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我輩は猫魔導師である! 〜キジトラ・ルークの快適ネコ生活〜  作者: 猫神信仰研究会


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281・夜の猫


 ラライナ・ネルク・レナードは、幼い頃、猫に引っかかれて発熱し、生死の境をさまよったことがある。

 以来、猫がどうにも苦手で⋯⋯要人の中にも猫好きは多いし、イメージにも影響するため「嫌い」とは公言していないが、視界に入るとつい身構えてしまう。


 あの爪が怖い。あの牙が怖い。鋭い目つきが、素早い動きが、意外と骨ばった硬い四肢が怖い。これらの多くは犬にも共通するので、要するにペット全般が苦手といっていい。


 もちろん、移住した離宮でも猫を飼うつもりなど一切なく、はじめのうちはただぼんやり日々を過ごしていた。


 そんな気鬱気味のラライナを見かねたか、ある時、息子のロレンス(※留学前)が「神殿から演奏者を招いてみませんか」と提案してくれた。


 古楽の迷宮から得られる魔道具の楽器により、オルケストは昔から『音楽の街』としての地位を確立している。


 聖教会のライブ⋯⋯コンサート⋯⋯否、『音楽会』は観光資源にもなっているし、優秀な演奏家には貴族や商人のパトロンもつく。その経済効果は馬鹿にできない。


 とはいえラライナは特に誰かを支援したことはなかったし、そんなことに無駄金を使うつもりもなかった。

 なにより王都にいた頃は、政務や要人との会合に忙しく、おちおち音楽など聴いている暇がなかった。夜会ではBGMとして流れていたが、あの場で曲に耳を澄ませる暇などあるはずがなく、挨拶、会話、駆け引きで大忙しだった。


 世間では「観劇や拳闘の観戦などにうつつを抜かすのが貴族のたしなみ」などとも言われるし、この認識も決して間違ってはいないのだが、「要職についている一部の貴族」は真逆の生活をしている。

 すなわち、朝から晩までみっちりと忙しい。

 手紙や書類のチェック、家臣に代筆を任せるにしてもその指示と確認、様々な派閥の会合、式典への出席、諸侯や商人からの陳情の整理、夜会での人間関係構築、自国と他国の情勢分析と把握⋯⋯


 いかに権力者といえど神経をすり減らすし、ことにラライナのような調整型の王妃は各所に対して強く出られず、丁寧な話し合いを重ね続けるばかりだった。


 年齢を重ねるにつれて摩耗の度合いは激しくなり、疲れているのに夜は眠れず、眠気を抱えたままでまた政務に励み、王のやらかしの尻拭いをする――


 政争に敗れ、王都を離れ、この離宮での生活を始めてから、ようやくあの頃の自分がまともな思考力すら失いかけていたことに気づいた。


 ロレンスの勧めで新人の演奏家『ハズキ・シベール』を離宮に招いたのは、ちょうどそんな時期のことだった。


「はじめまして、ラライナ様。聖教会の神官、バイオリン奏者のハズキ・シベールと申します」


 寡妃相手にも物怖じしない、ほがらかで⋯⋯それでいて、きちんと礼節もわきまえた若い神官だった。白い神官の衣は真新しく、失脚したとはいえ「王族」相手の独演に気合をいれてきた様子がうかがえる。


 さっそく、邸内で少人数の演奏会が始まった。


 演奏は素晴らしかった。

 軽やかで流麗な音色は艶めかしいのに清涼感すらあり、気分がすっとしたし、神経が安らぐ感覚もあった。


 魔道具の楽器の音色とは、通常の楽器と比べてかくも違うものかと驚いたが⋯⋯これはラライナの誤解で、ハズキの演奏技術とバイオリンが特別なだけだと後日判明した。


 彼女はその後、月に二、三度のペースで演奏をしに来てくれるようになり、ロレンスがホルト皇国へ留学する頃には、ある程度まで気安く話せる関係になっていった。


 演奏会の前後には差し向かいで茶を飲み、ちょっとした世間話もした。

 身分の違いは大きいものの、神官ならば貴族の話し相手も務まる。「釣り合い」という意味では最低でも司祭、その上の司教あたりが適任だが、同性の気安さというものもあるし、なにより「演奏家」と「その庇護者」の関係である。金は演奏料くらいしか出していないが、「寡妃ラライナのお気に入り」という箔は神殿でも社交会でもハズキの武器になる。


