30・猫のツッコミ
さて、邪念のままに女性陣のお着替えを覗くのはさすがにマズいので、紳士なルークさんはこのあたりでお部屋を抜け出すことにした。
断じて「ヒマ」とか「退屈」といった理由ではない。
ここは一階、窓も開く。
防犯のためか、地面までは大人の背丈でも届かない高さがあったが、一応は猫なので降りるだけならば問題ない。
足場もないわけだが、戻る時は……玄関側に回るか、ウィンドキャットさん(ミニサイズ)でも呼び出せば良かろう。
「お着替えが終わるまで、お庭を散歩してますねー。終わったら呼んでください」
「あ……ルークさん……!」
リルフィ様に止められる前に、小さな窓を開けて颯爽とジャンプ!
猫にしか許されぬこの自由さ!
さて、ぽてぽてと四足歩行でお屋敷の前を歩き始めたルークさんだが、窓正面の庭はだだっ広いだけで何もない。
馬車をたくさん停められるように、屋敷の正面には門から続く幅広の道路があり、あとはほとんど芝生、芝生、芝生だ。
リーデルハイン邸もそうだったが、こと屋敷の周囲に関しては、身を隠せるような木々や茂みを作らないのがこの世界の貴族のお約束らしい。
ヨルダ様も以前、「遠征軍の滞在場所の確保と盗人対策」みたいな理由を口にされていたが、事情はどこも同じなのだろう。「どうせだったら全面を畑にしてしまえ」などと農耕過激派のルークさんなどは思うわけだが、まぁ……見栄えというものもある。
一応、屋敷から少し離れたところになら、菜園や兵舎などもある。そしてリーデルハイン邸と大きく違うのは、明らかに「工房」っぽい建物がそこに複数混ざっていること。
とんてんかんてんと、金属を叩く軽快な音が聞こえてくる。
…………作業風景、見たいなー。ご迷惑かなー。バレたら怒られるかなー……
とりあえず、今はやめておこう。優秀な職人さんがいたとして引き抜けるわけでもなし、王都の職人街まで我慢である。
「……猫」
玄関ポーチの日陰で一休みし、ぼんやりとあくびをしていたら、不意に背後から声がした。
俺は後ろ足でしゃかしゃかと首元を掻き、猫のフリに勤しむ。ついでにサービスで一声鳴いておこう。
「にゃー」
「猫……猫だ……」
声の主は若い娘さんだった。
貴族……じゃないな。
明るい茶色の髪、人懐っこそうなくりくりした眼、短めのスカートにニーソと、なんだか野良猫に近づく女子高生を思わせる生き物である。
さすがに制服着用ではないが、上に着ているものも一般人とはちょっと雰囲気が違い、ファンタジー感強めで魔導師か神官っぽい。
トリウ・ラドラ伯爵の領地には魔導部隊が常設されているとゆー話だったし、その一員かもしれない。
娘さんは俺の間近に座り込み、芝生に両膝をついた。
「……猫?」
……ん? なんで再確認? 見た目、完全に猫だよね?
「……猫かなぁ……?」
うたがわれている!?
え? なんで? どうして!?
ルークさん猫擬態モードは、厳しい特訓(継続的な昼寝)の甲斐あって、もはや完璧なはず!?
「……猫……いや、犬かも……」
「なんでやねん!」
ぺしっ。
……しまった。つい反射的に足元へツッコミをいれてしまった。
魔導師風の女の子は……
何故か驚く様子もなく、にっこりと微笑。
「ふふっ、失礼しました、ルーク様。私は魔導師のアイシャと申します」
な ま え を し ら れ て い る !
ウィルヘルム君と同じパターンか!? いや、「ルーク」の名前のほうを知っているとゆーことは、精霊さん経由ではなくてむしろウィルヘルム君側から漏れた魔族の関係者!?
