36・王都の宿(※ペット可)
王都までの中継地点となる町の宿で、後続の馬車で同行中のアイシャさんにもピタちゃんをご紹介した。
「…………つまり……ルーク様は、トラムケルナ大森林の神獣を従者として従えた、ということですね?」
しばらく絶句した後にそんな勘違いをされてしまったが、ピタちゃんに従者のお仕事は無理だと思う……この子は基本の仕様が「食っちゃ寝」である。ルークさんの将来の目標もそんな感じなので、ある意味では師匠的存在といえなくもない。怠け方を勉強させていただきます、師匠。
ピタちゃんはにこにこと対応していたが、アイシャさんに対しては何か思うところがあったらしい。
「ルークさま、あのひと、なんか精霊っぽかった」
「そっかー。水の精霊さんから祝福を受けてるからかなー?」
……「天然」という意味ではないと思いたい。
いや、なんかすごい天然感あるんスよ、あの子……
さて、ピタちゃんとの親交を深めつつ辿り着いたネルク王国の王都、ネルティーグは、欧州の古都を思わせるなかなかの人口密集地であった。
郊外を除いて一軒家などはほとんど見当たらず、四階建てくらいの石造りの集合住宅がやたらと目立つ。
それらの一階には商店や食堂などが入っており、道行く人々にも活気があった。
良い街である。
…………が、明らかに物価が高い。
馬車の窓から露店とか見えるんだけど、価格がね! リーデルハイン領と比べて、似たような野菜や果物のお値段が普通に三倍! ものによっては五倍である。
農地との距離、輸送コスト、仲買人の利益、需要と供給のバランスなど、いろいろ事情はあるのだろうが――
もしもこの市場に、缶詰のトマト様を手に取りやすい価格で送り込めたら……?
……ククク……思わず舌なめずりをするルークさんであった。
「ルーク? なんかおいしそうなものあった?」
クラリス様にはただの食いしん坊と勘違いされた。あれ? ちゃんと悪い顔できてなかった?
「いえ、町並みが珍しくて、つい見入っていました。大きな街ですね」
ライゼー様が頷く。
「なにせ王都だからな。国営の市場が十箇所、教会が五つ、個人の店は何軒あるのか見当もつかん。しかしこの王都は、果たして住みやすいのか住みにくいのか……店は多い。仕事もよそよりはあるだろう。が、居住空間があまりに狭く、畑なども作れない上に物価が高い。金が尽きたら自給自足すらできず、もうどうにもならん。このあたりは目抜き通りだからきれいなものだが……区画によってはかなり治安が悪いとも聞く。職人街のほうは安全なはずだが、あまり諸方をうろつかんほうがいいだろう」
ふーむ。やはり大きな街だと、そういう危険な場所もあるか……
俺一匹ならただの猫だから絡まれる心配もなかろうが、リルフィ様やクラリス様に怖い思いをさせるわけにはいかぬ。気をつけよう。
やがて馬車が宿に着いた。
宿の名は『八番通りホテル』。「王都の八番通りに面しているから」というそのまんまのネーミングである。職人街は七番通りなのですぐ近く。好立地!
あ、番号は近いが、さすがに「隣の道」というワケではない。
○番通り、というのはあくまで主要な大通りにつく名前で、大通りと大通りの間には他にも小さな道が縦横に走っている。
さて、この八番通りホテル。
子爵様がお泊りになる宿、ということで、さぞかし立派なものを想像していたのだが……さほど大きくない。てゆーか、ごくごく普通の珍しくもない宿。
三階建てで、たぶん部屋数は全部で十程度。一階には食堂や帳場などがあり、清潔ではあるが高級感などは全然ない。
侯爵や伯爵ならともかく、子爵レベルだとこのぐらいが普通なのかなー、とかこっそり思っていたら、
「ここは、私が商人見習いだった頃から世話になっていた常宿でな。いろいろと融通を利かせてくれる上に口が堅い。酒場が併設されていないから、夜が静かなのもいい」
とのこと。なるほど、昔からのお付き合いを大事にされているあたりはいかにもライゼー様らしい。
これから約十日間、こちらの宿が我々の拠点となる。
そもそも小さい宿なので全室貸し切り。
ライゼー様とヨルダ様+護衛の騎士二人で一部屋、リルフィ様、クラリス様、サーシャさんで一部屋、残りの部屋には他の護衛の騎士さん達がそれぞれ入る。
ライゼー様とヨルダ様ほんと仲いいよね……とは思ったが、社交シーズンの間は、各貴族への挨拶状を書いたり商談のセッティングをしたり、深夜までお仕事があるそうで、そこは「寝室」というより「臨時執務室」という感じになるらしい。護衛の騎士さん達も、書類仕事をこなせる人材を優先的に連れてきているそーな。
つまりクラリス様達と部屋を分けたのは、クラリス様の安眠のためでもある。
なお、ルークさんとピタちゃんもペット枠でクラリス様達のお部屋に。
……俺だけ何食わぬ顔でライゼー様達のお部屋へついていこうとしたら、今回も背後から普通に拉致られた。リルフィ様に。
だいじょうぶ? やっぱり猫依存症になってない?
