38・猫と宮廷魔導師
アイシャさんに案内されたカフェは、石造りの壁を生かした、落ち着いた雰囲気のオシャレな空間であった。
ヨーロッパの古城とかで、お城の一角をカフェに改装したような……そんな印象のお店である。
厳密には「お城」の中ではなく、お城を囲む「城壁」の中に作られた空間なのだが、設備が妙に現代的。
天井から吊るされた魔道具のランタンは、まるで蛍光灯のような光を放っているし、なんとジャズっぽい音楽まで流れている。
生演奏ではないと思うんだが……音の出どころがわからない。もしや蓄音機とかあるのだろうか?
リーデルハイン邸でその手の音楽用品は見かけなかったから、あるいは高価なものなのかもしれない。
そしてルークさん達が通されたのは、奥の個室。
奥といっても外壁側に面しており、広めの窓がある。
店内よりも開放感はあったが、一階なのでちょっと人目が気にな……あ、堀だ、ここ!
眼下は大量の水であり、その向こう側には王都の町並みが見えていた。人目はあんまり気にしなくて良さそう。
個室内には低めのテーブルを囲んでソファが設置されており、ひとまず皆で席につく。
兎のピタちゃんはクラリス様のお膝に頭をのせて優雅に寝そべり、俺はリルフィ様のお膝の上で丸くなった。ごろごろ。
「皆様、ご注文はいかがなさいますか? お任せいただければ、おすすめの品を用意いたしますが……」
「私はお任せしよう。ここは初めてだから、勝手がわからん。ルークはどうするね?」
「私もお任せで! お茶とスイーツの組み合わせでお願いします」
メインの用事は、あくまで“宮廷魔導師ルーシャン”様との面会である。
あとぶっちゃけ、机にあるメニュー表を見ても品が想像できない。「クレオ風マドゥサンド」とか「リグラングティー」とか書かれていて、この世界における自身の知識不足を実感してしまう。あ、「紅茶」とか「ワイン」とか「ソーセージの盛り合わせ」とかはわかる。
あとパスタ系もあるっぽいが、もちろんミートソースやナポリタンは存在しない。するわけがない。ピザっぽいものはあるのだが、トマトソースもブラックペッパーもないピザの戦闘力などたかが知れている。(傲慢)
……ククク……この店をトマト様のアンテナショップにできれば、トマト様は一躍人気食材の仲間入り……ルークさんの野心ってば、とどまる所を知らぬ……
そんな邪悪な欲望を胸に秘めていると、扉にノックの音が。
アイシャさんが注文してくれた飲食物が届いたようである。
そして俺の前には、アイシャさんの手によって、こちらのオリジナルスイーツである“ランタン・ケーキ”が並べられた。
これはいわゆるフルーツケーキか。
ランタンと同じくらいの大きさの型で焼き上げて、それを薄く切り分けた後、上から光沢のある水飴をかけて薄く固めたシロモノらしい。
練り込まれたドライフルーツは俺の知らないものが多めで、こちらの世界の固有種っぽい。
コリコリとした食感の、ほのかに甘いサイコロ状の……瓜? 的なモノとか、プチプチとした食感と爽やかな風味が楽しい緑色のゴマみたいな粒とか。
砂糖がないため甘さはかなり控えめ……少し物足りない感もあるが、果物の風味もあり、焼き加減も香ばしくてなかなか美味しい。
どちらかといえば「大人向けのおやつ」という印象か。ケーキというよりむしろ、オーガニックとか国産小麦とか砂糖不使用とかのパン屋さんで扱う、菓子パンのカテゴリに近いかもしれない。チョコレートとかも合いそう。
そして飲み物は……麦茶に良く似ている。色は麦茶。香りは麦茶。味も麦茶。
……うん! 麦茶だこれ!
まぁ、麦がある以上は麦茶があっても不思議はない。西洋的世界観とはあんまりあわないかもだが、普通の猫でも問題なく飲めるお茶であり、これはアイシャさんにお気遣いいただいた結果だろう。
なんかねー……醤油といい味噌といいマヨネーズといいシンザキ様式といい麦茶といい、この世界にはどうも、我が前世からの流入文化が意外と多い気がする……
ここへ来る途中、馬車の窓から闘技場も見えたのだが、付近の掲示板にボクシング興行っぽいポスターが貼られていて二度見した。
古代ギリシャの拳闘とかではなく、近代そのまんまのボクシンググローブとトランクス、リングシューズを身につけたボクサーの絵が、ロープの張られたリングと共に描かれていて、一瞬、前世に迷い込んだかと錯覚したほどである。
やっぱ俺の前に来た人達が、いろいろ広めたんだろーな……
このランタンケーキも、そうして持ち込まれた「何か」の発展型として生まれたものかもしれない。
俺が眼を細めてケーキと懐かしの麦茶を味わっていると、廊下から足音が聞こえてきた。
かなり早い。ほとんど小走り。
「ルーシャン様! 通り過ぎないでください! そこ! そこの個室です!」
「ん!? ここか!?」
カフェの店員さんと思しき声が響いた後、足音が少し戻ってきて止まった。
軽い咳払い。息を整えるための深呼吸。
そして響くノックの音――
「お、恐れ入ります。魔導師、ルーシャン・ワーズワースにございます。ルーク様はこちらにおいででしょうか」
声が震えてしまい、威厳もへったくれもない……
俺が返事をする前に、アイシャさんが内側から扉を開けた。
「……お師匠様。緊張しすぎですよ……」
アイシャさんはすっかり呆れ声。
俺もそう思うけど、初対面で猫にツッコミをさせたキミも逆の意味でなかなかのものよ?