……………………には見えねぇなぁ。
なんかこう、「魔族!」感がない。雰囲気がぽやぽやしてる。
すっとぼけるのを早々に諦めて、俺は二足で立ち上がり、胸元に手を添えて丁重に一礼した。
「……はじめまして、アイシャ様。リーデルハイン家のペット、ルークです。で……なぜ、私のことをご存知なのですか?」
アイシャさんも膝をついたまま、ぺこりと一礼。
「びっくりさせてごめんなさい。私の能力のせいなんです。“夢見の千里眼”という力なんですが、世界に大きな変化が起きた時、その光景を夢の中で知覚できる力で……ルーク様のお姿は、夢を通じて拝見していました。“サーチキャット”という、大魔法を使った前後の光景です」
ヤバそうな人きた。
というわけで、困った時の“じんぶつずかん”!
視線を逸らすふりをして、手を使わずに目の前に本を展開させる。
会話はやめない。
「えっと……アイシャ様は、こちらの領地の魔導部隊の方なのですか?」
「え? いえ、違いますよ?」
……ほんとに何者だ、この子!?
じんぶつずかんの確認を急ぐ。
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■ アイシャ・アクエリア(19) 人間・メス
体力B 武力B
知力B 魔力A
統率C 精神B
猫力 81
■適性■
水属性A 地属性B 拳闘術B 暗黒C
■特殊能力■
・夢見の千里眼
■称号■
・水精霊の祝福
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……………………魔力A。水属性A。
ヨルダ様に続き、“達人”級がきた!?
プライバシーの侵害を承知で次のページ!
そこにはこんな記載があった。
(……“宮廷魔導師ルーシャンの愛弟子”……!?)
あっ! アイシャさんって、そういえばリルフィ様の口から一度だけお名前を聞いたような……
確か精霊が見える人の実例という話だったが、それがこの子か!?
相手の素性を理解してなんとなく腑に落ちたところで、俺は猫の動きで頬を擦った。
かわいさアピールなどではない。この体になって以降、猫っぽい仕草をすると精神がとても落ち着くのだ。思考の切り替えができるとゆーか、一気に冷静になれる。
相手は魔力Aに加え、何故か武力もB……しかも拳闘術B? サーシャさんと同系統? 人は見かけによらぬものである――
俺は“じんぶつずかん”の記載を見なかったことにして、アイシャさんとの会話へ戻った。
「魔導部隊の方ではない……? では、どういったお立場でこちらへ?」
「私は、このネルク王国の宮廷魔導師・ルーシャン様の弟子です」
お。嘘をつく気はないらしい。
「師の使いで、リーデルハイン子爵領に降臨された“亜神”様をお迎えすべく、王都から旅をしてきたのですが……こちらに滞在中、“ライゼー子爵がもうじきお見えになる”と聞きつけ、もしやと思いお待ちしていました。仮に同行されていなければ、領地までうかがうつもりだったのですが……こうしてお会いできたことを、たいへん嬉しく思います」
にっこりと優しい笑顔。(不穏)
……………………………………“亜神”だってバレてるよう。なんでだよう……
夢見のなんとやら、詳しい仕様はまだイマイチ謎だが、結構な精度であるらしい……てゆーかウィルヘルム君には「亜神」なんて教えてなかったはずだし、ホントにどうやって知ったのか。さすがに“じんぶつずかん”ほどの精度ではなかろうが、これは要注意である。
「そんなに警戒なさらないでください、ルーク様。貴方をどうこうしようなんておこがましい考えは持っておりません。私がうかがったのは、あくまでご挨拶のためと……あと、周囲からの失礼がないように、必要な便宜をはかるためです。“ほうっておいてほしい”ということであれば、そのようにいたします」
「ほうっておいてください! ぜひ!」
話の分かりそうな子で良かった!
……しかしアイシャさんは何故か思案顔。
「即答……えー……即答……いえ、まぁ、ご希望に沿うのが第一なので、それは別にいいんですが……それはそれとして、うちのお師匠様がですね。ぜひ一度、お目にかかりたいとも言っていまして……このまま王都へおいでになるなら、ほんのちょっとだけ、宮廷にもおいでいただけませんか?」
「えー」
職人街で魔道具職人さんをスカウトしたいルークさん。宮廷にはあんま興味ない……
や、宮廷にいる人材なんか子爵領に引き抜けるわけないし、形式ばった場所とか苦手だし……
「私に何か用事が?」
「はぁ。亜神様の降臨なんて当代初めての事象なもので、記念にサインとか欲しいみたいです」
…………思ったよりミーハーな動機だな?
