31・懺悔の時間(※亜神から人への)
アイシャさんは宮廷魔導師ルーシャン様(未登場)の愛弟子である。
この子の存在感がどの程度かとゆーと、「格としては子爵級」、「国民への知名度なら伯爵級」という、ちょっと予想外のお答えがきた。
俺にそう教えてくれたのは、頼りになる飼い主、クラリス様である。
「ルーク。ネルク王国の宮廷魔導師は、子爵位以上を賜るれっきとした“貴族”なの。ただし世襲は許されていなくて、一代限りの官僚用の爵位なんだけど……今の宮廷魔導師、ルーシャン・ワーズワース様は伯爵で、アイシャ様はその弟子の筆頭。血縁関係とかはないけれど、ルーシャン様の娘か孫みたいな存在とも言われていて……たぶん次の宮廷魔導師」
……魔導師さんホントに厚遇されすぎじゃね?
あのポンコ……ちょっと言動の軽めなアイシャさんが、将来は宮廷魔導師で子爵様、さらに出世すれば伯爵様なんて可能性があるのか……!
なんで俺が、クラリス様とこんな話をしているかとゆーと。
クラリス様達にあてがわれた客室へ、俺がアイシャさんをご案内しようとした時のことである。
「アイシャ様が相手なら、お父様にも同席していただくべき。二十分後に応接室をお借りして」
と、クラリス様は迷わずご判断された。
理由は複数あるようなのだが、まず何より、「宮廷魔導師からの使者とライゼー子爵抜きで会うのは、ライゼー子爵の面子を潰すことになる」、また「なんらかの交渉事が出た場合、ライゼー様の知識と判断力が必要になる」との仰せである。クラリスさまかしこい。九歳にしてスジの通し方と自らの分をわきまえておられる……!
同時に「ルーク。もう宮廷魔導師に知られちゃったなら、“亜神”のことをお父様に隠すのは無理だと思う。この機会に話しておいて、今後の隠蔽に協力してもらったほうがいいよ」ともご助言いただいた。
……正直、これは俺もそう思う……タイミングを逸した感は否めないが、さすがに潮時だろう。
たぶんヨルダ様からも「あの猫、戦力的にもやべぇ」的な報告がいっている。
その上、奥方様への結核治療薬の提供……こちらはまだ投与中とはいえ、どう考えても普通ではない。
なのにライゼー様は、俺に質問することはあっても、決して問い詰めようとはされなかった。
これはクラリス様に拾っていただいた直後から一貫している姿勢である。すげーと思う。
俺に利用価値がある――と踏んだことも、理由の一つではあるのだろう。
だがそれ以上に、そもそもライゼー様はいい感じに懐が深く、しかも信義に厚い。
俺に対して「不要な詮索はしない」と決めた後は、きっちりとそのラインを守っておられる。
リルフィ様とクラリス様には魔力鑑定で「亜神」とバレてしまったし、“夢見の千里眼”などとゆー特殊能力に至っては完全に不意打ちだったが、もうライゼー様に対しては、隠すより共犯関係にしてしまったほうが良いだろう。
というわけで、アイシャさんには一旦、自室へ戻っていただいた。
この流れは最初から予想していたようで、「それではまた後ほど」と、すんなり受け入れていただけた。
その隙にこちらは、会談の場所として伯爵邸の応接室をお借りする。
さすがに寝室に招き入れるのはマズいようだ。スキャンダル的な意味も含めて、使用人あたりから「密談」と思われると、あらぬ噂を招いて厄介なのだとか。アイシャさんはそれほどの大物なのだろう。
応接室の左右は空き部屋になっており、会談中はここにヨルダ様とサーシャさんが入る。
これは盗聴防止のためで、貴族同士の会談では、左右の部屋にそれぞれの家臣が入るのが慣例となっているそうだ。それを見越して、貴族の邸宅では応接室の左右は概ね空き室か物置になっている。
ライゼー様のお屋敷も「無駄に部屋数多いな」とはこっそり思っていたのだが、そーゆー事情があったらしい。
本来なら片方にはアイシャさんのお付きが入るはずなのだが、生憎とアイシャさんのお付きは馬車の御者と女騎士の計二名だけ。その二人とも館の外に宿をとっており、ここにはいない。
御者さんはともかく、護衛の騎士さんはこっちに泊まるべきだろーと思うのだが……まぁ、何か事情があるのだろう。街に別の用事があるのかもしれない。
さて、応接室でアイシャさんを待つ間。
俺からライゼー様に、懺悔しなければならぬことがある……
「……ええとですね、ライゼー様。今回の会談のきっかけなんですが……実はアイシャ様は、ご自身の特殊能力だか魔法だかによって、俺の正体を知っているようでして……」
「……ほう?」
急に設置されたこの会談に、違和感バリバリのライゼー様。
ここはリーデルハイン領ではなく王都でもなく、まだ旅の道中、お世話になっているトリウ伯爵の邸宅である。
他人の家で、その家の者ですらない要人との事前調整皆無な会談など、どんな爆弾が眠っているかわかったものではない。
相手が「知名度なら伯爵級」とまで言われるアイシャさんともなれば尚更である。
