286・賢樹と猫
賢樹ダンケルガは大陸北西の魔族領に生えている。
その姿は、高山と見紛うばかりの巨木である。
樹齢は千年を優に超え、魔族が近隣に居を構えるよりも遥か昔から、この世界を見守ってきた。
世界を守るとか人類を守るとか、特にそういった目的は持ち合わせていない。自身を守る程度のことはするが、彼はあくまで傍観者であり、強いて言えば「存在する」こと自体を目的としている。
自我と思考力を持つとはいえ植物なので、人間とは時間の感覚や生理的欲求の質が異なる。退屈は苦にならないし、数十年単位の休眠も特に問題ない。
魔族という隣人ができてからは、なんだかんだと交流する機会が増えてしまったが、幸運にも良い関係を築けている。
特に最寄りの「コルトーナ家」は付き合いやすい家で、第三子のウィルヘルムに至ってはダンケルガにわざわざ弟子入りしてしまった。
さて、ダンケルガは時折、自らの枝から作成した人間そっくりの「傀儡」を用いて、世界を見聞している。
この傀儡は肌や筋肉の質感まで再現されており、まず普通の人間と見分けがつかない。ただ、額に逆三角形の刺青があるため、それが目印にはなる。
容姿も傀儡の切り替わりに合わせて、時折変わる。
ある時は豪快な冒険者、ある時は優雅な楽人、ある時は老いた魔導師⋯⋯基本的には男性になることが多いが、これは「ダンケルガの話し言葉が男性っぽい」というだけの理由しかなく、姿だけなら女性に化けることも可能である。
とはいえ女性の一人旅は厄介事も多いし、ダンケルガも植物なので男女の機微には疎い。「風変わりな男」という設定のほうがいろいろと立ち回りやすいのだ。
見た目は完全に人間で、植物の繊維と空気の層を用いて肉体の柔らかさすら再現している。ただし怪我をしても血は出ず、飲食物は体内に溜めておいて後で捨てるだけなので、特定の個人と長旅をすると「あ、こいつは人間じゃないな」とバレることもある。
素体も要するに『魔道具』なので、過去には見破られたこともあった。
転移者、転生者、魔族、神獣、亜神⋯⋯単純に優秀な個体も含めると、世間には意外と才ある人材が多い。また突発的な事故や魔獣からの襲撃により、ダンケルガがつい魔法を使ってしまい、それで「人外の存在」とバレたこともある。
つい最近も⋯⋯かつて一緒に旅をした男が、魔族のオズワルド・シ・バルジオに保護されて挨拶にきた。
当時の名とは違っていたが、正体はフロウガ・トライトンというレッドワンドの貴族だったらしく⋯⋯レッドワンドが滅んだため、次は「ファルケ」と名を変えて亡命し、オズワルドが雇ってくれるとのことだった。
バルジオ家に借りができてしまったが、無事の再会は喜んだ。人はあまりに短命で、ダンケルガにとっては一期一会になりがちである。
それでも人は人なりに、短い生を精一杯に生きている。
今のところ、ダンケルガは常に見送る立場だが⋯⋯なるべく長く生きて欲しいとは願っている。
短い生で何を為したかも重要だが、たとえ何も為せずとも、「存在」していたというだけでそこには価値がある。植物の世界は、存在すらできなかった、芽吹きもしなかった種子達の上に成り立っている。土に還ったそれらの成分は、次代につながる糧となる。
人は火葬されることが多いようだから、肉体的な意味での養分にはなりにくいが、それぞれの自我をもって他人と相互に影響し合うことができる。
かつて「瘴気」がこの星を支配していた時代には、生物的に弱い立場だったが⋯⋯亜神ビーラダーが瘴気浄化システムとしての「迷宮」を創造、整備したことによって、たった四~五百年ほどで、人類はその数を大きく増やした。
ダンケルガはその時代の変遷を、傀儡の目を通して見てきた。
もちろんビーラダーとも会ったし、おもしろいと思って協力もした。自身の素材を使ったトレジャーなども提供している。