 母娘ほど年齢の離れたこの人懐っこい娘の成功を、ラライナは本心から願っている。そう応援させてしまう人徳が、彼女には確かに備わっていた。


「ロレンス様は留学をたいへん楽しみにされていたみたいですね! 出立前に、私にまで丁寧なお手紙をいただきましたが、まるで文面が弾んでいるようでした」


 微笑ましげに話すハズキへ、ラライナは少し困って曖昧な笑顔を向ける。


「⋯⋯きっと、清々したのだと思います。ここから離れられて⋯⋯あの子にとっての私は、決して良い母親ではありませんでしたから⋯⋯」


 この離宮で共に生活をし始めて、ようやく――

 ラライナは、自分がロレンスのことを「本当に何も知らなかった」ことにやっと気付かされた。


 政務の多忙を理由に、親子の時間をまったくとろうともせず、乳母と⋯⋯それから、名すら把握していない老いた司書に任せっきりにしていた。


 その司書がカルディスという男爵で、ロレンスの近衛騎士を務めているマリーシアはその孫だと知ったのも、王位継承を巡る政争が起きた後のことだった。


 ロレンスが、兄のリオレットの即位を支持すると表明し、自らは身を引くと宣言したあの(・・)会議の席上にて。


 ラライナは、ロレンスに「裏切られた」と思った。


 だが、こうして隠棲し、政治や人付き合いから離れ、落ち着いて自らの行状を振り返ってみれば――なんのことはない。ラライナはとっくの昔に、幼い実の息子から「見限られていた」のだ。

 あの会議の席では、その事実がただ表面化しただけにすぎない。もっと昔から、取り返しのつかないレベルで、ラライナは失敗し続けていた。


 その事実に思い至った今では、もはやロレンスを正視できない。

 いまさら母親面などできるわけがないし、ロレンスももう自分を必要とはしていない。


「⋯⋯きっと留学などは口実で、ロレンスはただ、私の元から離れたかったのだと思います。血の繋がりに甘えて放置し続けた挙げ句、王位継承問題が持ち上がった途端に手駒として利用しようとした⋯⋯そんな親、見限られて当然ですわ」


 自嘲が漏れた。

 相手が年下の、何の政治的背景も持たない娘だからこそ、つい漏らしてしまった本音だった。


 ハズキは驚いたように目をしばたたかせ⋯⋯

 即座に、「いいえ!」と力強く否定の言葉を紡いだ。


「ラライナ様、それは違います! ロレンス様からいただいたお手紙には、『ラライナ様のことをくれぐれもよろしく』と書かれていました。見限るなんてとんでもない誤解です」


 あまりに断定的な物言いに、ラライナは一瞬、呆気にとられた。ハズキとロレンスはそんなに親しいのか? と不思議に思ったが、そういえば演奏会の後、こそこそとよく何かを話していた気もする。


 ハズキは身を乗り出すようにして、さらに言い募る。


「実の母親であるラライナ様からそんなふうに思われてしまったら、ロレンス様だって悲しまれます! ロレンス様はわかっていらしたんですよ、ラライナ様が、あまりにお疲れだと⋯⋯一度、政治から完全に離れて、少し長めに静養するべきだと⋯⋯お手紙にも書いてありました。ラライナ様は今まで、あまりに多忙すぎて気が休まる暇もなく、なのにそれが当たり前になってしまっているから⋯⋯だからここでは、ゆっくり静養してほしい、って」


 ハズキはいかにも神官らしい、楚々とした笑顔で話し続ける。


「ロレンス様が私を招いてくださったのも、私の演奏が、少しでもラライナ様の気晴らしになればと⋯⋯そういう思いからです。特にこのバイオリン、『夜の猫』には、聴く人をリラックスさせる効果があるらしいので⋯⋯ふふっ、ここだけの話ですけれど、酒場で弾くと、酔っ払った人達がみんな寝ちゃうんですよ」