俺はリルフィ様のお膝から飛び降り、部屋の一同も(ピタちゃん以外は)立ち上がって、伯爵位を持つ宮廷魔導師を出迎えた。
扉の前に姿を見せたのは、オールバックの白髪頭にサンタクロースのよーな髭をたくわえた、黒い長衣のご老人であった。
長衣を彩る白いラインがなかなかかっこいい。手にはお約束の杖を持ち、額にはシンプルな額冠をはめている。何かの魔道具っぽいな、アレ。
俺はとてとてとルーシャン卿の足元に歩み寄り、胸に肉球を添え、恭しく一礼した。
「はじめまして、ルーシャン様。私はルーク、リーデルハイン家のペットをしております。猫です」
「お、おお……! な、なんと、なんと恐れ多い……!」
「恐れ多くないです! 猫です! ただの猫ですから!」
自己紹介でわざわざ「人間です」とか言う人は珍しいだろーが、俺の場合は一応、「猫」であることはきちんと主張しておきたい。「亜神です」とか、事実であっても受け入れるにはまだ抵抗がある……!
特にこちらのルーシャン様、どうも俺のことを、完全に「神」だと勘違いしてそーな気配だ。
ルーシャン様はその場に膝をつき、俺と視線の高さをあわせるようにして――しかし決して直視はせずに、声を押し殺して呟いた。
「ルーク様、お会いできて光栄の至りでございます。本来ならば私の側からご挨拶に出向くべきところを、こうしてわざわざおいでいただき、感謝の言葉もございません。あの……不肖の弟子のアイシャが、何か失礼なことなどは、いたしませんでしたでしょうか……?」
言葉遣いが丁寧すぎて、なんかかえって不自然ではあるが……
しかしこのおじーちゃん、明らかに猫の扱い方を心得ている。
初対面の猫に対しては「眼をあわせない」(敵意と勘違いされる)、「大きな声を出さない」(これは獣全般にいえる)、「自分を大きく見せない」(でかいものは怖がられやすい)、といったコツがあるが、それらご挨拶のお約束をしっかりと実践しておられる。
こちらも猫の端くれとして、このお心遣いには真正面からお応えせねばなるまい。
「大丈夫です! それより、ライゼー様達が固まっておられますので、もうちょい自然体で……あと、自分はただの猫ですので、そんなにかしこまらないでください!」
ルーシャン様が顔を上げる。
「こ、これは失礼を――おお、ライゼー子爵とご家族の皆様も、ようこそおいでくださいました。つい感極まって、お恥ずかしいところを……」
「い、いえ。我々はあくまで、ルークの付き添いですので……あぁ、紹介をいたします。こちらは長女のクラリス、姪のリルフィ、そして騎士団長のヨルダ……」
ライゼー様、若干困惑されている。「伯爵位」を持つ宮廷魔導師ルーシャン様が、亜神とはいえたかが猫一匹にこの態度である。正直、俺もちょっとびっくりした。
そして皆様の紹介の間に、俺は気になっていた“じんぶつずかん”をこっそりと広げる。
さて、ルーシャン様の実力のほどは――
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■ ルーシャン・ワーズワース(64) 人間・オス
体力E 武力D
知力A 魔力A
統率B 精神A
猫力 94
■適性■
地属性A 火属性B 風属性B 暗黒B
鍛冶A 細工A 絵画B 建築B 精神耐性B
■特殊能力■
・鉱物錬成
■称号■
・地精霊の祝福 ・魔剣の鍛冶師 ・猫の守護者
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ルークさん、真顔。
………………………………………………マジか。おいマジか。
アイシャさんも魔力Aだったし、そのお師匠様なら……とは思っていたのだが、知力Aと魔力Aは予測の範囲内としても、適性が、ちょっと……便利そうなの多すぎない? 鍛冶・細工・絵画・建築ってどんだけ才能溢れてるの?