え? 師匠何歳? それともサインって、こっちでは何か特別な意味あったりする?
「あと師匠、すっごい猫好きなので、私が夢の話をしたら舞い上がっちゃって――もうご高齢なので、“死ぬ前に是非一度、お会いしたい”と」
「あー」
リルフィ様と同系統の人材だったか!
しかし宮廷魔導師……宮廷魔導師なぁ……偉い人とのパイプはあったら便利そうだけど、子爵家のペットとしてのんびり暮らす分には別に……
あ! でも王家とか、より上位の貴族とかが、俺を(実験動物として)欲しがった場合には、うまく制止してくれたり?
そういう意味での保険ならば確かに欲しい。
よし、挨拶くらいならいいか。
しかし当座の返答はこうである。
「わかりました。私一人では判断がつかないので、飼い主と相談して決めますね」
アイシャさんが微笑んだ。こうしていると本当に女子高生感強い。あ、年齢的には大学生か。
「――なるほど。亜神として招待を受けると大事になるから、あくまで貴族の家臣という立場での扱いをご所望なのですね。ライゼー子爵なら、宮廷からの招待をお断りにはならないと思います」
「いえ。飼い主はクラリス様です」
なんか変な深読みをされてしまったようだが、それはそれとして間違えてはいけない。俺はあくまで「クラリス様のペット」である。
アイシャさんが一瞬たじろいだ。
「クラリス様というと……えっと、ライゼー子爵のご息女ですか?」
「そうですね」
「おいくつでしたっけ?」
「9歳です」
しばし沈黙。
「………………ルーク様は、その……幼女がご趣味ということで……?」
「ひっかきますよ?」
クラリス様の内面的な尊さがわからんとは!
いやまぁ、まだ会ってもいないわけだからそれは仕方ないのだが、それでもこの誤解は酷い。人をなんだと……いや、猫をなんだと思っているのか!
俺の不機嫌を察し、アイシャさんはあたふたと頭を下げた。
「し、失礼しました! あの、当方の第三王女が8歳ですので、もし必要であれば宮廷では同席していただいても……!」
「…………アイシャさん、“余計なことを言わないように”って、お師匠様からきつく注意された上で送り出されませんでした?」
「すごい……! どうしてわかったんですか!? まさかルーク様も夢見の千里眼を!?」
「……いえ、そんな能力はないです」
ステータスと外見以外はポンコツだぞこの子!
見た目がすごく優秀そうな分、なかなかの残念感である。まぁ嫌いではない。油断できない相手よりはずっといい。
「それじゃ、クラリス様達をご紹介しますので、ついてきてください」
「あ、はい。あの……野良と勘違いされると、衛兵達に止められてしまうので……こちらで抱っこさせていただいてもいいですか?」
む。それもそうか。
俺一匹ならクラリス様のお部屋の窓から出入りできるが、この子は玄関から出入りしないとまずいだろう。
「では、ちょっと重いかもしれませんが、よろしくお願いします」
「はい! では、失礼して……わぁ……ふっかふか……気持ちいー……」
割としっかりめに抱えられるルークさん。
そういやこの子、猫力81だったか……そこそこ高めである。
抱っこのついでに喉元をいー感じに撫でられ、ごろごろと喉を鳴らしてしまったが、我ながらこのチョロさには何か対策が必要かもしれない……いずれ本当に誘拐されそう。
しかしわかっていても抗えぬこの心地よさ――
生前の感覚でたとえていうなら、コレはコタツに寝転んだ状態で眠気MAX、明日は休みだきゃっほーいZZZ……的な圧倒的心地よさなのである。おぅいえー。
すっかり猫化した俺を撫で回しつつ、アイシャさんは素知らぬ顔で衛兵さん達に一礼し、颯爽とトリウ伯爵邸の正面玄関を通り抜けていった。