 くすくすと笑うハズキにつられて、ラライナも笑みをこぼした。そのまま笑うふりをして、こっそりハンカチで目元を拭う。


 ⋯⋯そういえば、ロレンスは優しい子だった。

 ハズキの言う通り、すべてはラライナの「考えすぎ」、あるいは「妄執」なのだろう。権謀術数の世界に身を置きすぎて、なんでも警戒して悪いほうへと考える癖がついている。

 今の自分は、我が子の考えていることすら、他人に教えてもらわなければならない。

 せめてロレンスが留学から帰ってくる数年後までには、もう少しまともな母親になっておきたいと切に思った。


 その後もバイオリン奏者のハズキは、ちょくちょく演奏に来てくれた。

 ラライナの側も神殿の音楽会へ出向き、貴賓席からハズキのうちわを振って応援したりもした。

 通ってみればなかなか楽しく、地元名士の知り合いもできたし、同担の仲間も増えた。

 ハズキのファンは老若男女を問わない印象だったが、特に高齢層からの受けが良いらしく、たぶん理想の孫のように見えているのだろう。気持ちはわかる。


 そして、年が明けた頃。

 新年の挨拶も兼ねた演奏会の日に、


「今日は良いお天気ですから、外で演奏をさせていただいてもよろしいですか?」


 と、ハズキから誘われた。

 その日はまるで春のような陽気で、風もなく暖かかった。

 だから外に出るのは別に構わなかったのだが⋯⋯


「日差しの下では、楽器によくないのではありませんか?」


 楽器の中でも、特にバイオリンは日差しに弱いはずである。

 神殿の音楽会でもバイオリン奏者は建物の陰になる時間帯を選ぶか、あるいは日除けを作った上で演奏に臨む。


 ハズキはいつものように、木製のケースから漆黒のバイオリンを取り出した。木目は見えず、艶々とした光沢があり、まるで磨かれた黒曜石のようでもある。


「いえ、このバイオリン、『夜の猫』は特別なんです。誤解を招くと困るので、音楽会では他の奏者と同じく日陰を作っていますが⋯⋯本来は『陽の光、月の光から魔力を吸収し、より伸びやかに音を響かせる』という特徴があります。この表面の黒い光沢も塗料ではなく、素材が自然界の魔力に反応して結晶化したものらしいです。だから少しくらい傷がついても、外で演奏していれば数日で塞がってしまうとか⋯⋯さすがに怖くて試してませんが」


 迷宮産の魔道具の楽器は、その特徴も様々である。

 基本的には『遠くまで音を響かせる』とか『音の表現の幅広さ』を持ち味としているが、自己修復機能というのは極めて珍しく、その意味でもこのバイオリンは「当たり」なのだろうと理解できた。


「そのような素材が⋯⋯さぞ貴重なものなのでしょうね?」


「みたいです。なんでも『賢樹ダンケルガの枝』とか⋯⋯博識な知人が『とても貴重なもの』だと目を丸くしていました」


 枝からバイオリン? と少し首を傾げたが、おそらくそういう名称の木材なのだろう。たぶん「きつねうどん」(狐は入っていない)みたいなものである。


「賢樹ダンケルガ⋯⋯古い童話か物語に出てきましたっけ?」


「そうなんですか? 私は初耳だったので⋯⋯さすがラライナ様は博識ですね」


「いえ、勘違いかもしれません。忘れてくださいね」


 ラライナはテラスの椅子に腰掛ける。

 屋敷の周囲は閑静な林で、正面には美しい湖がある。王族の離宮として作られただけあって、実に風光明媚な環境ではある。

 人口の多いオルケストの街は騒々しいというのに、馬車で二十分ほど離れただけでこうも環境が変わるものかと最初は驚いた。


 ハズキはテラスを降りて、芝生の上に立つ。


「それではご披露いたします。『キジトラのロンド』⋯⋯」


 流れ始めた曲は、ラライナの知らない新曲だった。


 軽快なメロディはややコミカルなほどで、心が浮き立つ楽しい曲だった。

 誰もがつい踊りだしてしまいそうで、ラライナでさえ自然とリズムをとってしまう。

 こっそり見れば、警護の衛兵達まで頬が少し緩んでいた。


 その演奏が始まってから、ほんの一分ほどで⋯⋯妙なことが起き始めた。


「にゃーん」「なー」「なーご⋯⋯」


 林の奥から出てきたのは、5匹ほどの猫。

 ハズキの周囲をぐるぐると歩き回る者、前足を掲げて踊るような仕草をする者、音色にあわせて「にゃーん」「にゃー」と歌う者⋯⋯さらには普通に立って踊り出した猫も二匹いる。