ただ⋯⋯彼の試みが成功するかどうかについては懐疑的で、正直に言えば失敗するだろうと思っていた。協力したのは彼の思いを汲んだからであって、成功までは期待していなかったし、「成功したらどうなるのか」も想像できていなかった。
ダンケルガにとって、「そもそも世界は瘴気に覆われたもの」であって、それ以外の世界を彼は知らなかったのだ。
しかし、いざ迷宮が機能し始めると地上の瘴気は格段に減り――魔獣の凶暴化は落ち着き、人類の生息圏が広がり、気候的な大災害までもがその頻度を減らし始めた。
だから今では、ビーラダーこそがこの世界を救ったのだと断言できる。
世間では「人類に迷宮をプレゼントした亜神」という程度の認識だが、彼はもっと大きな変革を成功させたのだ。
その功績を喧伝しなかったのは、ビーラダー自身がそう願ったからである。
『迷宮の本当の役割、その仕組みを不特定多数の人々が知れば、これを逆手にとって悪用する連中が必ず出てくる。だから、そういう悪用をしない少数の賢人だけが事実を知っておけばいい。具体的には⋯⋯貴方やカブソンが判断して、話したいと思った相手にだけ話すといい。世間には広めずにね』
⋯⋯彼は元・人間であったがゆえに、「人間には信頼に値する者とそうでない者が混在している」という、当たり前の本質から目を逸らさなかった。
人に対して過度の期待も絶望もしなかったという点では、ダンケルガとも近い立ち位置だった。
そのビーラダーが、ダンケルガの「体内」にインスパイアされて製作した『禁樹の迷宮』が⋯⋯先頃、遂に人類によって発見された。
魔道具の素材として貴重な「琥珀」を産出するという、他と比べても有用性の高い迷宮である。
産出物に関しては、ビーラダーが好き勝手に決められるわけではなく、気候風土に合うものしか作り出せないという制限があった。
ドラウダ山地は山深い樹林地帯だったので、魔物の体内に低~中確率で琥珀が発生するように調整できた。
古楽の迷宮は平地なので、さして珍しくもない魔光石くらいしか作れず、管理者のカブソンがよそから楽器を調達してくることで財宝、あるいはドロップアイテムとした。
迷宮を「神殿」「神域」として扱っている地方では、迷宮に捧げ物をする。この捧げ物が、遠方の迷宮において財宝として配布される。その見返りに、捧げ物をした側は精霊からの助力を得る。
それはたとえば豊作であったり、天候の調整であったり、豊富な湧水であったり⋯⋯たまに提供するダンケルガの枝葉なども、職人にとっては貴重な素材となる。
このトレードには魔王や一部の魔族も多少絡んでいるのだが、世間的にはあまり知られていない。
ともあれ、ドラウダ山地の『禁樹の迷宮』は、ダンケルガにとっても「自身をモデルにされた」という点で少しばかり思い入れがある。
だからあそこには、特別な財宝も提供した。
たとえば、ダンケルガが自ら魔力を込めて生成した「神樹の雫」と呼ばれる最上級の琥珀。
これはダンケルガでさえ数十年に一つずつしか作れず、おそらく世界に数十個しか存在しない。当然、失われたものもあるだろうから、魔族が所持しているものも含め、現存数は十数個程度かもしれない。
それから香木⋯⋯これは「ただ良い香りがするだけ」で、しかも削って焚けばなくなってしまう消耗品である。
ダンケルガにしてみると「それに何の価値が?」と不思議に思うばかりなのだが、ビーラダーは「貴重品扱いにしてうまく価値をつりあげれば、王侯貴族に高値で売れる」と自信たっぷりだった。
実際、その通りになっているらしいのだが⋯⋯ダンケルガにはよくわからない。アレは自分の体皮のうち、単に古くなって剥がれた部分である。そのままでは朽ちやすいため、多少、魔術的な処置をする手間はかかるのだが、そこまで高額で取引するようなものでもない。
もっと良いものとして、「燃え尽きない枝」も提供した。
見た目はぐにゃぐにゃと良く曲がる奇妙な枝なのだが、火をつけると最大で半日ほど燃え続ける。