ちなみに宿のご主人は、ライゼー様と同年代の真面目そうなナイスミドルだった。
俺のことはただの猫と思ったようだが、ピタちゃんの大きさにはやはり驚いた様子。小型化しても大型犬サイズだからそりゃまあ驚く……
ついでにピタちゃんについては、安全のため、「寝てる間に、寝ぼけて元のサイズに戻ったりしない?」とは確認しておいた。
本人いわく、「姿やサイズの変更にはそこそこ集中力が必要なので、睡眠中はそもそも無理」とのお答え。実際の台詞はほぼひらがなでもっとまわりくどかったのだが、意訳するとだいたいそんな感じ。
……そういえば「どうぶつずかん」で確認したピタちゃんの特殊能力や適性に、変身系っぽい記載がないんだが……これは魔法なのか生態なのか……仮に生態だとしたらルークさんには無理なので、「人間に化ける特訓」とやらにもあまり期待はしないでおこう。
もしもめでたく人間の姿になれたら、こちらの世界の飲食店で堂々と食べ歩きをする予定である。ルークさん割と食いしん坊。
さて、宿でのんびりと落ち着く暇もなく、荷物を置いて着替えだけ済ませ、俺達一行は王宮へ向かうことに。もちろんアイシャさんのご案内である。
王都への到着予定日については早馬で知らせていたようで、もう宿の前にお迎えの馬車が待機している……どんだけ楽しみにしてんだ宮廷魔導師ルーシャン様。
「お師匠様の猫好きは筋金入りでして――研究室には拾ってきた猫さん達が三十匹ほどいるんですよ。もしもお好みの子とかがいらしたら……」
「あ。いえ。そういうのはいいんで。ガチで」
……今の一瞬、リルフィ様のハイライトさんが職務放棄しそうになったのは気のせいだと思いたい。
ハイライトさん、旅の間はがんばってたものね……ちょっと疲れちゃっただけだよね……?
§
お城へ向かうために、来賓用の豪華仕様なお出迎え馬車へと乗り込んだルークさん達。
メンバーはライゼー子爵(保護者)を筆頭に、ヨルダ様(護衛)、クラリス様(飼い主)、リルフィ様(好き)、ピタちゃん(神獣)、ルークさん(トマト様栽培技術指導員)という具合。
これにもちろん、案内役としてアイシャ様(宮廷魔導師の弟子筆頭)がつく。
サーシャさん(武闘派メイド)は騎士の皆様とお留守番。というより、部屋を整えたり滞在中の生活用品を揃えたりと、買い出しなんかも含めて到着直後はいろいろお仕事が多いらしい。お疲れさまです。
やがて馬車がお城へ向かうメインストリートへ差し掛かると、街の景色が一変した。
なにやら色とりどりの旗、装飾、それに紙吹雪が散った痕跡……
やけに人出も多い。
「お祭りでもやってるんでしょうか?」
「ああ、この時期は春の祝祭なんだ。貴族の社交シーズンがこの時期に設定されているのも、祭を見物しやすいから、という事情がある。王都周辺の街からも観光客が訪れるから、商人達は稼ぎ時だな」
お祭り! 猫の姿でなかったら露店巡りとかしたいところであった。
しかし外の喧騒とは裏腹に、ライゼー様の表情はあまり明るくない。
「……祭りの騒ぎに乗じて……などということにならねばいいが……」
不穏。
何の心配かまではわからないけど、なんとも不穏な独り言……
一方、アイシャさんはにこにこである。
「昨日が前夜祭だったはずです。最終日の夜にはお祭りの目玉、舞踊祭もありますよ。例年なら、その直前に国王陛下のパレードがあるのですが……陛下は今、ご病気なので、今年は無理でしょうね」
不穏。
これは俺にもわかる。
つまりあれだ、「仮に国王不在でそのパレードを強行した場合、誰が国王の席に座るのか?」というアレだ。
普通ならもちろん皇太子である。
が、その皇太子は落馬事故によって意識不明の重体であり、助かる見込みがないどころか、真偽の怪しい死亡説まで流れているらしい。
では、そこに座るのは誰なのか?
王位継承権第二位、妾腹の第二王子リオレットか。
王位継承権第三位、正妃ラライナの生んだ幼い第三王子ロレンスか。
これは滞在中の貴族や王都の国民に対して、「次の王」を印象づけられるまたとないチャンスである。
中止になればそれで良いが、もしもどちらかの派閥が強行したら……
ライゼー様のご不安もコレか……!
肉球周辺にじんわりと浮いた汗を自らの体毛でそっと拭き、俺はリルフィ様のお膝から窓の外を眺める。
その時だった。
道行く少年の一人と、不意に目があう。
黒めのシックな礼服を着た、黒髪の美少年――
見開いた眼は紅すぎる程に紅く、驚きを隠しもしていない。
「ルーク様……!?」
魔族の貴公子、ウィルヘルム君……!