 ラライナは恐怖も忘れて呆けてしまう。信じ難いものを見た時、人の思考は停止するものらしい。

 衛兵達も驚きすぎてぽかんとしている。


 ハズキは猫達に笑顔を向けつつ、楽しそうにバイオリンを弾いている。

 本人もゆったりと、それでいて軽やかなステップを踏んでいるが、演奏には乱れがない。いや、動きによる乱れすらも旋律に組み込んでいるようで、それがかえって曲の躍動感につながっている。


 やがて、新曲「キジトラのロンド」の演奏を終えたハズキは、さっそうと一礼した。

 集まっていた猫達も歌や踊りをやめ、じっとハズキを見上げている。


「あはは⋯⋯やっぱり来ちゃいましたね。最近、このバイオリンで特定の曲を演奏すると、集まってきちゃうんです。普通の曲なら大丈夫なんですが、猫をイメージした曲だとこんな感じに⋯⋯」


 ハズキがテラスへと戻ってくる。

 ラライナは手で口元を隠しつつ、動揺したままで問いかけた。


「それは、つまり⋯⋯たとえば、鳥をイメージした曲であれば鳥が来たりとか⋯⋯?」


「いえ、猫だけです。まぁ⋯⋯心当たりもありまして。このバイオリンも銘が『夜の猫』ですし、最近のネルク王国では、『猫の精霊』様がいろんな加護を振りまいているみたいですから」


 ハズキの後から、五匹の猫達も当たり前のようについてきた。


 ラライナは恐怖にすくみつつ、しかし弱みを見せるわけにもいかず、その場で身を固くする。

 しかし向かいの席についたハズキは、獰猛な獣(※ラライナの主観)に囲まれてなお、少しも動じていない。

 当たり前のようにそのうちの一匹を抱き上げ、膝に乗せてしまった。


「よいしょ、っと⋯⋯実は、この子とは顔見知りなんです。ロレンス様がたまに餌をあげていて⋯⋯」


 それはバイオリンの音色にあわせ、「にゃーう」「なーお」と歌っていた猫だった。

 まだ子猫と言ってよさそうな体格で、他の四匹よりも一回り小さい。

 耳も丸っこくて小さく、毛色は大部分が白で、首周りにだけ襟巻きのように茶色が混ざっている。


「ロレンスが⋯⋯この猫達に餌を⋯⋯?」


「いえ、私が知っているのはこの子だけですね。納屋に住み着いているらしいです。他の子達まで出てきたのはびっくりしましたが⋯⋯親猫には見えませんし、この子のお兄さんやお姉さん達かもしれません」


 ハズキは困ったように微笑んで、猫の餌用に持ってきたササミを五等分し始めた。一匹のつもりで持ってきたのならさすがに足りないだろう。


「ロレンス様からのお手紙で『たまに様子を見てあげて欲しい』と頼まれているんです。ただ、やっぱりラライナ様にはご紹介しておきたくて⋯⋯あの、もしも何も知らずに追い出してしまったりすると、ロレンス様が悲しがると思いますし⋯⋯」


 ラライナは反応できない。なんと言ったらいいのか、わからないのだ。

 猫は怖い。それは否定できない事実である。


 ただ、ロレンスに対して母親らしいことができていなかった反省もあり、彼の留守中の願いを無視したくもない。


 ロレンス自身が、ラライナに対して「この猫」のことを伝えなかったのは⋯⋯信用も期待もされておらず、それどころか猫にとって「危険」とすら考えたからだろう。それは哀しいが、しかし当然の判断だとも思う。


 そしてハズキは⋯⋯それらの事情を概ね汲み取った上で、「この猫」のことを教えてくれたのだ。


 硬直してしまったラライナを、ハズキが上目遣いに見つめる。


「あの⋯⋯猫があまりお好きではないとは、うかがっているんです。どうしてもお嫌でしたら、ご相談させていただいた上で、この子もうちで引き取ろうかと考えたんですが⋯⋯」