燃やしても炭や灰にはならず、半日後にはまた火をつけられるようになる。
例えば鍋などを置きやすい形状にしてから、これに火をつければ、旅先でも簡易コンロとして役に立つ。
この枝には、自然界の精霊がもたらす魔力を溜め込む性質がある。燃やしているのも「枝の組織」ではなく「枝が溜め込んだ自然界の魔力」なので、魔力が尽きれば火は消えるし、しばらくするとまた枝に魔力が溜まる。つまり「繰り返し使える薪」なのだ。
⋯⋯しかしビーラダーの反応はイマイチで、「薪で良くない?」などと言われてしまった。
携帯性と、薪が手に入りにくい地域での有用性こそ認めてくれたが⋯⋯焚けば無くなる「香木」よりも軽めに扱われるのは、少々納得がいかない。そんなわけで数を絞って、ビーラダーの言う「希少価値」を高めておくことにした。
そのため世間にはまだほとんど知られていないが、いよいよ『禁樹の迷宮』が稼働し始めたのなら、これから世に広まっていくだろう。
最後に、とっておきの「財宝」も用意したが⋯⋯これに関しては、ビーラダーからも「やりすぎ」「下手すると価値と用途が伝わらない」と苦言を呈された。
見た目は、水滴が少し湧くだけの一枚の葉っぱ――
化粧箱(排水口つき)を含めた神々しい雰囲気や、壊れない、燃えない、暗所で淡く光るなどの特徴により、「普通の葉ではない」との見当はつくだろうが、しかしそれでも所詮は「葉っぱ」である。
だがその内部にはちょっとした規模の亜空間があり、複雑な機構の魔道具が内包されている。
手っ取り早くいえば、それは瘴気に侵食された土地を一定範囲まで浄化し、精霊達の加護をもたらす品で、いわば結界の要になる。
五百年前の世界であれば人類の生存圏を一つ増やせる大秘宝だったが、迷宮が稼働している今の世界では、用途が限定的かもしれない。
それでもいざという時の保険にはなるし、人が住むのに適さない土地を無理矢理にでも変化させられる。砂漠にオアシスを作る程度のことは造作もない。
少々大仰とは思いつつ、『新世界の葉』と名付けた。
役に立たなければそれで良いし、使う機会も来ないほうが良い。
ビーラダー風に言えば、これは「保険」であり「安全策」であり、場合によっては「最後の希望」になり得る。
いたずら好きの猫チャン(サバトラ抜刀隊)が、『禁樹の迷宮』の隠し宝物庫からすでにそれを回収済みであることを、ダンケルガはまだ知らない。使い方も宝物庫の壁面には書いておいたのだが、所詮は猫なので読まなかった。なまじ模様っぽくして、かっこよく書いておいたのも良くなかったかもしれない。
亜神ビーラダーが迷宮の製作を終え、この世界から去った後も⋯⋯
ダンケルガは折に触れて、傀儡の目を通し、人の世を観察してきた。
ダンケルガは魔族でも亜神でもないので、地脈を利用した転移魔法は使えない。
その代わり、世界の各地に埋め込んだ「種子」を門代わりにして、傀儡を移動させる術を開発した。
基本的には「人目につかない場所」を選んで設置したつもりだったが、数百年も経ち人が増えた影響で、人間達の生活圏と近づいてしまったものもある。
本体に万が一の事態が起きない限り、基本的に芽吹く予定はないからそれでも問題ないのだが、麓に町を作られたり、観光地として登られたり、あるいは採石場扱いされるのはさすがに困る。
そのため「種の岩」には、ある種の「センサー」を仕込んである。
採石などの目的で故意に傷をつけると呪詛が発動し、常人の場合は数日間の体調不良⋯⋯頭痛や吐き気、警告の悪夢などに襲われる。
一部の地域には「種守」と呼ばれる協力者もおり、彼らが岩に触れて思念を送ると、ダンケルガにそれが届くという仕組みもある。
それからもう一つ。
亜神や転生者、転移者といった類の「珍しい称号持ち」が接近した場合にも、本体側に警報が鳴る。
