気にして悪辣な畜生である。
穀物を荒らすネズミを狩るという利点もあるため、害獣とまでは言えないが、しかし益などそれくらいなもので、狩猟犬や牧羊犬、牛馬羊その他の家畜と比べれば、利用価値は数段劣る。
ネルク王国に属する子爵、ライゼー・リーデルハインにとって、猫に対する認識などはその程度のものだった。
要約してしまえばつまり、彼は犬派である。
特に狩猟犬は良い。
賢い。速い。強い。しかも忠実。
育てる手間は少々かかるが、その日々もまた楽しみの一つであり、犬に比べれば猫など単なる毛玉である。
だから愛娘のクラリスが「敷地内で猫を拾ってきた」と聞いた時、彼はつい眉をひそめた。
愛玩動物が一匹や二匹増えたところで、子爵家たるリーデルハイン家にとってどうということはない。
これが子犬であれば両手を挙げて歓迎するところだし、小鳥やウサギであったなら、「まぁ、好きなようにしなさい」と微笑ましく見守る程度で済む。万が一、落星熊の子供などであれば、さすがに山へ返すか処分せざるを得ないが……
しかし猫である。
ライゼーは決して、猫が嫌いなわけではない。益獣としての評価こそ低いが、これは犬が素晴らしすぎるだけであって、比べるのも酷である。
そもそも猫は難しい。
家の中で飼うとなれば粗相の懸念もあるし、高価な花瓶などを割られかねない。外で飼うとなれば、今度は庭の犬達がその猫を“獲物”とみなすかもしれない。
もしその猫が殺されれば、クラリスは哀しみ、犬達を嫌うようになるだろう。
こうして理路整然と考えていくと、やはりこの屋敷で猫は飼いにくい。
(仕方ない……どこか引き取り手を探してやるか……)
いざとなれば、領内にいる猫好きの商人にでも押し付けてしまえば良い。領主からの預かりものとなれば大事にしてもらえるはずである。
ライゼーは瞬時にそこまで思案をまとめたが、報告にきた若い娘の使用人は、まだ何か言いたいことがあるのか、執務室の入り口で固まっていた。
「どうした? まだ何かあるのか」
問うライゼーの声は、使用人に対しても穏やかで優しい。
今でこそ子爵家の当主という立場だが、彼は庶子であり、幼い頃はあまり貴族扱いされずに育ってきた。
物心つく前に有力商人の家へ養子に出されてしまったのだが、二十代前半の頃、他の兄達が事故や流行り病で相次いで亡くなったために呼び戻され、そのまま後を継ぐ羽目になった。
商人として生きていく気概に溢れていた若きライゼーにしてみれば、当時は「何を今更」と思ったものだが、しかし領主の家が断絶した場合、次にやってくる領主がまともな為政者であるという保証はどこにもない。
仮にライゼーが一人前の商人になったとしても、そこへおかしな領主がきてしまえば商売に支障が出る。
ならばいっそと自分がその地位につき、あっという間に十数年が過ぎた。
幸いにして、今の領内は父の代よりも栄えている。
領地はさほど広くもないが、歴史的に騒乱の少ない土地であり、住み暮らす人々の気性も概ね穏やかなため、治める側としては楽な土地だった。
自然、領主の気性も穏やかになる。
そんな優しいライゼーに対し、使用人の娘が口ごもるなど珍しい。
これは「領主が怖い」わけではなく、「領主に言うべきことなのかどうか」、自身で迷っていると判断していい。
それを察して、ライゼーは微笑を浮かべる。
「サーシャ、何か気になることがあるなら、臆さずに言いなさい。年若い君はまだ慣れていないだろうが、うちの邸内では、基本的に私への報告を気兼ねする必要はない。隠されるほうがよほど困る」
サーシャはびくりと肩を震わせ、次いで深々と一礼した。
「失礼いたしました。実は……その、お嬢様が、不思議なことを仰っているのです。拾った猫が人の言葉を喋った、旦那様へのお目通りを願い出ている、と――」
ライゼーは吹き出した。
愛娘クラリスは、とうとう交渉術を覚えたらしい。
幼いながらも賢さの片鱗は見え隠れしていたが、猫に好印象を持たない父親をどうにか籠絡しようと、猫を臣下に加える算段を練ったらしい。
さて、ここからどう出る気かと、父としては興味を引かれる。
「よし、会おう。庭にいるのかな?」
「……あの、いえ、その……」
「ん? もう屋敷にいれてしまったのか?」
「は、はい……ですが、その……」
歯切れの悪い新米使用人に苦笑を送りつつ、ライゼーは執務机から立ち上がった。
「娘のわがままだ。何がどう転んでも、君の落ち度にはならないから安心しなさい。そして、報告ははっきりと手短に……いいね?」
サーシャがごくりと唾を飲みつつ頷いた。
「それでは、申し上げます。その猫ですが……応接室にて、お嬢様と一緒に、優雅に紅茶を飲んでおります」
「ほう。紅茶をたしなむ猫とは珍しい……いや、確か、猫に紅茶は毒ではなかったか……?」
クラリスがふざけて、皿にでも注いだのだろう。
しかし召使いの娘は、震える手でティーカップを持つ仕草をする。
「それが、その、お嬢様が勧めたところ……猫は、ティーカップを、こう……小さな手で器用に持ち上げて……ミルクを少しいれて……」
「……ん?」
「……香り高く良い紅茶だと、褒めていただきました……」
ライゼーはしばし思案する。
召使いがおかしくなった……などとは思わない。なんとなれば、彼女は今、明らかに自分自身の頭を疑っている。狂人は自分が狂人だなどとは気づかぬものである。
「……会おう。応接室だな」
貴族は慌てない。
それは貴族の矜持であり、処世術でもある。
ライゼー・リーデルハイン子爵は商家育ちでありながら、この点において、確かに“貴族”たる資質を持ちあわせていた。