 ハズキが言葉を区切り、テラスでくつろぐ他の四匹を眺めた。


「⋯⋯思ったより多くて、ちょっと困惑しているところだったりします⋯⋯」


 本気で戸惑っていそうなその表情に、ラライナは思わず噴き出した。

 ひとしきり笑った後で、姿勢を正す。


「⋯⋯大丈夫ですわ。追い出したりはしません。もちろん⋯⋯多少は怖いと思いますが、私は庭にも滅多に出ませんから⋯⋯」


 ハズキが目をぱちくりとさせた。


「あの⋯⋯ラライナ様は、この子達が『怖い』んですか? 『嫌い』なのではなく?」


 怖いから嫌い⋯⋯とは言えるかもしれないが、確かに「恐怖」と「嫌悪」は、似ているようで微妙にズレた概念である。


「ええ。実は子供の頃に⋯⋯引っかかれて、高熱を出してしまったことがありまして⋯⋯」


「あー⋯⋯なるほど、そんなご経験が⋯⋯」


 ハズキが痛ましげに顔を歪めた。


「わかります。第一印象って大事ですものね⋯⋯子供時代に、いきなりそういう『上級者向け』の子に当たっちゃったのは、運が悪かったですねぇ⋯⋯」


「⋯⋯上級者向け?」


 言い回しが奇妙に感じられて、ラライナは首を傾げた。ハズキはさも当たり前のようにあっけらかんと頷く。


「はい。人に慣れていないちょっと凶暴な子は、時間をかけてゆっくりと信頼関係を構築しないといけないんです。だから初心者向きではないですよね」


 ハズキは膝上の猫を揉みながらこほんと咳払いをした。


「ラライナ様。人間にもその性格上、『人当たりの良い人』とか『乱暴な人』がいますよね? 猫もおんなじです。個体差がありますし、地域差もあります。たとえばこの子! こんなことしても引っ掻きません」


 膝上の猫の前足を持ちあげ、バンザイさせた。猫はされるがままである。顔立ちも呑気なままで、「なーん」と一声鳴いた。


「野良でここまで人懐っこい子はなかなかいません。だからこそ、ロレンス様も心配だったのかもしれませんが⋯⋯たとえば、私達の足元でくつろいでいる子達にコレをやらせたら、私でも引っかかれるか、多少なりとも嫌な顔をされます」


 ハズキは猫を膝上に戻し、やや真剣な顔に転じた。


「⋯⋯猫の性格を見分けるには慣れが必要ですから⋯⋯わからないのは当然ですし、『わからないから怖い』と考えるのも自然なことです。でも、だからといってすべての猫を怖がってしまうのは、全ての人間を怖がるのと同じくらい、過剰な反応だとも思います」


 言わんとしていることはわかる⋯⋯気がする。

 人それぞれ、猫もそれぞれということだろう。


「単純に『嫌い』なだけなら、感情の問題なのでしょうがないんですが⋯⋯『怖い』だけなら、『怖くない子』を知れば解決できる気もするんです。いかがでしょう、ラライナ様。私もお手伝いしますので⋯⋯しばらくこの子を育ててみませんか?」


「にゃー」


 猫が愛想良く合いの手をいれた。

 思いがけない提案に、ラライナは心底戸惑う。


「ま、まぁ、メイドに預ければ、問題ないかとは思いますが⋯⋯」


 ハズキが首を横に振る。


「いえ。メイドに預けるのではなく、ラライナ様がお世話をするんです。餌をあげたり、トイレを掃除したり、ブラシをかけたり⋯⋯そうすることでより強い信頼関係が生まれます。これは人間側の『義務』とか『仕事』ではなく⋯⋯猫様のお世話をすること自体が、(おろかな)人(類)にとっての『ご褒美』になるんです」


 この演奏家、おかしなことを言い出した。

 声音は静かで笑顔は柔らかいのに、何故か宮廷の貴族達からも感じたことのない類の奇妙な圧がある。

 内心で冷や汗をかきながら、ラライナは確認を求めた。あるいは聞き間違いかもしれない。


「猫の世話をすることが⋯⋯ご褒美⋯⋯?」


「そうです。『たかが猫』と考える人は、なかなかその境地には至れません。でも、そもそも猫さんを『恐れ多いもの』として捉えているラライナ様ならば、あるいは⋯⋯」


「恐れる」のと「恐れ多い」のとでは、だいぶニュアンスに差があるが⋯⋯ともあれ、どうやら聞き間違いではない。

 ハズキは本気で「猫のお世話をさせていただけることは、人の喜び」だと主張している。


 謎の迫力に気圧されつつも、ラライナは人として反論したい。


「あの、ハズキ? 猫は猫でしょ⋯⋯『たかが』とまでは言いませんけれど、別に恐れ多くはないし、人がそこまで下手に出る必要もないと思うのだけれど?」


 ハズキが驚いたように目を見開いた。ごく常識的なことを言ったつもりなので、そんなに驚かれてしまうと反応に困る。


「何をおっしゃっているんですか、ラライナ様。王都にいた方々は、去年の春、実際に『猫の精霊』様のお姿を見たばかりなのでしょう? 噂はこのオルケストにも伝わっていますよ」