かつてビーラダーと出会ったのも、彼が「種の岩」の麓で一休みしたことがきっかけだった。あの頃はカブソンもただのペットのカワウソで、よく傀儡の指や髪をかじっていたものである。
そして、この日――
しばらくぶりに、ダンケルガの元に「種子」から警報が届いた。
高山の如き大樹たるダンケルガは、根を張った大地から動けない。もしも動けたら、地が割れ鳴動し大騒ぎになるだろうが、そんな能力は備わっていない。
だから、こうした時には「傀儡」を使う。
精霊達が操る傀儡は「依代」とも呼ばれ、その中には戦闘をこなす鎧のような意匠の素体も存在するが、ダンケルガが扱う傀儡は先述通り、見た目では人間と区別がつかない。表情もあるし口も利ける。飲食は「食べたふり」だけだが、人間に紛れて旅をするには充分なクオリティがある。
「どれ⋯⋯久々に出向こうか」
大樹の奥深くにある、太く頑丈な蔦に覆われた部屋の中央で⋯⋯ダンケルガの「傀儡」は、円を描くように設置された丸い琥珀の一つ、光を宿したものに手を触れた。それぞれが各地の「種子」と連動しており、アラームを発するだけでなく、転移時の基準点としての役割を果たしている。
今回の転移先は、ネルク王国南方⋯⋯
その地にある「種の岩」は広大な耕作地に囲まれており、周囲に人家はない。
かつて「ファルケ(フロウガ)」や「ヨルダ」と共に、隊商にくっついて旅をしたあたりである。
あの時は道中で魔獣に襲われてしまい、これを撃退した。
少々、高火力の魔法を使ったせいで、当時のファルケからは「魔族」と勘違いされたようだが⋯⋯二人の態度にこれといった変化はなく、その後の旅路も楽しかったのを記憶している。
まだ二十年も経っていないはずなので、懐かしいというほどのことはないのだが、短命な人間にとっては長い歳月だろう。ファルケも年相応に老けていた。
転移したダンケルガは、姿隠しの結界に紛れ、丸い岩山の側面から周囲の様子をうかがう。
変な猫がいた。
後ろ足で立ち、種と地面の境目付近を観察しながら、焦点の合わない目を見開いている。あれは宇宙の深遠を見る目である。
その後ろには身なりの良い貴族の子供と、何やら神々しい気配をまとった有翼人の子供と、褐色肌の美女⋯⋯おそらくは獣人がいた。南方の黒狐人だろう。滅多に人里には出てこないので、珍しいことは珍しい。
しかし問題は猫である。
柄はキジトラ。数百年前に知り合った黒猫とは様子が違うから、明らかに別個体⋯⋯あちらはなんというか、猫なのに伊達男だったが、こちらはもっと性格が緩そうというか⋯⋯まとう雰囲気がぽやぽやしている。
何かに驚いて放心、硬直している今でさえ、その本質的な緩さを隠しきれていない。一目で「あ、こいつは撫でても大丈夫そう」とわかる。思い返せば、出会った頃のカブソンとか割と凶暴だった。当時はだいぶかじられた。
ダンケルガは思案する。
傀儡の体に何があろうと本体には影響ないので、さしあたって危険はない。
もちろん現時点で敵対する気はないので、相手の出方次第なのだが⋯⋯幼い子供連れでもあるし、猫の様子からして話は通じそうな気がする。
対話は大事である。人は「言葉」を得たことで獣から一つ抜きん出た。
植物は能力を「生育」と「繁殖」に振った。獣はそれらを少し削る代わりに「運動」と「思考」を得た。人はそこからさらに「言葉」を得て、言葉から「文字」を生み「記録」をも得た。
記録を得たことで情報の伝達が効率的になり、「書物」や「石板」を通じて、当人の死後にも時を超え知識・思想を伝えられるようにもなった。
この能力を人は当たり前のように駆使しているが、ダンケルガにしてみれば驚異であり脅威である。
樹齢千年を過ぎてなお、ダンケルガにとって人類とは「言語の師」であり、「記録技術の先達」なのだ。
さて、この猫は言語を操れるのかどうか⋯⋯
ダンケルガは姿隠しの結界を解き、ゆっくりとした足取りで彼らに近づいていく。