「それは私が聞いても良いことなのか?」
「……はい。実は“魔力鑑定”をしていただいた時に、リルフィ様とクラリス様には知られております。ただ、私が“どうしても!”とお願いして、口止めをさせていただきました。なんというか、その……自分で自分の立場が受け入れられなかった、とゆーか……」
「そういう思いなら多少は理解できる。私も商人になるつもりだった頃、急に“実家へ戻って子爵家を継げ”などと言われて気が動転したものだ。立場というのは、時に自分以外の何かによって勝手に変えられてしまう」
ライゼー様がほんの少し笑ったような気がした。
「言いにくいようなら当ててみようか、ルーク。以前、君は“世界の垣根を越えた時に、神々から不可思議な力をもらった”と言っていた。あの言葉を信じた上で、私は君の正体について、三つの可能性を疑っている。一つ目は、名称は違うかもしれないが、異世界における“魔族”的な存在。二つ目は、神々からこの地に派遣された監視者としての“亜神”。三つ目は、なんらかの事情で故郷を捨てた“神獣”……この中に正解はあるかね?」
俺は思わず目を見開いた。コレが噂に聞くフレーメン反応か!(たぶん違う)
さすがはクラリス様のお父上である。俺が懺悔する前に、もうかなり近い回答へと自力で辿り着いていらした。
俺はソファの上で平伏する。猫業界用語で“ごめん寝”と呼ばれる神聖なポーズである。
「恐れ入りました……! 監視目的などではないのですが、二番目の“亜神”が正解でございます……というか、私自身も本当に、魔力鑑定を受けるまで知らなかった事実でして……! 世界の垣根を越えた時、超越……神様から、“いろいろサービスしておく”的なことは聞いていたのですが、よもやそんな状態になっていたなどとは毛玉ほども思わず……!」
「毛玉……? う、うん。まぁ、そこまで平身低頭せずとも……というか、本当に亜神様となると、その……こちらへ頭を下げられてしまうのも、居心地が悪いというか……」
ライゼー様が苦笑まじりに困惑の声を漏らされた。
同席していたクラリス様が、ため息と共に俺をお膝の上へと抱えあげる。あ。せっかく着替えた夕食用のドレスに抜け毛がついてしまいます……!
「もう、ルークったら……だいたい、ルークがただの猫じゃないってことぐらい、初対面の時点でみんなわかってたでしょ? 問題はアイシャ様の出方よ。もしも、ルークを王家に取り上げられそうになったら……」
「うーん……その心配は少ないと思うぞ」
否定したのはライゼー様だった。
ですよね! 子爵様といえば貴族! その貴族のペットを王家が取り上げるなんて、そんな横暴な真似は……
「いくら猫の姿とはいえ、“亜神”の不興を買うなど、魔族に喧嘩を売る以上に分が悪すぎる。先方は宮廷魔導師だから、そのあたりのことは我々よりわかっているだろう。自分が一番偉いと思っている一部の王侯貴族や余程の不心得者でもない限り、強制的にどうこうという話にはならんよ。ヨルダの推測では……ルークが本気で怒ったら、国がまるごと消し飛ぶかもしれん、と――」
おっちゃーーーーーーん!!
盛りすぎ! 話を! 盛りすぎ!
あとライゼー様の否定の根拠も、俺の予想した方向性と違う!
「ヨルダ様はなにかすごい勘違いをされていると思います……私、そういう戦闘系の亜神ではないので……猫ですし……基本姿勢は食っちゃ寝ですし……」
「すまんな、ルーク。君の謙遜より、ヨルダの勘を信じる。例のケーキを作り出す能力といい、君の力は常識を超えている。もう何が起きても驚かん。その上で、向こうが何か策を練るとしたら……味方に引き込むための“誘惑”、つまり懐柔策だろうな」
「かいじゅーさく」
あまり縁がない言葉だったため、一瞬、意味がわからなかったが、つまりアレか。美味とか美女とか用意されて「こっちにおいで♪」とやられるわけか。ハニートラップか。わお。
クラリス様が、俺の後頭部にもふっと顔を押し付けた。
「……ルークは……どこにもいかないよね……?」
「もちろんですとも!!!!」
俺は元気よく片腕を挙げた。
真面目な話、ちやほやされるのにあんまり慣れていないので、リーデルハイン邸の皆様方ぐらいの距離感のほうが心地よい……
ライゼー様は思案顔である。
「もちろん、ルークの意思次第だが……たとえば爵位をやるとか、領地をやるとか、そういった利益に興味はないか?」
「えー」
やべぇ。誘惑ってそっちか。ガチで興味ねぇ。
「猫の体で爵位なんかもらっても、貴族の人付き合いって大変そうですし……領地経営なんてやたら忙しそうですし、領民の皆様の生活に責任なんてもちたくないですし……そっち方向の誘惑は、誘惑じゃなくてただの嫌がらせですねぇ……」
「……………………神の価値観だな」
いやいやいや! 生まれついての平民ならだいたいそんなもんですって!