「猫の精霊⋯⋯あ、うん⋯⋯それは見ましたけれど⋯⋯」


 あれはあれで何だったのか、実はよくわかっていない。

 宮廷魔導師ルーシャンを守護した結果らしく、それがルーシャン達の捏造だった可能性も一応は疑ったのだが⋯⋯アルドノール・クラッツ侯爵や、その配下のトリウ伯爵、ライゼー子爵らが実際に『猫の精霊』と接触し、その声を聞いたと証言している。

 真っ白い大きな、とても神々しい翼の生えた猫だったらしい。

 もちろん街中に現れたその「眷属たち」は皆が見ているし、なんらかの上位存在であることは間違いないのだが⋯⋯


 ハズキが内緒話のように声をひそめた。


「ラライナ様、悪いことは言いません。猫嫌いは早めに克服して、猫さんと和解したほうが良いです。たぶんそれだけで人生の質が爆上がりします。騙されたと思って、ぜひ。私もお手伝いしますから」


「⋯⋯ま、まぁ、貴方がそう言うのなら⋯⋯?」


 圧に負けて意見を検討してしまう程度には、もう信頼関係ができている。そもそも「たかが猫」の話である。ロレンスのためを思えば、このくらいの障壁は越えてみせるべきなのだろう。


「そちらの子、お名前は?」


「ありません。ラライナ様がつけてください」


「えっ。ロレンスはなんて呼んでいたの?」


「普通に『猫様』ですね」


 様。

 それは決して「普通」ではないし、息子が知らない間に変な宗教にハマっていたかのような違和感を覚えたが、しかし猫教なんてものはない。


 宮廷魔導師のルーシャンが極度の猫好きだという噂は聞いているから、その弟子たるリオレットを通じて、ロレンスも何か変な影響を受けたのかもしれない。


「あの⋯⋯ええと⋯⋯それでは⋯⋯マフラーのような毛並みをしていますから、『マフ』というのはいかがでしょう⋯⋯?」


 安直だが、呼びやすいとは思う。

 ハズキは満面の笑みで頷き、指を祈りの形に組み合わせた。


「素晴らしいです! マフ様ですか! 良いお名前ですね!」


「⋯⋯いえ、『様』はたぶんつけないですね?」


 念の為に突っ込みをいれておくと、ハズキが照れ笑いを浮かべた。


「あ、はい。貴人の方のペットですから、平民の立場からすると、そのほうが自然かとも思いまして⋯⋯もちろんラライナ様からは呼び捨てが良いかと思います」


「ああ、そういう⋯⋯お気遣いは恐縮ですが、猫を飼うのは初めてですし、貴方が頼りです。その子にも気安く接してください」


「はい。では、さっそく⋯⋯触ってみましょう!」


 来た。

「飼う」と決めた後で触るのは順序が違う気もするのだが、ハズキはさっさと立ち上がり、猫をラライナの目前にまで持ってきた。

 足元の四匹はその様子を見守りつつ、香箱をキメている。何かあったら飛びかかってきそうで怖いのだが、これはラライナの主観である。


(なんかおもしろそう)(がんばえー)(あいつここで飼われるんか。狩り下手だし、ちょうどええな⋯⋯)(俺らもたまに、餌せびりにこようや)


 ⋯⋯猫達の思惑を、人が知るすべはない。


 マフと名付けた小さな猫は、ラライナの正面で木製のテーブルに身を横たえた。


「なーん」(撫でる? 撫でる?)


「では、まず触ってみましょう。大抵の猫様には触ったら引っかかれるエラーゾーンがあります。尻尾とか、おなかとか、下半身は全部だめ、って子もいますね。ただこの子には、そのエラーゾーンがほとんどないんです。嫌だった場合でも引っかかずに逃げるだけですね。なので、初心者のラライナ様向きです。まずは大抵の猫様が好きな喉の下を、こう、ぐにぐにと優しく、指先でこねる感じで⋯⋯」