「やぁ、こんにちは。こんな人気のないところで、何かお困りかね? 道迷いとも思えんが」
気安い態度で声をかけると、その場の全員からびっくりした顔で見られた。
子供二人と女性はまぁいい。猫までそんなあからさまにびっくりしなくても⋯⋯と、苦笑しつつ、あまり警戒させないよう、ある程度の距離で立ち止まる。
最初に口を開いたのは、やはりというべきか、唯一の年長者と思しき褐色の女性だった。
「いえ、迷子ではありません。旅の途中でして⋯⋯地元の方ですか?」
子供とペット連れで旅を? などとは問いたださず、ダンケルガは笑顔を浮かべる。
「ふむ、そうか。私も旅人だ。名はダンケルガ。初めてお目にかかる」
⋯⋯猫があんぐりと口を開けたまま、二足歩行で普通に後退りをした。あまり動揺を隠す気はないらしい。
身なりの良いほうの子供が、ふと不思議そうに首をかしげる。
「だんけるが⋯⋯? ⋯⋯あっ!? もしかしてハズキさんのバイオリンを作った方ですの!?」
その名に心当たりはなく、楽器職人になった記憶もない。ただ、「楽器用の素材」を提供したことならある。おそらく「ダンケルガのバイオリン」のような形で名が伝わったか。
「残念ながら、その楽器は私が作ったわけではないよ。しかし、関係はあるかもしれぬ」
笑顔で返しておいて、ダンケルガは次の言葉に迷った。猫が只者でないことは、先程のアラームでもうわかっているし、それぞれの称号も見えている。
子供二人と女性が持つのは、それぞれ『亜神の加護』⋯⋯つまりこの三人すべてが亜神の関係者である。
一方、猫のほうは複数の称号がいくつも重なってしまって読み解きにくいが、かろうじて『猫を救いし英雄』『風精霊の祝福』はわかる。
他には⋯⋯トマトの導き手⋯⋯? うどんの下僕? 奇跡一級? 英検打ち名人⋯⋯?
ちょっと多すぎて混ざってしまい、まともに解読はできないものの、ただの猫でないことだけは明らかだった。
対応を少し考えてから、ゆっくりとその場に膝をつく。
「此度の亜神殿は、どうやら我が名をご存知らしい。お会いできて光栄だ、うるわしき猫殿。御神名をうかがっても?」
驚き立ちすくむ猫に視線を向け、ダンケルガは優雅に微笑む。傀儡にとっては「いつもの表情」であり、もはや特に意識せずともこの顔になる。
猫の亜神はピンと立てた尻尾の毛を逆立たせ、ややコミカルなポーズのまま、その場で固まっていた。
§
なんたる⋯⋯なんたることか⋯⋯っ!
このタイミングで現れた「ダンケルガ」氏の存在感に、俺は圧倒されていた。
見た目は若い兄ちゃん。
黒髪黒目で、額には小さな逆三角形の刺青がある。ウィル君やファルケさん、ヨルダ様達から事前に聞いていた通りの見た目だ。
雰囲気は柔らかく、曲者感も特になく、人々の中に埋没しがちな⋯⋯割とモブ感のある造形である。
その上で異常なことに⋯⋯『じんぶつずかん』はもちろん、『しょくぶつずかん』にも載っていない。
これは何故か? 理由は推測できる。今の彼が本体ではなく「傀儡」だからだ。俺の『◯◯ずかん』は、本人・本獣・本体を俺自身が視認しない限り登録されない。
種(※岩山)のほうは辛うじて植物扱いなのだろうが、この傀儡はおそらく「魔道具」扱いである。もうこの時点で、俺にとっては「やべぇのが来た!」感がすごい。
⋯⋯おそらくこちらの「種の岩」には、何らかのセンサー的なものが仕込まれていたのだろう。うちの猫さんはそれを感知して「怪しいな!」と警戒し、同時にダンケルガ氏も、俺と猫さん達の接近に気づいて確認のため転移してきたものと思われる。
いや、それはともかく。
俺がどうして、こんなにも激しく動揺しているのかといえば⋯⋯
『にゃーん』『にゃー』『うなー』
⋯⋯うちの子達が! ダンケルガ氏の足元に! 擦り寄りながら転げ回っている!
あれは⋯⋯あの反応は⋯⋯! そう、「 マ タ タ ビ 」!