ライゼー様が肩の力を抜くように笑った。
「ところで、ルークの正体がわかったところで……今後、私はどうするべきだろう? やはりここは……“ルーク様”と、呼び方も改めるべきでしょうか?」
ヒイッ!
「か、勘弁してくださいッ! そういう分不相応な扱いが怖くて隠していたことですので、どうか今まで通り! 今まで通り、ふつーの飼い猫としてお取り扱いいただければ……ッ!」
ライゼー様、今度は普通に吹き出した。
「すまん、すまん。わかった、その言葉に甘えさせてもらう。しかし、なるほど……そういう所はヨルダと気が合いそうだ。あいつもさんざん堅苦しい仕官を嫌がってな。結局は奥方の後押しで折れてくれた。決め手は“領内が安定しないと、自分達の生活も危うい”……だったかな。あいつは完全に奥方の尻に敷かれているから、私なんぞの説得よりよほど効いたようだ」
隣の部屋からぺちりと額を叩くような音が聞こえた。壁が薄い!
とゆーかコレは、緊急時にはぶち破って突入できる造りなのだろう。一見すると壁紙の貼られた壁なのだが、もしかすると構造的にははめ殺しの襖? 有り得る。
コンコンコンと、引き戸にノックの音が響いた。
……木製の引き戸に、わざわざ金属製のドアノッカーがついているのだ。慣れていないせいか、若干の違和感はある。
「あの……リルフィです。失礼します……」
お着替えと髪のセットに手間取っていたリルフィ様は、まだこちらの部屋に来ていなかった。
おめかしリルフィ様を見るのは俺も初めてなので、少しだけどっきどきである。
まぁ普段からちょー美人さんなので、だいたい想像は……つ……く……?
「遅くなってすみません……まだ、アイシャ様はいらしていませんか……?」
…………………………………………神は実在した!(猫ではないほう)
そーか……ノーメイクでいつものあの神々しさとゆーことは、薄くでもお化粧とかすると、もはやこうなってしまうのか……
「想像つく」とか生意気言ってすみませんでした……!
あとメイク担当のサーシャさん有能。だいたい知ってたけどほんと有能。
本日のリルフィ様のお召し物は、ピンク色のきれいな髪をより引き立たせる、ホルターネックで淡い水色のドレス。
あらわな肩はけしからんが、しかし全体に露出は控えめであり、その意味では上品なはずである。
……はずなのだが、ご本人があまりに魅惑的すぎて、ちょっと、こう……! 谷間など一切見せない構造が、逆に強調につながってるよーな気がしないでもない。服飾デザイナーさん、良い仕事です。
さらにいつもは眼が隠れるほど長めの前髪も、今日はいー感じに整えられており、少し恥ずかしげに頬を染めたそのご尊顔から放たれる暴力的なまでの顔の良さが限凸クライマックス湯けむり旅情地獄変、もう俺、自分が何を言っているのかよくわからない。ちょっと毛繕いしていい?
思考の停止した俺をよそに、リルフィ様はクラリス様の隣へいそいそと腰掛けた。
いやライゼー様、なんで平気なの? いくら親戚っていってもこれ普通に致死量でしょ?
「ん? そのドレスは、ヨルダの奥方の工房に発注したものか?」
「は、はい……そうみたいです……サーシャが寸法を伝えて、用意しておいてくれたみたいで……あの、叔父様の指示だったそうで、ありがとうございました……」
「礼には及ばない……というより、結局はこちらの都合で同席してもらって申し訳ない。人前に出るのは苦手だというのに、気を使ってくれて感謝している」
ライゼー様が軽く頭を下げた。
ライゼー子爵から見たリルフィ様は姪、亡き兄の娘である。疫病による一族の死さえなかったら、互いの立場も「領主の娘とその叔父の商人」になっていたはずで、何かしら思うところはあるのだろう。
が、リルフィ様のほうは性格的に「社交が求められる領主の娘」なんて立場はちょっとおつらいはずで、今は悠々自適の魔導師ライフを送られている。
今回は俺の移動にあわせておいでいただけたが、つまり対外的にはほぼ初お目見えである。不安しかない。
もちろん「リルフィ様が何かやらかす」的な不安ではなく「悪い虫がすげー寄ってくる!」系の不安……
そんなリルフィ様の美しさをこんなドレスで一層引き立たせるとか、ライゼー様の危機管理はどうなっているのか! ドレスは本当によくお似合いだけれども!
ルークさんが理不尽な脳内抗議をしている間に、アイシャさんが応接室へと到着された。
このまま三ヶ月くらいリルフィ様に見惚れていたいのは山々だが、こちらの応接室は晩ごはんまでの約束でお借りしている。
というわけで、いよいよアイシャさんとの会談の時間!