 ハズキの手つきを真似て、ラライナはおそるおそる猫の喉元へ手を伸ばす。


「人が警戒感丸出しだと、猫様も不審がって怯えちゃいます。あくまで自然に。それでいてゆっくりと動きましょう。急に動くと『攻撃』だと勘違いされます」


「む、難しいのですね⋯⋯?」


「ラライナ様。こういう部分は、猫も『人間とおんなじ』なんです。たとえばラライナ様だって、初対面の男性にいきなり肩を掴まれたら嫌悪感を持ちますよね? でも、今の私と握手するくらいなら抵抗はないはずです。だから猫様相手にも、『自己紹介』をしながら探っていくんです。『私は敵じゃありません』『あなたと仲良くしたいです』って、その思いを込めながら⋯⋯焦っちゃダメです。ゆっくり、時間をかけて⋯⋯お互いがお互いにとって安全な存在だと、そう確認していくんですよ」


 ある意味で神官らしい、妙に含蓄がんちくのある言葉が出てきた。ラライナも長く(貴族の)対人関係に心を砕いてきた身だから、そのあたりの機微はもちろん理解できる。

 ハズキは猫の背を撫でてリラックスさせながら、ラライナの指をゆっくりとその喉元に導いた。


 もふっ。


「⋯⋯あっ⋯⋯」


 柔らかい。想像以上にふかっと、そしてぐにゃっとしている。

 毛並みはふわふわで滑らか、指が引っかかることなくするすると動く。


「そうそう、そんな感じです。お上手ですよ、ラライナ様!」


「にゃーん」(どやぁ)


「これが⋯⋯これが、猫⋯⋯」


 初めての触感に戸惑いつつ、ラライナは自らの手元で機嫌良く身をよじる猫に視線を奪われた。


 いざ触ってみれば、さっきまでの自分がどうしてこんな小さな生き物を怖がっていたのか、理解に苦しむ。

 もちろん牙や爪は怖いし、危険なことも承知しているが、少なくとも今のマフは、ラライナに対してそれらの武器を誇示する気はないらしい。


「こんな猫も⋯⋯いるのですね」


「野良ではちょっと珍しいですが、この子はロレンス様(とルーク様)に慣れていた子なので、信頼できる人間(※亜神からの加護を受けているロレンスやハズキ)との距離感が、もうわかっているんですよ」


 そんなものか、と理解した矢先、猫が動いた。

 あっ、と思う間もなく、マフはするするとラライナの腕をたどるようにして歩き⋯⋯ラライナの膝へ前足をおろすと、「にゃー」と鳴いてその場に身を丸めてしまった。


 ラライナは動けない。

 子猫ながら、それに応じた重みがある。それは命の重みであり、温かみだった。

 

「あっ、あのっ! あのっ、これっ⋯⋯!?」


 どうしたらいいのかと慌てるラライナを見て、ハズキが控えめに笑う。


「あはは、さっそく気に入られちゃいましたね、ラライナ様! そのまま背中とかも撫でてあげてください。抱っこする場合は、おしりを抱えるようにして、こう⋯⋯ああ、赤ん坊を抱く感じです。関節に、負担がかからないように⋯⋯」


 ⋯⋯そう言われて、ラライナは気づく。


 我が子をこの手に抱いたことが、果たして何度あっただろうか――

 まったくないわけではないが、日々の多くを乳母に任せっぱなしだった。


 またロレンスへの罪悪感が込み上げてきて、くっと呼吸が詰まる。


「みゃー」


 マフはそんなラライナを気にもとめず⋯⋯すっかり油断しきって、その腕に身を任せてくれた。


「この子は⋯⋯かわいいですね」


「はい! 慣れるとどんな猫様もだいたいかわいく見えるようになってきますが、それでもやっぱり、みんな『自分の飼い猫が一番』って言いますね。ペットを飼う人はそうあるべきだと私も思います」


 要するに「自分の子が一番かわいい」という感覚なのだろう。ラライナの場合、これからその感情を育てていく必要があるのかもしれない。遅きに失した感はあるが⋯⋯それでも、政務から離れた今は時間がある。


「⋯⋯ありがとう、ハズキ。この子と生活をしてみます。これから先も色々、教えていただけると嬉しいですわ」


「もちろんです! あと、足元の子達はまだそんなに人馴れしていないので、今日は林のほうに帰しますが⋯⋯ちょくちょくご挨拶に来そうですし、たまに餌とか融通して、もしも慣れるようなら私や友人のほうで改めて引き取りますね」


「ご友人とは、神官の?」


「神官もいますし、それ以外にも⋯⋯まぁ、いろいろ伝手つてがありまして。実は今、『猫を飼ってみたい』っていう人が、知り合いに多いんですよ」


 神殿でも猫を積極的に飼い始めたのかと思ったが、そういうわけではないらしい。

 マフをラライナの膝に預けたまま、ハズキは再度、テラスを降りてバイオリンを弾き始めた。


 今度は優しくゆったりとした旋律の曲で、猫達も踊りださないし歌わない。そのかわり、みんな揃ってその場で寝てしまった。ぐっすりである。


 野生の獣がコレで大丈夫なのかと少し不安に思いながら、ラライナは膝上の子猫を、ゆっくりと撫で続けるのだった。


 §


「⋯⋯と、いうようなことがありまして」


「ほわぁ⋯⋯」


 どうも、猫です!