しかも特殊能力つき。
さらに称号は3つ。
その上でリルフィ様超えの猫力94――文句なしの現状最高値である。
猫力はともかくとして、正真正銘のバケモノといって差し支えあるまい。リルフィ様が尊敬されているのも道理だ。
……そんな方から「神様」扱いされるプレッシャー。おわかりいただけるだろうか……?
ルークさん、ちょっと肉球に冷や汗がわいてきた。
やべー。このおじーちゃんやべー……
逆らってはいけない。
ルークさんの「ながいものにはまかれろ」技能が緊急アラートを鳴らしている!
「にゃーん」
というわけでルークさん、着席したルーシャン様のお膝の上へあっさり移動。
「お、おい、ルーク……?」
不敬と思ったのか、青ざめるライゼー様。
しかし一方のルーシャン様は、もはや喜色を隠せず、泣きそうなほどのちょー笑顔である。
初対面の猫に懐かれる――猫好きの人間にとって、これに勝るご褒美などそうそうない! おっちゃんしってんねん。
「おぉ、おぉ、なんと……なんと……!」
「こちらのほうがお話しやすいので、ちょっと失礼しますね! ところで早速、トマト様の件なのですが……」
「ルーク……それは後でいいでしょ……」
クラリス様からの的確なツッコミ。我が飼い主はやはり賢い……
そしてご歓談の時間となった。
俺はこちらの世界にやってきた経緯、別に亜神としての自覚とかない旨、トマト様から受けた御恩、クラリス様に拾われたこと、リルフィ様に魔力鑑定してもらったこと――そういった、クラリス様達も把握している範囲の事情を丁寧にお話した。
特にリルフィ様のことはだいぶ持ち上げさせていただく!
「初めてお会いした時は、階段の上から女神様が降りてきたのかと思いました! 私が以前にいた世界にも人間は多かったのですが、リルフィ様ほどお美しい方は見たことがありません。しかも優しくてお淑やかで魔法の才能まであって、私のような一介の野良猫にもよくしていただき、ただただ感謝するばかりです。私にとっては、クラリス様は飼い主、リルフィ様は師匠といった感覚ですね」
リルフィ様、真っ赤になって俯いてぷるぷる震え始めてしまったが、ルークさんこういうプレイすき。
膝の上の俺を撫で回しながら、ルーシャン様がふと首を傾げた。
「なるほど、なるほど――失礼ですが、私にも皆様の“魔力鑑定”をさせていただけませんか? 支障があるようでしたら、どなたかお一人でも充分なのですが……」
「はぁ。理由をおうかがいしてもいいですか?」
ライゼー様達では断りにくいだろうと察して、代わりに俺が問う。
「これは推論なのですが、ルーク様からのご信任をそこまで得ているとなると――皆様はもしかすると、今の時点で、何らかの“称号”を得ている可能性があります。それを確認できれば、と――あ、私ではなく、そちらのリルフィ様がご家族の鑑定をするという形でも構いません。結果だけ、支障のない範囲で教えていただければ」
ほほう?
考えてみたら、俺も皆様の「じんぶつずかん」情報をそんなには確認していない。ヨルダ様だけ、腹を割った会話の前後で猫力が上がったのを確認したが、ステータスとゆーのはそんな頻繁に変わるようなモノでもない。
ウェルテル様の回復状況は継続的に確認中だが、この場合は逆にステータスのほうをほとんど見ていない。
「じんぶつずかん」は、開いた時点で「俺の見たい情報」にアクセスできるため、他の部分をあえて見る必要がないのだ。「ずかん」とは言いつつ、使い勝手は超高精度な検索エンジンのよーなものである。
ライゼー様が事も無げに頷いた。
「私は構いません。魔力は持ち合わせておりませんので、特に何も表示されないかと思いますが」
あ、そーか。「魔力鑑定」は「じんぶつずかん」「どうぶつずかん」と違って、ステータスとか評価とか出ないし、適性も「魔力」に関するものしか出ないんだっけ。
つまりライゼー様の「槍術B」とか、クラリス様の「交渉B」とかは把握できないわけだ。
魔導師にとっては「得意属性を把握される」という問題点がある一方で、魔導師以外の大半の人間にとってはまったくの無意味。
ただし「称号」はわかるっぽい。つまり、「称号」には何らかの魔力的な要素が絡んでいる――と、解釈するべきか。
そんなわけで、ライゼー様のご許可を得て、ルーシャン様が自前の魔光鏡で鑑定を行うことに。
そして待つ必要もないので、同時にリルフィ様も、クラリス様とご自身の鑑定を行うことに。
はてさて、どんな結果が出るのだろーか……(棒)