迷子だったフレデリカちゃんのお兄さんで、俺と同じく「風精霊の祝福」を持つ仲間(?)だ。
幸い、驚いた声はごく小さかったため、馬車の走行音に遮られ、リルフィ様達には聞こえていない。
「なんでこんなところに!?」とこちらも驚いたが、しかしここでの接触はいろいろまずい!
さすがに馬車を追いかけるつもりはないらしく、ウィルヘルム君は呆然と馬車を見送った。
その彼に向けて、俺はこっそり生成した「メッセンジャーキャット」を一匹放つ。
『今からお城で人と会う約束があります。夜には八番通りホテルに戻れると思いますので、用事があったらこっそり来てください。くれぐれもこっそり!』
……ひとまずはこれで安心である。
しかし本当、なんでこんなところにウィルヘルム君が? 魔族の拠点って西の端っこのほうじゃないの?
なんかビミョーに元気がなかったような気もするのだが、まぁあんまりヒャッハーするタイプではない物静かな子なので、そこは俺の勘違いかもしれない。
じんぶつずかんを覗けば近況も確認できるのだが、これはちょっとプライバシーすぎて良心が咎める……やめとこ。もしも緊急の用件があったなら、馬車を追いかけてきたはずだし。
「……ルークさん? 何か気になるものでも……?」
俺の緊張が伝わったのか、不思議そうなリルフィ様――
本日は魔導師としての正装である長衣姿である。長衣といってもリルフィ様の体型にあわせた立体縫製の逸品で、露出こそ少ないがいろいろけしからん。
リボンとか刺繍とか装飾も可愛らしく、なんとゆーか女神様感がすごい。あと袖が吊り下げになっており、何故か肩だけしっかり露出している。どこぞの腋巫女かな?
そんな神聖感溢れるリルフィ様に嘘をつくのはちょっと申し訳ないが、こればかりは仕方ない。「知り合いの魔族さんがいた!」とか言えるわけねぇ。
「いえ、特に何も。前の世界での知り合いに似た猫を見かけた気がしたんですが、もちろん完全に勘違いでした」
ぴくり。
……ん? リルフィ様、なんか一瞬だけ震えた?
「……その方って……もしかして、親しかった女性とかですか……?」
「…………………………いえ? オスの友人ですけど?」
たちまち気配が緩む。
「そう……でしたか。すみません……ちょっとだけ、気になったもので……」
そして優しい笑顔。かわいい……美しい……尊い……ハイライトさんもお仕事再開してる……
……猫依存症って治療法あるのかな……? 彼氏作るとか……? いやしかしリルフィ様を任せられるよーな完璧イケメンなんてそうそういるとは思えんし、いざそうなったら俺も嫉妬で「フカー!!」となるはずだが……
「ふふっ……ルークさんがピタゴラス様を連れてきた時は、ちょっとだけ不安でしたけれど……かえって一緒にいられる時間が増えたみたいで、嬉しいです……」
クラリス様とピタちゃんが意外に仲いいからね、そうなるよね。
この二人……というか一人と一匹、会話はそんなにないのだが、気づくとピタちゃんがクラリス様を抱え込んでいたり、逆にクラリス様がピタちゃんを膝枕したり抱き枕にしたりしている。
どうも互いのサイズ的に、双方安心感があるちょうどいい大きさらしい。
俺はクラリス様より小さいので、寝返りなどで潰してしまわないかという懸念をもたれているが、ピタちゃんはクラリス様よりでかいのでその心配がない。
ピタちゃんもクラリス様を押しつぶしてしまうほど重くはないし、所詮は兎の腕なのできつく抱きしめてしまうこともない。ついでになんかこー、大型犬サイズのピタちゃんは、普通のウサギより柔らかいよーな気もする。もはや体温のあるぬいぐるみ的な抱きごこち。
……ふーむ。
ルークさん、ちょっと考えてしまう。
嫉妬ではない。
もしかしたら、このピタちゃんに、王都でのクラリス様護衛を任せられるのでは……という思案だ。
ライゼー様が「何か起きるかも」と懸念しているぐらいだし、護衛は多いほうがいい。
ライゼー様にはヨルダ様や騎士団の面々がついている。俺はリルフィ様とクラリス様とサーシャさんのお傍にいればいいかな、ぐらいに考えていたが、ここにピタちゃんが加わったことで、守り方の幅が広がった。
たとえば俺が何かと対峙している間に、ピタちゃんにみんなを連れて逃げてもらったりとか……
あるいは、俺がライゼー様の支援に向かった場合、その間はピタちゃんにクラリス様達を守ってもらうとか。
ピタちゃんは精神年齢が幼いとはいえ、武力はAで魔法も使える立派な神獣だ。
とりあえず「もしも危険を察知したら、クラリス様達を守って欲しい」とは伝えておこう。
なにはともあれ、クラリス様達の安全が第一である!