 ラライナ様のお茶会に招かれた我々一行は、なんとそこでハズキさんの姿を見つけてしまった⋯⋯

 聞けばラライナ様の推し⋯⋯お気に入りの演奏者として、今回の旅に同行したらしい。


 このお茶会でもこれから演奏を披露するとのことだが、その前にこっそり敷地の隅っこに呼び出し、「ラライナ様に何があった!?」と、アイシャさんを交えて情報共有していたところである。

 周囲に他の人はいないため、傍目にはアイシャさんとハズキさんが内緒話をしているようにしか見えぬであろう。


「この間のルーク様の生誕祭でも、時間があればご報告したかったんですが、人が多すぎて⋯⋯でも、ラライナ様ってそんなに変わったんですか? 私に対しては、最初から人当たりの良い印象でしたけれど」


 ⋯⋯ハズキさんはたぶん、まだ「猫力」の存在を知らぬ。それが俺には数字としてわかることも話していない。


「人当たりに関しては、元から良いはずなのですが⋯⋯『猫当たり』に関しては、もはや別人です。この短期間で、よもやこれほど大きな変化が起きるとは⋯⋯!」


「あー⋯⋯今のラライナ様、マフ様にデレデレですからね⋯⋯離れたくないからってことで、この旅にも同行していまして⋯⋯今は邸内にいると思います」


 その猫さんのことは俺も知っている。離宮の納屋で寝泊まりしていたまだ幼い野良さんで、ロレンス様が仲良くしていた。


 リーデルハイン領にお誘いしたこともあるのだが、「兄弟達もいるので、あの林の近辺から離れたくない」とのことで⋯⋯まぁ、環境的にも気ままで優雅な暮らしができているようだったので、その意思を尊重した次第である。基本的に猫さんは縄張りから離れたがらないのだ。


 あの子は確かに人馴れしているというか、だいぶ魔性っぽい猫さんであった。ラライナ様は悪い男に引っかかるタイプではなかったが、悪い猫さん(雌)に引っかかるタイプであったか⋯⋯

 

 ともあれ、ロレンス様の母君の猫力が増進したのは喜ぶべき⋯⋯喜ぶべきか? 変化が急激すぎてちょっと洗脳入ってない?


 アイシャさんもやや震えている。


「お師匠様は、あの変化を『違和感』として感じ取っていたんですね⋯⋯パネェなうちの師匠⋯⋯」


 アイシャさんもかつては「猫力否定派」だったのだが、俺が「猫力は実在する!」と宣言したことで認識を切り替えた。

 人の身でありながら、その数値の変化を敏感に察した師⋯⋯その高みに思いを馳せて、呆れ⋯⋯もとい、改めて感服しているのだろう。ルーシャン様はね⋯⋯やっぱりちょっと普通の人類とは「違う」場所にいるよね⋯⋯(遠い目)


 そんなこんなで本日のお茶会は波乱の幕開けとなり、猫はくすねてきた茶菓子をこっそりと頬張りつつ、ライゼー様達の周辺を警戒するのであった。


来週にはもう年明けとか⋯⋯(震え声)

今年も一年、ありがとうございました!

こちらは年末年始感が皆無で作業確定なのですが、皆様はどうか良いお年をー。ノシ

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― 新着の感想 ―
猫力5のままだったら惨死する可能性まであっただろうし猫力75まで上がって本当によかった
ラライナ様が…猫力が急上昇したのってちょっと不自然だと思いました。 というかこれ、絶対に、裏でオズワルド様とかアーデリア様とかラライナ様の所に訪問しているでしょ…彼女がリオレット陛下(当時は王位につ…
みなさん猫力という単一パラメーターに振り回されすぎでは? ルークちからとか神ちからとかの複合値で判断すべきでしょ?
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