⋯⋯ダンケルガ氏の「傀儡」は、なんとマタタビの権化であった。
ウィル君から「ものすごい大樹」「ほとんど山」とも聞いているし、厳密には違う種なのだろうが、少なくともあの傀儡はマタタビと似た成分を発していると思われる。危険。あれは危険。俺も近づいたら、きっと「にゃーーーーん!」してしまう⋯⋯っ!
マタタビに含まれるネペタラクトールという成分には、「蚊」を寄せ付けないという素晴らしい効果がある。ご存知の通り、蚊は伝染病や寄生虫を媒介するため、人にとっても獣にとっても大変に危険な虫だ。
獣はマタタビの成分を体に擦り付けることで、一時的な防虫効果を得られる。
おそらく進化の過程において、「この行為」を続けた個体が生き残ってきたのだろう。
ゆえに適者生存の原則にのっとり、多くの猫さんはマタタビが大好きで、その匂いに反応し「にゃーん」してしまう。これは遺伝子レベルで根付いた我らの習性なのだ⋯⋯!
しかし俺とて亜神の一柱!
この程度の誘惑に負けるわけにはッ⋯⋯!
「にゃーん」
数分後。
俺はダンケルガ氏の腕に抱っこされ、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。
ちゃうねん。マタタビに負けたわけではない。これは戦略的韜晦であり、すなわち獲物を油断させにゃーんにゃーん。(油断しきった顔)
「ルーク様⋯⋯ゴキゲンですわね」
うらやましそうなセルニア様⋯⋯
「ダンケルガさまは、猫さまの扱いが上手⋯⋯」
ソレッタちゃんは尊敬の眼差し⋯⋯
「あ、あの⋯⋯つまり、ダンケルガ様はウィルヘルム様のお師匠様というご関係で⋯⋯?」
ジャルガさんは健気にも、ダンケルガ氏の事情説明についていってる⋯⋯
「うむ。いや、ルーク様のことはまだ聞いていなかったが⋯⋯ウィルヘルムやアーデリアが、人の世と積極的に関わり始めたことは聞いていた。またオズワルドも先日、挨拶に来てな。私の友人のファルケを連れてきてくれた。今にして思うと⋯⋯ファルケを救ってくれたのもルーク様かな? いろいろと腑に落ちた」
「うにゃあ」
あー⋯⋯キマってきたぁ⋯⋯(※マタタビによる恍惚感)
亜神はちょっと脱力状態なので、対応は大人のジャルガさんに任せてしまう。ごめん。
「それで、あの⋯⋯ダンケルガ様は、いかなるご用件でこちらに?」
「いや、特に用事があったわけではないのだ。ただ、『種の岩』に、珍しい称号を持った方々が近づいたものだから⋯⋯それに気づいて様子を見に来たら、貴方達がいた。亜神との縁は貴重だから、この機会にご挨拶だけさせてもらおうと思うてな」
ダンケルガさま⋯⋯猫撫でるのじょうず⋯⋯(ごろごろ)
やはり亀の甲より年の功。おじいちゃんおばあちゃんはだいたい猫と相性が良いのだが、この理屈でいくと千歳オーバーのダンケルガ氏の猫撫で技能はまさしくチートである。コレが木製の傀儡ってマ?
かくして猫は、期せずして賢樹ダンケルガ氏との御縁を得てしまった。
さっそく今夜あたり、クラリス様達にもご報告せねばなるまいが、その前に何か忘れているような⋯⋯
「ところでルーク様、南方の土質調査というのは、もうよろしいんですの?」
⋯⋯⋯⋯⋯⋯あっ。
セルニア様の涼やかなお声によって、俺はようやく正気を取り戻した次第である。どっとはらい。
⋯⋯確定申告の季節ですね(ノД`)(※どこかのタイミングで更新が遅れそうなフラグ)
さておき、コミックポルカで三國先生の漫画版・猫魔導師、29話が更新されました!
ルーシャン様の信仰心が微笑ましいほのぼのエピソードです(おめめぐるぐる)
猫様への信仰の云々は書籍版で書き加えた部分でしたが、漫画で読むと猫様のお姿もついて説得力がマシマシで素晴らしいです。やはり猫⋯⋯猫はすべてを見ている⋯⋯
ご査収ください。




